ブランコ

賽野路人

ブランコ

 ブランコが揺れている。

 ぎーー、ぎーー、がしゃん。

 ぎーー、ぎーー、がしゃん。

 遠くで、ブランコが揺れている。

 ぎーー、ぎーー。

 何もない空間に、錆び付いた鎖が擦れる音だけが響いている。

 がしゃん。ぎーー、ぎーー。

 ふたつのブランコが規則的に揺れている。

 こっちに向かって、揺れている。

 ぎーー、ぎーー、がしゃん。


 二人の子供を乗せて、揺れている。





「なぁ、大学の時、心霊スポットに行ったの覚えてるか?」

 大学卒業以来、五年ぶりに会った親友、前口はビールを飲み干しながらそう言った。前口は心底疲れた様子で、居酒屋の個室のテーブルにジョッキを置く。

 連絡だけは取り続けていたものの、こうして会うのは本当に久しぶりだ。

 おたがい社会人になって五年。愚痴の言い合いでもしようかと、飲みに誘ってみれば、彼が語り出したのは無能な上司へのいらつきではなく、突拍子のない思い出話だった。

「なんだよ、いきなり。覚えてるよ。お前が免許取ってからいろいろ行ったよな」

 少し苦笑いしながら返事をする。二回生になったころ、前口が車の免許を取ってからゼミの仲間たちと海や山に遊びにいったりしたのを覚えている。心霊スポット巡りだって、免許取り立てで遊びたい盛りの大学生にとっては定番のイベントだ。

「そうそう。それでさ……K公園ってとこ行っただろ……?」

「あー……あったあった」

 当時の記憶を振り返る。

 廃墟、廃ホテル 、山奥の古びた社、地図から消された村。

 いろいろな場所へ行ったが、前口が口にしたK公園というのはその中でも特に印象の薄い心霊スポットだった。

「子供が二人殺されたっていう公園だろ。ブランコに乗って遊んでる時に、後ろから刺されて、目の前の池に沈められた」

「そう、それだ。そうか、覚えてるか……」

「ははっ。なんだよ。話題にするならそこじゃなくてもっとあるだろ。あんな何もない公園より、廃ホテルでいきなりガラスが割れた時のほうがよっぽど怖かったよ」

「……」

 枝豆を口にいれ、笑いながら言い返す。しかし、前口は俺のその言葉を聞くと、何かを考え込むように押し黙ってしまう。そしてしばらく妙な空気が流れたあと再び口を開いた。

「やっぱり、なんもなかったよな。あの公園……」

 なぜか少し暗い雰囲気の前口と自分との温度差に戸惑いながら、もう一度振り返る。

「なかったよ。でるっていう二人の子供の幽霊もいなけりゃ、ブランコもなかった。あるのはちょっとした空き地と濁った池だけ。しかもあれ、あのあと調べたじゃないか。事件の報道すらなかった。結局ネットのでまかせだったって。それで終わったろ?」

 当時、俺たちが心霊スポットを巡るにあたって参考にしていたのはネットの掲示板だった。匿名の投稿ともなれば当然嘘の情報も紛れこんでくる。K公園の話が真実なら、事件の記事のひとつやふたつ、調べれば絶対に出てくるはずだ。子供が二人も殺されているんだから。

 しかし、実際にはそんな出来事はなかった。事件なんてなければ、ブランコもない。投稿された話と合致したのは汚い溜め池だけ。それを見て、俺たちはK公園の怪異を誰かの作り話だったと結論付けた。

「……だよな」

 俺の言葉を聞きながらも、どこか歯切れの悪い返事。テーブルに並んだおつまみにも手を付けず、空になったビールのおかわりも無し。やはりどこかおかしな様子だった。

「どうした、まさかあの時なんかあったのか?」

「いや、なにもなかった。あの時は、な」

 意味深に言葉を区切る前口。彼の物言いが気になって追求する。

「……じゃあなんでそんな感じなんだよ、あの時はって。それじゃあ今は何かあるみたいじゃないか」

「いや……まぁ……聞いてくれるか?」

「なんだよ」

「夢をさ、見るんだ……」

 深刻そうな表情で前口は小さく呟いた。額にはたまのような汗を浮かべている。真夏とはいえ、居酒屋の空調は寒いくらいに冷風を吹き出し続けていた。汗の原因は察するにきっとその夢の話で、なんとなく嫌な予感がした。

