第3話 昭和

 一念いちねんには、ここが元居たところとは違うことが明らかだった。


玄関先には、植えたばかりのまだ小さなコニファーの樹。

駐車場には、父が乗っていたのと同じ型の新しい車。

目に入るものすべてが、いつもとは異なったアイテム。


一度意識を取り戻し、横たえていた時とは場所は同じでも、明らかに違う風景の中に一念は居た。


 なに?これ・・・。


上下左右360度見まわす一念。


玄関先の屋根越しからは、いつの間にか茜色に染まっている空が垣間見え、時は夕方へと移行していることを一念に知らせる。


いつまでもここにへたり込んでいても埒が明かない。

立膝を手掛かりに、立ち上がろうとしたその時、またも後頭部から鈍痛が走った。


「いっつー!」


先の痛みよりかは幾分緩やかな痛み。

痛む患部を探る余裕はありそうだ。


恐る恐る、左手を後頭部に滑らす一念。


 え?


ベトッとしたその感触に不吉な違和感を覚える。


「な!なんじゃこりゃあ!」


あまりの驚きに、ベタで昭和なリアクション。

血塗られた左手にビックリ仰天!


「なに⁈え⁈なにこれ!大丈夫なの⁈これ⁈」


今までに経験のない大量出血!


 え!え?え⁈


何度も何度も手で触り、時々匂いを嗅いでみたりしてみるが、どうやら既に血は止まっていると知ると、ホッと一安心。


無意識に、Tシャツの裾で血糊を拭き、へたり込んだまま仰け反って天を仰ぐ。


さっきまで、茜色一色だった空には藍色が寄せ始め、黄昏色へと暮れようとしている。


チカチカッと視界の端に映っていた外灯に明かりが灯った。


「あれ?電気点いた。」


この家にいる誰かが灯を入れたのだろう。

常識的に考えれば、ここは一念の家なのだから妻の千日ゆきひか娘の日和はるかだ。

しかし、いまの一念にはそれが誰なのか見当もつかない。


「ドタ!ドタ!ドタッ!」


突然、家の中から騒々しい足音。

後頭部の痛みも忘れて身構える一念。


千歳ちとせ!」


ドアの向こうから、亡き母の名を叫ぶ声に耳を疑う。


 え?・・うそ・・・まさか・・ね。


「ドタ!ドタ!ドタ!ドタ!ドタ!」


またも響く騒がしい足取りは、一歩一歩を力強く踏み込んで近づいてくる。


ガチャリと開く玄関のドア。

咄嗟に支柱の陰に隠れた一念は、驚愕の光景を目にする!


「千歳!しっかりしろ!」


苦しそうな身重の女性を抱えて中から飛び出してきたのは、今は亡き父、徳一とくいち

しかも、めちゃくちゃ若い!


 あれ?っつーことは?身重の女性は?・・・・・。


若かりし日の、汗だくの母。


「じゃ!母ちゃん!あと頼んだぞ!」


徳一は、でかい濁声で奥にいる誰かにそう呼びかけると、身重の千歳を車に乗せて、昭和の刑事ドラマばりのカーアクションで車を急発進させ、駐車場を後にした。


嵐の去った後の静寂が、一念を包み込む。


一部始終、目を丸くして観ていた一念。

なにから理解していけばよいのか、頭が追っついていかない。


そんな呆気にとられている一念に奥にいた誰かが背後から声をかける。


念徳ねんとくさん!念徳さんよね!」


聞いたことのない声に聞き覚えのある名前。


 こんどはなに⁈


ショート寸前の一念の脳回路。

振り向けば、またもやハチャメチャなことが待ち受けているのは必至。


「もう・・・むり。」とゆっくり目を閉じ、失神を待ち望む。


「ジリリリリリリリン!」


そこに天の助け!

家の中から懐古な電話が家人を呼びつける。


「あらあらあら。」


電電公社の呼び出しに、慌てて家の中に戻る奥にいた誰か。


今がチャンス!

ダッシュでこの場を走り去る一念。


門を飛び出し全力疾走!


子供の頃、よく駆け抜けた街並み。

一念の脳裏にはふと、ピンポンダッシュの記憶が蘇った。

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