第一章 妹アンパーフェクト!

第一話 兄フォーリンラヴ!


? 1 ?


 わたしは、きょうから一ねんせいです。

 わたしは、うっかりさんだから、ようちえんでは、いつもまわりのおともだちに、からかわれていたけど、そんなわたしとも、きょうでさよおなら。

 じゃなくて、さようならです。

 もう一ねんせいなんだから、しっかりしないと……。わたしは、おそらのほうこうをみながら、すこし、くびをふります。

 ふるふる。

 そんなおとが、きこえてきそうでした。

 きょうのてんきは、はれです。とても、きもちがいいです。おとうさんが、いっていたとおりになりました。おとうさん、すごいなあ。

 わたしには、かぞくがいます。だいすきなおとうさんと、すこしにがてなおかあさんのふたりです。

 すこしまえまでは、おとうさんも、おかあさんも、わたしにやさしくしてくれて、よくあそんでくれて、だいすきだったけど、わたしが、ようちえんのねんちょうさんじゃなくなって、一ねんせいになるあいだくらいから、おかあさんはきゅうに、よくおこるようになって、あまりあそんでくれなくなりました。

 わたし、なにかわるいこと、したのかなあ。

 ようちえんの、たかなしせんせいが「悪いことをしたら、謝りましょう」といっていたので、わたしはおかあさんにあやまったけど、おかあさんは、つかれたようなかおをしたまま、どこかへいってしまいました。

 わたしはそのとき、おかあさんは、ゆるしてくれなかったんだ、とおもってないてしまったけど、おとうさんが「お前は何も悪いことをしていないんだよ」といってだきしめてくれました。

 とてもうれしかったけど、そのときのおとうさんのかおもまた、とてもつかれたようなかおをしていました。

 ……と、いけない、いけない。

 ぼうっとしてしまいました。

 さっきしっかりしないと、っておもったばかりなのに、だめだなあ、わたし。

 わたしは、きょうから一ねんせいです。

 そしてきょうは、わたしがはいるがっこう ――― じゃなくてがくえんの、しりつけいだいがくえんの、にゅうがくしきです。

 しりつけいだいがくえん ――― もんのところに『私立敬岱けいだい学園 入学式』とかいてあるかんばんがありますが、もしかしたらがくえんのおなまえなのかもしれません。とってもむずかしいことばで、わたしには、どういういみか、わからなかったけど、あとでおとうさんに、わたしがはいるがくえんのなまえだとおしえてもらいました。

 おとうさんはなんでもしっていて、すごいとおもいました。

 そのおとうさんが、きょうはにゅうがくしきにきてくれています。

「大丈夫か? さっきから、ぼうっとしているみたいだけど」

 おとうさんが、しんぱいそうにわたしのかおをみていました。わたしは、だいじょうぶだよ、とげんきよくこたえましたが、

「本当に大丈夫か? 入学式で名前を呼ばれたら、返事をして立つっていうのがあるらしいけど、ちゃんとできるか?」

 といってわたしのいうことをしんじてくれません。

 もう、おとうさんったらしんぱいしすぎだよ。わたしはもう、ようちえんのときみたいな、うっかりさんじゃないんだよ?

 じゃあ、いまかられんしゅうしよ! おとうさん、なまえよぶせんせいね!

 わたしがそういうと、おとうさんは「わかった」といって、そのあとすぐに、わたしのなまえをよびます。

 それにわたしは、さっきよりももっとげんきにへんじをするのでした。

 これでにゅうがくしきは、ばっちりです!


祝 2 也


 ひとつ、訊いてみたいことがある。これを読んでいる読者諸君の中で、果たしてリア充は、どれ程いるのだろう。ちなみにぼくは、正真正銘のリア充なのだが。

 ……なぜかすごい嫌悪の視線を感じるのは、気のせいだろうか。

 わかった。このままだと、ぼくが、何者かに、次元を超えて殺されかねないので、質問を変えることにする。

 リア充とは、いったい何を指してリア充というのだろう。

 昨今の我が国においては、男女交際をしている人間を指して使われることが最も多く、むしろ、それ以外に使われるケースを、実はぼくもつい最近まで知らなかったのだがしかし、ちょっと待って欲しい。リア充というのは、元々『リアルが充実している(人)』の略称である。それ自体は多分、知っている方が多いと思うのだが、その言葉の意味をよく考えて欲しい。

 リアルというのは、要するに現実の生活を指していて、それが充実していることを、リアルが充実している、つまりリア充というのだ。それがいつからか、リア充は、男女交際をしている、妬ましい種族、みたいな扱いになってしまった。

 ぼくは言いたい。

 いやそうじゃないだろ、と。

 先程も言ったように、リア充は『リアル(現実の生活)が充実している(人)』の略称なわけで、それはつまるところ、現実の生活が充実していれば、その人は、もうリア充なのだ。

 たとえ、その人が男女交際をしていなくても、だ。

 だから、ぼくらみたいな、健全なお付き合いをしているカップルを、やれリア充だのやれ爆発しろだの言われるのは、如何ともし難い遺憾を覚えざるを得ない。

 それは、本当に現実の生活が充実している人に、失礼ではないか ――― そうぼくは思うのだが、ここでぼくは妹奈の言葉を思い出す。

 既に当たり前のようにある概念を捻じ曲げることは不可能。

 そうなのだ。当初はともかく今はもう、リア充という言葉は、男女交際をしている人間を指して言うことが殆どで、グローバルスタンダードとまでは言わなくとも、すなわち世界的とまでは言わなくとも、全国的にはその概念が既に深く根付いている。

 つまりもうぼくがここで、何を言っても無駄だということだ。

 ぼくも餓鬼じゃあるまいし、同じような失敗を繰り返したり、その揺るぎない事実に、駄々をこねたりはしないがしかし、それでも男女交際をしていなくとも、充実した毎日を過ごしている人間がいるのも、紛れもない事実であるのは、否定されるべきでないと、ぼくは思う。

 そういう存在を、では無理やり『非リア系リア充』と名付けることとして。

 例えば、ぼくの身近にいる非リア系リア充の代表として、笹久世 菜流未が先ず挙げられる。

 笹久世 菜流未。

 笹久世家の四人兄妹の次女で、私立啓舞学園中等部に通う中学二年生。料理部に所属していて、その腕は、かなり良い。

 料理の邪魔、だけど短くはしたくないという理由から、生まれつきのボサボサな茶髪を常に ――― なんて言うか、とてもダサいシュシュみたいなもので、ポニーテールに結んでいる。大きな桃色の瞳を携えているが、その線は、ややつり目状である。それなりに高めの鼻、そのバランスを崩さないように、絶妙な位置にある唇から、兄のぼくから見ても、結構整った顔をしているのに、彼氏が今まで一度も出来たことがないという、謎のメイデンさが(自分で言っておいて何だが『メイデンさ』って何だ?)非リア系リア充たる所以ゆえんの一部ではあるのだが、何より奴が、他人を引き付ける要因は、その性格だろう。

 ぼくに対するときの菜流未からは、考えられないのだが、とても明るくて、それでいて面倒見が良く、誰にでも優しい、宛ら天使のようだという噂が、兄であるぼくに届くくらいだ(ちなみに、その噂はクラスメイトの田中から聞いた)。

 大層、猫を被っているようだった。

 合っているのは、明るいという部分だけだ。面倒見が良いのではなく、ただのお節介焼きなだけだし、優しくなんて決してない。

 だからぼくは、その事実を、声を大にして言いたいのだが、生憎それに耳を貸してくれるのは、菜流未の本性を知っている妹たちだけというのだから、ぼくも救われないなあと、つくづく思う。