「なんだよ、その夢って?」

「ブランコが、揺れてるんだ」

「ブランコぉ……?」

 カラン、と。自分のロックグラスの氷が溶け崩れて音をたてた。深刻な前口の表情に気圧されてか、居酒屋の喧騒がやけに遠くに感じられて、その音がいやに響いた。

「あっ、あぁ、何もない空間で、ブランコが揺れててさ……」

「なんだよ、それ。それがあの公園の話と繋がるって言いたいのか?たまたま見ただけじゃないのか……」

「俺だってたまたまだって思いたいよ……最初は公園のことすら忘れてたんだ」

「最初?」

「毎晩見るんだよ。最初は遠くにブランコがあるだけだった。揺れてるのはなんとなくわかるんだ。ぎぃーぎぃーって、鎖の音が響いててさ……」

「あぁ…………」

「それが、夢を見るたびに近付いてくるんだよ。毎晩毎晩ブランコがどんどん大きくなってきてさ……それで俺、気付いたんだよ。そのブランコに子供が……子供が乗ってるんだよ……二人さ……それで思い出したんだよ。あぁ、あの公園だって……」

「き、気にしすぎじゃないのか……?気にするから毎晩見てしまう、みたいなさ」

 こちらまで嫌な汗をかいてしまう。気のせいと思いたいのはあの場に言った俺も同じだった。

「昨日、見えちまったんだよ……緑色の子供がさ、満面の笑みで……身体から水と血垂れ流してさ……ぎぃーって、こっちにブランコが揺れたときに」

「前口?」

 俺の制止も聞かずに前口は震えながら話し続ける。

「笑ってるんだよ!大声で!鎖を揺らして……!もう次寝たらさ!もうダメかもしれない……!近付いてくるんだ!ブランコが……!ぎぃーぎぃーって……!!」

「前口……!おい前口……!」

 半狂乱になった前口の隣までいき、身体を揺さぶる。よく見ると彼の目の下はクマで真っ黒になっていた。

「す、すまん……でも俺、怖いんだ……寝るのが……もう五日は寝てない……会社にもいけてない……」

「お前それ……あぁ……わかった。じゃあ俺が隣で寝てやるからさ。きっと不安だからそんな夢見るんだ。一緒なら怖くないだろ」

「山谷……あぁ、それなら……すまん……ありがとう」

「いいよ、俺たちの仲だろ。泊まってけよ」

「ありがとう……ありがとう……」

 なんとか前口を落ち着かせた俺は店員を呼ぶためにボタンを押す。

 店員がかけつけてきた。

「はいっ!」

「ごめん、お会計。あとタクシー呼んでもらっていいかな」

「はい、かしこまりました!少々お待ち下さい」

 その間も前口はずっと「ありがとう……ありがとう……」とうわごとのように繰り返し、俺の肩にすがっていた。

 店員が一瞬だけ怪訝な顔をしたような気がした。




「すー……すー……」

 夜、なんとか落ち着かせた前口を眠らせて、隣でその様子を見守っていた。

 本当に疲れていたのだろう、彼は布団に入った瞬間に眠ってしまった。

 今のところ変わった様子はない。穏やかな寝息をたてて熟睡している。

「俺も寝るか……うっ」

 嫌な話を思い出して身震いする。

 電気を消すと、空調の音だけがやけに狭いワンルームで響いていた。

「気のせいだ、気のせい」

 そう言い聞かせて布団を被る。

 できるだけ前口の話を思い出さないように、ゆっくりと微睡みの中へと落ちていった。



 ぎぃー、ぎぃー、がしゃん。

 ぎぃー、ぎぃー、がしゃん。

 音が聞こえる。

 真っ暗な空間の中で意識だけがはっきりしていた。

「……えっ……」

 明らかに現実ではない場所にいる感覚がある。布団で寝たことさえ思い出せる。だったらここは、夢の中だ。

 ぎぃー、ぎぃー、がしゃん。

 遠くで何かが揺れていた。

「…………ぁ」

 全身に鳥肌が立つ。

 鋼鉄の足があって、真ん中で何かが揺れている。よく見ればそれはブランコだった。

 ブランコだ、ブランコが揺れていた 。

 ぎぃー、ぎぃー、がしゃん。

 錆び付いた鎖の音が響く。

