第3話 格が違うのだ

「おい、リサとやら。ここについて何か知っていることはあるか?」


 とにかく、今のこの状況では情報が欲しい。エリーズともみ合って軽く息を切らしていたリサに聞くと、知らぬとばかりに鼻を鳴らされた。今は子供のように争っているような状況では無いというのに……これだから人間の女というのは情けない。

 鍛え上げられた魔族の戦士となれば、まずは両腕の関節を無言で外す所から始まるのだから、その差は歴然だ。


 とはいえ、ゴブリンに負けて囚われるような軟弱な人間ともなれば仕方がないとも言える。知能は戦闘力と気品に比例するからな。


 リサに変わってエリーズが申し訳なさそうに口を開く。


「えーっと……よくは知らないけど、ここには昔砦があったって聞いた事があるよ。今はもう消えちゃったけど……」


「砦か……その話が本当だとすると、ここは捨てられた砦の地下ということだな」


 そこにゴブリンどもが住み着いた、と。洞窟と呼ぶには不自然な縦穴や、進んだ文明……酒の類いもここから取り出したのだろう。情報を求めて質問を続ける。


「お前達以外に捕まった者は居ないか?」


「ううん……今のところは誰も」


 となると、群れの規模から見て、こやつらは相当最近集まったようだ。数は見える限りだと二十四か五。とはいえ、何処かへ出掛けているやつが居ないとも限らぬ。今のところは地下室にあった保存食や酒で欲を満たしているようだが、それが尽きれば次の保存食は我らだろう。


 と、ここで先程からだんまりを決め込んでいるリサが口を開いた。


「私からも質問があるんだけど」


「ふむ。何だ」


「あなたってどのくらい強いの?見た目と状況が噛み合ってなくてわからないのよ」  


「確かに、私も気になる……」


 何だ。そんな簡単なことか。と思ったが……よくよく考えると我は今どれ程の強さなのだろう。1日前ならば単騎で人間の首都へ乗り込み、勝利をもぎ取れたのだが……今ではゴブリン相手に息切れを起こす有り様だ。

 とはいえ堅さは健在であるし……。


「分からぬ」


「はぁ?」


「えーっと……?」


「そんな反応をされても、我には答えられぬ。この格好を見れば分かる通り、我は高貴なる身の上だ。ともすれば事情の一つや二つ、腹に抱えていてもおかしくはないだろう」


「それは……確かに」


「……」


 場合によるというか、相手によるな。この固さが戦略的有利を取れる相手ならば負けはあり得ないのだが、数で攻めてくる相手や、ある程度速い相手はもう話にならぬ。問答無用で大敗だ。砂の味を口の中に噛み締める結果となるだろう。


 そう考えると、我はこの女二人にすら負けるのでは、と一瞬思ったが、それは流石に無いだろう。……無いと信じたい。

 我が微妙な顔で暗がりの二人を見つめていると、鋭敏な我の聴覚が不可思議な音を捉えた。


「……む?」


「……一応聞くけど、どうしたの?」


「音が聞こえた。何かを砕く音……岩で果実を砕くような音だ」


「……何も聞こえないような気が」


 こやつらに比べて我の聴覚は遥かに上の段階にあるからな。聞こえぬのも無理はない。音は非常に小さいが、ぼんやりと上の方向から聞こえてくる。つまり、地上で何かが戦っているのだ。

