もう一人の私と死

和泉茉樹

もう一人の自分と死

作戦三日目


 私は多機能双眼鏡で一面の荒れ地を見ていた。

 地肌は薄い茶色で、どこまでも岩石と砂。

 風には細かな砂粒が混ざって、頬を打つとはっきりとした主張を残す。

 斜面の頂上に腹ばいになっている私の頭上からは、低い音がひっきりなしに聞こえていて、そっと双眼鏡を外し、仰向けになってみる。空は真っ青で、荒野とは裏腹に鮮やかなそこを飛び回っているのは無人偵察機だった。

 正確には、多目的無人機で、小さな機体に偵察機能を持ちながら、機関銃を搭載し、場合によっては翼に小型の対戦車ミサイルを二発、装備できる。対戦車ミサイルじゃなく、機関銃の増設というオプションもある。

 余談だが、この多目的無人機は陸地での運用に限定されず、海洋上でも運用される設計と性能だ。

 目を凝らしても、高い位置を飛ぶ無人機は小さく見えるだけ。

 こちらに気づいていることはないだろう。

 体の上にかけていた迷彩シートで体を包み直し、斜面を降りていく。

 そこにはやはり迷彩シートで覆われた構造物があり、一人の男がそれに取り付き、一人はすぐ横で作業している。

 三四型多脚戦車は、六本の足の一つがすっ飛んで、本体にも無数の弾痕が穿たれている。

 そこに取り付いている技術者は私の今回の協力者。もう一人の男は現地の部族の男で、留学経験があり、技術的な素養が十分にある。

「誰も近づいてこない」

 私がいうと、頷きが返ってくる。

「そうですか。こいつは骨ですよ、姉さん」

 部族の男がこちらも見ずに唸り声に近い声で言う。手元で小さな部品をヤスリで削っていた。最先端の兵器をいじるのに、ヤスリとは。

 彼はサイードという名前だ。

 多脚戦車に取り付いていた技術者、マックイーンという男が降りてきて、砂色のつなぎの袖元で額をぬぐい、工具を腰のベルトに差し込んだ。

「足は一本、捨てるしかないっすよ、ボス」

「やっぱり回路がイカれているのね?」

「動かすのは手間です。中枢の基盤がこいつには十層あるんですが、二つは完全に死んでます。三つが瀕死で、これをニコイチならぬサンコイチにして、一つが復帰できる、って感じっすね。つまり、四つはダメなので、足の一つは捨てるのが妥当っす。できれば二本は捨てたいところっすけど」

「じゃ、足は二つ切り捨てて。他に不具合は」

 ま、色々、とマックイーンが答える。

「具体的には?」

「足が六本のところが四本になる以外は、機関銃が搭載されている前腕二本のうちの片方は、機関銃が死んでます。完全にダメっす。弾薬だけ回収して、もうひとつに移しておきましょう」

