祈りの混沌(原文)

ドストレートエフスキー

第1話

貴方の祈りは残念なことに全て叶ってしまう。


もし貴方には夢があって何かの分野で一番になりなおかつあわよくばそれを理由に皆が一度は恋焦がれる美しい女性と年を取るまでずっと二人で不貞をせずに過ごしたい…などと思ったとしたら、必ず他の一番になりたかった人間の夢は叶わない。


それなのに貴方は努力すれば夢がかなうと思っている。

昨日見た少年漫画の主人公のように都合よく。

ところで、貴方程度の人間が努力した程度で一番になれたら他の誰でも一番になれるのではないか?

それを考えるだけの想像力すらない貴方の祈りは”残念ながら”叶ってしまう。


最近、量子力学の発達によりこの世界の知的生命体が強く念じる願い事は本当に叶っていることが分かった。

人間が念じると光子の挙動が変動するという話は厳密な再現性はないものの現象としては観察されていたが、力学的な法則が解明されたのだった。それは人間が念じればこの世界の物理法則は自由に動かせていてすべての物質を変化発生させることができるというものだった。


難しい話はさておき、とにかくこの理屈によれば人間は物理的に祈りを具現化する力があるということになる。


「嘘つけ。君、だったら私はいますぐ百万長者になっているはずじゃないか」と思われるかもしれない。


私も最初はそう思っていたのだが、どうも複数の願いが干渉すると叶わない仕組みになっているらしく、例えば誰かが貴方が死ねばいいと思っても貴方が生きたいと思っていれば私は貴方を殺せないわけだ。


ただこれも誰にも気が付かれずに祈れば自分の願いくらいは叶うことになるのでおかしい話だ。

特に恨まれているわけでもない人がこっそり病気を治すくらいならできるんじゃないだろうか。

しかし、できない。バイアスの問題にしても前例がないのは不自然だ。


それには理由があって、はるか宇宙より外の何光年も先の何者かが宇宙全域を監視し、強い思念で「祈って」いるためであることが分かった。

その何者か、知的生命体か何かの願いが強すぎるあまり、人間の祈りはほぼ叶わず微弱な力として働くのみだったのだ。

謎の生命体の祈りが宇宙を宇宙たらしめ、我々人間を人間たらしめていたわけだ。


なおかつ、どうやらその生命体の力に揺らぎが生じ、どんどん弱まっているらしい。

ちなみにその力が弱まったからこそ今回の力学の証明の手立てとなったのだがその話は割愛しよう。


その知的生命体が死ぬのか居眠りをしているのかはわからないが、少なくともあと数年で影響力がゼロを下回る統計が出ている。


つまり、”全ての祈りが叶う世界”が訪れることになる。


人間の祈りの叶う世界の到来…

これで我々も億万長者になれる!と浮き足たつほど我々人類も馬鹿ではなく、

「そんなことになったら何が起こるかわからないじゃないか!」という恐怖が先だったらしい。


故にまずこの事実は隠されたが、各地で超常現象があちらこちらで発生してしまったことで研究所は秘密を明かさねばならなくなった。


超常現象といっても最初は地味なものだった。


自分の願いは叶わないという人間の思い込みとは恐ろしいもので、

研究所以外での外界はしばらくはまるで日常的だった。

みんな日常的なこと以外は起こらないと思っていたからだ。


子供が妖精や亡霊を出したことがあったが、大人が「それは思い込みだ」というとすぐに消えていった。

大人の願いが子供の祈りを良い意味でつぶしていったと言えるかもしれない。


変異に気が付いたのはひょんなことだった。

歩きながら電話をしていたところ何もない空中を歩いてしまい、途中そのことに気が付いてお驚いて落ちて事故を起こした。

そのうえ、人間が跳ぶには遠すぎる距離を歩いてから落ちたことによって証拠まで残してしまう。おまけに映像まで録画された。


これに気が付いた国家や研究者たちはこれ以上祈りが叶うことに感づかれないように巧妙な嘘をつく必要があった。

まず彼を超能力者だと事件を見た関係者に告げ、空中を歩く以外の能力はないこと、また歩ける距離はほんの数100m程度であることを刷り込むことでそれ以上の祈りを叶わせないことにした。

研究所の証明書とともにもっともらしい科学的根拠を告げると簡単に信じてくれたので良かった。

あとはこの件は危険な理由に使われるかもしれないので秘密裏にして男性を安全に保護する約束を取り決めたらよかった。


しかし診る人のいない痴呆症の老人の周囲に死んだ友人やまだ生きている家族が何もない空間から”発生”し、決まった時間にだけ食事を作って会話しては消えるという現象が現れた時にはもう隠しようがなかった。

それどころか町全部が古びて新しい街や人間が消えてしまうような現象も起きた。

慌てて研究員たちは祈って元に戻そうとしたが、研究員が見ていない地域は瞬く間に混沌に陥っていった。とてもではないが人手が足りない。


世界中で同様の事件が起こった。


痴呆症の老人は気の毒だが危険すぎるという理由で安楽死された。研究者たちが強く祈ったかからだった。自責の念で涙を流す者もおり、気の弱い研究員が死にたいと思ったのか、翌日には死んでしまった。どんな願いでも叶うのにも関わらず、首つり自殺だった。