 これを聞き逃さぬとは流石は我の聴覚。しんみりと頷きながらそれを噛み締めていると、にわかに目の前のゴブリン達が騒がしくなった。


 千鳥足をもつれさせながら何かを警戒しているのだ。警戒は上ではなくかんぬきの嵌められた扉の方に向いている。それを見て漸く二人は我の言葉を信じたらしい。


「本当に何かあるみたい」


「問題はそれがなんなのか、という話だ。デスワームが暴れているだけであったら肩透かしであるし、まさか砂塵竜が居れば我以外はここでさようならということになる」


「砂塵竜……? 何それ」


「もしかしたら……うーん、組合の人たちだったりして」


 組合? 何の組合だ? リサは砂漠に居るというのに砂塵竜を知らぬようであるし、ちぐはぐだ。とにかくその組合という奴について聞いてみる。


「なんだ、組合とは。口調から察するに軍隊のようなものか?」


「軍隊って言うか……傭兵?」


「普通に冒険者が集まってできてる組織って言えばいいじゃん」


「そうだね」  


「……うーむ、わからん」


 冒険者……時折城に突っ込んでくる奴らのことか?いやしかし、あれは反乱軍であるし……。とにかく味方であることを祈るのみだ。エリーズらの様子を見ると、希望に目を輝かせているので大丈夫そうだが。


 そんなことを思っていると、穴蔵の出入り口辺りからドゴン、と重い音がした。同時に洞窟の天井から土が降って、吊るした照明が軽く揺れた。最早戦闘というより蹂躙といった形なようだ。ゴブリン達は急いで武器を構えているが、ふらついている。それみたことか、酒など飲んでいるからだ。


「この音……土魔法?」


「ってことは、シェディエライトさんかな?」


 どうやら知り合いが救出にやってきたようで、女二人はこれで助かると喜んでいる。とにかく話の通じる相手であればなんとかなるだろう。竜鱗のお陰で、物理的に殺されることはほぼあり得ぬしな。

 渇いた喉で唾を飲み込むと同時に、木の扉がド派手に打ち砕かれ、同時にゴブリン達がまとめて飛びかかる。  


 しかし、扉を破壊した張本人である岩石がそれらをまとめて吹き飛ばした。木屑と汚い血液が散乱する中を四人の男女が飛び込んできた。


「げぇ……ひどい臭いだ」


「我慢我慢。ほら、まだゴブリンが残ってるわ」


「さっさと殺るかぁ」


「……」


 一人は斧を持った巨漢。もう一人は鼻を摘まむ長身の男。フードを被った弓使いと、目から下を黒い布で隠した女が二人の後ろで構えている。彼らを見かけたエリーズ達が歓喜の声をあげると、それに気づいた布の女が軽くこちらに手を振った。 


「よかったぁ……これで助かるわ」


「どうなっちゃうかと思ったよ……」


「ふむ……」


 吹き飛ばされたゴブリン達が体勢を立て直して四人に切ってかかるが……悉くが反撃を受けて討ち取られた。大男が斧と膂力でゴブリンを押し返し、弓と魔法でそこを撃ち抜く。長身の男は身長にふさわしい長剣を使って後衛を守っていた。


 そこそこやれる冒険者のようだ。とはいえ以前ならば視界に入る前にくたばる技量であろうし、警戒するほどでもなさそうだ。


「『褐色の一刃よ』」


「ギュグ……」


 布の女……恐らくはシェディエライトとやらが産み出した岩の刃が地面からゴブリンの喉元を撃ち抜いて、漸く洞窟の中は静かになった。

 四人は他に敵が居ないことを確認すると、我らの方に駆け寄った。


「リサ、エリーズ……良かったわ。二人が大丈夫そうで」


「すみません……態々助けて貰って」


「先輩、本当にありがとうございます……」


「ま、新人をサポートするのも冒険者の義務だからなぁ。気にすんな」


「小さい群れで助かったぜ。これ以上ってなると俺の負担がでかくなるし……ん?」


 仲良く再開を喜んでいる中、長身の男が牢屋の中の我に気が付いた。続いて他の三人も気が付いたようで、目をしばたかせている。これは恐らく……我の高貴なるオーラを感じ取ってしまったのだろう。魔力は無くとも気品は全身に満ち満ちているからな。