「それだけ?」

「光学観測用の装置が各部にあって、全部で八枚レンズがあるんですが、二つが割れて、一つはヒビが入っていて、誤差が出るのは避けられねぇす」

 それは重大だった。光学観測なしでこの多脚戦車が自律行動するのは、至難になる。

「スペアのレンズが搭載されているはずだけど?」

「五十口径弾が四、五発、飛び込んでいて粉々っすよ。全体では何発食らったかもわからないのは見ればわかる、と思いますけど」

 実際、多脚戦車は装甲が何枚も蜂の巣になっている。

 腕も足も本体も輪郭がそのままでも、損傷は思っているより酷いらしい。

 こいつが重大ですが、マックイーンが続ける。

「生体処理脳にトラウマが刻まれていて、たぶん、まともに動かねぇ」

「形はあるのよね?」

 あることには、とマックイーンが言う。

「なら処理脳をクリアにしておいて。とにかく、こいつを持ち帰らなくちゃいけない。それが任務だから」

 私が言うと、マックイーンは溜息を吐き、もう一度、汗を拭った。周囲は昼日中の強烈な日差しに照らされ、風も熱をはらんでいる。空気は乾燥しきっていた。

「やりますよ。しかし、実際に動くかはまったく明言できないっす。それで、どこかの誰かが来るようっすか?」

 分からない、と私が言うと、ずっと黙って作業していたサイードが立ち上がり、削っていた部品を彼に投げつける。マックイーンも平然とそれを受け取った。

 手元の部品を眺めて、オーケー、という彼に、サイードが別の言語で応じる。

 神は見ておられる、という趣旨の言葉だった。

 三人がそれぞれの表情になる。



作戦一日目


 この作戦の根本的な目的は、連合軍が放棄した多脚戦車のうちの一台を回収することで、しかし実際にはこれは困難を伴うと予想されていた。

 連合軍の偵察機が辺り一帯を昼夜を問わずに監視していて、その中で横幅五メートル、奥行き五メートル、高さ二メートルという巨体を回収しないといけないのだ。

 当初の計画では夜間のうちに迷彩シートをかけ、元々の思考プログラムに偽の情報をかませ、自走させるということになっていた。

 もちろん、無計画ではなく、こちらも斥候を出し、それ相応に回復の目がありそうな擱座した多脚戦車を選んでいる。

 どこまでも続く荒野には、こういう落し物が無数にあるのだ。多脚戦車と同様に、重戦車もあるし、装甲車もあるし、いつのものかもわからない朽ちかけた兵員輸送車さえも落ちている。

 ただし、大半は空爆を受けて粉砕されるか、大きく抉れていたりする。

 私たちは現地の武装勢力のために、こういう廃品回収を仕事としていた。

 今回は私と、担当の技術者であるマックイーン、現地工作員でもあるサイードの三人でチームになった。

 キャンプを日没と同時に出発し、夜が明ける前に目当ての多脚戦車にたどり着いた。

 周囲を精査し、偵察機に見咎められないように迷彩シートに精査結果の情報を展開させた。

 それで覆えば偵察機は騙せたのだが、問題はここからだ。

 多脚戦車は原型をとどめてるが、そう簡単には動かないとわかった。しかし許容範囲内だと私は判断した。

 内通者からの情報で連合軍の偵察機のスケジュールは届いているが猶予は五日しかない。

 だが、本当の問題はすぐ翌日に起きた。



作戦二日目


 多脚戦車の修理は一人や二人でやるもんじゃない。マックイーンはぼやき、サイードは黙々と作業を続けた。

 それに気づいたのは太陽が最も高い位置にある時間帯だった。

 丘の上に寝そべっていた周囲を警戒していた私は、腰にある通信装置のボタンを押した。

 すぐに作業を中断して、サイードが上がってくる。

「どうしましたか」

 訛りのある言葉は、しかし落ち着いている。武装組織が押し寄せるとか、連合軍の部隊が接近している、というようなシナリオでも、彼は平然としていただろう。

「あそこに子どもがいる。全部で、そう、十人くらい」

 私が双眼鏡を渡して、指差す。一緒の迷彩シートの下で、サイードは双眼鏡を覗き込んだ。

 ああ、と彼が納得したような声を漏らす。

「あれは廃品回収です」

「廃品回収?」

「ああやって爆弾を探すんです。今も使われている違法なクラスター爆弾は知っていますよね」

 クラスター爆弾?

「連合軍は使っていないはずよ」

「武装組織は使っています。連合軍も他の先進国も、作ったものの処分に困っているからです。安価で、現地武装組織に払い下げられています」

「国際問題ね」

「それを言ったらここら一帯のありとあらゆるものが国際問題です」

 なるほど、その通りだ。

 サイードが話を続ける。

「クラスター爆弾の子機の中に、まれに不発弾が混ざります。それを資金力のない武装勢力が集めて、爆薬に作り直すんです。時にはクラスター爆弾そのものを作り上げることもあります」