 そう、既にご存知の通り、ぼくは今、妹たち以外に存在を認知されない。

 つまりそれは、ぼくの彼女であるところの、火殿 妹奈にも存在を認知されないということで、ぼくは、そんな状態を、最近はリア充ならではの苦労なのか、と愚考していて(本当に愚考である)、その点、非リア系リア充の菜流未を、少し羨ましく思ったのだがしかし、非リア系リア充には非リア系リア充なりの悩みがあるようで……。

 今回はその辺りの話をしていこうと思う。

 ぼくの二番目の妹 ――― 周りからは、完成された人間だと思われていても、ぼくから見たら、ただの未完成の妹である、笹久世 菜流未の、そして彼女の兄であるこのぼく ――― 笹久世 祝也の、恋愛についての未完成な物語を。

 なんて言うとそれらしい始まりだが、より具体的にどんな話なのかを、結論から先に言っておくと、菜流未に彼氏が出来る話だ。


祝 3 也


 さて、ぼくが高校三年生初日と、その翌日の二日間に渡り体験した、怪事件の始まりの全貌を思い出したところで、現在である。

 あれから約二ヶ月後の、六月某日。

 今日も妹奈に、気付いてもらえないとわかっているのに、声をかけて、残念ながらというか、予想通りというかの無反応ぶりで、落ち込んだ後の話だ。

 ぼくは、はあ、と溜息をつく ――― あの日の大喧嘩からというものの、溜息がとても多くなったな、と自分でも思うが、もはやそれも慣れてきてしまった。

 みんなに認識されないことに、慣れてきてしまった。

 それはもう、一種の諦めともいえる感情だ。

 だからこそ、今までの生活を送っているのもある。

 そうだな。ぼくは、大学への勉強が疎かになってはいけないという理由で、存在が認知されていないこの状態でも、普通に学園に通っていると前述したが、それはうわべの理由で、真実は、今のこの状況を諦めているから、こうしているのだろう、とぼくは思い直す。

 だって普通、突如自分に降りかかった、この正体不明の現象に対して、何をするでもなく、ただ今までの普段の生活を繰り返すなんていう選択肢を、取るだろうか。きっとぼくが、諦めずに元に戻る方法を必死で探す人なら、こんな勉強をするためだけの施設になど、毎日来ていない。なんなら、一度も来なかったと思う。

 勉強、嫌いだからな。

 だから逆に言うと、ぼくは、こんな状態になってしまった直後は、学園になど一切来ずに、元に戻るための方法を探していた。

 元に戻るための方法。

 妹たち以外にもちゃんと、笹久世 祝也という存在を示す方法。

 当然、手がかりも、きっかけも、とっかかりもない。

 小学四年生で三女の兎怜未が、ノーヒントでセンター試験の問題を解くようなものだ ――― と形容したいのだが、実は兎怜未はとても頭が良い、所謂天才小学生というやつで、高校三年間の基礎問題程度ならば網羅しているのでこの形容は間違いだ。

 正しい形容をするなら、こうだ。

 高校三年生で長男であるぼくが、ノーヒントで高校一年生の問題を解くようなものだ ――― あれ、自分で言ってて悲しくなってきた。

 それはいいとして。

 改めて結論を言えば、そんな方法を見つけるのは、生半なまなかでなく、根性のないぼくは、早々に諦めたということだ。

 諦めて、普段の生活に戻ったということだ。

 とはいえ、完全に普段の生活を送ることができるわけでは、勿論なく……。

 ぼくは、 、普段の生活と変わってしまった主な例をふたつ、挙げてみることにしたのだった。

 というわけで、何度も申し訳ないのだが、またも過去の話である。


 例その1:家族の飯が食えない。

 これは、物理的に、という意味ではない……、こんな状態になっても、どうやら食べ物や人間以外の動物には触れることが出来るらしい。

 では、どういう意味かと言えば、ぼくが、こんな状態になってから、笹久世家では、ぼくの分の食事が出されなくなった、という意味だ。それはまあ、母親が作った際は、ぼくを認識していないのだし、仕方のないことだが、問題は、母親が夜勤の時 ――― すなわち、菜流未が食事を作る際に起きた。

「……おい、菜流未。おれの分の飯は?」

「え? 作ってないけど?」

「は?」

 さも当たり前だとでもいうように、菜流未はそう答えた。

「いやお前、何言ってんだよ。確かに母さんが飯を作る時は仕方ないけど、お前は、おれが認知できているんだから、おれの料理を作れる ――― 」

「無理」

 菜流未が、ぼくの言葉を遮って言う。

「あたし、考えるの苦手だからさ。他人ひとのこと言えないけど、少しは考えてよ。あたしがまた、シュク兄の分の料理を作ったら、お父さんやお母さんはどんな反応すると思う?」

 ぼくの両親はどちらかと言うと、過保護だ。だから、彼らからしたら、存在しない兄の存在を、いつまでも主張する娘を目の当たりにしたら、最悪菜流未を、精神病院に連れて行きかねない。

「だから悪いけど……、これからは、ご飯は自分でどうにかして。あたしは知らないから」

「はあ? お前な、言いたいことはわかるが、もうちょっと言い方ってもんがあるだろうよ」

「知らないって言ってるでしょ。ふんっ」

 何だよあいつ……。いつにも増して、ご機嫌斜めだな。

 世話焼き、というよりは、お節介焼き、という印象がある菜流未が、ここまで言うのだから、これはご機嫌斜めの中でもかなり斜めのたぐいのものだ……、かなり斜めって、具体的には、何度くらい斜めなのだろう。ここはやはり、完全な斜めで有名(?)な、四十五度だろうか。

 まあ何度かは知らないが、こういう、何に対しても刺々しい返事しか返さないところを考えると、これが世に言うところの『思春期ならではの反抗期』というやつなのか。

 四十五度とは言わないまでも、二度と話しかけないほうが良いかもしれない。

 ちなみに、ぼくには反抗期はあったかな、と考えるようなことはしない ――― いつも世の中に、反抗しているからだ。

 そのたびに、妹奈にさとされるんだけど。

 四十五度ではなく、百八十度の意見を携えて。

 ともかく、それからというもの、有言実行のかがみであるかのように、菜流未は今日まで、一度もぼくの分の料理を作らなかった。


 例その2:高校一年生の分野の復習

 ぼくは食事の件について、から帰ってきた長女の未千代に相談をした。

 すると、彼女はすぐにこう言った。

「それなら、どうぞ私に任せてください」

「任せる……、っつったって、具体的にはどうするつもりだ?」

「私が、祝也さんのために料理を作ります!」

「いやそれ、父さんと『あの人』の心配の標的が、菜流未からお前に代わるだけで、何の解決にもなっていないよな」

 ぼくは、当たり前のことを言ったつもりだったのだが、未千代がそれに対し、急に寂しそうな表情を浮かべる。

「うぅ、駄目ですか」

「いや完全に駄目とは言ってないけどな……」

 何と言うか、どうもやりづらいな。

 彼女のこういうやりづらいところが、次女の菜流未や三女の兎怜未との最大の違いのひとつといえるだろう。

「特に『あの人』が、お前を心配する」

しまさんのことですか?」

「ああ」

 縞依 ――― 笹久世 縞依。ぼくたちの母親だ。

 そして、

 幼馴染なのだから、本当は『あの人』などと、堅苦しい言い方をせず、『あいつ』と呼びたいところなのだが、今やあいつは、立場上とはいえぼくの母親だ。仕方なくだが、周りの人間の前では『母さん』と呼び、未千代の前でも『あの人』と呼ぶことにしている。