 シェディエライトが丁寧な言葉で我に尋ねる。


「えーと……どなたでしょうか?」


「先に名乗れ……と言いたいところだが、まあいい。我の名はヴァチェスタ・ディエ・コルベルト。金色の魔王と呼ばれし者だ。汝らには特別に、我の姿を崇めることを赦そう」


「え?」


「……?」


「うわぁ……またやったよこいつ」


 こいつだと?失敬な。嗜めるようにリサの方を向いたが、そそくさとエリーズの背後に隠れてしまった。……まあいい。


「ほれ、さっさとせんか。いつまで我をこんな牢獄に入れておくつもりだ?」


「えーっと、コルベルトさん?でいいのかな……少しその……みんなに失礼だったり」


「何だかきな臭ぇ坊っちゃんだな……」  


「全くだ……見た目は貴族っぽいし……そういうことか?」


 何が失礼なものか。立場を考えれば我が慇懃無礼なのは当たり前である。生まれが違うのだよ、生まれが。顔をひきつらせている男二人に変わって、弓使いが軽くため息を吐いて鉄の扉の前にしゃがみこんだ。

 何をしているのかと思えば、扉の解錠らしい。カチャカチャと鉄をいじくる音が聞こえる。神妙に鍵を開ける弓使いのフードの奥には、赤毛の三つ編みが見えた。身体の線も細いので、こやつは恐らく女だろう。


 女が扉をあける間、我を置いて冒険者達がヒソヒソと会話をしていた。


「リサ、あれは一体誰なの?」


「良くわからないです。最初に会ったときからあの格好でしたし……」


「私も良くわからないです……」


「大方お忍びで砂漠に来たお貴族様って感じだが……」


「おいおい、こんな砂漠に貴族が来るかよ」


 ヒソヒソと話をされるのは慣れている。会話の内容がいかなるものだとしても、我には関係がない。所詮下々の下衆な勘繰りに過ぎないからな。


 しばらく待っていると、目の前の扉からガチャン、と音が鳴った。同時に錆びた扉が押し開けられ、フードの女が牢屋に入ってきた。左手には銀色のナイフがちらついている。


「うむ、苦しゅうない。さぁ、我の拘束を解け」


「……」


 蔦の巻かれた両手首を女の前に突き出したが、女は無言で我に背を向けてリサ達の方へ進んだ。おい、優先順位がおかしくは無いか?


「おい、そこの女。我を無視してその二人を優先するとは何事だ。高貴なる我の姿が見えぬのか?」


「……まだあなたの事、信用してない」


「む」


「確かに、あんたが何者かってのはまだはっきりしてないわけだ」


「どっかの貴族かぁ、それとも俺たちを騙そうって考えてる盗賊って線もあるわなぁ」


「ふざけるな。我が薄汚い盗賊と同類だと?」


「えーっと、コルベルトさん。落ち着いて……」


 脳みそに行く栄養を筋肉に吸いとられたような凡俗が、王たる我を盗賊呼ばわりとは、全く許せん。体力と水分が枯渇していなければ、散々に蔑んでやる所だが、生憎今は小さな体力ですら惜しい。

 シェディエライトが、盗賊と決めつけているわけではないのです、と弁明を口にしたが、全くもって不愉快だ。


 そんな我に、エリーズとリサの拘束を解く女が小さな声で追い打ちを掛けた。


「それに……あなたみたいな人の事――嫌いだから」


「はぁ?」


「助けてもらったのにお礼の一つも無い。傲慢で、自己中心的。とても……不愉快」


「貴様……黙っておればぬけぬけと……」


 クソ女が、と口に出そうとしたが、それはあまりに品格を落とす発言だ。落ち着け。我は王だ。この世の全てを支配しつくし、神さえも手出しが出来なかった魔族の王。こんな凡俗な人間ごときに乱されてどうする。


「……まあ、良い。王とは元来孤独なものよ。地を這うものに何を言われたとて、我の地位は揺るがぬ」


「クルーガー……こいつ、置いていったら駄目?」


「駄目よセラ。流石にここへ置き去りには出来ないわ」


 リサ達の拘束を解いた女……セラがシェディエライトの言葉に嫌そうな顔をしながら、我の前にしゃがみこんだ。ふん、最初からこうしておけば面倒は生まれなかったというのに。

 銀色のナイフが手首の蔦にめり込み、鈍い音を立てて切り裂いた。長い間両手首を結ばれた状態だったので、中々に不思議な感覚だ。


 立ち上がって再度シェディエライト達に礼を述べるエリーズ達に追従して我も立ち上がろうとしたのだが……忘れたように眩暈がやってきて思わず尻餅をついてしまった。はぁ、とため息を吐いてセラが我の目の前に手袋を嵌めた左手を差し出す。

 ……こいつを取れ、ということか。


 舌打ちと共に差し出された手を振り払った。哀れみか同情かはわからぬが、我に手をさしのべる等とふざけたことをしよって……とことん下に見ているのか?

