第2話 魔王と死闘の結末

 結論から言おう。無理だった。


 今、我は砂ゴブリンに引きずられて何処かへ連れていかれている。両手両足には雑な縄。マントを引っ張られているので、首が締まって窒息しそうだ。


「ぐ……もう少し丁重に……」


「グギギ!」


 扱いの改善を求めたが、返答は砂まみれの拳だった。ダメージは一切無いが、心の中に鬱憤と屈辱が菓子の断面のように折り重なっていく。この我が、ゴブリン程度に……。以前ではあり得ない、最悪の大敗だった。神々も手を打って馬鹿笑いをしているだろう。


 最初は、我が優勢だったのだ。流石の我も、力を失った落差や砂漠を数時間彷徨よった疲労だのがあったとしても、ゴブリン数匹には負けぬ。実際、我の拳は身体能力の壁を越えてゴブリンに突き刺さり、何匹かを殺傷した。


 幾ら弱ろうと、我は魔王なのだ。それも、神殺しの魔王である。これぐらい出来なければ……と、そう思っていた時である。


 増援だった。それも、十を越える増援である。運が悪かったのか、残ったゴブリンが何かサインを出したのかは知らぬが、我は熱波に弱りながら唖然としてしまった。

 それでも、我は必死に拳を振るった。体を掴まれぬよう立ち回り、囲まれぬよう足さばきを計算し、速度を補った技巧で戦った。


 喉が渇き、脳が煮えて、重すぎる体と上がり続ける体温を抱えながら戦い……そして顔を上げると、ゴブリンの数は減っていなかった。むしろ、増えてさえいた。それを見た瞬間、文字通り絶句してしまい、その一瞬をついてゴブリンは我を取り押さえたのだ。そのまましばらく袋叩きにされ、最終的に今に至る。


 どうすれば勝てたのか。色々と脳裏で考えることはあったが、どうしても最後にはゴブリンに囲まれて袋叩きにされている我が映る。


 砂漠という環境が良くなかった。よくよく考えれば我は食事も水もとらずに砂漠を何時間も迷った後なのだ。激しく戦い続けるだけの力など殆ど残っていない。元の世界ならば一週間は戦い続けても問題など無いというのに……無様極まりない。色々と足りなすぎるのだ、この体は。


「……水は無いのか」  


 無言で砂を投げつけられた。クソが。代わりに唾でも吐いてやろうかと思ったが、怒りに任せて体内の水分を無駄にするのは理性的とは言えない。更に言えば魔王としての品格を損なう行動だ。……業を煮やされて砂漠に置き去りにされた場合、確実に我は死ぬであろうしな。


 とはいえムカつくものはムカつく。せめてもの反抗で我を縛っている縄に力を込めてみたが、鈍い音を立てただけだった。何故だ。見た目はただの蔦だぞ? その気になれば千本はまとめて引きちぎれるというのに……。


「……腹が減った。食事を出せ」


 また砂を掛けられた。なんだこのゴブリン共。我の美しい金髪や金色の瞳に砂が入ってしまうではないか。さっきから地面を引きずられて入った砂のせいで白い肌が汚れてしまっていた。傷は勿論竜鱗の力で付かないが、汚れは付くのだ。


 時間を確認するつもりで空を見ると、太陽が西の空に沈もうとしていた。目を焼く茜色が自己主張をしている。その光を受けて波打つ砂漠を、ゴブリンにマントを引きずられ進んでいる……。


「……屈辱的だ」


 まるで狩られた野豚のようだ。あまりにも格好がつかなすぎる。どうしようもなくゴブリン達に砂漠を引きずられていると、段々空が暗くなってきた。蜃気楼が眠たげに消えていき、大気が凛と張りつめてくる。


 砂漠の夜はよく冷える。このゴブリン達もそれを知っているのか、空の様子を見て少し駆け足になった。そしてその分我が強く引きずられる。クソが。


 暫く引きずられていると、なにやら目的地に着いたらしく、ゴブリン達の足が止まった。その頃には時刻が夜に変わっており、空にはもう幾つもの一等星達が煌めいていた。幾つか戯れで星を吹き飛ばしたことはあるが、この世界にはきちんと星が煌めいている。

 そんな事を思って星をじっくり眺めようとした途端、ゴブリン達が我の体を掴み、祭のように肩に担いだ。


 おお、漸く我を丁重に扱う気になったか、と思ったが、次の瞬間――ゴブリン共は我を何処かの穴に放り込んだ。結構な高さの縦穴だ。一瞬の浮遊感と共に地面へ叩きつけられる。痛くも痒くもないが、やはり耐え難い屈辱だ。 

 最初より扱いがさらに酷くなっているのではないか?