 共有というか、むしろこいつがこのゴタゴタの主軸なのだが、それに関しては、同情できる部分も多いので、今話題に出すような野暮なこともしない。

「ともかく、お前が料理を作るのは、完全に駄目とは言わないが得策ではないな。何か他に策はないか?」

「んんと、そうですね……」

 先程まで、寂しそうな表情を浮かべていたのに、今度は一転して、考え込むような、難しい表情を浮かべていた。

 情緒不安定なのか、こいつ。知らないけど。

 未知だけど。

 まあぼくからしたら、ひとつの事柄にいつまでも固執するような奴より、よっぽど良いのだが ――― 無論、次女の菜流未のことである。

 何なんだあいつマジで。まさか作らないって言ったら、本当に作らないとは。存在のないぼくを、本当の意味で亡くす気なのか。

 ぼく、そこまであいつに、恨みを買うようなことしたかなあ。

 そんな『どうでもいいこと』を、ぼくの今後の食事について、真剣、どころか必死に考えてくれている未千代の傍らで考えていたら(もはや丸投げである。自分のことなのに)、その未千代が、急に声を上げた。

「思いつきました!」

「うおお、びっくりした。何だ、何が思いついたんだ?」

「それは勿論、どうしたら祝也さんが私を好きになってくれるかをですね ――― 」

「お前もかなりどうでもいいことを考えてたんだな」

「どうでもいいことではないですよ!」

 しかもそれが、思いついちゃったらしい。

「一応聞いてやる。しかし、には妹奈という、将来を決めた相手がだな ――― 」

「妹奈さん? 誰ですかそれ。祝也さんの好きな人ですか?」

「好きな人だし彼女だ……ってこれ、何度もお前に言ったような気がするんだが」

「冗談ですよ。ただ祝也さんに彼女がいるという現実を受け止めたくないだけです」

「重い!」

 毎度毎度のことだが、こいつの妹らしからぬ猛アピールには、いつも困っている。

 どんだけ好きなの、ぼくのこと。

 ぼく、そこまでこいつに、恩を売るようなことしたかなあ。

 まあお陰で、次女三女と違って、ぼくと未千代が喧嘩をしたことは、指で数えるくらいしかないのだが、相手をする疲労、という意味では、未千代が断トツで疲れる。ちなみに、未千代の前では、ぼくは見栄を張らずに『ぼく』と言う。それこそ、一番どうでも良いこと、そして細かいことだが、一応注釈はしておくべきだろう。

「で? その方法って何だよ」

「その方法とは?」

「だからその……、どうやったらぼくが、お前に振り向くと考えたんだ?」

 自分でこういうことを言わされるのは、とても恥ずかしい。

「いえいえ。私はそのようには言っていませんよ? 言い直してください」

 ええ。

 別に、どういう風に言ったとか、どうでも良くないか?

 細かくないか?

 ぼくの、妹を前にした際の一人称への言及レベルまでは、いかないにしても。

「……どうやったらぼくが、お前をす、好きになると考えたんだ?」

「んん、違いますよ」

「は?」

 いや、今の言い方で合っているだろ。そりゃ一言一句までは流石に合わせられないが、要するに、未千代は『振り向く』と言うのではなく『好きになる』と言って欲しかったんだろう?

 だからそう言い直したんだが……、他に何が違うというのだ。

「仕方ありません。私の後に続いて言ってくださいね」

「……わかったよ。ったく」

 うう、やはりこういうところが、とても面倒くさい。

「どうやったらぼくが、未千代を好きになるか」

「どうやったらぼくが、未千代をすきになるか……、ああ」

 なるほど『お前』ではなく、『未千代』と呼んで欲しかったと。

 お前はぼくの恋人か。

「ぼくが、未千代を好きになるか」

「え?」

「いいから、後に続けて言ってください」

「お、おう……、ぼくが、未千代を好きになるか」

 何だ? こいつは今、ぼくに何を言って欲しがっているんだ?

「ぼくは、未千代が好きになるか」

「ぼくは、未千代が好きになるか」

「ぼくは、未千代が好きになる」

「ぼくは、未千代が好きになる」

 あれ?

「ぼくは、未千代が好きだ」

「ぼくは、未千代が好きだ」

 あれあれ?

「好きで、好きで、たまらない」

「好きで、好きで、たまらない」

「この纏まらない気持ちは止められない、止まらない」

「この纏まらない気持ちは止められない、止まらない」

「だけど、纏められなくても、止められなくても、この気持ちをお前に、お前だけに伝えたい」

「だけど、纏められなくても、止められなくても、この気持ちをお前に、お前だけに伝えたい」

 あれあれあれ?

「愛している、未千代!」

「愛している、未千代!」

 あれあれあれあれ?

「ぼくと結婚してくれ!」

「ぼくと結婚してくれ ――― って何言わすんだこいつ‼」

「はい、勿論♪」

「いやそんな満面の笑みで言われても。しねえよ? 結婚」

「ええ⁉ そんな‼」

 大体、ぼくもなぜ途中で気付いてやめなかったのだろう。

 何も考えずに言っていたら、とんでもないことを言わされてしまった。

 読者諸君も、こういう鸚鵡おうむ返しをさせられる機会があったら、決して何も考えずに返しては、いけないぞ。

 ていうか、あまりに話が脱線しすぎて、もう何の話していたか忘れてしまったわ。

「祝也さん……、いえ、の今後の食事についてですよ。ねえ? あなた♪」

「その『あなた』というのをやめろ。てか、お前のほうが話を脱線させていたのに、ぼくが覚えてないとか……、記憶力無さ過ぎだろ、ぼく」

「あら、それはそれは……、受験勉強による弊害、と言ったところでしょうか」

「いや間違いなくお前による弊害だ」

 というかいい加減、話を戻そう。

「で、何か思いついたか? 未千代」

「そうですね……、一応思いついては、います」

 未千代は、真っ赤に染めた顔を元に戻して、再び難しい表情へと戻る。先程は、考え込むような表情をしていて、真剣に考えてくれているのかと思ったら、とんでもないことを考えていやがったので(というか、あれで本当にぼくが未千代を好きになると思ったのだろうか)、なんとなく未千代の言うことを信用できないのだが……。

「というより、これが一番現実的な案であり、また、私にはこれしか考えられないのですが……」

「ふうん。で、その案ってのは?」

 ぼくが、続きを言うよう促すと、未千代は真剣な面持ちで言った。

「私が、食事を用意するんです」

「……は?」

 いやだから、お前が料理を作ったら意味がないってさっき ―――

「違いますよ、祝也さん」

 と。

 ぼくの考えたことを見抜くように、未千代は否定した。

「『作る』のではなく『用意する』です」

「どういうことだ? そんなの言葉の上での違いだけで、意味合いは同じようなもんだろう」

「どういうことも何も、そのままの意味ですよ。しかし意味合いは違います。祝也さんが、その日に食べたいものを私に伝えてくだされば、私がそれを用意すると言っているのです。お肉でもお魚でもお寿司でも何でも。まあそれだけだと身体に悪いので、その辺りはバランスよく用意しますが」

 なるほど。作るのではなく、何処かしらの外部から調達してくる、というわけか。

 それなら妹たちが、両親に何も思われずに、ぼくは栄養補給をすることが可能だろうが……。

「ちょっと待て。お前の言いたいことはよくわかったが、それって、それなりに金が必要だよな……、お前、まさか」

 ぼくの頭に、ひとつの予感がよぎった。

 尤も、それはほぼ間違いない予感なので、予感というのは、少し違うのかもしれないが。

「金銭面は心配いりません。だって……、私これでも、

 そう、我が家の長女は。

 笹久世 未千代は、私立啓舞学園に通う、高校一年生のいち学生という存在であると同時に、笹草ささくさ 幸来沙さらさという、我が国を代表するモデルをしている立派な社会人という存在でもあるのだ。

