稲荷より、夢と記憶の揺蕩う先で

ユノーリマ

第1話

空気がとても澄み渡っている。

まだ、日の登りきっていない早朝に私は家を出た。今は底冷えのする冬だが、しばらくすれば朗らかな季節となるだろう。

山と空の境界線。狭間に朝日がいる。

誰も歩いていないが、この時期ならではの静けさも好きだったりするのだ。


「ふふ、素敵だわ」


その声すらどこか遠くへ吸い寄せられていくようで……。この時間だけは無口な私の独り言が増える。


早起きして向かっているのはお隣の神社。


「お隣って言っても程があるけれど……」


そう、この村はドが二回つくくらいに田舎だ。

村の人は神社の名を、掠れていて読めないと思い込んでいる。そして入り口に佇む狐の石像と鳥居から連想して単に稲荷神社と呼ぶ。合ってはいるのだけど……。


きっと、字が昔のもの過ぎて解読出来なかったのね。私には読めるのだけど……。


私の名前は瑠璃。

高校三年生を迎えておきながらリア充の一つも経験したことのない女子高生だ。妹がふたりいて面倒見はそれなりに良いと自負している。

だけどこれは今世での、瑠璃としての立場に過ぎない。

誰にも言っていない、言えない隠し事。

私は実の所、二度の前世の記憶を持っている。そんなにいいものじゃない。どちらも悲惨で辛い記憶。


一度目、とある国の姫だった。

姫は大切に育てられ外界のことを知らずにいた。世間知らずな私は身分など分からず、側仕えの男性に恋をした。

男の人は姫の家臣に、身の程知らずな下賤な者、と罵られて姫の目の前で首を落とされた。

あの時の紅を、いまだに覚えている。

姫は周囲を、そして自分を深く呪った。


次は、戦いの時代。敵同士で互いに殺し合った。

私は女だったが、それなりに強かった、

そして互いの心臓を同時に貫いた時、私は前世を思い出した。


そして、三度目。

現代に生きている。今回はどんな風に死を迎えるのか……。

────ジャラジャラ

鈴を鳴らして『永朱縁稲荷神社』の社に手を合わせる。賽銭は五円玉を二つ。

一つはお礼参りの意味を込めて。

幼い頃の私が、あの人に会いたいとお願いしたから。

もう一つは願い事。


(神様、お願い。どうか……………………)


二つ目の願い事をするなんて、欲張りだと理解はしている。それでも、願わずにいられない。

顔を上げて見つめるけど、そこにはいつもと変わらない社があるだけ。

振り向くと十年前から変わらず、苔むした朱の鳥居が立っている。その向こうには果てしなく田畑が続いているだけ。

さて、家に戻って朝ごはんでも食べようかしら。


「ふわぁ〜」


なんて、人がいないと安心して大きなあくびをしていたときだ。


「おはようございます」


「お、おふぁようごふぁいまふ」


振り向くとそこには彼がいた。

懐かしい、だけど悲しい。

彼の名は知らない。ここの神主の息子で、毎朝掃除していることしか。

彼に今世であったのは、ずいぶんと前。


「昔からですよね、ここへ来るの。何か願い事が?」


声は違えど、顔立ちが変わろうとも、笑い方は変わらない。

魂は同じだからかもね。


「ええ、。叶わずに終わるかもしれないけれど、叶えたい願いが」


「そうですか。きっと叶います。この神社は人気ないですが、ご利益はありますから」


静かな境内。

その入り口にある階段へ腰を下ろす。


「そうね。稲荷だし。でも、恐ろしくもあるのよね。お礼参りを忘れたら祟るって聞くわ」


「特に大きな願いが叶えられたらお稲荷さんを。喜びますから」


稲荷のお供えにお稲荷さん。これも有名な話。

二つ目の願いが叶ったなら必ず……。


「永朱縁稲荷神社、よね。縁結びに聞きそうだ、なんて勝手に考えたりしたのだけど……」


「よく分かりましたね。字が古過ぎて村の人は解読出来なかったのに。僕も神社の記録で知ったのに」


「……まぁ古典が好きだから」


嘘半分、事実半分。

古典は前世の常用語。読めて当然。


「当たりですよ、大まかには」


────永遠に朱い縁で繋がらん

永遠の時を、血と同じくらい強く縁を繋ぐ。

それが由来だと教えてくれる。


「でも、文字遊びなんですよね。これ」


彼は、悪戯をする前の子供のように微笑む。

私はそれに引き込まれるように、話の続きに耳を傾ける。 


「そのまま純粋に意味を解すと、縁結びの名を抱く神社。だけど『朱』の字から縦線を一本消すと……」


言う通りに頭の中で字を改訂すると、『永失縁』。縁を永遠に失う……。


「反意になるってこと?」


「いえ、少し違います。結びを願った相手と一緒になれれば永遠にそのまま。でも、良縁とならなければ場合は縁が切れます。永遠に」


思わず勢いよく立ち上がった。

立ち上がったまではよかったが、衝撃のあまり動けない。

縁が切れる……?

