アレスの気持ち

 

 アレスに連れられてきたのは辺境伯領騎士団の宿舎の端にある小さめの談話室でした。

 先ほどまでいた執務室からそれなりの距離がありましたが、この場所なら人通りも少なく、中でしている話を聞かれる心配は少ないとアレスは判断したのでしょう。


「さてと」


 談話室に置かれている椅子に座ったところでアレスが口を開きました。


「あの場で言うのが難しそうだったから連れ出したんだが、ここなら大丈夫か? おそらくあの場で父上に話してしまえばそれがほぼ本決まりになってしまうし、あまり乗り気ではない婚約をしたくないのだろう?」


 どうやらアレスは私があの場で言い淀んだことで婚約に乗り気ではないと判断したようです。

 言葉に出せなかった理由は乗り気とかではないのですが、そう切り出した後アレスは少し諦めの表情を浮かべました。


「出来れば正直に言ってくれ。このままでは俺としても、どう判断していいかわからない」

「どう、とは?」

「俺と結婚、いや婚約するのが嫌ならばそう言ってくれ。そうならば俺はすっぱり諦められる」


 諦められるとは?


「いえ、嫌という事はないです。ただ、アレスは私の事を本当に好きなのか、私のために好きでもないのに婚約の話を出しているのではないか、と思ってしまいまして……」

「は?」


 私の言葉を聞いてアレスは理解できない、といった表情を浮かべました。


「それは、……今まで俺が言ったことが嘘だと思っているという事か?」

「こうなる事は元から予想されていましたし、そのための布石ではないかと……思いまして」


 アレスの表情が驚きから怒っているような険しい物に変わっています。どうやら私はアレスの機嫌を損ねるような事を言ってしまったようです。


「レミリアの状況を考えれば、確かにそう取られてもおかしくないのか? いや、普通あの場での告白をそう捉える奴はそう居るとは思えないんだが」


 あの場、というと遠征から戻って来て怪我を治した時でしょうか。あのタイミングで告白されるのは何度も経験がありますし、大体は勢いというか感極まって出て来る言葉なのですよね。なので、あれが本当の気持ちから出ているかどうかの判断は出来ません。


「遠征の後の事でしたら、ああいったことは良くあるので……」

「え? …………ああ、そうか。……そう言えば確かにそうだな」


 辺境軍の方にも同じような事を言われたことがありますし、その場にアレス居たはずですから知らないという事はないでしょう。


「はぁ、まさかここまで通じていないとは思っていなかった。いや、俺がわかるだろうと安易に考えていたせいか。レミリアの立場から考えれば確かに珍しい事ではないかもしれないな」


 アレスはそう言うと視線を下げ盛大にため息を吐きました。そして、気持ちを切り替えるためか、自身の腿を軽くたたくとアレスはすっと顔を上げました。


「レミリア」


 そう私の名前を呼んだアレスの今まで見たことのない程の真剣な眼差しに、私の心臓がドキリと震えたような気がしました。


 

 私を見つめる視線は昔から、お母さまの子供、回復魔法の使い手、聖女といった者を見る目で、私個人を見られたことは殆どありません。近付いてくる人も大体はそれを目的としていて、私というよりもそれに付属する物を見ていただけでした。


 ですが、アレスの視線は……


「俺はお前のことが好きだ。初めてそう言ったのはこの前だが、小さい頃からずっとお前に好意を寄せている」

「え?」


 小さい頃から? そのような事まったく知りませんでした。そのような素振りもありませんでしたし。


「お前は他国の貴族だったし、親が重役を負っていた。将来的にも国内の貴族に嫁ぐことは小さかった俺でも理解できた。だから、一切俺の気持ちは伝えていなかったんだ」

「そう……だったのですか」


 まったく知りませんでした。年に数度だけ会える相手に好意を寄せるというのはどのような感じなのでしょう。私はアレスの事を年に数度会える友人くらいの感覚で会っていたのですが。

 あら? ですが、会えなくなった後も伝書鳥でとは言え、やり取りをしていたのは少なからず好意を持っていたからとも取れますね。同性であれば普通の範疇かもしれませんが、異性となると普通ではないような……。それに私も進んで連絡を取っていたような気もします。


「俺はお前が好きだ」


 咄嗟に出た言葉ではなく真剣な目を向けられて言われると、どうして良いのかわからなくなります。しかし、アレスの真剣な表情から、本心からの告白であることは理解できました。


 どう言葉を返していいのかわかりません。

 アレスにとって私との婚約は負担ではないことがわかったのでうれいは無くなりましたし、アレスの告白を受け入れるのは問題ないのです。ですが、この場合どう返したらよいのでしょうか。


「レミリア?」


 さすがに何も返事を返さないのが気になったのかアレスが問いかけてきます。


「あ……いえ、えっと……」


 本当にどう返事をしたらよいのでしょう。


「嫌ならそう言ってくれ。俺はどんな返事でも受け入れる」

「そ、あ……えっと、ですね。嫌ではないのです。ですけれど、どう返事を返したらよいかよくわからなくて」


 本来ならアレスに聞くべき内容ではないのですが、どうしたらよいかわかりません。

 今までの婚約はほぼ強制だったのでこういう状況にはなりませんでしたし、どう返事をしたら正解なのかわからないのです。


「あー、何だ。少し混乱しているのか? 何時もだったら言わなそうなことも言っている気がするし、あれか。はい、いいえで答えられる感じの方がいいんだな」

「え……えっと」


 アレスの真剣な表情が少し柔らかくなりました。なるべく普段通りにと繕っているつもりだったのですが、どうやら今の私は普段とは違うようです。


「レミリア。俺はお前のことが好きだ。お前が不安に思っていることも理解できるし、俺の事を恋愛対象としてあまり見ていないのも知っている。本当なら少しずつ距離を詰めて行きたいところだが、事情からそうも言っていられない。だから形だけでも俺と婚約してくれないか?」

「形だけ?」


 それはアレスに対して不義理すぎます。


「ああ、少なくともその場しのぎにはなるだろう。それに俺はレミリアがここからいなくなるのはどうあっても嫌だ」

「え?」

「それに形だけで済ませるつもりは一切ない。少しずつでもレミリアが俺の事を好きになってくれるように努力するつもりだ。だからレミリアがここからいなくなるのを俺は許容できない」


 アレスはそう言うとまた真剣な表情になりました。


「俺はお前の事を諦めたくはない。必ず幸せにするしお前の不安は俺がどうにかする。だからレミリア。俺と婚約してくれ」


 そう言ってアレスは手を差し出してきました。


 アレスの言葉を聞いて、少しだけ体が温かくなったような気がします。

 私はアレスのように恋はしていないでしょう。恋愛感情が無いとは思わないけれど少なくとも今、アレスに恋している訳ではないはずです。ですが、アレスの様子を見て何となく受け入れて良いと思いました。

 そうですね。この人は私の事をしっかり見てくれている。受け入れても大丈夫。


「はい」


 そうして私はアレス、アレクシス・グレシアの婚約者になりました。

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