「根気がいる作業ね」

「ここら一帯は、根気強く戦っているんですから、些細な根気です」

 この男はなかなか、達観している。

 子どもたちがこちらに近づいてくる。

 そしてそのうちの一人が指差したのは、まさに私とサイードがいるところだった。子どもたちが一散に駆け出していく。

「ちょっとまずいんじゃない?」

 私の言葉に、サイードが肩をすくめる。

「ここら一帯は、常にまずい状態にあります」

 やれやれ。

 私は彼から双眼鏡を受け取り、「さっさと逃げたいわね」と呟いてしまった。



作戦四日目


 機関を始動するぞ、とマックイーンが言って、サイードと私は少し離れて親指を立てた拳を向けた。

 低い音が続き、小さな空気の抜ける音の後、三四式多脚戦車が息を吹き返し、いきなり残っている四本の足のうちの一つが折れた。

「ダメだ、捨てよう、ボス」

 排気口から吹き出した空気が起こした風に舞い上がった砂塵に咳き込みながら、マックイーンがやってくる。

 答えようとした時、腰の端末が小さな電子音を発し始めた。耳を澄ませるまでもなく、最大の警報だった。

「お客さんね」

 私はここまで運んできたケースから、折りたたみ式の小型ロケットランチャーを展開した。弾頭は三つだけ。年代物の粗悪品。照準は精密には程遠い。

 マックイーンとサードが工具一式をまとめ始め、私は丘の上に上がって、伏せた。

 土ぼこりが上がっている。ガソリン自動車に見えるが、手間暇をかけて電気モーターに機関を積み替えた改造車だった。

 改造車三両はこちらに近づかず、回り込むような動きをしている。

 不意に気づいた。いつからか聞こえている、低い音。いつもより大きい。

「ちょっとまずいか」

 跳ね起きて、斜面を駆ける。もうロケットランチャーは役に立たない事態だった。 

 斜面の下で「どうしたんです?」とマックイーンが言うのに「逃げなさい!」と声をかけ、私は多脚戦車の操作パネルにコードを入力する。

 すでに入力は昨夜、完了している。

 最終指令。

 独立起動。

 分裂思考体の安全装置を解除。

 全機能開放。

 もう一人の私が動き出す。

 すでにマックイーンもサイードも必死に砂を蹴り立てて走っていく。

 私も彼らの背中を追う。

 背後で多脚戦車がひとりでに立ち上がろうとして、失敗。

 頭上から無人機が舞い降りてくる。明らかな旧型。連合軍ではない。

 多脚戦車の生きている三本の足が健気に姿勢を作り、片腕を頭上に向ける。

 三連機関銃から三十口径弾が地から天へ向かう雨となって撒き散らされた。

 あとは私自身を頼るしかない。

 そう、私自身をだ。

 駆けに駆けた。

 肩越しに振り返ると、偵察機の翼が吹っ飛び、代わりに破壊の神が落ちてくる。

 廃品回収で作られたクラスター爆弾。

 死を覚悟した。

 背後で、光が瞬き、次の瞬間には破壊そのものがやってきて、砂と岩と熱と金属片と爆風の波濤が私を飲み込んだ。



作戦五日目


「クソッタレっすね、こいつは」

 私もマックイーンもサイードもボロボロになって歩いていた。

 かろうじてクラスター爆弾は狙いを外し、多脚戦車は巻き込まれたが、私たちは生き延びていた。

 はっきり言って奇跡だ。

 私は多脚戦車に自分の頭の中身のコピーを写しておいた。

 脳情報移植型代替身体だからこそできる、自分の脳情報のリアルタイム情報のコピーを作る裏技。機能は劣化するものの、多脚戦車の制御用に組み込まれた、人工の脳には私とそっくり同じものがインストールされていたのだ。

 あの多脚戦車は、だから、体が戦車の私だった。

 人工知能には不可能な、彼女の高度な制御能力と判断力は、かろうじて私たちを守ることに成功したということになる。

 もう一人の私は、私たちを守るのが使命と感じてくれたのだ。

 その代わり、多脚戦車の中にいたもう一人の私は、この世界に目覚めた直後に消滅したことになる。

「どういう気分ですか? 自分が死ぬっていうのは」

 私がやったことを知っているサイードが声をかけてくる。

「自分が死ぬって、そうね……」

 私は汗が流れるのを拭いながら、答えた。

「クソッタレよ」

 私の言葉にしかしサイードは笑わなかった。布に隠れているが、真顔だったはずだ。

 熱砂が強く吹き付け、私は目を細め、顔を覆う布を整えた。

 私だって、笑うわけにはいかない。

 死んだのは、私なのだ。



(了)

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もう一人の私と死 和泉茉樹 @idumimaki

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