3.音に【色】を視る者

「――僕達はテンペストヒルから来たんですよ。シカゴの近くの街です」


 シドニーの声が延々と響いている。

 一階のラウンジには革張りの肘掛け椅子やテーブルが並び、客人達がくつろげる空間になっていた。奥には太陽像のレリーフと、大きな暖炉が燃えている。

 裕福そうな男と、頭痛薬を数えている顔色の悪い男、黒一色に身を包んだ女性――夕食前の中途半端な時間のせいか、客の入りはまばらだ。

 キーラは暖炉の傍に陣取り、延々とコーヒーをかき混ぜていた。

 すぐ近くでは、ティーポットとビスケットを共にしたレティシアが読書に勤しんでいる。


「そこでギロチンクラブっていうバーをやってましてね」


 シドニーはというと、さっそく友達を作ったようだ。


「我ながら良い店でしてねぇ。……あ、これが画像です。良い感じでしょ? で、僕がここの店長兼バーメイドで、あそこで本読んでるレティがウェイトレスなんです」

「ほうほう、なるほど! 美女二人のお店というわけですか!」


 身振り手振りも交えて語るシドニーに、恰幅の良い紳士が感嘆の声を上げる。


「テンペストヒルには、わたくしもよく通うんですよ。まったく、あそこは実に良い街だ。シカゴに近いだけあって、ステーキが絶品ですな」

「ドーナツも最高ですよー! 僕は特にメープルベーコンをオススメしますね!」

「ハッハッハ! メープルベーコンドーナツ! あれは一回は食べた方が良いですな!」

「一回と言わず毎日食べるべき一品ですよー! あっはっは!」

「ハッハッハ!」「あっはっは!」

「……何をどうすればこの短時間であそこまで仲良くなるのかな?」


 ぼそりと疑問を口にするキーラに、レティシアはページをめくりながら唇を歪めた。


「あの子、外面だけは本当に良いのよ……ホント、面倒なことにね」

「にしても、ここまでの盛り上がりはいっそ興味深いな」


 カップをかき混ぜつつ、キーラはじっとシドニーと紳士を観察する。


「……単純に、あの二人の相性が良いだけか?」

「知らない。――あとしばらく黙ってて。邪魔したら殺す」


 キーラは口を閉じた。

 ちょうどその時、シドニー達の話の矛先がキーラへと向いた。


「キーラ・ウェルズ? ――キーラ・ウェルズ! あ、あの、画家の!」

「え、マジ? ご存知なんで?」


 やや呆気にとられるシドニーをよそに、紳士が勢いよく立ち上がった。

 紳士は興奮に顔を紅潮させ、大股でキーラのそばに歩み寄ってきた。


「ごきげんよう! わたくしはロバート・シンプソンと申します! ニューヨークで製薬会社をやっている者です! まさかここでお会いできるとは……!」

「……はぁ、どうも」


 キーラはとりあえず立ち上がり、ロバートと握手を交した。


「知人の画廊で貴女の『赤の幻覚D』を見て、一気に虜になりましてな!」


 握りしめた手を激しく振りながら、ロバートは熱心に語る。


「それからは貴女の絵にどっぷりですよ! 幻覚シリーズも素晴しいですが、昨年発表された『楽園島』は特に良い! 独特な色彩感覚が克明に現われている!」

「なるほど……」


 振られすぎて痛む手首をさすりながら、キーラはしげしげとロバートを見つめる。

 恰幅の良い男だ。肥満ではなく、筋肉による厚みだろう。

 茶髪で、眼は水色。恐らくは四、五十代。仕立てのいいツイードのスーツに、琥珀のタイピン、手首にはごつい腕時計と、いかにも裕福そうだ。

 そして――――キーラは耳に触れつつ、目を細める。


「……透明」

「ム、どうされました?」

「いえ、なんでも。――ずいぶん、私の作品をお気に召したようですね」


 一瞬首を傾げたロバートだったが、キーラの言葉にすぐに笑顔でうなずいた。


「ええ、ええ! 実を言いますと、二作購入させていただいたんですよ! 『赤の幻覚F』と『骨とワインのある風景』! あれらを特に気に入りまして……」

「なるほど――ところで、貴方はもしや精神になんらかの異常をお持ちで?」


 空気が凍り付いた。

 薪のパチパチと爆ぜる音だけがよく聞こえた。

 それまで読書に没頭していたレティシアが、青ざめた顔で本を閉じた。


「ちょっと、あんた……!」

「私の作品を『気に入った』なんて抜かす人間なんていうものは、たいてい二通りです」