「おい……だからもう少し丁重に……ん?」


 妙に湿って冷たい石の上で文句を言おうとしたが、その前に目の前に何かがあるのに気がついた。目線だけ動かして見てみると、ぼろ切れをまとった人骨だった。壁に寄りかかるように力尽きている。


「鎖骨が折れている……ここは――」


 言葉を切るようにゴブリン達が縦穴を下って降りてきた。そしてまたもや我のマントを掴んで引っ張っていく。進行方向は真っ暗な洞窟……微かに血の香りが奥から漂っている。進めば進むほど、暗い壁に戦闘痕が残っていた。

 岩肌に生えた苔を腰で削りながら考える。


 ……ああ、間違いない。


「砂ゴブリンの巣穴だな。ここは」


「ギギギ……」


 我の声に呼応するようにゴブリンが声を出した。そして訳のわからないゴブリン同士の会話が始まる。洞窟の門番のような奴と会話しているのだろうか?

 とにかく我にはゴブリン語はさっぱりなので静観する。


 ……まさか、この我がゴブリンの巣穴に誘拐されるとはな。惨めを通り越してもはや呆れが先にくる。どうにか逃げ出してゴブリン共を皆殺しにしてやりたいが、我にはもう堅さ以外の力が消え失せている。こうなれば頭脳でどうにか、と言いたいところだが、生憎我の明晰極まりない頭脳でもこの状況を打開できるとは思えなかった。


 何をするにも素体の力量が足りなすぎる。とはいえここで一生を終えるつもりは毛頭ないので、どうにかせねば。考え込む我を置いて、ゴブリン達は会話を終えて何やら扉を開いた。音からして木の扉……閂を外す音があったから、中々に文明自体は進んでいるらしい。


 扉が開くと共に、嫌な臭いがこちらに逆流してきた。血と汚物……それと形容しがたい不快な香りだ。同時に生暖かい熱気と、幾つものゴブリンの声。


「……全力で逃げ出さなくては」


 胃の中の全てが逆流しそうだ。とはいえ、体内に残っているのはもはや胃液だけだろうが。奥に引きずられながらなんとか両手に力を込め、両足を立てて抵抗するが、あまり意味が無かった。

 もはや我そのものが限界なのだ。長きに渡る水分不足と疲労。食事は大丈夫だが、上の二つはいただけない。


 最早何年ぶりかの目眩等というものを覚えている。そんな状況で何が出来るわけもなく、我は場末の酒場さながらな洞窟へと連れ込まれた。中は予想通り何十のゴブリンが闊歩し、得たいの知れない肉を食らっている。どこからか酒を手にいれたようで、質の低い酒気アルコールの臭いがした。


 偉そうに洞窟には幾つもの松明があり、先程までとはくらいが違う明るさだった。酔いが回ったゴブリンどもの間を横断すると、何処かへ乱暴に放りまれた。


「貴様らいい加減に……」


 ガシャン。我の言葉を遮って目の前で鉄の扉が閉まる。少し驚きながら目の前を見てみると、刑務所を連想させる鉄の扉と格子があった。どういうことだ?流石に文明が云々では説明がつかないぞ?

 砂ゴブリン程度に鉄の牢屋が作れる訳がないからな。取り敢えず座った状態にまで体勢を戻すと、牢屋の中に先客が居ることに気がついた。


「……うむ? そこの者、名乗れ」


「……えーと、名乗るほどのものではないというか、なんというか……」


「どういうことだ? この我が名乗れと申しているだろう。さっさとせよ」


 牢屋の中は明かりがない。それによって出来た小さな暗がりの中で、二つの影が蠢いていた。声からして女のようだ。我の言葉に一瞬たじろいだ様子を見せたが、言葉に従って口を開いた。