 昨今のモデルやらアイドルやらは、元気で、眩しくて、キラキラキャピキャピしているイメージが強いが、未千代、もとい笹草 幸来沙は、その落ち着いた、けれども人を引き付ける不思議な雰囲気、そして兄のぼくでも、見事と評価をせざるを得ない美貌が世に受けたらしい。元はあの人、というかあいつ ――― 縞依が「未千代ちゃんなら、きっと成功するよ~」と勧めたことが発端だったのだが、まさか本当に成功してしまうとは。

 そして、これが今回の話のかなめなのだが、その稼ぎは、他の一般社会人の比にならない。

 まあ、詳しい金額は訊けないし、訊く気もないのだが。

「いやそうは言ってもなあ……」

「妹にお金を使わせてまで、助けられるのは嫌ですか?」

「嫌っていうか」

 ただ単に、後ろめたい。というか申し訳ない。

 ぼくは正直に、未千代にそう伝えた。

 すると、未千代は、はあ、とぼくがつくような溜息をひとつして「そう仰ると思いました」と言った。

「よく漫画とかアニメとかでいますよね。主人公のために自分を犠牲にしてもいいという、思いやり溢れるヒロインを『君のことが一番大切なのだから僕のために自分が傷付くようなことはしないでくれ』とか意味のわからない理屈で拒絶する主人公」

「いや意味はわかるだろ。なぜお前が今その話を持ち出したのか、その意味はわからないが」

「祝也さんは、人の厚意による行為を無下にしてまで庇おうとする人たちとは違いますもんね?」

「うっ」

 ぼくは言葉に詰まってしまう。

 うーん。

 そういうものなのかな。

 折角せっかく、己の身を犠牲にしてまでも、その人を守ろうとしているのに、その人がそれを拒絶したら、どう思うだろう。

 折角、未千代がぼくの心配をして気遣ってくれているのに、ぼくがそれを「未千代に申し訳ないから」と言って拒絶したら、未千代はどう思うだろう。

「…………わかったよ。今回は、お前のその厚意による行為とやらに、甘えさせてもらうよ」

 少々の沈黙の後、ぼくはそう言った。そしてこう続けた。

「でもされるだけなのは、やっぱり申し訳ないし、代わりと言っては何だけれども、未千代は何かぼくに頼み事とかはないのか? 今ならぼくは、お前の言うことなら、何でも聞くぜ」

 そう、この世はギブ&テイクで成り立っている。

 妹奈がぼくに告白してきたときに、言っていた言葉だ。

 それはたとえ、兄妹関係であっても、揺るがないであろう。

 兄妹以前に人間としての嗜み、といったところか。

 そう思っての発言だったのだが。

「本当ですか⁉ それなら、今すぐ私と結婚を ――― 」

「ゴメンそれはちょっと駄目」

「何でですか! 今祝也さん、お前の言うことなら、何でも聞くって仰ったじゃないですか!」

「わかった訂正する。結婚以外なら何でも言うことを聞く」

「では、私とシてください! それで既成事実を ――― 」

「訂正に訂正を重ねて誠に申し訳ないのだが、ヤるのも禁止です」

「そんな!」

 ……一応、こいつを擁護するようなことを、言っておいてやるが、これでも一応、落ち着いた雰囲気の清楚なモデルさんだ。

 表向きは、な。

 尤も、こいつの何が表で何が裏なのかは、やはり未知なのだが。

「……わかりました。では真面目なお願いをひとつしてもいいですか?」

「おう、最初からそうしろ」

 三度みたび真剣モードの未千代。オンオフの激しい妹である。

「私、できるだけ授業に出るために、お昼のお仕事を減らして、部活動もやらずに、夕方から夜間にかけてお仕事を入れているんですけど」

「ああ、そうだな」

 前に部活動のことについては少し触れたと思うが、未千代が部活動をしない理由は、こういう込み入った事情があったからなのだ。

「そのせいでお前は ――― 笹久世 未千代は、周りから白い目で見られているんだけどな……。まったく、お前があの笹草 幸来沙だと知ったら、みんなどう思うんだろうな」

 未千代は、確かにかなりの美貌の持ち主であるのだが、それ以上に、中性的な顔立ちである。それが影響しているからか、髪形を少し変え、伊達眼鏡をかければ、学園でも一切身バレしない。だから、笹久世 未千代 = 笹草 幸来沙を把握しているのは、ぼくたち笹久世家の人間と、啓舞学園の上層部、笹草 幸来沙の関係者のごく一部、そして幼い頃に出会った、今となっては未千代の唯一の親友だという女の子だけだ。

「それは今いいです……、というか、それこそどうでもいいことです。それで続きなんですけどね、祝也さん。私、これからお昼にもお仕事を入れようと思っていまして」

「ふむ……、って、え? それってやっぱりぼくの食事代のせい?」

「いえ、そのようなことは決して。私の財力を舐めないでくださいよ、祝也さん」

 お前、多分この回で、一気に読者の好感度下がってるぞ。

「じゃあ、何で昼の仕事を増やそうと思ったんだ?」

「そ、それは……、言わなくてはいけませんか?」

「いけないってか、普通に気になるから教えて欲しい」

「うぅ」

 なんだこいつ。今度はまた、えらい顔を赤くしてるな。

 そんなに言いたくないことなのか。

「なっ! まさかお前、さっき夕方から夜間の仕事とか言っていたが、それには、普通の仕事に交じって、いかがわしい枕な営業とかもあるから、そういうのが嫌だってことか!」

「いや枕営業なんて私しませんし、してませんから」

「そうだったのか……、やはりそっちの業界にはそういうのが蔓延はびこっているんだな。ゴメンな、気付いてやれなくて」

「そういう思い込みの激しさって、実は祝也さんが一番顕著ですよね」

 枕営業を促した未千代のマネージャーは、今度五百六十四回ぶっ殺すとして、話を戻そう。

「何か、話を戻してはいけないような語り部が聞こえたような気がするんですが」

「気のせいだろ。それよりほら、続けて」

「はあ、わ、わかりました。じゃ、じゃあ、言っちゃいますよ?」

「おう、もったいぶるな」

 未千代は、再度顔を赤らめて言う。

「しゅ、祝也さんともっと一緒にいたいから……」

「なっ ――― 」

 何を言い出すかと思えば。

 いや、こいつからの愛の告白など、もう飽き飽きする程聞いたのだが、こう、いざ改まってというか、言った本人も照れながら急にそういうことを言われると、むず痒い気持ちになる。

「か、勘違いしないでよねっ! ほ、ほら、祝也さんが謎の病みたいなものにかかってしまったから、仕方なく一緒にいたいなって思っただけで、別に祝也さんのことが好きとか、そういうんじゃないんだからねっ!」

 わあ、すごい。キャラが崩壊というより迷走し始めてる。

「ていうかお前、ぼくのこと好きじゃん」

「はい。結婚してください」

「嫌です」

 こいつ、隙あらばぼくと結婚しようとするなあ。

 ……字面だけ見ると、すげえな、前文。

「でも実際心配なんですよ、祝也さん」

「……そうかよ」

「はい。見たところ、菜流未さんも、兎怜未さんも、あまり祝也さんに協力的ではないようですので、どうせなら、サポートできない授業中に仕事を詰め込んで、朝夜はできるだけ、祝也さんを、食事以外でもサポートできたらと思っています」

