第10話 消え入りそうな淡い過去


 ―――もし、僕が死んだら幽霊になるのだろうか?実体の無い気持ちだけの存在に。気持ちだけの僕って本当に僕なのだろうか?


 僕は気持ちだけの存在になった時にエリへの伝えたい事を思い出すのだろうか。あんなに泣いたり笑ったり出来るのだろうか。そもそも、そんなに死んだら幽霊になるとは限らない。もし、死んだ人全てが幽霊になるのなら地球上は幽霊だらけだ。しかし、僕の周りには幽霊は美空だけだ。つまり、全ての人が幽霊になる訳では無い。


 もしくは幽霊にはなるのではあるが、その『気持ちの塊』と言った点で見た時に。その気持ちが無くなってしまえば何も無くなる。これは先程の美空の台詞に重なり僕は少し鳥肌が立った。


 もし、その仮定が正解であるなら美空は記憶を無くしたのではなく。記憶を無くしていっている。つまりは、初めからその状態で有った訳では無くて。今、現在進行系で起こって居るのではないか?だとするなら、美空は自分の名前と杉井純平の顔以外を全て無くして居るのである。


 つまり美空が全ての記憶を無くして。気持ちが無くなって。消えてしまうまで残された時間は少ないのではないだろうか。


僕は美空が居なくなることを考えると、まるで自分の中の何かが失われて行く感覚に襲われた。


「消える為だけに生まれてきたのかな...」


呟いた僕は余計に虚しさが込み上げ、この窓から覗く流れ行く様に動く光りの塊も何もかもが。やがて消え行くだけの為に在るのかと。


 その様な事を考える僕の心の中の箱は、四方から黒い粒がわらわらと集り端から徐々に真っ暗に為って行き、段々と息苦しさに襲われた。


(呼吸ってどうやるんだっけ。今吐いて。いや、今は吸うんだっけ?あれ...)


タイミングや、強弱、深さ何かが判らなくなってしまい。僕は息苦しさから前のめりに丸まり立ち上がれなくなってしまった。


「大丈夫ですか?」


そんな僕を目を覚ました美空は見付けて、心配して近付いてきた。美空はそれから何も言わず、踞る僕の背中を擦り。トントンと一定のリズムで背中を優しく叩いてくれた。僕は一度呼吸を浅くして美空の叩くリズムに合わせてゆっくりと深呼吸した。


 どうにか呼吸も戻り僕は踞った状態から横へ転がり仰向けに寝そべって美空へ話しかけた


「なあ、世の中って。世界って少し残酷だよね。」


「そうですね。あたしは好きですけと。」


「僕も好きだけどさ。きっと僕と美空の、その好きな世界ってきっと違うんだろうな。」


「世界は一つしか無いですよ。」


「だよね。だけど、同じ物なのに僕と美空の見えている世界は違って。窓の外の人達も一人一人違ってさ。きっとそれって永遠に解らないのだと思うよ。」


「そう言われればそうかも知れませんね。」


「でもさ。さっき美空が寂しくて、悲しくて泣いた世界は少し僕にも見えた気がした。だから息苦しくてこの様だけど。」


 僕は情けない気持ちを隠そうとすると笑うしかなく、それに従って空気が漏れるように笑った。美空はそんな僕に顔を寄せて僕の額へ軽くキスしてそのまま僕の頭を抱き締めた。やわらかく、温かく、甘く。


 僕は少し救われた気持ちになり。上を向いた僕の涙が目尻からこめかみを抜けて床へと落ちた。


「見えちゃったんですね。あの真っ暗な世界が。でもあたしはマサトさんと分けられたと思うと少し楽な気持ちになりました。」


「そっか。」


人が人と居るってのはこう言う事なのか。そんな事を考えながら、僕はぬるくなった缶酎ハイを手に取り口へと運んだ。ぬるくなった缶酎ハイは温度が上り葡萄の香りが強くなり、甘みが口の中でまとわりつく様に広がった。僕は贖罪の様に、好ましくもない状態の缶酎ハイを飲み続けた。


 美空はまた、窓辺へと立って外の景色を眺めていた。時折入る風が髪を揺らす姿にうっすらと透き通る景色を見て僕は、美空が幽霊で有ることを再認識した。そんな姿に見とれていると美空は酔いが残っているせいか少しふらついたので。僕は流し台へと行き、グラスに氷を入れ水を注いだ。


 そして美空へと渡すと、美空は一気にそのコップの水を飲み干して。


「やっぱり、酔い覚ましに少し外を歩きません?」


余りに迷いの無い笑顔でそう言って、更に時計の方を指差してニコニコとしながら


「ほら、まだ9時半ですし。」


長いこと飲んでいた気がしたが、然程過ぎていない時間に驚きながらも。迷いの無い笑顔でそう言う美空へ押し負けて、押され負け


「そうだな。あんまり遠く無ければ。少しだけだよ。」


と言い僕は、ラフにジャージへと着替え玄関へと行くと美空は勢い良く僕の首へとしがみついて


「へへっ。」


と耳元で笑った。僕は鼻で笑ってそのまま外へと出かけた。いつもであれば田舎町のこの街は、この時間には余り人通りも無いのだが。明日からの花火大会に向けて準備をする人や車が多く忙しく動いていた。坂を下ると更にその光景は忙しくて、美空はそれを初めて見るかの様に嬉しそうにキョロキョロと見回していた。


「屋台ってこうやって準備してたんだぁ。」


「毎年の事なのに見たこと無いの?」


そう話している回りでは、ワゴン車から鉄の骨組みを運び組み立てている人や。屋台の台座を出したりしている人や。金魚すくいの水槽を組み立てブルーシートを敷く人々が右往左往していた。そんな中で美空は


「うーん。覚えてない。見たこと有るかも知れないし。見たこと無いかも知れない。」


そんな事を笑顔で言う美空の言葉に、僕は先程の考えが頭を過り。


「なあ、思い出した事なんか増えていないの?」


そう訊ねると美空は首を傾げながら。


「今のところは特に無いですね。」


と言った。僕はそれだけでは判断出来ないと思い。また別の質問を美空へと訊ねた。


「その、美空が言ってた。記憶に残って名前を呼んでいた『男の人』ってどんな感じの人だったの?」


「えーっと、凄くカッコ良くてですね。カッコ良くて...。あれ。とにかくカッコ良かったです。えへへっ。」


そう笑う美空の事を見ながら。


(美空の記憶は更に消えて行ってる。)


僕はそう思い。不安な気持ちになりそうになったが。その不安な気持ちに飲まれて心の中にまた真っ暗な物が溢れて来そうで。それに飲まれてしまった時に。美空が消えてしまいそうで、無理に別の事を考える様に花火大会の準備をする人達を眺めた。


夜の風と幽霊と消え入りそうな淡い過去




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