「私はエリーズ。こっちはリサ……貴方は?」


「ふむ。例に倣って我も名乗るとしよう。我はヴァチェスタ・ディエ・コルベルト。世界を統べる者。或いは貴き血を継ぐ金色の魔王だ」


「……え?」


「ほら、言ったじゃん……砂漠で分厚いマント着てるなんて頭おかしい奴だって……」


 もう一人の女……リサが小声でエリーズに言った。どれだけ小声で言おうと、我の耳が音を逃すことはない。身体能力を奪われこそすれ、どうやら五感はまともに機能しているようだからな。ゴブリンとの死闘でそれは十分味わった。

 とはいえ、頭が可笑しい呼ばわりをされるのは心外だ。


「……初対面の相手に対して頭が可笑しいとは、随分と無礼な奴であるな」


「あ、えーと……リサが失礼なことを言ってごめんなさい。この子はあんまり包み隠さないから……」


「……確かに失礼かもね。謝るわ。でも、どう考えてもその格好は可笑しいと思うけど。二時間も砂漠に居たら茹で卵になるでしょ?」


 リサは心底不思議そうに言った。確かに、この格好で四時間以上砂漠を歩いて、さすがの我でも思うところはあった。鎖帷子が熱を帯びて拷問道具のようだ、とか、熱が籠りすぎて全身が溶けそうだったとか。とはいえ、この衣装は我の一張羅という奴なのだ。


 それを暑さに負けて脱ぎ捨てるなど、とても王の姿とは思えぬ。何より実質的な価値が同じ重さの金塊に等しいこの装備を捨てるというのは、どうしてもあり得なかった。


「凡俗の者には分からぬだろうが、この服には凄まじい価値がある。それに我は王である。誇りと金を同時に砂漠へ捨てるわけにはいかぬのだ」


「……えーと……うーん」


「……」


 どうやら納得したようだ。エリーズは感嘆の声を上げ、リサに至っては言葉を飲み込んでいる。これこそが王の美学よ。


「……ヤバイね、こいつ。魔石の粉でもやってるんじゃない?」


「こら、直ぐに人に酷いことを言わないの。……確かにちょっと不思議だけど」


 なんだかまた馬鹿にされているような気がしたが、これ以上何かを指摘するのは不格好だろう。それよりも今はここから出ることを考えねばならぬ。取り敢えず拘束を解くところからだな。


「おい、まずは拘束を解くぞ」


「えーと、武器になりそうな物とかは無いけど……どうするのかな?」


 薄暗い中でエリーズが拘束された両手を掲げた。我と同じように乾いた蔦のようなものが巻かれている。見た目はどうにもみすぼらしいが、防御力は折り紙つきだ。我では力ずくでほどくことは出来まい。


 見た目には線が細いリサとエリーズでは我と同様に蔦を引きちぎるのは無理だろう。牢屋の中には特に何もない。……むぅ。


「分からぬ」


「……でしょうね」


「私達も何度か考えたんだけど……思い付かなかったよ」


 そもそも牢屋や拘束というものはそう簡単に抜け出されては困るのだ。逃げないように作られているのだから、この結論に至るのは非常に普通とも言える。とにかく物理的手段は難しそうだ。

 考える我の耳に不快な鳴き声が入ってくる。ええい、うるさいわゴブリンどもが。呑気に酒を喰らいおって……意識すると空腹や喉の渇きが帰ってきた。


「……食い物は無いか」


「無いわね」


「このままだと私達も餓死しそうなくらいだよ……」


「使えぬな……」


 この我が直々に……恥を忍んで頼み事を述べたというのに、全くもって使えぬ女よ。あきれてため息を吐くと、リサが舌打ちと共に口を開いた。


「両手のこれとエリーズが居なかったら、今頃あんたをぶん殴ってるわ」


「雑魚の拳など蚊ほども効かぬよ。そんな戯言を言っている暇があれば何か状況を良くすることを考えろ」


「あぁ、リサ……駄目だって……! 落ち着いて」


 ゴブリン程度に敗北するような相手の拳など怖くは無いわ。恐らく種族は人間であろうし、尚更怖くはない。ごちゃごちゃと煩く絡み合う二人から視線を外して考える。


 牢屋は物置程の広さだが、両手には拘束がされている。出入り口は錆びた鉄……見たところ鍵穴はあるが、鍵を持っている個体は見たことがない。例えここから出られたとしても、目の前ではゴブリンが宴を繰り広げている。先程の戦いの二の舞になりそうだ。


 牢屋の中に居た女二人はどうやら殆ど使えぬようであるし……。


 さあ、本格的にどうするべきなのだろうか。

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