2.Killer≠Hero

「……このホテル、今どんな状態?」

「多分……人間界と、ハルキゲニアの狭間にあるの」


 淡々とたずねるキーラに、オーレリアはぽろぽろと涙を零しつつ答えた。


「二つの世界は、重なり合って存在しているの……電気や水道がまだ使えるのは、たぶん人間界との繋がりが消えていないから。建物が変な形になっているのは……」

「ハルキゲニアの影響?」

「そう……ハルキゲニアの空気は、あらゆる物をおかしくする……変えてしまう……」


 あの錠剤男もその影響だろうか。

 男の死に様を思い出しつつ、キーラは涼しい顔でホットチョコレートを飲む。

 一方のオーレリアは頭を抱え込み、絶望に打ちひしがれていた。


「ナオミ先生さえいれば、まだ……でも、先生は死んでしまった……残ったのは、こんなに使えないオーレリア……足手まとい、できそこない、いない方がマシ……」

「そこまで卑下しなくてもいいんじゃないか?」

「……貴女は、外れを引いたの」


 力無く頭を振り、オーレリアは消え入りそうな声で言う。


「貴女は……こんな場所で、ろくに戦えないメイジを見つけたのよ……」

「でも、君は大当たりを引いたよ」


 淡々としたキーラの言葉に、オーレリアは顔を上げる。

 キーラはホットチョコレートを飲み干すと、椅子から立ち上がった。


火の眼の女ドラゴン千人隊長グランドマスター死線の紡ぎ手タランテラ・フリーク冷たい躍動バジリスク……この世に数多ひしめく超常殺人鬼たち」


 かつての同業者達の名を――異常な殺人鬼の名を、キーラは流れるような口調で語る。

 そうして、ベッドの傍に立った。

 色とりどりのクラゲが舞う景色は美しく、幻想的にさえ見える。その中央で身を縮めるオーレリアの瞳は涙に濡れ、すっかり憔悴しきった様子だった。


「その中で――今宵今晩、君は私に出会った」


 抑揚のない声でキーラは言って、群青の瞳をすっと細める。


嗤う殺人鯨グリニング・オルカ……私が、君を脅かす者を殺してやろう」


 差し出された手を――オーレリアは、取らなかった。

 オーレリアは大きな瞳を見開いたまま、ぎゅっと毛布を握りしめる。


「殺人鬼……なの? 人を、殺すの……?」

「うん、殺すよ。そういう欲求を持っているから」


 握られなかった手を降ろしつつ、キーラは事も無げにうなずいた。

 オーレリアは小刻みに震えながら、相も変わらず無表情のキーラを見上げた。


「聞いたことが、ある……貴女達のようなもののこと……人間の中でも、特異な……」

「へぇ、それは興味深いな。君達は私達のこと、なんて呼んでいるの?」

「天敵……人喰い……殺す者……終わらせるもの……」


 オーレリアは喘ぐように言って、身をすくめる。


「人間という種の完成形……メイジとは、違う進化をした人類……そう、聞いた」

「なるほど。私達をそう認識しているのか」


 キーラは両手の指をすり合せると、ゆっくりとうなずいた。


「あながち間違いではない。……まぁ、少なくとも私は人喰いじゃないけどさ」

「それで……あ、あの……」


 オーレリアはぷるぷると震えながら、言葉に迷うそぶりをみせた。クラゲによって淡く照らされたこめかみには、うっすらと冷や汗が滲んでいるのが見える。


「特殊な能力と……さ、さ、殺傷行為への……強い欲求を、持つって……」

「欲求というか……これは闘争本能に近いのかもしれない」


 キーラは、無意識のうちに口元に触れた。

 いままで何人殺したかなど、覚えていない。

 ざっと思い返すだけでも、キーラの今までの人生は赤い血と白い骨によって彩られている。

 数多の脳漿を晒した。数多の心臓を貫いた。数多の頸動脈を切り裂いた。

 銃弾を躱し、ナイフを潜り抜け――そんな生死のやりとりを、幾度も繰り返した。


「嫌いじゃないよ、殺すの」


 シャチに酷似した歯が、愉悦の形に歪んだ。

 ばたばたと慌ただしい音が聞こえた。見ればオーレリアが、ベッドから落下している。