 目の前のセラは、まさか振り払われるとは思わなかったとばかりに驚いた様子を見せている。


「貴様ら俗世の人間と我を一緒にするな。我を誰と心得る」


「……」


「おぉ……やべぇなぁ。セラが本気で怒ってるみたいだ」


「あいつも良くやるよ……ああ見えて温厚なセラさんを怒らせるって、相当だぜ?」


 セラは呆れたとばかりに我に背を向けて牢から出た。癪だが我もそれに続いて牢から出る。


「……信じられない」


「あはは……凄い人だね」


 後ろを振り返ると、二人の女が渇いた笑みと真顔で牢屋から出てきた。リサとエリーズだ。


 リサは赤みがかった茶髪を後ろで一つに結んでおり、女にしては背が高かった。すらりと伸びた手足の先にはグローブやブーツ。腰には赤い木製の弓と空っぽの矢筒がある。我を見る瞳は地味な茶色だが、性格を表すように軽くつり上がっていた。まばらなそばかすがそんな目元の下に鎮座している。 


 エリーズはリサに比べればかなり小柄で、黒髪を肩まで伸ばしている。艶のある黒髪……ではなく、砂漠を歩いた時間を感じさせるように、黒髪には黄砂が絡まっていた。瞳の色は髪と同じ黒。リサと違ってどこにも武器になりそうなものが無いので、恐らく魔法使いだろう。

 見るからに気弱そうな小動物顔で、荒事には到底向いているように見えなかった。


 二人合わせて後衛とは、まさしく低能が服を着て歩いているようではないか。そんなことを思って鼻を鳴らすと、隣にたっていたセラが軽く我の足を踏んだ。馬鹿め、その程度蚊ほども痛くないわ。


 先程まで我を面白そうに見ていた男二人であったが、我の顔を見るや、凄まじい速さで半目になった。ふん、我が美貌に見惚れるが良い。貴様らとは格が違うのだ。


「チッ……なんだあのイケメン。くっそムカつくぜ」


「信じられないくらい顔が整ってんなぁ……中身が残念じゃなかったら女選び放題だろうに」


 全員が無事であることを確認すると、恐らくリーダー的な立ち位置に居るのであろうシェディエライトが明るい声で、それじゃあ帰りましょうか、と号令を掛けた。


「了解ぃ」


「はいはい」


「……」


「はい」


「わかりましたー」


 一団となって出入り口を目指す冒険者。その足音に紛れて――どこからか異音がしたのを、我の鼓膜が確かに捉えた。

 安心しきって歩く冒険者どもの足音。その最中に、そのどれとも合致しない音が鳴る。


 ペタリ。


 何か軽い生き物が地面を踏み締めたような音。凡人ならば聞き逃すような、微かで、あまりにも微小に殺された音。だが、幾多の暗殺者と対面してきた我にとって、その音はあまりにも十分過ぎる。


 反射的に上を向けば洞窟の天井に砂ゴブリンが張り付いていた。器用なことに四本の手足で天井に生える鍾乳洞を掴んでいる。口元には錆びた短剣、濁った黄色い瞳は……一番後ろを歩くエリーズを狙っていた。


 助けに来た冒険者四人ならばまだしも、リサとエリーズは革の防具を部分的にしか身に付けていない。軽いゴブリンの一撃と言えど、重力加速を伴って首元を貫かれれば、ただでは済むまい。