 ふうむ、言いたいことはわかった。

 しかし。

 しかしだ。

「それじゃあ、お前授業はどうするつもりなんだ。今までモデルの仕事をしていても最低限しか休まなかった授業は。それに、馬鹿な会話をし過ぎて、忘れていたらあれなんだが、ぼくは今、お前の頼み事を訊いているんだぞ。その話じゃ、尚更お前に負担を ――― 」

「それが私の頼み事です」

 お願い事です ――― と、未千代はぼくの言葉を遮って、そう言った。


祝 4 也


 つまり、こういうことだ。

 ぼくが未千代に代わって、授業を受ける。そしてその内容を、時間がある時に逐一、未千代に教える。

 なるほど、とぼくは思った。

 人に存在を認知されないという不治の病ならぬ(今のところ『ならぬ』でもないのだが)、不幸の病のようなこの状態に、そんな活用法があるとは。

 そう、今のぼくは妹以外に誰も認知されないし、そんなぼくが何をしても、誰も何も言わない。

 だから。

 ガララララ ―――

 と、授業中に堂々と扉を開けても誰も何も言わないし、ぼくがずんずんと黒板の前を横切り、からからと未千代の席の椅子を引いて座っても、やはり誰も何も言わない。

 まさに、今のぼくでないと、出来ない所業である。

 おまけに、頭の悪いぼくだから、高校一年生の内容を復習できるのも、大きかった ――― 尤も、そこまで未千代も計算してはいなかっただろうが。まあとはいえ、別にぼくから習った内容をわざわざ聞く意味に関しては、あまりないように思える ――― 高校一年生の内容ならば、基礎どころか標準問題もお手の物である兎怜未に聞くほうが、手っ取り早いうえに、正確だろう。しかし、なぜか未千代は、ぼくから聞きたい、嫌なら食事は用意しないとか言い始めたので、まあそこまでして断る理由もやはりないので、その条件で今回の件は終わったのだが……。

 さて、今日の未千代のクラスの一時限目は数学か。

 …………。

 ………………。

 ……………………それにしても。

 おかしいな……高校一年生の内容の筈なのに、何言ってんのか全然わからないぞ、おい。

 ちなみに、未千代にこのシステムを提案してもらったのは、ぼくが周りに存在を認知されなくなってからすぐのこと、つまり二ヶ月前のことだ。

 我が啓舞学園は、基本的にエスカレータ式なのだが、普通に途中から入学を希望する生徒も多く、学園側もそれを認めている。そのため、そういった連中との足並みをそろえる意味合いで、高校一年生の授業のはじめというのは、ほぼすべての教科において、中学の内容の復習が殆どなので、ぼくでも、一応ついていけていたのだが(それでも一応である)……。

 そんな時期も、あっという間に過ぎ去り、いざ高校の内容に入っていったら、まあわからないわからない。

 今ではよく耳にする言葉かもしれないが、わからないことがわからない。

 何でぼく、高校一年生の内容がわからないの?

 周りの奴らは、ぼくより二年も後輩なのに、せっせと黒板に書かれた字をノートにとっている。それで内容がおおよそ理解できている奴らが大半だというのだから驚きのひと言だ。

 先生様のご説明を拝聴するのと、黒板の写し。

 その両方を、うまい具合に、バランスよく行う。優等生なんかは、これに加え、先生様の小言混じりの、現段階では習わない二年生や三年生の内容の話すら、ノートにとっている。

 やはり理解不能だ。

 わからない。

 わからないことがわからない。

 どうしてぼくとこの後輩たちで、こうもキャパシティが違うのだ。

 ぼくは、妹奈から教わった、なけなしの横文字を披露しつつ、べったりと机にうなれる。

 こりゃあまた、帰ったら急いで兎怜未に授業し直してもらわないと ――― 結局、高校の内容が始まってからは、未千代との約束を半分反故ほごにするようだが、兎怜未にその日のわからなかった内容を習い直している。

 言うなら、復習の復習である。

 最近に至っては、ぼくの身体のことと同様に、授業についていくのを諦め、今のように机に突っ伏して、ほぼ兎怜未に頼りっぱなしなのだが ――― と。

 頭に何かが当たった感触がした。

 何だろうと思い、突っ伏した顔を起こす。

「紙……?」

 紙。

 折りたたまれた紙だった。

 ぼくの ――― 正確には未千代の机の上に、それがあった。

 ……何だ?

 突然の出来事に若干の驚きを隠せずにいたら、未千代の右隣の席に座っている女子生徒がその折りたたまれた紙を、ひょいと取っていった。そしてその女子生徒はそれを開いて、中身を読むように視線を泳がせつつ、今度はその紙に何かを書き込んでから、再び折り畳んで、未千代の席に戻した。

 すると、次は未千代の左隣の席に座っている女子生徒が件の紙を、ひょいと取っていき、右の女子生徒と同じように、それを開いて、中身を読むように視線を泳がせ、その紙に何かを書き込み ――― ああ、なるほど。

 授業中によくやるやつだ。紙を通して、先生にバレないように会話するっていうあれだ。

 ぼくはふと、周りを見渡す ――― 先程は、優等生が何とかという話をしたが、よく見れば、確かに優等生もいるのだが、ぼくのような授業についていけず、突っ伏している奴が何人かいるし、両隣の女子生徒のように、授業そっちのけで、コミュニケーションに勤しんでいる奴もいるようだった……、二ヶ月もいて、ようやくそのことに気付くようでは、ぼくもいい加減な人の見方をしていると評定せざるを得ない。

 まあぼくのそういう短所は、今に始まったことではないので、スルーの方向でお願いしたい。

 そうこう考えていたら、一時限目の授業が終わった。

 二時限目は、化学の実験らしい。

 両隣の女子生徒がそのことについて、だるいだの何だのと愚痴を零しながら、先程の筆談の紙を捨てて、さっさと何処かへ行ってしまった。

 ……化学の実験って、ぼくやらなくていいよね?

 そりゃ、今のぼくなら、実験に参加しても、どうせ誰も気にしないのだろうし、そういう意味では何の問題もないのだが……。

 先程の女子生徒ではないが、怠い。

 ほら、それに実験は未千代に教えるのも無理だしいいよね。サボっても。

 ……というわけでサボった。

 とは言っても、サボったらサボったらで、やることが無くて暇なんだよなあ。

 誰もいない、がらんどうで静かな教室の中。

 能天気に、ぽかぽかとした気候。

 初等部のほうから時々聞こえてくる子供の声。

 何だか。

 とても。

 眠くなる。


夢祝 5 也夢


「ふう……、今日もお疲れ様でしたっと」

 ピッ ――― ガコッ。

 ヒュウ、ドン!

 高校一年、夏。

 ぼくは、何処かで行われている祭りの花火を見ながら、部活の疲れを癒すため、学園内にある自販機で、飲み物を買っていた。

 オレンジジュース ――― ぼくが、一番好きな飲み物だ。それが入ったペットボトルをとり、蓋を開けると、プシュっと馴染みのない音が鳴る。

「……あれ?」

 ぼくはその音を聞き、まさかと思いその中身を、そしてラベルを確認する。

「あちゃあ……、ミスった」

 炭酸飲料。

 間違って、そのオレンジジュースを買ってしまったらしい。しかも自販機のものの割には、比較的大きなペットボトルだった。

 いつもなら、そのようなミスはしないのだが、今日は少し疲れていて、頭がぼうっとしていたらしい……、いや別に炭酸飲料だろうが何だろうが、わざわざ言う必要はないだろ、と思う人がいるかもしれないのだが、しかしこれは、このミスは、ぼくにとって、とても重大で重罪なミスだった。

 なぜならぼくは ―――

 ヒュウ、ドン!

