4.Raging Orca

「Ha…………」


 囁くような声がした。

 それで初めて、キーラは正面扉に立つ者の姿に気付いた。

 童子だ。そいつは上下左右にふらつきながらも、サイレンサー付きの銃を握りしめていた。


「A……Ha……」


 声ともいえないほど微かな声で笑っていた。

 その瞬間、気付けばキーラは跳んでいた。テラーとしての異常な脚力を最大に発揮して、一気に階段から正面の大扉へと距離を詰める。

 光すらも吸い込んで、バテンカイトスが唸る。

 断頭台の刃の如きそれが迫るのを見てもなお、童子はかすれた声で笑っていた。

 一撃で首を断ち切った。着地するキーラの背後で、噴水の如く黒ずんだ血が噴き出す。

 瞬間、童子の体は一瞬にして大量のカラスへと変じた。


「何――?」


 キーラは驚愕しつつも襲いかかるカラスを捌き、とっさに大扉の陰へと身を隠した。

 カラスの大群はさながら黒い竜巻と化し、ホールの中央で渦を巻いた。

 耳障りな絶叫がこだまする。黒い雪の如く羽根が降ってくる。

 嘴が無数の死体を瞬く間に骨に変え、爪がシャンデリアの鎖が引きちぎる。


「……ちっ」


 シャンデリアが落下する轟音に、視界が【白】く爆ぜた。

 流石のキーラも思わず眉をしかめ、鈍く痛むこめかみを押さえる。

 落雷にも似たその音にさすがに驚いたのか、カラスの群れが一気に四散する。砕けた硝子や金属片が床に広がる中、黒い群れは高く天井へと舞い上がった。

 そして二度、三度と旋回した後、激流の如く正面の大扉へと抜けていく。


 ――やがて、ホールに静寂が戻った。


 ひらひらと、残された黒い羽根が数枚舞い降りてくる。

 それを払いのけ、無残な姿となった死体を蹴散らして、キーラは扉の影から出る。

 カラスは、もう一匹もいない。

 そして、殺されたオーレリアの姿もない。

 残されたのは黒い羽根と、全身をズタズタに引き裂かれたドアーズの骸だけだった。


 ――気配がした。


 ゆっくりと視線を向けると、ドアーズの死体が次々に燃えていく様が見えた。

 奇妙な色の炎が、音も無く骸を包んでいる。

 やがて【蛍光色】のさざ波が、周囲から走りだした。

 初めはかすかだったそれは徐々に強まり、やがて目に痛いほどの鮮やかさで視界を彩った。

 そして、倒れていた死体に震えが走った。

 ヴィジターだ。どうやら、自分は彼らが物質の体を得る過程を目の当たりにしたらしい。

 そんなことをぼんやりと考えつつ、キーラは人差し指を前へと向ける。


「――ねぇ」


 赤い髪が、白い顔にヴェールの如くかかっている。

 狭間から覗く青黒い瞳はどこまでもうつろで、冥府の闇さえも思わせた。


「聴いているんだろう、ずっと」


 囁くそばから、死体が次々に起き上がっていく。

 アンクの作用からか、完全に虚体となっていない肉体を動かすのは一苦労のようだ。

 手や足をメチャクチャに動かし、何度も痙攣するさまはいっそ滑稽だ。

 そんな景色を無視して、キーラは囁く。


「今、行くから」


 オーレリアが死んだ時の【色】が、いつまでも残っている。

 真夏の陽炎のように揺れながら、視界にフィルターのようにかかっている。

 き、ぃ、ぃ、ぃ――そうして【白】が、脳を突き刺してくる。

 キーラはうつむくと、ゆっくりと息を吸い込んだ。


「お前は絶対に殺す」


 見えない相手を指差したまま。異形の徒と化した亡者の群れの中央で。

 人を噛み殺すために作られたような歯が、剥き出された。

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