第2話 遭遇

 枕に向かって控えめに叫んだが、状況は何も変わらなかった。

 カーテンが降りているため、相部屋だったかもしれないが、人がいても叫んでいたことだろう。

 それほどまでに、楓にとって現状は理解しがたかった。

 死んだと思って起きてみれば、女の子になっていた。

 言葉にすればそれだけだが、衝撃はフラれたことの比ではなかった。

 生きていただけよかったと思おうにも、どうすればいいのかわからなかった。

 しまいには、転生特典の説明や、世界の説明もない。もしかしたら、どこかで受けたが、転生後にはその記憶を受け継げないとかそういうことかもしれない。という考えても仕方のないことが頭の中に浮かんでいた。

 とうとう楓は軽く体のどこにも不調がないことを確認し、体を起こした。

 そして、改めて辺りを物色し始めた。

 まず、首を回してわかる範囲で目についたものに、思わず、

「はっ」

 と自分のものとはかけ離れた声が漏れた。

 声を出すだけで、謎の気恥ずかしさがあるのが面倒だったが、楓は見慣れたものに手を伸ばした。

 スマホがあった。

 その辺に置いておくのは不用心な気がしたが、それほど警戒しなくてもいい環境ということかもしれない。

 転生してスマホを持っている。この状況はいい。

 しかし、スマホがあっても、持っているだけで、ガラクタかもしれない。

 充電できないとか、圏外とか、思いつくだけでも色々ある。

 そもそも、他人のスマホならパスワードがわからなくて、ロックが解除できないだろう。

 そんな心配もよそに、スマホは指紋認証で難なく解除され、通信も行われていることが確認できた。充電も充分ありそうだ。

 アプリはどれも見知ったアイコンでほっと安堵の息が漏れた。

 だが、安心するのはまだ早い。

 アプリの見た目が見知ったものでも中身まで同じとは限らない。

 その上、見かけがよくできた紛い物の可能性だってある。

 楓は地図アプリを開くと現在位置を確認した。

 どうやらここはトウキョウらしい。

「なるほどトウキョウ。東京ね」

 ふむふむと、楓は東京という言葉を咀嚼するようにゆっくり呟くと、目をつむって頷いた。

 そしてすぐに、スマホを握る手に力を入れると、大きく目を見開いた。

 出ている情報が真実なら、楓が元々住んでいた場所から少し離れた地域というだけで、異世界に転生したわけではなさそうだった。

 そっくりな別世界という可能性はあるものの、病院の内装やら、スマホの情報やら、情報源は少ないものの、今のところは同じ世界らしいと判断できた。

 まだまだ、確認したいことは山ほどある。

 その中には、触れていいものか悩ましいものもある。それに、外に出てもいいものなのかという疑問も。

 つきっきりで手当や看病をしないといけない病気でもなさそうだが、楓にそれを判断することはできなかった。

 同じ世界に転生したかもしれないという思考から、他人のスマホを触っていたことに気づいたが、罪悪感を抱いていなかった。

 スマホを持つ時も、意識せずとも親指でロックを解除していた。転生前の楓は人差し指で解除していたのにも関わらず。

 何故と考えても答えは出なかった。

 解消されたと思うと、どんどんと疑問は増えていく。

 とりあえず体を動かそうと思い、ベッドを降りようとしたところで、ノックの音。

 誰かいるのかと思ったが、返事をする人はいない。

 再びノックがあったが、返事をしなかったにも関わらず、ドアがそろりそろりと開けられた。

「手土産持ってきたけど、寝てるのか?」

 シャラシャラとカーテンが開けられると声に違わず、男の顔が覗いた。

「って起きてるなら返事しろよ。楓。大部屋だけど、今この部屋使ってるの楓一人なんだから、用があるならお前にだけだろ」

「……!?」

 目を白黒させて、口をぱくぱくさせる楓。

 見知らぬ男が現れた。

 今襲われたらヤられる。

 いや、そうじゃなくて、コイツ、名前知ってたぞ。

 それに、日本語話してるみたいだけど、自動翻訳か? とうとうスキルが発動したのか?

