最終話です この物語の余白より愛を込めて、

「盗み聞きするつもりななかったのですが、聞こえてしまいまして」


「どうして先生がここにおるんです?」


「私はここの常連ですよ。時間が空いたので、休みに来たのです。席を共にしていいですか?」


「はい、どうぞ」


「ええですよ」


 ふーちゃんは席を詰めて一人分の幅を開けました。

 先生は注文したコーヒーを持ってふーちゃんのとなり、私の斜め前方に腰かけました。


「今聞かせてもらったお話、私も知っているのです」


 先生は四十代後半ほどの女性です。

 髪は邪魔にならないためにショートにしていて、知性とクールな表情が上品さをかもし出し、いつも落ち着いた印象があります。


 ですが怒るときは怒ります。

 そして怖いです。

 居眠りしてしまった時や、遅刻したときなど、怒鳴るわけではないのですが、静かに見つめられると本当に怖いのです。


「知っているって、どこで聞いたんですか?」


 いつものことですが先生はすぐに答えません。

 五秒ほどのタイムラグが生じます。

 その落ち着いた態度が上品さを引き立たせているのだと私は分析します。


「そのお話に登場した書き込み主の母が私だからですよ」


「嘘やん!」


 ふーちゃんの大声に私は人差し指を唇に添えました。

 ふーちゃんは思い出したように、お口をチャックのジェスチャーをしました。


「本当なのですか?」


 私は真剣に訊き返しました。


「本当です。丁度あなた達が入学した年にあの子は亡くなりました。生まれつき体が弱い子で、二十歳まで生きられるかどうかわからない、と産まれたときから医師に言われていました。臓器の働きが悪かったのです。良くなるどころか、年々悪くなって、最期の二年は人工呼吸器を手放せませんでした。だから幼い頃から外で遊ぶことができず、いざというときに備えるために、遊びにもそれほど連れて行ってあげたことすらありません」


 先生は淡々としていました。

 表情は変わりませんが、声には悲しみが含まれているように思えます。


「家の中でもできる娯楽も限られていて、本を与えたのです。私も読書が好きだったので、行ってしまえば私の趣味を押し付けただけですが。あの子は嬉しそうに読んでくれていました。それが嬉しくて、手当たり次第に本を買い与えました。ですが、私に気を使っていてくれたことだったんですね……。親の心子知らずと言いますが、子供の心親知らずでもありますね」


「始めのころはそうだったのかもしれませんが、読むうちに本当に読書が好きになっていたと思いますよ。本当のところはご本人にしかわかりませんが、書き込みを読んでいる限りでは好きだったのだと私は感じました」


 先生は形のよい眉をわずかに寄せて、悲しそうに微笑みました。


「だといいのですが」


「でも、どうしてお子さんの本が学校の図書室に?」


「寄付したのですよ。校長の計らいで、多少の書き込みは見逃してもらいました」


「多少というレベルではありませんが……」


 ツッコんでいいのか迷いましたが、私のツッコミの血を抑えることはできません。

 今までお口チャックしていたふーちゃんが、チャックを開けて口を挟みました。


「ああ、だから貸出名簿に書き込みした人の名前なかったんか」


「幽霊だと思いましたか?」


 先生はおかしそうに訊きました。


「私は妖怪は信じても、幽霊は信じません」


「同じようなものだと思いますけどね。あの子も似たようなこと言っていましたよ」


「私もそれに共感したものです。お子さんは私の頭の中にも生きていますよ。お子さんの思考パターンが私にダウンロードされています」


「咲村さんは面白い人ですね」


 おかしな人の間違いでしょう、と私。

 先生は涙を浮かべ、今まで見せてくれたことない笑顔を私たちに見せてくれました。


 例えるなら今までの笑顔は五分咲きまででしたが、今は八分、いえ満開の笑顔です。

 ですが、そんなにおかしなことを言いましたでしょうか。

 私はいつも真面目に答えているのですが、相手を笑わせてしまうことがあります。


 私にはお笑いの才能があるのでしょうか?

