第41話 Annie's Garden 早春の約束1

雪が降ったのは前日だったのか翌日だったのか、もう覚えていないけれど、肌寒い早春のある日だった。セントパトリックデーが近かったように思う。友人が住む街に部屋を借りようと、私は不動産屋巡りをしていた。しかしどこを覗いても、色よい返事がもらえず、静かな通りをため息をつきつつ歩く。


ふとビルの合間に明るい何かを感じた。近寄って行くとそれは柵で囲まれた空間だった。嘘みたいにぽっかりと出現した菜園らしき場所。三月半ばで花はなかったけれど、花壇や野菜の畝らしきものが見え、奥にはコンポストだろう木製のコンテナが並んでいた。


柵には扉があって大きな鍵がかかっていた。太い鎖も。物々しいけれど仕方がない。街中で大切な菜園を守るためには必要なのだろう。だけどこれ、誰のものなんだろうと思っていたら声をかけられた。


「入って行くかい?」


真っ白な髪の小柄なおばあさんだった。首を傾げる私に、おばあさんは鍵を見せてにっこり笑った。


「私がアニー」


おばあさんの後ろ、柵に掲げられたプレートには”Annie's Garden”とあった。まさかまさかのオーナーに遭遇だ。


入れば、小さなクロッカスが咲き始めていた。黄色と紫が無彩色の季節の中で輝かしい。奥のコンテナはやはりコンポストでその活動を熱く語ってくれる。説明を受けつつ一通り歩いた後、彼女が言った。


「向かいのビルに運んでくれるかい?」


見れば小さなショッピングカート。どうやら買い物帰りだったようだ。エレベーターなんかない。狭い階段をさほどの重さもないカートを二階まで運ぶ。さあ、戻るかとさよなら言いかけた時、「ランチ食べて行きなさい」と背中を押された。


何が出てくるのかと思ったら、トーストとゆで卵とバナナと紅茶。小さなキッチンで、これまた小さなテーブルの片側に、肩を並べぎゅうぎゅうに座って食べる。


「ティーバッグは捨ててはダメだよ。あとでコンポストに持って行くからね。もちろんバナナの皮も卵の殻も」

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