 おい、と口に出すその前には、ゴブリンが刃物を口から手に移していた。暗殺者の真似事か? ゴブリン風情が生意気に……。

 目の前を歩くエリーズの布服の襟を掴んで強く引っ張る。と、同時に天井へ向けて空いた片腕を掲げた。


「っうぇ!?」


 バリィン。


 さして派手な音も立てず、ゴブリンの短剣は粉微塵になった。物音に気が付いた冒険者どもが全員慌ててこちらに振り向く。状況が理解できていないそのアホ面に向けて、我は呆れを込めて言った。


「愚図どもが。安全確保くらいしっかりしろ。適当な事ばかりやっていると、いつか死ぬぞ」


「え、えーっと……」


 長身の男が素早く躍り出て、手持ちの剣でゴブリンを貫いた。ふん、冒険者を名乗るのならば、もう少しまともに動いてみろ。未だに状況が飲み込めないエリーズから手を離した。


「前後左右上下は常に警戒するのが道理だろうが」


「ご、ごめんなさい。気がつかなかったわ」


「俺もだ。さっぱり分からなかったぜ……」


「良く気が付いたなぁ……どうやって防いだのかは分からねえけど、すまんな」


「……」


 セラは指先を絡めながら無言でゴブリンの死体を見つめていたが、しばらくすると非常に小さな声で、悪かったわ、と呟いた。まったく、索敵も出来ない斥候など無能に等しいからな。

 謝罪や礼を口にする冒険者達を見て、ようやく状況が理解できたエリーズが慌てて頭を下げた。


「えっと、ありがとうございます」


「この礼は我に報いて返すがよい」


 なんだか変な空気のまま停滞している冒険者どもに、さっさと外に進め、と指示すると、ようやく動き出した。全く、牛ではないのだから自分で動いて欲しいものである。


 我が引きずられた洞窟を逆走し、妙に高い縦穴にぶつかった。薄暗い洞窟の中、天井に空いた大穴から月光が差し込んでいる。穴の淵には縄が垂らしてあり、シェディエライト達はそこから降りてきたのだろう。


「きっちり設置したから大丈夫だとは思うけれど、一応気をつけてね」


「あいあいー」


「分かりました」


 斧を持った大男が大事を取って先行し、続いてセラ、エリーズ、リサと一人ずつ登っていく。


「さて、コルベルトさん……でいいのかしらね?次は貴方よ」


「ふむ……」


 垂らされた縄の側まで歩いて、空を見上げる。幾つもの星を纏った絹のような夜空と、真ん丸な金月。穴の淵には大男やセラが、頭だけをこちらに傾けて覗き込んでいた。

 縄の長さは目分量で五メートルほど。これを両腕の力だけで登る……。


「いや、まさかな……」


 我は堂々と繊維の粗い縄に両手を添え、全身全霊の筋力をもって体を持ち上げた。上腕二頭筋が張りつめ、三角筋と肩甲骨が軋む。そうして我の体が地面から五センチ程浮いて……落ちた。


「え?」


「おーっと?」


「ふむ……」


 もう一度試す。今度は文字通り死力だ。縄に両足を絡め、両手を頭上に。そこから一旦足の力を弱めて――両腕を下に落とす……!


「……無理だな。百歩譲ってしがみつくことなら出来る」


「えぇ……? 本当なの?」


「我はつまらん嘘をつかぬ」


「嘘だろ……? あんた、見た目にはそこそこ筋肉あんだが……」


 鎖帷子が問題か?体重すら持ち上げられないとは、本当に非力極まりない。我が纏う服の下に見える筋肉に視線を送る。確かにしっかりとした筋肉があるのだが……それすらも上手く機能していないというのか?