「炭酸飲料、飲めないの?」

「ああそうなんだよ。いやあ我ながら子供っぽくて情けない ――― って、ぬぇ⁉」

 ぬぇ⁉ って何だよ。

 何か化物でも出たのかって時の驚き方をしてしまった(『ぬえ』だけに)。

「相変わらず変な挨拶だね、祝也くん」

「これ、挨拶だと思われてたのか……」

 不本意である。

 ともかく、あの出会いの日のように、突然妹奈が後ろから、ぼくに話しかけてきた。

「で、炭酸飲料飲めないんだね、祝也くん」

「……妹奈は、何でここにいる。とっくに誰かと帰って祭りにでも行ったと思っていたが」

「ああ! 話を逸らさないのっ!」

 うっ。

 まあ先程勢いで本音を言ってしまっているので、今更隠しても無意味だし不毛か。

 妹奈に隠し事など、するだけ無謀というものだ。

「……飲めない」

「うん。正直でよろしい」

 妹奈はそう言うと、急に目を輝かせて、ぼくが間違って買ってしまった炭酸飲料を凝視し始めた。

「……欲しいのか?」

「はっ」

 しまった、といった感じで妹奈は我に返ったような反応をする。

「……いやあ、祝也くんのさっきの質問なんですけれど、一年責任者ならではの雑用をこなしていましてねえ、みんなと帰ることもお祭りに行くことも出来なかったわけですよお」

「話を逸らさない」

「……うにゅるるう」

 何その気持ち悪い音。

 滅茶苦茶可愛いんだけど。

「……欲しい」

「よし。正直でよろしい」

「うう……」

 おお、ぼくが妹奈を言い負かせることが出来るなんて、珍しいこともあるもんだ。妹奈の言い方をパクっただけだが。

 しかし、今のぼくなら ――― そして、してやられて、弱っている今の妹奈になら、さらに仕掛けることも出来るのではないだろうか。

 そうだ、ぼくはやられっぱなしの男ではないことを、今、証明するのだ!

「うーんそうだなあ。あげてもいいけど一応これ、ぼくのお金で買っているんだし、タダであげるわけにはなあ……」

「うわあ……、女の子にそういう器の小ささ見せるとか祝也くん、ちょっとキモいよ」

「ぐっ!」

 いや……、まだだ!

 ここでヘタレな男 ――― つまり今までの異性に耐性の無かったぼくは「すみませんでしたあげますこんなのでよろしければ幾らでも」と、早々に引き下がっていたのだろうが、吹奏楽部に入り、多少は異性に耐性ができ、さらには、偶然妹奈と同じ楽器パートになったことで、妹奈個人への耐性も、それなりにできた今のぼくは、こんなちょっとやそっとの罵倒には屈しない!

 ヒュウ、ドン!

「あ、あれ、いいのか? そんなことを言って。さっきのこのペットボトルへの熱い視線から察するに、妹奈はこの炭酸飲料がかなりのお気に入りだと、ぼくは思ったのだけど?」

「ぐおお……」

「ぐおおは流石にちょっと可愛くないぞ」

「なっ!」

 あっ。

 無意識に妹奈へ鋭いカウンターパンチをお見舞いしてしまった。

「うう、ひどいよお、祝也くん」

「えっ⁉ 待って、嘘だろまさか泣いてる?」

「うう……、ひっく」

 マズい。

 マズいマズいマズいマズい。

 もしぼくが女の子を、しかも早くも吹奏楽部学年問わずの人気者になりつつある、火殿 妹奈を泣かせたなんて情報が出回ったら……。

 死ぬ。社会学園生活的に。

「わわわ、わかった、わかったから! あげる、あげるよ」

「本当? わあい」

「お前、絶対噓泣きしたろ」

 こいつ……、マジで良い性格してやがる。

「良い性格だなんて照れますなあ。ありがと♪」

「褒めてねーよ」

 ヒュウ、ドン!  ……パラパラパラ。

「ふうん……、どうやら祝也くんは、嘘をつくのが下手なだけではなく、嘘を見破るのも苦手なようだね……」

「何だ? ぼそぼそ言われても聞こえないぞ?」

「ううん、いいの。こっちの話」

 本当に何て言ったんだ?

 ぼくは、耳が良いほうではあるので、決して、難聴系主人公よろしくの、どうやっても聞こえる声量のヒロインの呟きが聞こえないなどということはないのだが、それにしても今のは、本格的に声が小さ過ぎて、そして、クソデカ花火の音で聞き取れなかった。

 まあ本人が良いと言っているのだから、良いのだろう。

「はい、じゃあ、頂戴?」

「……お前、嘘泣きしておいて貰えるとか本気で思ってんのか?」

「ええ。祝也くん、またそうやって器の小さい所を見せるの? 全く、それだからわたしはいつも祝也くんをキモいと ――― 」

「いや待て、妹奈」

「わんっ!」

「犬かお前は」

 犬になったり、猫になったり、大変な奴である。

 じゃなくて。

 ぼく、とても面白いこと、思いついちゃったぞ。

「ようしわかった。じゃあ、お前にこの炭酸飲料をあげようじゃないか」

「ホントに⁉」

 予想通り、妹奈は食いついてきた。

「ああ勿論。なんなら、このペットボトルは空けっ放しで喋っていたから、炭酸が抜けてしまっているかもしれないので、あともう一本、いや二本、同じやつを買ってやってもいいぞ」

「左様でございますか、祝也様⁉」

「左様だから、キャラを元に戻そうね、妹奈様」

 何か、つい先程のようで、未来のような誰かが、凄まじいキャラ崩壊(迷走)を、起こしてしまっていたような気がしたので、そこは早めに軌道修正しておいた。

「で、でもそんな美味しい話には、必ず裏があるって言うし…………、何か企んでいるんじゃないの? 祝也様」

 様付けが直っていない。

 まあいい。

 