 服装は洋服っていうかパーカーみたいだし、髪の色も普通か? わからん。一人だけで判断はできない。

「なに驚いてんだよ。勝手に入ってきたのがそんなに気に入らなかったか? なら狸寝入りでもしてれば、俺だってさっさと帰ったさ」

 続け様に、話され困惑は強まった。

 雪崩のように浮かんできた思考の波に飲み込まれ、目を泳がせることしかできなかった楓だが、しかし、誤魔化す言葉を並べるより早く口は動いていた。

「とりあえず、置いてってくれればいいよ。手土産ありがと。速水くん」

 楓もまた、男の名前を知っていた。というよりも体が勝手に発声した。

 そのうえ、記憶が流れてきた。

 夢のようにおぼろげだったものが、映画のように鮮明になった。

 彼の名前は速水歓太郎。腐れ縁の男のようだ。

 歓太郎はニヤッと笑みを浮かべると、手土産を近くの台の上に置いた。

 病院にわざわざ土産を持ってくるということはそういう仲なのか? それとも、そういう仲になりたいのか? そこまでははっきりとしなかった。ただ、楓には歓太郎と付き合っている記憶はなかった。そのため、後者だろうと当たりをつけた。

「ま、彼氏だからな」

 歓太郎は楓の思考を読んだような言葉を口に出すと、いたずらっぽく笑った。

 反射的に、目が見開いていた。

 楓は自分の記憶を疑った。新しい肉体に関する記憶が完全じゃない可能性を考えた。

 だが、思考と当初の反応とは裏腹に、楓の顔には冷ややかな笑みが浮かんだが、穏やかな笑みへと変わると口を開いていた。

「そういう、誰彼構わず自称彼氏っていうのはやめた方がいいと思うな」

「ははは。冗談じゃないか」

 歓太郎はいけ好かないやつらしい。

 ここまでの印象は悪くなかったが、体の持ち主の感情なのか。言い知れぬ怒りが楓の胸の内にわきおこっていた。

 一体何をしたらここまで笑顔で対応されて、怒られることがあるのだろうか。恐ろしい。

 ここまで、自然と理解できるのは一度似たような光景を夢の中で見たからか。

 もし、夢で見た景色が、体の持ち主の記憶なら、ボケーっとしていただけで自分で行動していたのだろうか。

 判然としないが、それでも、長年の積み重ねで好感度を下げてきた歓太郎の実態は理解した。

 加えて、鮮明になった記憶によって明らかになったことに、やはりここは、地球の日本の東京らしいということだ。

 そして、歓太郎が楓の名前を知っていたのは、この肉体の持ち主の名前もまた秋元楓だからだった。

 ここはパラレルワールドか何かなのだろうか。

 この体は、パラレルワールドの秋元楓なのか。

 思考がまとまるより早く歓太郎が何かを思い出したように声を上げた。

「そういえば」

 先程までのくだけた態度ではなく、神妙な面持ちで歓太郎はささやいた。

「さっき、ピンク色の髪の小さい女の子がこの部屋から出てきてたんだが、知り合いか? もしかして、妹いたのか?」

「ピンク色の髪の女の子?」

「うん。かわいい子だったなぁ」

 女の子になら誰に対しても、鼻の下を伸ばす歓太郎の気がそれていることはどうでもよく、楓は女の子が気になった。

 目が覚めたタイミングでは誰もいなかった。

 ピンク色の髪なら気づくはずだし、ドアの開け閉めがあればそこでも気づいただろう。

 目が覚めた時には部屋を出ていたのか。

 それに、記憶の中にもそんな人物はいなかった。男の時も女の時も。

 一体、誰がそばにいたんだ?

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