 痛そうに呻いていた彼女はキーラと目が合った途端に顔色を変え、震えだした。


「こ、ここ、こ、ころさないで……」

「殺さないよ。失敬だな」


 キーラはため息を吐くと、がたがたと震えるオーレリアに手を伸ばした。

 そうして、乱れた髪を軽く梳いて整えてやる。


「むやみやたらに殺さない。君らだってそうだろう? 食欲があっても食事の時や場所は選ぶし、性欲があっても手当たり次第にヤるわけじゃないだろう」

「ヤ、ヤ、ヤヤ、ヤ……」

「発散の手段はいくらでもあるし……殺人に関しては、私達は人間よりもむしろ理性的だ」


 顔を真っ赤にして震えるオーレリアの前に、キーラは膝をつく。

 そして、再びそっと手を差し伸べる。


「それにさっき言っただろう。君の脅威を殺す……と」


 オーレリアは涙に濡れた眼を見開いたまま、差し伸べられた手をじっと見つめた。

 自分の肩を抱き締め、何度もキーラと手とを見る。


「……あ、貴女の望みは何? どうして、わたしを助けてくれたの?」

「絵のモデルになってほしい」


 キーラは、いつになく声に力を込めた。

 一瞬、オーレリアはきょとんとした顔になる。しかし、すぐその頬は真っ赤に染まった。


「モ、モデル……? な、なんで? なんで、わたし……?」

「君をぜひ描きたいと思った」

「だ、だから、なんで……? わ、わたし、こんなに不細工なのに……」

「君の周囲が君をどう評価したのかなんて知らないし、私からすると至極どうでもいい。いいか、私は画家だ。殺人鬼ではあるが、本業は画家なんだよ」


 キーラは早口で言い切ると、オーレリアの肩に手を置いた。

 触れた瞬間、細い肩はびくっと跳ね上がる。しかし払いのけられることはなかった。オーレリアは涙に煌めく瞳を揺らし、キーラを見つめた。


「……人間を描きたいと思ったことなんて、一度もなかったんだ」


 キーラは、うつむいた。

 床を見下ろす群青色の瞳は、硝子球のように感情がない。光を吸い込むような瞳を一瞬だけまぶたの下に隠し、一呼吸の後でキーラは顔を上げた。


「私は、心惹かれるものを描きたい――それだけだよ」


 オーレリアはアイスブルーの瞳を落ち着きなく揺らして、何度か口を開いた。

 やがてぎゅっと唇を噛むと、彼女はうなだれた。


「……あの……考えさせて、ください……えっと、ウェルズさん」

「キーラでいい。畏まらなくていい。……君の意思に任せるが、良い回答を期待している」


 か細いオーレリアの声にうなずいて、キーラは唇だけで一瞬笑った。

 そうして三度手を差し伸べると、オーレリアはおずおずとそれを握りしめてきた。その手を引き、キーラはオーレリアを立たせてやった。


「君の回答がどうあれ……まずはこの状況をどうにかしなければならないな」

「無事な人は、ほとんどいないかもしれない……」


 哀しげに目を伏せるオーレリアに、キーラは首を傾げる。


「魔法を使えない人間は、この空間には耐えられないのかい?」

「ええ……最初の落下で、ほとんどが死んでしまったかも。たとえ生き延びたとしても、ハルキゲニアの空気に蝕まれる……精神も、肉体も」

「……なるほど。道理で静かなわけだ」


 オーレリアの言葉を受け、キーラは聴覚に意識を集中させた。

 少なくとも三階全体の音は聴き取れる。四階と二階の音もそれなりに。四階から上の音は混ざり合っていたり、そもそも聞こえなかったりで、あまり自信がない。

 そんなキーラの耳には、ホテルは奇妙に静かに感じられた。

 変異の影響か、全体から軋むような音は常に聞こえる。

 そして、明らかに人ならざる何かが這いずり回っているような気配も感じられた。


「……少なくとも、この近くに人間はいないようだ」

「ここはメイジにとっても過酷な環境なの……」


 ゆるゆると首を振ると、オーレリアは自分の肩をきつく抱き締めた。


「まして、適性のない人間では――」

