第十六話 昼間その子は神社にいない

 臨時バス停が近づいてくれば有線らしき賑やかなBGMが、風に乗って聞こえてくる。

 海岸通りにはなにもない。ずっと堤防で海が青い。

 テトラポットの先に続く砂浜で、何人かがのんびり浜釣りをしている。バスの窓から白いテントが見える。

 ここから漁港の波止場まで、今日は通行規制がかかっている。知ってはいるが、年取った運転手は丁寧に教えてくれた。

「祭りが終わる時間には二本ほど便が出るから、乗り遅れんようにね」と言ってチラシも渡してくれた。裏に帰りの時刻表も書いてある。

 頭を下げてバスを降りた彼女が、なるべく日陰になるよう車線を渡って、山際の白線が引いてあるだけの歩道に移る。車も来ない。

 てくてくと道なりに歩いていけば、そのうち人も多くなってきて。

 通りに並ぶ露天も増えてきた。

 焼きとうもろこしの匂いがする。

 そこまで暑くもないが日差しは強い、帽子をかぶってくればよかったと思いながら、彼女はだんだんと混み合ってくる道を会場の方へと歩いていった。





「小学校の頃から一緒でさ、腐れ縁よね」

 結局、利賀とがは八津坂に連行されてしまった。

 縮こまってパイプ椅子に座る彼を横目で見ながら喋るのは、地元の漁協に勤めているらしい新村にいむら恭子きょうこだ。

 どちらかといえばひょろっと細長いオタク気質の利賀に、こんな健康的な彼女がいたのに碧が驚いたが、幼馴染らしいのだ。しかも。

「昔はこいつがさ、あたしを引っ張って、そこの神社とか裏山とか連れて行ってたんよ」

「え。利賀さんが? ホントですか?」

「そうよ釣りとかもしてたし。中学入ってからよゲームばっかりしだして、家から出んようになったんは」

 ちょっとだけ訛りのある恭子に利賀が反論する。

「いやでもそれで店も持てたんだし」

「もう売れとらんやない。時代が違うって」

「まあまあ。出します。観てみますから」

 話が長くなりそうだったので碧が仲裁に入ってカードを切る。

 しゃっしゃっとカットする彼の指先に、ぐうっと二人が注視して。

「じゃあ。まず利賀さんの現状。総合で」


 出たのは。

  死神 逆位置

 のカードだ。


 その絵面に二人が、そして横で見ていた八津坂も。

 うえっと顔が引いた。

 それ見たことかと恭子が言う。

「ほらあ。死ぬからねアンタ」

「死ぬのッ? なんで?」

「貧乏で」「貧乏でッ?」

「死にませんって」

 碧が苦笑した。

「死神ってそこまで悪いカードじゃないんですよ」

「え。そなの?」

「正位置なら〝多少の痛みは伴うだろう、今は生まれ変わりの時である〟とか。そんな感じですね」

「逆なら? 逆よね」恭子が指差す。

 ちょっと碧が困った顔で。

「……〝このまま機会を逃すのか?〟と」

「しゃああっ! ほらあっ!」

 なぜか恭子が二の腕をぐっとあげて。逆に口を開けっぱなしの利賀が。

「ホントに? 状況見て言ってない碧ちゃん?」

「なんで先生疑うの大輔あんた。出てるやんちゃんとお。」

「まあまあ。じゃ次は新村さんのカード」

 え? と恭子が真顔になって。

「い、いやあたしのんは別に」

「お二人の将来だから、出さないとですね」

「そ、そお? うーん。じゃあ」

 今度は利賀に合わせて恭子まで肩がかしこまるので。

 横で見ている八津坂が、可笑しいのをこらえているようだ。

 ぺ、と。


  女帝


 めくったまま。碧がしばし固まって。

 その顔とオモテになったカードを、肩の張った二人が交互に見て。


「——妊娠?」

 碧の言葉にぶわあああっと恭子の顔が真っ赤になった。

 逆に首を前に突き出した利賀が。唐突に。

「いやいや。いや! それはない。ね、それはないって碧ちゃん! だって俺ちゃんと付けてるもん! いつも付けてるし!」

 ばたばた手を振る利賀の横で。

 八津坂まで真っ赤になって両手で口を覆う。

「恭子! こないだもちゃんと買ったよね俺!」

 すぱあんッ! といい音がして。

「痛あッ!」