「いやいやそんなことはないさ。ただちょっと、ぼくの言うことを聞いてくれるだけで、ね」

「言うこと……、まあ内容によるけど」

 いい警戒心を持ってやがる。流石は妹奈といったところか。

「よし。じゃあ先ず手始めに、ぼくの前まで来てくれ」

「え? もういるじゃない。祝也様の前に」

「いや、そうじゃなくてだな……、何て言えばいいかな ――― そう、初めて会話した時、妹奈がぼくを名前で呼びたいって言った時くらいの距離まで近付いてくれ」

「ええ……、それは、ちょっと……、その……、恥ずかしいよお」

 うん。あの時、ぼくもとても恥ずかしかった。でもこいつが、同じように思っているとは、正直思わなかったな。

 それよりも、恥ずかしがる顔もたまらなく可愛いんだがそれは。

「で、でも炭酸飲料三本のためなら……!」

「お、おお……!」

 一歩、二歩、三歩……、と、見る見るうちに、ぼくと妹奈の間の距離が縮む。

 それから大した時間もかからずに、その距離となった。

「こ、こう……?」

 距離、といっても、ほぼゼロ距離だ。そして、その距離になると自動的に妹奈はぼくの顔を見上げることになる。

 そう、つまり、上目遣いになる。

「よ、よよよ、よし。じゃあ、そのままちょっと待ってくれ」

 ぼくは妹奈にそう(恰好悪く)告げ、日頃からポケットに入れっぱなしにしている小さめのメモ帳とペンを取り出し、文字を書く。

「?」

 ぼくのそんな行動を、不思議そうにきょとんと見つめる妹奈。可愛い。

「よし」

 を書き終えたぼくは、ビリっとメモの紙を破き、妹奈に渡しながら言う。

「いいか。ここに書かれた文章、そして命令をなるべく忠実に、そして気持ちを込めて言うんだ」

「う、うん。どれどれ…………」

 妹奈はぼくが渡した紙を、そしてそこに書かれた文章を、熟読する。

「…………よ、よしわかった。じゃあ、言うよ? 一回しか言わないんだからね?」

「お、お願いします」

 ぼくが言うと、妹奈はひとつ深呼吸をする。

 さてお立合い。

 ぼくがこの可愛らしい女の子に、火殿 妹奈に強いた言葉 ――― 末代まで遺したい言葉。

 それがこれである。

「しゅ、祝也様あ♡ 祝也様の、そのペットボトルを、わ、わたしにください♡」

「…………」

「祝也様の、そのおっきいペットボトルをこのわたしにも恵んでくださあい♡」

「…………」

「祝也様のそのデカペットボトルで、わたしの健康的なお口を、祝也様の飲み物で、一杯にしてくださあい♡」

「……ありがとう」

 ぼくに残ったのは、罪悪感だけであった。


夢祝 6 也夢


 ヒュウ、ドン!

 買った。

 四本程。

 彼女を辱めた罰としては、全く釣り合っていないが、彼女が「流石に六本以上は飲めないよ」と言ったので、仰られたので、とりあえず、今回はそれまでにしておいた。というか逆に五本は飲めるのか。すげえ胃袋である。

「……あの、祝也くん?」

「……はい、なんでしょう、妹奈様」

「いや、なんでそんなに落ち込んでいるのかなあ、と思って。要求したの、祝也くんなのに」

 グサッ。

「確かに少し恥ずかしかったのはあるけれど……、でも今の台詞って、?」

 グサグサッ。

「それなのに、祝也くん、なぜかこれ、五本もくれたし……」

 グサグサグサッ。

「だから、わたしはむしろとても感謝しているんだよ、祝也くんが、こんな少しの台詞を言うだけでいいって言うなんて、正直思ってなかった。さっきは器の小さい人なんて言って、本当にごめんなさ ――― 」

「やめてぇ‼ これ以上謝らないでぇ‼ ぼく本気で死にたくなっちゃうからぁ‼」

 火殿 妹奈は、性に関すること ――― 特に、俗に言う『下ネタ』が、大嫌いだ。

 その情報は、早くも吹奏楽部内で拡散され、火殿 妹奈とおしゃべりする際は、下ネタ厳禁というのが、暗黙のルールだった。当然、ぼくの元にも、その情報は回ってきていたのだが、ここでぼくは、ひとつの可能性に気付いていた。

 火殿 妹奈は性に関することが嫌い、ということは同時に、それに疎いという可能性だ。

 人には誰だって、苦手な事柄というものがある。そして人は、その苦手な事柄に対し、必ず距離を作りたがる。ぼくで例えるなら、勉強が当てはまる。ぼくは勉強が嫌いなので、絶対に進んでやろうとはしない。すると、どうなるのか。考えるまでもない。答えは『その事柄に対して疎くなる』である。

 ぼくは勉強が嫌いなので、進んでやらない。結果、勉強ができないしわからない。

 それと同じように、火殿 妹奈も性に関することが嫌いなので、進んでそういう知識を身に着けようとはしない。結果、ド直球でない限り、性に関することやジョークがわからない。

 簡単な話である。

 まあ知識人な妹奈のことなので、そのようなことはないという ――― つまり、嫌いな事柄もしっかり熟知しているという可能性も否定できなかったのだが……、今回は普通に前者の側であったようだ。

「ど、どうしたの? 祝也くん。さっきから本当に変だよ」

「ああ……、ぼくは変だ。変な状態と書いて変態だ……」

「それは元からでしょ」

「……まあ『元から』というのは否定したいところなのだが、今はそんな気力も起きないな」

 何もする気が起きない。

 どうしたら、この鬱屈した気分が晴らせるのだろうか。

「うう……、いつもならここで、鋭い突っ込みが入るんだけれどなあ。『いや辛辣だな、おい!』って」

「……すまん。帰る」

 限界だった。

 はじめは冗談のつもりだったのだが、冗談でもしていいことと悪いことがある、とは良く言ったものだ。

 こういうのは冗談でもしちゃいけない。

 冗談の域を過ぎている。

 ぼくは、妹奈にそう言って、背を向けて帰ろうとする。

「……くく」

 と。

 そんな笑い声がした。

「うふふ……」

 後ろの ――― 他でもない、火殿 妹奈から、その声は聞こえた。

 ヒュウ ――― ドン‼

「あっっっははははは‼」

「っ⁉」

 はじめは、何と言うか、必死に堪えるような笑いだったのだが、ぼくが何だと振り返ったその瞬間に、それは大笑いへと変貌した。

「……え?」

 純粋に、何が何なのか、わけがわからなかった。

「ホンットに面白いね! 祝也くんって」

 ひとしきり笑ってから、妹奈はそう言った。

「どういうこと……、だよ」

「どうしたもこうしたもないよ。嘘だよ、嘘」

「嘘……?」

「そう、嘘。いや演技って言ったほうがいいかな。まあ演技って、それだけで人を騙しているようなものだし、わざわざ言い換えなくても良かったかもしれないけれど」

「それって……、つまり」

 つまり。

「気付いてたよ。祝也くんがわたしに言わせた言葉がエッチな言葉に寄せていたことなんて」

「嘘だろおおおおお⁉」

「ふふん。それに関しては残念ながら本当なんだなあ。珍しく祝也くんに言いくるめられちゃって、わたしの闘争本能に火がついちゃったよ」

 畜生!

 そうだ、こいつはこういう奴じゃねーか!

 負けず嫌いで、楽しいことが大好きな。

 楽しいことなら、自分が何をするのもいとわない。

 たとえそれが、自分の嫌悪する事柄に、足を突っ込むような真似だとしても。

 火殿 妹奈は、ぼくとはまた種類の異なる変態だ。

 それをぼくは、この数ヶ月で学んだのではなかったのか!

 ヒュウ、ドン! ……パラパラパラ。

「どうだった? 祝也くん。わたしの台詞回し、ドキドキしたでしょ?」

「うるっせぇよ黙ってろ滅茶苦茶ドキドキしたよ‼」

 冗談でもして良いことと悪いことがあるように、嘘もついて良いことと悪いことがあるだろうに!

 プライオリティは何処に行ったんだよ!

「あれえ? さっきは罪悪感に苛まれてる風を装ってたのに、本音がポロリしちゃってるよお?」

「はっ倒したい! お前をもう何か、とりあえず凄まじい勢いではっ倒したい! てかはっ倒して良い⁉」

「駄目に決まってるでしょ。女の子をはっ倒したいとか祝也くん、だいぶキモいよ」

「クソおおおおおおお」

 完全敗北。

 である。

「まあ、今回は少しやり過ぎちゃったかな? でも嫌いにならないでよ、祝也くん」

「うるさい! お前のことなんか、初めて出会ったあの日に嫌いになっておくべきだった!」

「寂しいこと言わないでよ。わたしだって心があるんだよ?」

「嘘つけ」

「いや流石にあるよ……」

 もうぼくは、こいつの一切を信じることが出来ないよ……。

 というか人間不信に陥るよ。

「……よし、わかったよ。祝也くん」

「……何が」

 どうせろくなことではないだろうが。

 ぼくは、無気力に聞き返した。

「この世の中には、ギブ&テイクって言葉があるんだけど」

「ぎぶあんどていく……、あっそれならぼくにもわかりそう ――― 」

「いや流石にわかって当然でしょ」

 怒られた。

「今回はわたしが祝也くんに、この炭酸飲料を、五本も貰ったのにも関わらず、吹っかけてきたのは祝也くんからだったとしても、必要以上に傷付けてしまったから、これではバランスが悪い、ギブ&テイクになっていないから……」

 え。

 このいざこざって、ぼくから吹っかけたものだったのだっけ?

