ゴングは鳴らされた

 チクタクチクタク針の音。

 耳をすませば外の音も。


「……」

「あの、姉さん」


 両親はまだ帰らない。

 私と音夜の二人だけ。

 いつもならそれぞれの部屋で過ごす休日、今はダイニングテーブルに向かい合って座っている。

 真ん中に菓子パンを置いて。


「……これ、買ったの?」

「……買ってないよ、僕じゃない」


 首を横に振りながら否定する音夜。視界には入ってる。でも焦点は、菓子パンに合わせていた。


「盗んだの?」

「そんなわけない!」


 強い否定にこっそり安堵しつつ、菓子パンを見つめたまま、続ける。


「じゃあ、もらったのね?」

「……は、い」


 ひどく答えにくそうな音夜。

 初めての肯定を耳にして、テーブルの下でこっそり拳を丸めていく。これを弟相手に振るうかどうかは、音夜の出方次第だ。


「学校?」

「学校。購買でパン買ったら、それ最後の一個だったみたいで、知らない女子が半泣きになりながらお願いしてきたんだ。自分のパンと交換してくれって」

「交換したんだ」

「交換した。食べられたら何でもいいし」

「……食べられたら、ね」


 菓子パンの封は開けられていない。

 食べられないパンを、音夜は家に持ち帰ったわけか。


「何でこれ、食べられないの?」

「……だって、食べづらいし」

「音夜に好き嫌いとかなくない? 何でも食べるでしょ、無神経に」

「……そういうのが、食べづらくなるんだよ……」

「私のせいなわけ?」

「……ごめんなさい」


 謝罪に何も言わないで、菓子パンを手に取った。

 よく見たらチョコのパンみたい。形にしか目がいかなかった。

 全体的に黒くて、所々白い。


「困るのよ、家に持って帰ってこられたら」

「……」

「せめて、学校で食べてくれれば、あんたがこれを食べたことも知らずに日常を過ごせたのに」

「……」

「賞味期限切れてたら、私の視界に入らない所に捨ててって言えたけど、まだ二日くらい大丈夫そうね」

「……」

「何でリビングにこれ持ってきたの? 朝から映画見てたじゃん私」

「……」

「部屋から出さないでよ、部屋で食べてよ。そしたら……そしたら」

「うるっさいよさっきっからさ!」


 ふいに、音夜が怒り出す。

 え、何? 逆ギレ?

 一瞬意識が音夜に向き、その隙に菓子パンを引ったくられた。


「ちょっ」

「食べればいんでしょ食べれば!」


 そう言って、封を開ける。

 パンが──黒猫ちゃんが、外に出ちゃった。


「やめて音夜!」

「やめるのは姉さんだ! これはパンだ、食べ物だ! 本物の黒猫じゃない! 痛覚だってないんだから、食べても何も問題ないんだよ!」

「それでも残酷よ! お願い音夜、そんなことやめ」

「賞味期限内に食べてあげない方が残酷だ!」


 そう言って音夜は、黒猫ちゃんの頭にがぶりと噛みついた。


「……ぁ」


 食べるのが速い音夜、すぐに二口三口とかぶりついて、あっという間に口元だけになる。

 中のチョコが丸見えだ。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 ゴングは鳴った。

 レフリーはいない。

 何の迷いもなく、丸めた拳を振り上げる。


 ──姉弟喧嘩の始まりじゃい!

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