 もう耳まで赤くなった恭子が利賀の頭を思い切りはたく。

「うるっさいッ! 付けてる自慢するなッ!」

 口を隠しても照れ笑いしてるのがわかる八津坂は、パイプ椅子でふわふわ左右に揺れたままだ。碧も困って頭を掻いた。



 話を聞けば簡単なことで。

 どうやら、恭子の同僚が産休に入ったらしいのだ。

 似たような年齢のその子のお腹が日が経つに連れて大きくなっていくのを大変だなあと思う反面、それはやっぱり。

「うらやましいし、焦るじゃん。ねえ」

 うんうんうんと同意して頷くのは八津坂だ。

 利賀はすっかり借りてきた猫のようだ。


 碧はカードに出たままのことを言うだけで。

「死神に女帝だから、カードがでかいですよね」

「でかい?」「でかいの?」


「そうです。フルデッキのタロットには大アルカナ、小アルカナ、コートカードがあります。小アルカナは数札で運命が順々にわかりやすく動く時ですね、わかりやすいけど状況は、環境に左右されがちで変化させづらいです」

 碧の説明を男女ふたりと隣の八津坂まで、ふんふんと熱心に聞く。

「コートカードはトランプでいう絵札。キングとクイーン、ナイトとペイジですね。本人の意思や感情が、場に優勢な時、かな」

「へえ。これは?」

「大アルカナは、これこそ時とタイミングです。人生において大事な時、決断の時、本人の気持ちに加えて〝運気〟が必要な時を意味します。だからタロットは、運気運勢の鑑定なら大アルカナ二十二枚でも可能です。フルデッキで大アルカナが集中するなら——まあ、動き時でしょうね」

「動き時……」

「女帝は結婚とか妊娠とかですね」

 わっと女性陣二人が利賀の頭越しにハイタッチするのだ。

 当の本人は、碧に鼻先を近づけて。

 小声で。

「……他人事ひとごとと思って……」

「僕は観るだけ。決めるのはご自身で」

 碧がにっこり微笑んだ。





 少し吹き下ろしの風に変わった山裾の、社務所の脇に並んで干された洗濯物は乾いたようだ。

 ぱんぱんと老婆が叩いて取り込んでいく後ろから、石段を登ってきた彼女は声をかけた。

「ただいま」

 真っ白な干し物を叩く節くれた手が止まる。

 振り向いた老婆が少し驚いた顔で。

「——夏絵? 来てたのかい?」

 ちょっと申し訳なさそうに、女性が笑って頷く。

 老婆はプラスチックの籠に洗濯物を放り込んで、数歩寄って。

「身体は大丈夫なのかい? まさか駅から歩いてきたんじゃないだろうね? 連絡すりゃあ迎えに行ったのに」

「今日はお祭りで忙しいでしょ、みんな」

「そんなのどうにでもなるじゃないか。入りな。ほら」

 まだ残った洗濯物が、風にはたはた揺れている。


 居間の大きな座卓に正座して夏絵が外を見る。

 そう広くない境内も昔のままだ、田舎は時間が止まったかのようだ。

 からからとグラスに注がれた冷茶の氷が音をさせて。台所から戻った老婆が盆を卓に置いて言う。

「さとるは友達と遊びに出とるよ。港に行くと言っとった。祭りなんだからね、夕方には帰ってくると思うけどね」

「そうだよね——ありがと」

「来るなら前もって電話すればいいじゃないか」

「……うん、ちょっと。携帯、調子悪くて」

 グラスを持った手が止まる。夏絵が嘘をつく。

 老婆がちらと目をあげて。

「いいさ。晩飯いっしょに食ってくんだろ?」

 だが娘が緩く首を振るので。

「食わないのかい? 会わないつもりかい?」

「午後の列車で帰んないと」

「そんなあんた、せっかく来たのに二時間かそこらしかないじゃないか」

「会えたらよかったんだけど。明日はまた病院だから」

 そう言いながらトートバッグから財布を出して。

 抜き出したのは二千円だ。

「これ。あの子のお小遣いに」

「いやあんた」「お願い」

 折り目を広げて両手でテーブルに差し出すお金を。

 老婆が一息吐いて受け取って。箪笥に仕舞いに立って。

 

 目を伏せる夏絵はわからない。会いたいのか、会いたくないのか。

 今の自分が息子に会って、何かしてやれるのか?

