第14話 プレゼン(1)電車

 翌週の金曜日、早苗は重大な会議を前に、オフィスの自席でひどく緊張していた。


 これから、りにって作った提案書のプレゼンに向かわねばならないのだ。


 もうこれ以上は引き延ばせない。


 もしこれで駄目なら、次期システムの受注は諦めざるを得ないと言うところまできていた。


 そして、その会議に、頼みの奥田は参加できない。


 なぜなら奥田は社員ではないからだ。


 橋本執行役員はそういう所に厳しく、社員プロパーでないとあなどられていると感じるらしい。


 素知らぬ顔で出席させようとしても、最初の名刺交換の時点でバレてしまう。身分を偽って社員の名刺を渡すわけにもいかない。


 同じチームメンバーなのに、と早苗は思うのだが、相手がそういう人物ならば合わせるしかない。そんな所で顧客にマイナス印象をもたれる訳にはいかないのだ。

 

 執行役員相手だと課長代理という早苗の肩書きだけでは弱いので、部長と課長にも同行してもらう。幸いにも、説明はその部長がしてくれることになっていた。


 だが二人の上司は技術には弱い。技術的な質問がきた場合は、早苗が答えなければならないだろう。


「大丈夫ですよ。いつも通りで。どうせ向こうもそんなに突っ込んできませんから」

「はい……」


 隣の席の奥田に励まされるが、早苗は不安で仕方がない。


 まだ出発する時間までは余裕があるのに、他の仕事は何も手につかなかった。


 担当者の川口かわぐちであれば見知った顔なので、まだなんとかなる。だが、橋本とはまだ一度も顔を合わせていない。送付した資料を見てもらう段階で却下リジェクトされ続けてきた。