「だから……、その……、お詫びと言ってはなんだけれど……」

 急にもじもじと恥ずかしそうにしだす妹奈。

 ヒュウ ――― 先程から、けたたましく鳴っている、花火。

 それが、ひと際大きく咲き乱れたとき ―――

 ドーン‼

 彼女は言うのだった。

「わたしと、付き合ってくれない?」

 パラパラパラパラ……。

「……は?」

 聞こえた。

 ぼくは、難聴系主人公ではないので、聞こえた。

 花火の中でも、しっかりと聞こえた。

 聞こえたうえで、訊き返した。

 全く順路が、順序が、順番が、脈絡が、道筋が、指針が、そして何より、彼女の言っている言葉の意味が、わからなかったからだ。

「だから……、恋人になりましょ、って言ってるのっ。もうっ何度も言わせないでよ」

 …………何なんだ、このトンデモ展開。

 こんなのまるで、小説や漫画に変な憧れをいだいちゃって、行き当たりばったりで、ストーリー構成が滅茶苦茶な、下手くそド素人作家が書いたような展開だ。

 いや、今時のド素人作家ですら、こんなアホみたいな展開は書かないだろう。

 …………。

 ………………ああ、なるほど、わかったぞ。

「お前、さてはまたぼくをからかって、楽しんでるんだな。もう騙されないぞ!」

「ち、違うよ! 半分合ってるけれど」

「合ってるのかよ! 人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

「だから違うってば、話を聞いて!」

「…………何だよ」

 妹奈は言った。

「あのね。確かに、急にこんなことを言うのは、違ったと思う。反省してる。だけれど。だけれど、ね」

 決してふざけたりはしていない。

 妹奈は言った。

「はじめてお話ししたときは、ただの面白い人だな、くらいにしか思ってなかった。だけれど ――― 春の終わりくらいかな、お話をしていくうちに、ああ、こんなにも一緒にいて楽しいなって思えるのは、きっと祝也くんだけだ、って気付いたんだ」

「…………」

「それで一度そう気付いたらもう止まらなくって。そしたら、またふと気付いたの」

 わたし、祝也くんのことが、好きになっちゃったんだって。

 妹奈は、そう言った。

 いつもの楽しそうな、愉快そうな雰囲気を一切見せずに。

 真剣そのものといった表情で。

 そう言った。

 ぼくは、既に機能を停止しかけていた脳をなんとか再稼働させ、整理しようと試みる。

 人を好きになるという気持ちは、どのようなものなのだろう。

 人の中には、好きな人を外見でなく、内面で決めるというきれいごとを、さらりと言ってのける者がいるが、ぼくは今まで、そういった考えにはあまり肯定的ではなかった。そういう奴らは、内面で決める、と尤もらしいことを言うことで、自分を美化しているに過ぎない。

 そう言った自分を、美しい心の持ち主だと、他人に思われたいに過ぎない。

 他人にはそのように言ったところで、実際には顔や運動神経、そして財力で選ぶ奴が殆どだ。

 人とはそういうものだ。

 人は嘘で、生きている。

 この世は嘘で、できている。

 この火殿 妹奈という女のように。

 そして、そういう世界では、ぼくのような人間が苦労する。

 嘘が苦手なぼくのような人間が。

 この世で生きていくことに、最も不向きなぼくのような人間が。

 しかし今、ぼくの目の前には ――― 決して顔が良いほうではなく、運動神経も財力もないぼくの目の前には、他でもない、ぼくに告白をした火殿 妹奈がそこに立っている。

 ああ ――― そうか。

 一応、理解はできる。

 重ねて言うようだが、火殿 妹奈というひとりの女の子は、楽しいことが何よりも好きな女の子だ。それはこの数ヶ月こいつと一緒にいたことで確信した事実である。

 だが、正直に言ってここまでだとは、思っていなかった。

 一緒にいて楽しい。その気持ちが段々と好きという気持ちになる。それはつまり、ぼくの外見ではなく、ぼくの内面で好きになったということと同義だった。

 しかし、それがやはりわからない。

 働かない脳を、必死に働かせて、考えて、考えて、考えてみたが、それがやはりわからない。

 既にご存知だと思うのだが、ぼくは、顔以上に性格が悪い。悪いというのは少し語弊があるというか、言い過ぎかもしれないが、変な性格をしているのは、間違いないだろう。そして、ぼくが漫画の主人公のような清らかで、優しくて、ヒロインを魅了してしまうようなハーレムタイプの男ではないことも。

 それは、自分のことなのだし、自分が一番わかっている。

「別に、優しい人がモテモテになるってわけでもないでしょう」

 それに、人を楽しませることが出来るっていうのも、ひとつの立派な才能だと思うけれどな。

 妹奈は、チラチラと、ぼくを見たり見なかったりしながら、言った。

 まるで、返事を待っているような素振そぶりである。

「…………」

 ぼくは、再び考える。

 今度は、妹奈の気持ちではなく、ぼく自身の気持ちだ。

 ぼくは、彼女が好きなのか。

 ぼくは、彼女の気持ちに応える気持ちがあるのか。

 今までぼくは、幾度となく彼女のことを『可愛い』と思ってきていたが、恋愛感情はあったのだろうか。

「悪い」

 

 これっぽっちも。

 微塵も。

 今のすべての問いに、ぼくはそう結論付ける。

 妹奈のその気持ちを、わかってあげることは、ぼくにはどうやら無理のようだ。

「ぼく、お前みたいに、嘘をついて楽しんでいるような奴を好きになることはできない」

「えっ……」

「話は終わりか。ならぼくは帰るぞ」

 気付けば、花火の音もしなくなっており、ぼくは今度こそ彼女に背を向けて歩き始める。

 彼女は、まだ何か訴えるようにぼくに声をかけていたが、振り返るどころか、その一切を無視する。

 火殿 妹奈の髪を見たくなかった。

 闇夜の景色すら取り込んでしまうような朱色の髪を。

 火殿 妹奈の瞳を覗きたくなかった。

 闇夜の中に蛍のように輝く大きな碧色の瞳を。

 火殿 妹奈の声を聴きたくなかった。

 闇夜に隠れていたとしても、はっきりと透き通って聞こえるその声を。

 火殿 妹奈の質問に答えたくなかった。

 闇夜で迷った子供が泣きながら、親に何処へ行ったのかと必死に訊くようなその涙ながらの質問に。

 火殿 妹奈の嘘を許容したくなかった。

 闇夜にぼくを引きずり込んだその嘘を。

 火殿 妹奈の顔を直視したくなかった。

 闇夜の中を明るく照らす光のような笑顔をつくるその顔を。

 そして。

 火殿 妹奈の愛を受けたくなかった。

 闇夜に沈んだぼくのこの気持ちを目覚めさせようとする朝日のようなその愛を。

 これ以上その愛を受け続けると。

 

 …………なあ、誰か教えてくれないか。

 人を好きになるという気持ちは、どのようなものなのだろう。

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