 レティシアの言葉も無視して、キーラは指を二本立てる。


「一つ、アングラ趣味を持っていることをひけらかしたいだけの人間……この人間は私の作品ではなく、そんな作品を気に入っているという自分に酔っているだけに過ぎない」


 流れるような口調で言ってから、キーラはすっと目を細める。


「しかし、どうやら貴方の言葉はどうやら本心からのもののようだ。透き通っていますから」

「……透き通っている?」


 黙りこくっていたロバートが片眉を上げた。


「透明です」キーラはうなずくと、自分の左目に人差し指と中指を添えた。



「……先ほど、私の色彩感覚が独特と仰いましたね。あながち間違いではございません。私はまぁ……有体に言うなら『共感覚』を持っておりまして」

「フム……共感覚とは……確か……」


 顎髭を撫でるロバートを――正確には、彼の『色』を、キーラは無機質な瞳で見つめた。


 ――さざ波が、走った。


「確か、『文字に色を感じる』とかいうアレですかな?」


 たとえるなら色彩の波紋――白い画用紙に一滴だけ落とした水彩絵の具の雫。

 ロバートが口を開くたびに、【色】がその周囲に丸く滲む。年代物のウィスキーにも似たその【色】を眺めつつ、キーラはうなずいた。


「私の場合は『色聴』――つまり、音に色を視ます」


 ロバートだけではない。

 一度意識を向けると、周囲から聞こえる様々な【色】が視界に飛び込んでくる。

 燃える暖炉の【赤】、アンティークの椅子の【褐色】の軋み、【灰】や【黒】の足音――。


「……もっとも頭が疲れるので、普段はあまり視ないようにしているのです」


 キーラは、ゆっくりとまばたきをした。

 途端、【色】は霧散していく。軽く目頭を揉みつつ、キーラは肩をすくめる。


「――この感覚によって、相手の発した言葉は本音かどうかの判断がつきます。貴方の言葉に濁りはなかった。つまり、貴方は本心から私の作品を気に入っている」

「だから私は正気ではないと?」

「はい。私の作品を気に入る人間なんて、おおよそろくな人間ではありません」


 はっきりと言い切るキーラに対し、ロバートは無言でうつむいた。


「す、すみません!」


 椅子を蹴飛ばすようにして、シドニーが慌てた様子で立ち上がった。


「こいつ、全ッ然人の心とか理解できない奴なんですよ! 空気読めないというか――!」

「セラピーかなにかを受けた方がよろしいと思いますよ」

「あんたは黙ってなさい!」


 真顔で言葉を続けるキーラを、レティシアが押し殺した声で制する。

 ロバートは、大きく一つ息を吐いた。


「――すばらしい!」


 歓声とともに、ばっとロバートが顔を上げる。その顔は、喜色満面と言った様子だった。


「は?」「すばらしい! すばらしい! すばらしい!」


 無表情で間の抜けた声を漏らすキーラの手を掴み、ロバートは激しく振った。


「それでこそキーラ・ウェルズだ! 狂気と正気の狭間の画家! 思っていたとおりのお人だ! そうだ、サインを! サインを頂いてもよろしいですかな!」

「はあ……」


 ロバートに押しつけられた手帳を、キーラはとりあえず受け取った。

 気の抜けた顔でシドニーが椅子に崩れ落ちる。レティシアもため息を吐き、再び本を開いた。


「ありがたい! できれば写真もお願いしてもよろしいですかな!」

「いや、私は女優ではなくしがない画家なので……」

「――ほう。興味深いね」


 鍵穴の印の付いた表紙を開いたところで、女の声が割り込んだ。

 視線を上げると、笑う女の顔が見えた。

 艶やかな黒髪を、腰まで伸ばしている。瞳もまた漆黒で、暖炉の火を受けてオニキスのように煌めいてみえた。微笑を湛えた唇には、紫の色を差していた。

 白い肌に纏うのは紫のブラウスに黒のパンツ。左胸に、薔薇のコサージュを着けている。


「つまり君は、相手の嘘がわかるのかね?」


 女は、キーラに人差し指を向ける。爪も黒く塗られている。よっぽど黒が好きらしい。

「貴女は――」「貴女は?」


 ロバートが息を飲み、キーラは眉をひそめた。

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