「おぉーい。どうしたんだあ?」


「……遅い」


「筋力が足りなくて登れんのだ」


「……?」


「んじゃあ、俺が一旦縄ごと引っ張りあげるか」


 成る程。それならば我でも上に行けるな。筋肉の割には脳みそが残っているではないか。

 両手両足を縄に絡めて、上げろ、と命令する。すると上からふんっ、と力む声が聞こえて、我の体が空に浮いた。そのままゆっくりと我は夜空に飛翔していき、ついに薄暗い洞窟から出ることができた。


 未だ生暖かい砂の地面に両手を掛けて体を押し上げ、久しく新鮮な空気を肺一杯に満たす。うむ、至福だ。周りには先に登った四人がおり、大男はもう一度縄を下に垂らしていた。縄の端はシェディエライトが隆起させたのであろう小さな岩に結ばれている。


 リサとエリーズはだらしなく砂の上に座り込んで、お互いの無事を喜んでいた。その近くにはなんと珍妙な生き物……確かラクダとかいうやつが六頭も待機していた。背中にはこれまた珍しい柄物の布が鐙代わりにつけられており、脇腹には水筒だの鍋だのがくくりつけられていた。


 こいつらはこのラクダに乗ってここまで来たのか。我は走れば馬や竜より疾く移動できたので、基本的に生き物に乗ったことはない。例外として飛竜やグリフィンというやつには興味本位で乗ったことがあるが……もれなく振り落とされ、そやつらに灸を据える結果になった。


 間抜けな顔をしているラクダとリサ達を見つめていると、後ろからマントを軽く引っ張られた。なんだと思って後ろを振り返ると、なんとも言えぬ雰囲気を纏ったセラであった。


 改めてその姿を見て思うことは……うむ、胡散臭いな。革で出来たフード付きのコート、目立たない飴色のショートパンツ。すらりと伸びた太ももには二本のナイフがくくりつけてあり、草臥れた革靴のくるぶしにも煌めく何かが見える。


 胴には動きやすそうな革鎧を着けていたが、どうしても欠けた鎧の隙間から刃を黒く塗った暗器がちらついているのだ。顔は見えぬが、フードから赤毛の三つ編みが小さく見えている。


「……そんなじろじろ体を見ないで」


 我の探るような視線が気にくわなかったのか、セラは不機嫌そうに言った。呼んでおいて見るなとはこれまたおかしな話だ。腕を組みながら何の用件だ、と短く聞く。


「……お礼」


「……お礼?」


「デグに引き上げてもらったでしょ? ……お礼くらい、言いなさいよ」


「デグ……あぁ、そこの大きいのか」


 自分の名前が呼ばれてこちらを向いた大男――もといデグは、体に相応しい間延びした大きな声で、俺がどうかしたかぁ?と聞いた。


 穏和そうな顔をしたデグの身長は……まあ、我より高いようだ。横にも大きい。関節を鉄、その他を革の鎧で覆っているデグは、背中に特徴的な大きさの斧を背負っていた。

 片手で扱うには大きく、両手で扱うには小さい。熊のような体型のデグが両手や片手で斧を持つ姿が脳裏にちらついたが、やはりどれも違和感がある。


 視線の先のデグは、軽く渦を巻く猫のような茶髪を掻きながら首を傾げている。セラが急かすような声でほら、と言った。


「ほら、とは?」


「だから……お礼だって」


「セラ、どうしたんだ?なんか問題かぁ?」


 そこまで言われて、ようやく理解できた。成る程、デグに対して我が礼を言わないことに腹を立てているのか、こいつは。


「礼も何も……下々が我を助けるのは当たり前であろう」


「…………」


「えーっとな、セラ。いいんだ別に。確かに、困ってる人助けんのは、当たり前だからよぉ」


 柔和にデグが笑った。ほら見たことか。当人がこう言っているのだ。セラはデグを見て、その次に我を睨み、コートを翻して我から離れた。ふん、負け犬の背中だな。

 デグの方に視線を向けると、デグは優しい視線をセラに向けていた。


「セラはなぁ、すっごくいい子なんだ」


「……それは、戦闘面で、ということか?」


「はは、それもあるなぁ。でも、それとは違うんだ」


 笑うデグは、セラの背中を見つめながら続ける。


「人の痛みが分かる、優しい子なんだよぉ。セラは」


「……人の痛みが分かる?」


 さっきだって、ここの入り口の骸骨に祈りを捧げてたしなぁ。とデグは落ち着いた低い声で言う。

 対照的に我は、今までに耳馴染みのない言葉に困惑していた。どういうことだ? 共感性が高いということか? とにかくこやつに聞いた方が早いだろう、とデグに向けて口を開いたが、それより先にシェディエライトが洞窟から出てきた。