秘密を抱えきれなくなった研究者たちは事実を告げた。

案外自分勝手な願いを叶えたいと言い出す人間は少なかった。

事前に放映した道徳的なドラマや小説などの影響だ。

背に腹は代えられないということで研究者たちは祈りを捧げて世界の法則が変わらないように気を付けながらなるべく現実的な方法で巨万の富を得る願いをかなえたので宣伝資金は持っていた。


その時代のもっとも有名な映画の内容は「なんでも願いが叶ってしまう世界でお互いがお互いの勝手な願いが叶わないように祈りあうことで元の世界と同じような平安を取り戻し、悪い祈りを叶えようとする醜い悪人を皆で打倒、何気ない日常の大切さを語る」といったものだった。


研究者たちは祈るように世界に向かってこう呼びかけた

「皆さん!お互いが自分勝手に祈らないように祈ってください!」


意外なことに国民たちはみな同意して、どこかの知的生命体の祈りが途絶える日に向けて祈った。

芸人たちがこぞってイメージソングを歌ってみんなで世界を守ろうと呼び掛けた。


世界中が一丸になった時だった。恐れを口にする者もいたが、半ばフェスティバルのように賑わった。



しかし、そのあまりにも抽象的な祈りは具体的な未来を描くには貧弱過ぎた。


そもそも彼らは心から「身勝手な祈りを叶えないようにしたい」などとは思ってはおらず、

この世界の一大事に乗じて有名になりたかっただけなのである。


世界には明るいパステルオレンジやきれいな水色のエフェクトの中心に心が弾けるように爽快なキャンペーンソングを歌う人らしい形をした何かと、その周りにたくさんのさらに抽象的な地味でぱっとしない色の何かが時折掛け声のようなものをかける存在が世界に点在することとなった。

時折中身の色合いは違うが似たような形の塊がくっついては消えたり増えたりしていった。


中にはあからさまに金銀財宝や豪勢な食事や美女や車や兵器などが突然大量に空中に生まれることもあったが、見つかり次第周囲の曖昧な何かの蟻かイナゴのような群れに集られるように食いちぎられて消えていった。祈りの内容はともかく、具体性でいえばああいう祈りのほうが解像度なら高い。


悪意のほうが具体性が高いのだろうか。

そういえば今までに具体的な善意というものは見受けられなかった。


…そして私はそれを観察するリアリストだ。

少しでも元の世界を思い出すために図書館で自然科学を学んでなるべく元の宇宙になるように祈っているが…


なあ、ところで君には私の姿はどんなふうに見えているんだ?

すでに彼らのような自分の姿も覚えてないふやけた何かになっているのか

自分だけは違うと思っているがそれは私が鏡を見た時だけで

ひとたび目をそらせば自分の姿など棚上げで周囲を見下して自分だけが特別だと勘違いした自己顕示欲がとがったような品のない化け物のような姿をしているのか、

それともまだ人の形を保っていて、私の周囲だけ元の宇宙が広がっているのか。

なあ教えてくれ。

この世界を元に戻すヒントになるかもしれないんだ。



私の目の前には一人の男がいた。これといって特徴のない男。


彼が歩いた後には首を吊った研究員のようなものが点在していた。

男も時折死んでその時だけ白衣の姿になって首を吊った。

縄に手をかけて息をのむそのしぐさも目にためてからすっと落ちるしずくも、

全ての動作が驚くほど同じだった。


私をそれを見るたびに胸を痛め、頬に一滴の涙が落ちる。


そのあと近くにまた何の特徴もない男が発生するが、その男が首つり死体を見るとその姿は男の視界に入っているときだけ、消えている。きっと、彼はそんな事実は認めたくないからだろう。


私が近づくと彼は最後にこう言った。


「私は祈る力で大量に無辜の人々を殺したことがある。

まだ祈る力が世間に知られていない、皆が無防備な頃だった。一方的な虐殺だ。


私の祈りは誰かに許されることだ。

そして君は私を許してはいけない。

もし君が私を許せば私は消える。

もし君が私の祈りでできているなら君も消えてしまう。


なあ私の祈りを聞いてくれないか。

この世界を助けてくれ。

君にも祈ってほしいんだ。」


私が鏡を見ると、やわらかい赤毛の美しい少女の姿をしていた。私が彼の恋人なのか娘なのか定かではなかったが、私は彼の期待に応えられず、難しい本を読んでもちんぷんかんぷんだった。祈ってもわからなかったので、もしかしたら私がもの知らずなのは彼の期待に応えてのことなのかも知れない。


私は少し困ってから、彼らの冥福を祈った。


あとは、この人の娘であるより、恋人だったらいいな、なんて思いながら、そっと亡骸の目を閉ざした。

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祈りの混沌(原文) ドストレートエフスキー @Qandemic

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