 なにかを乗せてブランコが揺れている。

「っ……」

 あまりの恐怖に声がでなかった。

 前口が言っていた夢がそっくりそのまま自分の目の前に現れていた。

 身体の感覚はあった。慌てて目を閉じる。

「嘘だ……」

 閉じた目は、すぐさま暗闇に包まれた。

 その先でブランコが揺れている。

 ぎぃー、ぎぃー、ガシャン。

 ぎぃー、ぎぃーーーっ、がちゃっん。

 閉じた瞼の中でも、ブランコが揺れていた。

 全身が震える。逃げないとーー

 後ろを振り替えって全力で走ろうとした先で。

 ぎぃー、がしゃん。ぎぃー、がしゃん。

 またしてもブランコが視線の先で揺れていた。

「あ……あっ……」

 どこを向いても、どこにいってもブランコとの距離は変わらない。

 目を覚ますまで、ずーっとブランコが揺れていた。

 ぎぃー、がしゃん。ぎぃー、がしゃん。




「うぁぁあ!!」

 大声をあげて飛び起きる。

 窓からは眩しい光が差し込んでいた。

 恐ろしい夢は、頭のなかにこべりついていた。すぐさま、前口に伝えようと隣の布団のほうを見た。

「まえ……ぁ……」

 布団だけを残して、前口は、もうどこにもいなかった。連絡を取っても繋がらず。

 次の日、彼の家族に連絡を取っても、自分の大学時代の友人に連絡を取っても、もう誰も前口のことを覚えてはいなかった。



 ぎぃー、がしゃん。

 ぎぃー、がしゃん。

 ブランコが揺れる。

 ぎぃー、がしゃん。ぎぃー、がしゃん。

 ブランコが揺れている。

 あれから十日が経った。

 最初は小さかったブランコがどんどん近付いてきていた。

 ぎぃー、がしゃん。ぎぃー、がしゃん。

 今ではもうブランコに乗っている子供の姿と確認できた。

「きゃはははは!!!きゃはははは!!」

 満面の笑みで、無邪気にブランコを漕いでいる。

 水中に長らく浸っていたのだろう。その顔や服は苔むして、緑色に染まってる。

 お腹からは血をだらだらと流していた。

 ぎぃー、がしゃん。ぎぃー、がしゃん。

「きゃはははは!!!きゃはははは!!」

「きゃはははははは!!」

 男の子と女の子が揺れている。

 目を閉じても揺れている。

 振り返っても、揺れている。

 その景色を呆然と見つめながら、俺は幾度かの朝を迎えた。




 意識が朦朧としている。

 俺はあれから五日間、なんとか寝ずに耐えている。

「ふぅー……ふぅー……っあぁぁ!」

 船を漕ぎそうになった瞬間、ボールペンを太ももに突き刺した。痛みが全身に走り、一瞬だけ覚醒する。

「あぁ……!」

 会社には行けていない。テレビの音量を全開で流しながら、ずっと部屋に籠っている。電車にでも乗ればすぐに眠ってしまいそうだった。

 音量は最大なのに、テレビの音も遠くに聞こえる。もう限界が近付いてきていた。

 眠らないようにテレビを見つめる 。夕方のニュースが流れていた。

「本日午後一時。六年前に二人の子供を公園で殺して、池に沈めたと供述し、男が警察に出頭——」

「えっ……!!」

 ニュースキャスターが口にした言葉に驚き、目を見開いてテレビに飛びかかった。

「男は半狂乱の状態で何度も見付けてくれ、見付けてくれと叫んでいたようです。場所はわからず、犯行を当時ネットにも投稿したと」

「あ……」

 すぐに頭の中で全てがつながる。

 ——K公園だ。

 犯人はきっと、自分のしたことをあの時、怪談の掲示板に投稿したんだ。

 自分たちが向かったのはちょうど一年後。たぶんその間になんらかの理由でブランコが撤去されてしまった。

 怪談は、その男が犯した事件をおもしろおかしく投稿したんだ。警察が見付けられないのを嘲笑って。

 そして、犯人は恐らく、同じ夢を見た。

 恐怖に怯えて、死体を警察に見付けてもらおうとしたんだ。