「よいしょ……あら、どうかしたのかしら?空気が少し重いけれど」


「いやぁ……まぁ、何でもないよ」


「そう……」


 発言の機会を削がれたことで、質問への意欲が潰えた。半開きの口を閉じて、褐色の肌に付いた砂を払い落とすシェディエライトを見る。


 シェディエライトの髪は色素の薄い茶色で、毛先に進むごとに白に近づいていた。まるで馬だな、と思いながら体に目を移す。黒や紫の薄い布が体を包んでおり、所々肌が露出していた。……セラとは対照的である。

 まるで踊り子のように妖艶な格好をしているシェディエライトは、髪と相反する青の瞳を我に向けた。


「コルベルトさん。今さらだけれど、自己紹介をさせてもらうわね。私はシェディエライト・クルーガー。本名は別にあるのだけれど……まぁ、魔法使いの面倒な点ね」


「ふむ。さっきも名乗った通りヴァチェスタ・ディエ・コルベルトだ。感動のあまりひれ伏しても良いぞ……ん?」


 シェディエライトは……言いにくいのでクルーガーと呼ぶが、我に向けて右手を差し出している。顔の下半分を布で隠されていても分かるくらい、クルーガーの顔はニコニコとしていた。こやつ……。


「なんだ、これは。まさか握手のつもりか?」


「ええ、一応そのつもりよ?」


「この我と直接握手など……傲岸不遜も良いところだぞ」


「あら……それはごめんなさい」


 言葉とは裏腹に、クルーガーの顔は笑顔だ。なんだこいつ。最後の一人を穴の淵から見つめるデグを尻目に、クルーガーに聞いた。


「お前、妙に馴れ馴れしいではないか」


「……貴方って中身はトゲトゲしてるけど、実際に触ってみるとそんなに痛くなさそうなのよね」


「……はぁ?」


「なんか、分かるなぁ。怒ったネズミみたいだ」


「おい貴様、ぶっとばすぞ」


 ネズミだと? ふざけるな。我をネズミと括れる要素がどこにあるというのだ。身長は高い。気高く、美しい。例えるなら竜……百歩譲って獅子くらいなものだ。

 背中を向けたまま、すまんな、と笑うデグに前言を撤回させてやろうとしたが、それより先に穴蔵から一人の男が登ってきた。


 男は腰元の革の鞘に長剣を差しており、海草のような黒髪から砂を払う様子はひどくくたびれていた。


「ふぅ……俺ってあんまり体が強い方じゃないからよ、きついぜまったく」


 その言葉にデグが軽く笑って、男の足元にある縄を回収した。続けてクルーガーが砂漠に出っ張らせていた岩を魔法で引っ込ませる。

 ……その時、クルーガーが魔法を使うときの魔力の流れが見えなかったのが我の中で静かな衝撃となった。


 包み隠さず言えば、驚いて身構えたのだ。情けない話だが、今の我にとって魔法は遥かに遠いところにあるようだ。若干肩を落としながら、我と同じようにため息を吐く男を観察した。


 全体的に筋肉が少なく、その割には背が高いので枯れ木のような印象を受ける。鎧や防具の類いは一切無く、よれた白いシャツと黒いズボン。若干頬骨が浮いた顔には二つの隈が薄く伸びていた。

