第4話 ライブハウス・磁石

「美和さんのファッションですよ。とってもオシャレですよね」

 今日の私のファッションは肩がふくらんでいるブラウスに、さきほど野田川さんに汚されたスカート。このスカートも膨らんでいる、バルーン型に近い。スカートすそには馬車のイラストが描いてある。

 バッグは時計のデザインの丸型。不思議の国のアリスがモチーフになっている。

 このメルヘンなファッションをしている人は、私の周りにはいない。


「オシャレなんて初めて言われました」

 ライブに来てほしくて言ってるのかな。私は疑っていた。


「お友達はオシャレだって言わないだけで、心の中ではそう思っていますよきっと」

 友達……。

 私は友達の前でこのメルヘンファッションを着たことがなかった。

 自分から誘えない。珍しく誘われたとしても、引かれるのが怖くて「ふつう」のファッションで友達と会っていた。


 そうだ、言われたことがないんじゃない。そういう状況にすら、なったことがないんだ。

 変わりたい、そう思っていたはずなのに。なに一つ変わろうとしなかったのは自分だ。これはチャンスなのかもしれない。

 これを逃したら「ライブハウスに行く」なんて非日常の場面に立ち会えることはないかもしれない。


「ライブ、行ってみたいです」

「ありがとうございます。じゃあ今チケット持ってないんで予約表に美和さんの名前を書いておきますね。磁石に行ったとき受付でチケットの購入をお願いします」


   〇〇〇


 午後六時、私はライブハウス・磁石の前にいた。いや正確には磁石が入っているビルの前に。このビルの二階が磁石になっているそうだ。

 ビルの入り口には今日のライブのチラシが貼ってある。

 神奈川からバンドが二つ来ているみたい。野田川さんのバンドはどっちなんだろう。そういえばバンド名を聞いていなかった。


 話し声がする。若い男の子二人組が愉しそうにお喋りをしながらビルに入って行った。磁石に向かったんだ。

 私は汚れたスカートを着替えてきた。色違いのスカートを持っているので、形は一緒だった。

 夜は寒くなるので厚手のジャケットを羽織った。

 このファッションで浮かないかな。

 さきほどビルに入って行った男の子たちはTシャツにデニムというラフな格好だった。


 ここまで来たんだ。私は意を決してビルに入った。階段を上がる。

 壁にはたくさんポスターやチラシやステッカーが貼ってある。

 階段の手すりにも乱雑にステッカーがベタベタと貼ってある。斜めになっていたり同じステッカーが何枚も貼ってあったり。書いてある文字はバンド名だろうか。

 こんな風景、ドラマでしか見たことがなかった。

 

 私がいつも行く場所は美術館や博物館、図書館などだった。

 白くて静かな場所。ポスターはまっすぐに貼られて、チラシのたぐいは重ならないように整頓せいとんされて置かれている。

 

 けれども磁石の壁をよく見るとステッカーもチラシも、重なってはいなかった。

 他のバンドのステッカーに重ねて貼るといった行為はしないようだ。

 乱雑に見えて、マナーが守られている感じがした。


 もうすぐ二階に着く。ガラスの扉に、さきほどと同じ今日のライブ日程が書かれたチラシが貼ってあった。間違いない、磁石はここだ。

 ガラスの扉の向こうから、誰かがこちらを見ている。

 ここで立ち止まったらきっと動けなくなる。私はそのまま扉を開けた。


「こんにちは、チケットはお持ちですか」

 声のするほうを見ると壁際に【受付】と書いてある机と椅子があった。椅子には無表情な男の人が座っていた。


「チケットは持っていません。神奈川のバンドの人に、予約表に名前を書いておくと言われました」

「はい、美和さんですね」

 私が名前を言う前に言われた。どうして私の名前が分かったのだろう。

 受付の予約表が見えた。【ツアバン】と書かれた欄に私の名前がある。そうか、ツアバン関連の予約が一人だけだからか。

 お金を払ってチケットを受け取る。さて、どこに行ったらいいのか分からない。

 とりあえず後ろを見てみると廊下がある。


「その右側のドアを開けると会場ですよ、ドリンクカウンターもあります」

 さきほどビルの入り口ですれ違った男の子だった。絶対営業に向いているであろう笑顔で教えてくれた。


「ありがとうございます」

 私はおじぎをして、言われた通りに右側のドアを開けて会場に入ってみた。

 四角い形で関係者席、のような空間があった。視線を流すとドリンクカウンターが見える。壁際には灰皿が置いてある台がある。

 会場内の色々な場所で、バンドの人かファンかは分からないけれどもみんな愉しそうにお喋りをしている。一人でスマホを見ている人もいる。それよりも……。


「美和さん、来てくれたんですね。ありがとう」

 野田川さんが声をかけてくれた。ホッとする。

 知らない場所で知らない人だらけの空間に来ている。今日会ったばかりの野田川さんですら安堵してしまう、そんな緊張感のあることに私は自分から飛び込んだんだ。


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