 上手く説明できるだろうか。いや無理だ。絶対に。


 早苗は冷たくなった自分の手を握り合わせた。


「手を温めると緊張がやわらぐらしいですよ」


 奥田は椅子を回転させて体ごと早苗の方に向けると、早苗の両手をそれぞれ握った。


 自然と早苗の椅子も横を向き、ひざをつき合わせて向かい合う形になる。


 クールに見える奥田の手はしかし温かく、じんわりと早苗の指先が温まっていった。


「ありがとうございます」


 奥田の優しさが心にしみる。


 不思議と、なんとかなるような気がしてきた。


 その時、横から早苗の名を呼ぶ声がした。


「皆瀬先輩」


 視線を向けて見れば、桜木だった。


 水色のストライプの入った白いワイシャツを着ていて、腕をまくっている。社内ではクールビズが推奨されており、ノーネクタイで第一ボタンが開けてあった。


 手を取り合っているのをじっと見下ろされていることに気づいた早苗は、奥田からぱっと手を離した。変な所を見られてしまった。


「ど、どうしたの? まだ余裕はあるよね」


 桜木が鞄と上着を持っているのを見て、早苗は誤魔化すように聞いた。


「信号トラブルで電車が止まってるみたいです。迂回うかいしないといけないので、早めに行きましょう」

「それにしても早すぎない?」

「振り替え客で他の電車が混んで、遅延が発生するかもしれません」


 うぅ……。


 早苗は情けなく眉を下げた。


 またドキドキと緊張し始める。


 その両肩を、奥田がつかんだ。じっと早苗の顔を見る。


「皆瀬さん、大丈夫です。資料は作り込みましたし、クラウドについてもたくさん勉強したんですから。ここまできたら、もう当たって砕けろですよ」

「砕けたら奥田さんたちが別のとこ行っちゃうじゃないですか」


 ずっと一緒にやってきたチームのみんなが別のプロジェクトに行ってしまうなんて、考えたくなかった。


 最悪別の会社と契約してしまうかもしれない。そうなったらもう会うことはないだろう。


 彼らと今後も一緒にやっていけるかは、今日のこのプレゼンに掛かっていた。


 私が何か失敗して、そのせいでチームが解散することになったら……。


「まあ、それはそうですけど、狭い業界ですから、また一緒になることもきっとありますよ」


 奥田は励ますつもりだったのだろうが、なんだかそれがお別れの言葉みたいに聞こえて、早苗は悲しい気持ちになった。


 そのしんみりした空気を、桜木が破る。


「先輩、行きましょう。間に合わなかったら大変ですから」


 ぐいっと早苗の腕が引っ張られた。


「ちょ、待って待って、桜木くん」


 桜木は立ち上がった早苗を、ぐいぐいとロッカーの方へと引っ張っていく。


「桜木さん」

「なんですか?」


 奥田に呼ばれて、桜木が早苗の腕をつかんだまま振り返った。


「皆瀬さんのこと、よろしくお願いします」

「言われなくても」


 桜木が不機嫌に言ったのを聞いて、奥田は肩をすくめた。


「皆瀬さん、頑張って下さい」

「はい、行ってきます」


 奥田や他のメンバーに見送られて、早苗はオフィスを後にした。




 

 駅までの道すがら、ずっと桜木の表情は硬かった。


 桜木くんも緊張してるんだ……。


 自分だけではないと知り、少しだけ気持ちが落ち着く。


 運転を見合わせている電車をけた経路は桜木が調べてくれていたので、電車に乗り込むまで、早苗はついて行くだけでよかった。


 一人じゃなくてよかった。


 ドア横のポールにつかまった早苗は、ドアに背を預けて黙ってスマホを触っている桜木を見上げた。


 通常の経路であれば何度も行っているから問題はないが、別の経路で行くとなると、方向音痴おんちの早苗は乗り換えに手間取って、スマホ片手に右往左往していただろう。


 間に合わないのでは、とあせってパニックになってしまうかもしれない。


 こうして誰かが一緒にいてくれるのは助かった。それに桜木なら、安心してナビを任せられる。


 途中の駅に止まったとき、反対側のドアから乗客がどっと乗ってきた。


 運転停止の影響で、早苗たちのように他の電車で移動しているのだろう。


「わっ」


 詰めかける乗客にどんっと背中を押された早苗は、桜木の体に体当たりしてしまった。


「ごめんっ」


 早苗が謝って離れようとしたが、後ろからぎゅうぎゅうと押され、バランスを崩したままの早苗は動けない。さっきまでは空席すらあったのに、社内は一瞬ですし詰め状態になった。


 発車のベル音が鳴り、ドアが閉まる直前に無理矢理乗ろうとする客がいて、さらにぐっと押される。


 その圧迫が、ドアが閉まった時、一瞬だけ緩む。


 すると桜木が早苗の腰に腕を回してぐっと引き寄せた。そして早苗ごとくるりと体を回転させる。


 背中がドアに当たったかと思うと、ふっと圧迫感がなくなった。


「大丈夫ですか?」

 

 桜木が早苗を他の乗客からかばっていた。早苗の顔の片側に腕をつき、それで自分の体を支えている。


「あ、りがと……」

「鞄、持ってもらっていいですか」

「うん」


 苦しそうに言う桜木の手から鞄と上着を受け取ると、桜木はその腕も早苗の横につけた。


 電車の揺れに合わせて、桜木の口が早苗の前髪に触れたり離れたりする。


 ふと視線を上げると、一つボタンが外された首元が目に入った。


 わわわわ……っ。


 桜木の香りと体温を感じてしまう。


 かばわれているという事実と、体が触れそうで触れないこの距離が、とても気恥ずかしい。


 何度もはだかで抱き合っている仲なのに、なぜだかひどく緊張した。


 早く着いて~~~~!


 ぎゅっと目をつぶって耐えていると、二つ先の駅でまたどっと乗客が降りた。


「ここで降ります」

「はいっ」


 桜木に腕を引かれて、早苗は電車を降りた。


「荷物、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ、かばってくれてありがとう」


 早苗は鞄と上着を桜木に返して頭を下げた。


 桜木の顔が見られない。


「えっと、次はこっちです。……先輩? 具合悪いですか?」


 顔をせていたら、桜木に心配されてしまった。


「いえっ。なんともないですっ!」

「なんで敬語?」


 ちらりと見上げると桜木は不思議そうな顔をしていて、なんだか一人で意識しているのが悔しくなった。

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