 ふーちゃんとコンビを組んで芸人になるのも面白いかもですね。

 冗談です。


「最後に一つだけ訊きたいのですが、お子さんが書いていた小説は完成されたのでしょうか?」


「読みたいですか?」


「はい。読みたいです」


 私は正直なストレートボールを投げました。


「わかりました。では明日、その小説が収められたUSBメモリーを持ってまいります。完成しているかどうかは、咲村さんが最後まで読んで判断してください」











 翌日、先生はお子さんの命の結晶であるUSBメモリーを、私に渡してくれました。

 この中に入っているものはと訊けば、百人中百人がデータと答えるでしょうけれど、データで間違いないのでしょうけれど、私なら命だと答えます。


 思考とは生きた人間の命なのです。

 亡くなった人の考えを文字という媒体を通して、現代の私たちが受け継ぐことができるのですから。


 私は自分のパソコンに預かったUSBメモリーを差してファイルを開きました。 

 一文字一文字噛みしめ、自分の中で消化され、血となり肉となるように読みました。


 三十万文字にもなる大長編ファンタジーでした。

 ある二人の少年少女を主人公にした物語です。

 少年はある巨大な図書館の一冊の物語の中に住んでいました。

 

 閉じられた世界は進みもせず、戻りもせず、変化のない世界です。

 死んでしまった世界です。

 その世界の時間は止っています。

 

 苦もなく、楽もなく、少年は毎日、本の中の図書館で、止まっている時間を潰しています。

 そんなある日、少年が暮らす物語の中の図書館に少女が訪ねて来ました。

 その変化で、少年の時間は動き始めるのです。

 

 少女と少年は仲良くなります。

 話を聞くうちに少女は物語の世界を旅する、旅人であることを知ります。 

 少年は色々な物語を読んできましたが、血の通った本当の物語を聞くのは初めてのことでした。


 少年はこの世界の他にも、色々な世界があることを知るのです。

 世界には色々な物語があることを知るのです。

 今まで図書館の中がすべてだった少年は、外の世界の本当の物語に焦がれました。


 私は時間も忘れて読み進めました。

 少年が世界を旅するように、私は物語の世界を旅していました。

 

 メタファー的な要素が多く、わかりずらい話でしたが、書き込み主の書き込みを何十万文字と読んで来た私だからこそ、おぼろげながらでも理解できている気がします。


 気が付けばカーテンの隙間から、日の光が線になって差し込んでいました。 

 未成熟な物語です。

 面白いとは言えないかもしれません。

 ですが私は夢中になって読んでいました。


 物語もクライマックスに差し掛かっています。

 少年は消えてしまった少女を探すために、今まで踏み出したことのない図書館の外に旅に出たのです。

 

 色々な世界を旅して、色々な物語の登場人物たちと巡り逢いました。

 三千世界を旅しても、消えてしまった少女は見つけることができませんでした。


 旅の果てにいつの間にか少年は、自分の世界に戻ってきていました。

 少年はそこで悟ります。

 自分が旅をしていた物語という世界には少女はいない。

 

 少女は物語の『外』の登場人物だったのだと。

 そして最後少年は自分が生きる物語の世界の余白で、世界の外にいる少女に想いを伝えるのです。


『この物語の余白より愛を込めて、僕の物語を開いてくれてありがとう』

 

 少年は今まで見ようとしなかった自分の世界を改めて見回しました。

 その世界では誰が主人公かもわかりません。

 誰もが主人公と言える世界で、誰も主人公とは言えない世界です。

 

 大きな事件なんて起きませんが、小さな出来事の積み重ねで物語が進んで行く世界です。

 人一人の数だけ、物語が生まれる世界だったのです。

 そして少年は今まで止まっていた、止めていた自分の物語を生きる決意を決めるのでした。

 

 この物語は終わっていません。

 この物語は始まってすらいなかったのです。

 強いて言うなら、始まりに至る終わりの物語だったのです。

 

「そうだったのですか。そうだったのですね……」


 机の上に雫が落ちました。

 私の目に温かいものが溢れて来ます。

 今までどれだけ感動する本に巡り合っても、涙を流したことはありませんでした。

 

 これが初めてのことでした。

 どうして泣いているのでしょう。

 どうして胸がこれほど締め付けられるのでしょう。

 

 この人のこれからの物語が、もう読めないのが悲しくて苦しくて辛いのです。

 私は初めて我が身をもって知ることができました。

 これが恋というものなのです。

 恋にも色々あるのです。

 

 私は顔も名前も性別すら知らない、相手に心の底から恋をしていたのです。

 初恋は叶わないという迷信を聞いたことがありますが、あれは本当だったのでしょうか。


 そんなわけありませんね。

 ですがそう思い込むと少し楽になります。

 これは私の叶わない初恋と失恋の物語でした。

 

「この物語の余白より愛を込めて、さようなら私の初恋の人」


 光がこもれるカーテンを開け放って、私はこれからもあなたを意思を受け継ぎ、この世界を生きていきます――。

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