嫌だ、そんなの……。


「……だからなんだっていうの。何が言いたいのよ………」


振り向かず、震えた声で問う。

彼からその言葉を告げられたことにショックを隠せない。

おかしいわね。瑠璃として生きると決めた日から、彼への想いは割り切ったのに。出会ってから決意が揺らいでしまうなんて。

例え私しか記憶が無くても好きなものは好き。

せめてこのまま毎朝顔を見るだけの関係でもと思っているのに、あなたがそれを言うというの。


「っ…勘違いさせてしまったならすまない。君のことでなく、その、僕に当てはめて言っただけなんだ……」


慌てたように早矢継ぎに話す。最後の方は小さ過ぎてもはや聞こえなかった。


「そうなの……。でも、それは私にも当てはまることなの。だって私のことはもう、覚えていないのだもの。諦めた方がお互いに幸せになれるかもね」


冷たい風が長く伸びた黒髪をさらっていく目を閉じて微笑を浮かべた。

諦めてしまえればもっと楽になるのかなぁ。


「………後悔したくないんです。迷惑になるかもしれないけど、想いを伝えたいと思います」


心臓が凍りつくかと思った。

ぐっと、目を閉じる。

そうしないと涙を落としそうで。

そうだよね。彼には前世の記憶なんて一切ないもの。今世で新しい想い人がいても不思議ではない。

馬鹿みたい。私だけがずっと想ってたなんて。

いいじゃない。これで踏ん切りが付くわ。

気持ちも前世と切り離せる。そしたらまた好きな人が私にも出来て、記憶を失くして縁が切れて、何もかも………忘れてしまうのかな。

怖い。

気持ちが移ろうのが。

けれど、忘れてしまえば瑠璃としての道を真っ直ぐに歩めるかもしれない。

ここまであなたを想い続けた。だから、私はっ………。

嗚咽が漏れそうになるのを無理矢理に押し殺して階段を駆け降りようとした。

だが、その腕を強く掴まれる。


「待って!」


「なによ!離して、痛いじゃない!!」


「す、すまない」


慌てて離される手。

私は、意地でも振り向かない。見られたら泣いているのがバレてしまう。


「あなたが好きです。付き合って頂けませんか?」


思わず振り向きそうになったが耐えた。


「……それとも僕は嫌われてしまいましたか、告白しようとした途端に逃げられるくらいだからやっぱりダメかな」


「…….嫌とかの前に、私はあなたを全然知らない、あなたもでしょう」


「……」


黙ってしまった。だけど、毎朝僅かな接点があるだけなのだから知る訳もない。


「なら、私を一生かけて幸せにすると誓える?決して離れていかないと、側にいると。それだけの覚悟があるなら、考えてもいい」


我ながら高飛車だ。多分、心のどこかでは彼を離したくないと叫んでいるから……。


「誓う!久遠をかけて一緒にいると」


そう言うなり突然後ろから抱きしめてきた。

ビックリした!

こんなのドラマでしか見たことないし、今世で恋の経験無しの私には恥ずかしいやらなんやら。


「許してくれるか?月夜乃姫、あるいは青海の剣豪」


「っどうしてそれを……」


これには我を忘れ振り向き彼の方を見てしまった。視線が交差する。

その名は、前世の私の……。

今の貴方がなぜ……。


「僕の今世の名は、永朱 迅。前世の名は夜鷹、或いは姫に仕えた者。僕は君が好きだった。もう一度だけでいい。僕に君を愛させて。お願いだ……」


「夜鷹……」


口の中で名前を反芻した。

それは、かつて私に仕えたとても優しい人の、失ってしまった人の名前。

なら、と私もたかを括った。


「嘘……それとも本当なの?私にも前世の記憶があるわ。そして確かに、夜鷹という人を知っていた」


心を落ち着かせるためにトーンを落とす。

でもやっぱり耐えられなかったようだ。気が付いたら、私は夜鷹の腕の中へ飛びついていた。


「今世の名は瑠璃。私もあなたのことをとても慕っていたわ。仕えているなんて思ったことない!同じだと思ってた。そのせいであなたはっ」


震えが止まらなかった。

それは巡り会えたことへの感動かもしれないし、また夜鷹を失うのが怖いからかもしれない。


「それでもまた夜鷹と、迅と一緒にいてもいいの?今度こそ平和に暮らせる?」


抱きしめる力が強くなった。


「何も憂うことはしなくていい。僕が瑠璃を守り、幸せにすると誓う」


「これからは、ずっとずっと一緒よ。大好きっ」


やっと、やっと側にいられる。

でもこれで終わりじゃないし、むしろ人生はまだまだ始まったばかり。やれるだけ楽しんでやるつもりだ。

そして、今世を満喫して終わりを迎えたら、また愛する彼を来世でも探す。

いつまでも終わらない、私と彼の物語。

私たちの物語りを知るのは、私と、彼と、これを読んだあなただけ。

この物語りは一旦終了。

また出会えたらその時は新しい物語りの開幕だ。

それまでさようなら。


─────翌日。社の前には、お稲荷さんが二つ綺麗に並んでいた。

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