「夏絵」

 箪笥から戻った老婆に呼ばれて、顔を上げた彼女に。

 今度は老婆が小さく折った一万円札を握らせる。

「そんな。お母さん」

「持ってきな、いいから」「でも」

「あまり難しいこと考えんでいい。ひとにも、自分にもね。顔見せるだけでも喜ぶに決まってるじゃないか。これで携帯、繋ぎな」

「……ごめんなさい」

「謝ることあるかね。ちょっとぐらい会えればいいけどねえ」

 老婆が柱の掛け時計を見る。





 早めの昼食時に碧が言っていた通り、午後からは占いのブースも結構な混雑ぶりだった。

 だがすいすいと。カード捌きはいよいよ早い。

 もともと碧は数々のイベントを一人でこなしているのだ、そうそう手が滞ることはない。ただ八津坂のサポートも有り難かった。

「えっと、それじゃあねえ……」

「あ。そろそろお時間です」

 笑顔で横から八津坂が声かけをするのだ。

 いつも碧はこれが言えないので助かる。

「あらあ、残念」と客が名残惜しそうに席を立つ脇で、ちらと八津坂だけに見えるよう親指を立てるのだ。

 ちょっと手隙になったところで八津坂が、隣を覗けばぼちぼち客が入っていた。

 店番は恭子だ。何人かの客に笑って話しかけている。

 話術は上手いのではないだろうか。

「お店、手伝ったりするんです?」

「たまにね。——またよくこんだけ、売れそうもないもの選んで持ってくるなあ。才能だわ」

 悪態をつく恭子と一緒に、手の空いた八津坂が段ボールを片付ける。

 まあ、みごとに興味を惹かれない。がさがさと漁って。

「うきゃっ」と奇声が漏れた。

 箱の奥に中古らしき、女子高生が見つけたら完全にアウトなエロゲーらしきDVDの束が出てきて。手に取った八津坂がまじまじと両面を見て。

「ひやあああああ」

「どしたの……うわあ。ナニ考えてんフリマで捕まる気か?」

 DVDに埋もれた下に見える古ぼけたモニタには『浅い/深い』だのボタンがついていて。

 もうなんだか八津坂が困ってしまって。触れるのに躊躇して。

「こ、これって? なんでしょう」

「うん?——ああ。魚探ね」

「ぎょたん?」「魚群探知機。釣りの」

 顔を見合わせて。視線を外した八津坂の顔がとても赤い。

「なんかアヤシいグッズかと思った?」

「いえ……」「うーん?」

 ふるふると髪を揺らす八津坂の肩を横から、恭子がつんつん突つくのだ。

 




 当の店主の利賀はというと、煙草を吸ってくる名目で店から抜け出したままふらふら波止場を歩いていた。

 メイン会場のこちらは賑やかで人も多い。三世代でテーブルにまとまって遅い昼食を食べている家族もいる。

 喫煙所は堤防の端だ。最近は肩身がせまい。

 ふうと煙を吐いて見渡して。

 くわえ煙草のまま防波堤のコンクリを登る。

 慣れたものだ。小さい頃もよく登った。

 堤防に上がれば遠くまで海が青い。

 この辺りは波止場で深いが、ちょっと離れた向こうは砂浜だ。

 何人かの子供連れが遊んでいるのが見える。三角の凧も上がっている。

「家族ねえ……」

 ごそごそデニムのポケットから携帯灰皿を取り出して火を消して。

 そのまま焼けたコンクリに腰を下ろして足を投げ出して。

「もうちょい、稼ぎがあればなあ」

 思い出した。もっと仕事のこと占ってもらえばよかった。

 また戻ったらカード引いてもらおうかな、と。その時。


「あ。うれないおにいさん」

「うえ?」

 見覚えのある子だ。確か神社に住んでる子じゃなかったろうか?

「なんだよ売れないお兄さんって」

「ばあちゃんがいってたんだよ。きょうは、うれないおにいさんと、うらないのおにいさんが、ならんでるからって」

 横にきた少年に。

 うまいこと言ったつもりかッ。と。利賀が肩を落とすのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る