 まだ子供たちはあの池の中にいる。見付けることができれば、もしかしたら俺も……。

「うっ、ぐぅぅ……」

 立ち上がる。何度もペンを刺した太ももに手を当てて。

 見た目は酷いものだったが、気にもかけずに外に飛び出てマンションのガレージにある自分の軽自動車に乗り込んだ。

 場所ならなんとなく覚えている。確か、ここから二時間くらいのF県M町の山道に入り込んですぐだ。

「はあっはあっ……」

 ぎりぎりの意識の中、車を走らせる。

 何度も何度も居眠りをしそうになりながら、その度にボールペンを太ももに突き刺した。

 痛みでなんとか意識を繋ぎ止めながら、目的地へと車を走らせる。

 途中何度か迷いそうになりながらも、やがて見覚えのある景色が広がってきた。

 あれから二時間三十分。

 辺りはまっ暗闇で、山境にぽつぽつと置かれた小さな灯りを頼りに、その入り口とうとう俺はを見つけた。


 レンガ造りの古びた入り口。

 K公園と文字が刻まれている。

 軽自動車を横付けして、血が滴る足を引きずりながら、その名前を手でなぞって確認した。

「ここだ……あった……良かった……」

 ずるり、ずるりと片足を引っ張りながら歩く。

「助かる……見つけ出さないと……」

 公園内に明かりはなく、だだっ広い闇が広がっている。当時、池は公園の奥の方にあった。

 何も見えず、足に触れる土の感触だけを頼りに暗い公園を進んでいく。

 ぎぃー、がしゃん。

「ひぃ……!」

 途中、鎖の音が聞こえた。

 ぎぃー、がしゃん。

「う、うぅ……!」

 しばらく寝ていなかったから幻聴を聞いてるのだ。そう自分に言い聞かせて走る。

「はぁっはぁっ!」

 ぎぃー、がしゃん。

「はぁっ、はあっ!」

 なんとか恐怖を振り切って走る。

 そして俺は、走りに走って、とうとう——行き止まりにたどり着いた。

「あ……」

 公園の端っこ。

 どこにも池はない。

 かわりに目の前にはぽつんと、看板が突き刺さっていた。

 すがるように看板に抱きつき、その文字を確認する。


 埋め立て地。

 池は、大地に埋まっていた。

「あぁ……あぁぁ……」

 力なく地面に崩れ落ちる。

 音が響く。

 ぎぃー、がしゃん。ぎぃー、がしゃん。

 ぎぃー、がしゃん。ぎぃー、がしゃん。

「あぁぁ……」

 俺の意識は、その音を聞きながら、微睡みの中へと落ちていった。


 ぎぃー、がしゃん!

 ぎぃー、がしゃん!

 ブランコが揺れている。

 目の前でブランコが揺れている。

「きゃはははは!!!!」

「きゃはははは!!!!」

 子供の笑い声が大音量で響く。

 がしゃんっ!ぎぃーーー、がしゃん!

「きゃはははは!!!!」

 緑色の顔に満面の笑みを浮かべて。

 腹から血を流しながら目の前で揺れている。

 俺は力なくそれを見つめていた。

 目を閉じても、後ろを振り返っても逃げられない。

 ずーーっと、すぐ目の前で揺れている。

「きゃははははははは!!!」

「あーーー!!あーーー!!!きゃはははは!!!!」

「うぁあーーーー!!きゃはははは!!あぁーーー!!ごほっ!きゃはははは」

「びゃははは!!!」

 時折濁ったような、溺れたような声を出して。

 ぎぃーーーっ、がしゃんっ!!!

「きゃーーーはっはっはっはっ!!!」

 その光景がずっと続いたあと。

 がしゃんっ。

 鎖とブランコが大きく揺れて。


 そこから飛びたった子供の顔が、視界いっぱいに広がった。


「きゃははははははははは!!!きゃあぁぁはっはっっはっ!!!!!!!」


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ブランコ 賽野路人 @sainorobito

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