「なるほど。それを聞いて、今後の方針が定まった」

「……どうするのですか?」

「今日はもう寝る」


 オーレリアは呆気にとられた。

 キーラはそれで会話は完了したとばかりに、すたすたと部屋を出て行った。


「ま、ま、待って!」


 我に返ったオーレリアが転がるようにして部屋を出る。

 大量のクラゲ達をまとわりつかせる彼女に、キーラは無表情で振り返った。


「どうしたの?」

「ど、ど、どうしたもこうしたも……! ね、寝るって一体!」

「休息は大切だよ」


 言いながら、キーラはミニバーの棚からティーカップとティーポットを取り出した。


「君の話で、少なくともこの部屋は当面は安全だとわかった。ここで朝まで休む。――もう日付も変わっている。茶を飲んだら、シャワーを浴びて休もう」

「でも、生きている人が……!」

「いるかもしれないし、いないかもしれない」


 キーラは言いながら、ヤカンを携帯用ガスコンロの火に掛けた。


「いたところで、おかしくなっているかもしれない。――私はヒーローではなく、あくまでただの画家で殺人鬼だ。他人のために命を張る趣味はないね」

「で、でも……わたしのこと、助けてくれた……」

「救える命には限りがある」


 キーラは振り返り、クラゲの群れの只中にいるオーレリアと視線を合わせた。

 カウンターにもたれかかり、キーラは腕を組む。


「私達が無謀を働くことで、確実に救えた命が救えなくなるかもしれない。――さっき、メイジにとっても過酷な空間だといったね。なら君も、休める時に休むべきだ」

「わ、わたしは……休んだところで、なんの役にも……」


 キーラはオーレリアに歩み寄ると、自己否定しようとするその唇に人差し指を当てた。

 オーレリアはぱちぱちとまばたきして、一気に真っ赤になった。


「な、なな、ななな、な……」

「君がいなければ困る」


 ぷるぷると震え出すオーレリアに対し、キーラはリビングのテーブルを示す。

 そこには、青い紋様の輝く包丁が置かれていた。


「少なくとも少し手こずる。――ひとまず君はそこで、チョコレートを飲んでいるといい」

「は、い……はい、はい……」


 オーレリアは何度かうなずくと、いそいそと部屋に戻っていった。恐らく、ホットチョコレートのマグカップを取りに戻ったのだろう。

 湯が沸騰するのを待ちながら、キーラはあちこちの書類をひっくり返し始めた。


「ホテルの詳細な地図か何か……あるいは使えるものがあればいいんだが」

「あの……わたし達は、自分達のことをメイジと呼ぶわ」


 マグカップを手に戻ってきたオーレリアが、おずおずとキーラに声を掛けた。


「あなた達は……自分達のことを、なんと呼ぶの?」

「いろいろだよ」


 そこで、キーラはふと外が暗くなっていることに気付いた。

 カーテンを開けると、鮮やかなインディゴブルーの空が目の前に広がった。

 暗色の雲が奇怪な渦を巻き、あちこちに白い星が光るのが見える。天頂には先ほどまでの赤い太陽に代わって、不気味なほど巨大な黄色い月が輝いていた。

 どうやら、こちらでは夜になったらしい。

 妖しい空模様を眺めながら、キーラは流れるような口調で語る。


「使徒、超人、殺人鬼、進化人類……人それぞれだ。よく使われる呼称はあるけど」

「……どんな呼称?」


 カーテンに手を掛けた状態で、キーラは振り返った。

 異界の月光に照らされた相貌は、人間のものとは思えぬほどに美しい。硝子玉のような群青の瞳にオーレリアを映し、キーラは口を開いた。

 その口に一瞬だけ鋭利な歯が覗くのを見て、オーレリアはびくっと身を震わせる。


「――テラー。よく、そう呼ばれる」


『根源的な恐怖』を意味する言葉で、自分達は総称される――。


 抑揚のない声でそう言うと、キーラはカーテンを閉めた。湯の沸く音が響きだした。

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