 我の視線に気づいたらしい男は瞬きをぱちぱちとし、後頭部を掻きながら口を開いた。


「あー……その、なんだ?」


「む?」


「……む? じゃなくてな、俺になんか言いたいことがあんじゃねえかなって思ってよ」


「いや、無いな」


 無いのかよ……。かくっと肩を落とした男は、まあいいよ、と言った。それと同時に遠慮気味な右手が我の方に差し出される。


「俺はデニズっていう。ま、短い間だろうがよろしくな」


「なんだお前らは。揃いも揃って、どれだけ我に触れたいというのだ」


 骨張った手を振り払うと、デニズは驚いた顔をした。こいつらは手を出せば握ってもらえると信じて疑っていないようだ。


「お前の様に低級な者に触れるのを許すほど、我の体は安くないのだ」


「お、おう……」


 全く、見た目で格が違うというのがどうして理解できんのだ。その様子を黙って眺めていたクルーガーが苦笑いで声を張る。


「さあ、みんな。そろそろ帰りましょう? 涼しいのは良いけれど、ここに居たら風邪を引いてしまうわ」


「はいよ」


「了解ぃ」


「……」


「はーい」


「分かりましたー」


 全員がクルーガーの指示に従ってラクダに近づいていく。こいつら、もしかして我がラクダに乗れると思っているのか……? 更に言えばラクダの数が足りない。それもそうだろうな。こいつらは我を救いに来たのではなく、リサとエリーズを救出しに来たのだ。我の分のラクダがあったらそれはそれで恐ろしい。


 どうするべきか、と思い悩んでいると、我の視界の隅に何かがちらついた。


「む?」


 不思議に思い、顔を上げると……その正体はどうやら流れ星のようだった。その姿は夜空の隅、黒の帳の奥に消え果て、我が物顔で光る星座だけが居た。


 こんなに、夜空は星が多かったか? 少し考えて、気がついた。


「星の連なりが違う……が、星座の形は似ているな」


 我は前の世界で星を幾つも消した。それは戯れの延長であったり、酒に酔った気分の果てであったり……眠気覚ましに消し飛ばす事もあった。

 だから、分かるのだ。何度となく空を見たから。何度となく、それらを変えてきたから。それが前の世界のものとは異なるということ……その癖、神々の星座だけは似通った形をしている、ということが。


 じーっと……いつかのように空を眺めていると、夜空に煌めく十二の星座の内、7つがぱたりと煌めいた。それぞれが別の色、別の輝きを内包した光を放ち、それらが我の網膜へと至ったとき――我は、奪われた我自身の感覚を世界中に感じた。


砂の遺跡、吹雪の山脈、何処かの都、洞窟の中、馬車の中、何処かの城の中、荒れ地の真ん中。


 十二の星座はそれぞれ、天空に住まう憎き神どもを表す。神の名を背負い、果てから我らを見下し続ける忌むべき光。故にこそ、我は暇さえあれば星を飛ばしていたのだが――


「あのクソども……いや、今はそんなことなどどうでもいい」


 7つの光が、夜空に灯る。それはそれぞれ、我が仕留め損なった神々の星座の光である。それと同時に、光から感じた共鳴じみた感覚は、間違いなく我の力達の反応である。魂の奥深くで繋がった力達は、それぞれの場所を如実に訴えていた。それが、先程一瞬過った光景だろう。


 そして、感覚で理解が出来ている。その場所というのは、全てこの世界の何処かである。


「くくく……やはり我は偉大だ。やはり神とて、我の力を完全に消滅させることは出来なかったようだな。まあ、当たり前のことではあるが」


 我の力は、どうやらこの世界で散り散りになっているらしい。恐らく、神でさえも奪い取った我の力をどう扱うのか困り果て、消すことも出来ず……その挙げ句に世界のあちこちに散らした、ということだろう。

 

 どうしてわざわざ我と同じ世界に飛んだのか、という点については全く不明瞭だが……欠片が我の存在に引き寄せられたのだろうか? 大きな謎は残るが、それは今更どうでもいい。大事なのは事実である。


「この世界に散り散りとなって、我の力達が眠っている」


 消えていないのだ。我が……世界の頂点へ舞い戻るという希望は消え失せていない。どう手にいれれば良いのかはさっぱりだが、とにかく可能性は有るのだ。

 にやり、と我の口角が黄金比になぞらえた円弧を描く。


「ならば、見つけて取り戻すまでである。天上で嗤う神どもよ、今は精々……笑っているが良い」


 七色の星座の下、金色を背負う我の笑い声が砂に反響した。

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