鑑定4 港祭りに西の風が吹いて

第十五話 隣の店は調子が悪い

 陽が差し込むローカル線の一番ホームの車両から。

 ぱらぱらと乗客が降りてくる。

 発車のアナウンスとともにしゅうと音を立てて閉じたドアを彼女はわずかに振り向いたが、列車はもう出ていくのだ。

 すぐそこの改札へと、おぼつかない足取りで歩く。駅員はいない、プラスチックの切符入れが置いてあるだけだ。

 湿ったようなコンクリの待合を抜ければ、ひなびた在来線の駅前ロータリーに二台ほどタクシーが停まっている。

 暇そうに新聞を見る運転手に、客の数人が声をかけていた。最初から彼女はタクシー乗り場を通り過ぎて駅のひさしの下をバス停へと向かって。

 貼ってある時刻表を見た。本数がない、今日は日曜なのだ。

 さいわい次のバスは四十分ほど待てば来るらしい。

 日陰のベンチに座って、色の褪せたトートバッグから小さなペットボトルと、乗るときに買ったロールパンを出した。

 少しちぎってもぐもぐと食べる。

 飲み込む時に肩が張る。まだ少しつらい。

 ネックカバーの上から痩せた首元をさすって、ペットボトルの水を飲んだ。

 正面の通りを見れば車もまばらだ。

 ずうっと並ぶ背の低いビルの一階はどこもシャッターが閉まっている。

 歩くのは、無理だろうなあ、と。彼女が思う。

 肩に届く黒髪が風に揺れる。

 そういえば、もうずいぶん切っていないのを思い出した。




 

 その日曜日はだいたい朝の九時ほどから現場での準備が始まった。

 といってもテントの組み立てなどは実行委員会の仕事なので、どこのブースも忙しくしているのは品出しと陳列、あとテント周りの飾り付けだ。

 碧のブースにはそれすらない。

 与えてもらったテーブルとパイプ椅子数脚の前で八津坂が、顔を自分で指差しながら。

「あたし、何すんの?」

「んー。準備って特にないんだよねえ」

 今日は私服の碧がテーブルに置いたリュックから、いつもの黒いポーチを出した。


 今日の港祭りのように、碧はいくつかのフリーマッケットに登録してブースをもらっている。ほとんどは母親から引き継いだものだ。

 一回の鑑定がワンコイン五百円で一組十分から十五分程度だ。

 格安だが中には相場のわかっている人もいて、さっとひとつふたつ観てもらって満足するお客もいる。

 もともと稼ぎは度外視の出店で、その代わりにチラシを持って帰ってもらう。

 もちろん〝占い館カミセ〟のチラシだ。

 フリマはお店のプロモーションなのだ。


 することがない八津坂が外を伺う。どのブースも忙しそうにテーブルに品物を並べている。

 古着、雑貨、小物、そして近くの農家だろうかビニールに包まれた野菜や果物も並んでいる。

 碧が出店したこのエリアは港からは少し高台で、砂利の広場は普段なら神社の駐車場に使われている場所だ。

 広場の向こうに鳥居があって境内へ続く石段がある。

 車道から見下ろせばコンクリの波止場に広がったテントの波が白くて眩しい。

 すぐ先に続く堤防の向こうは海だ。

 いい天気だ。八津坂が手をかざす。

 ひときわ大きなテントの周りにたくさんの幟が立っていて、正面に鉄骨の照明が組まれたステージがある。

 左右に並んだ大きなスピーカーの近くでは業者さんなのだろうか、忙しく動き回っているのだ。もうそろそろ人も集まってきていた。

 ぴいと汽笛が聞こえて。

 近くを走るローカルの単線だろう。踏切の音と、電車の走る音が響く。

 それを聞きながらなぜか八津坂は「やきそば食べたい」と思った。


 碧の店は占いなので、そんなにいい場所が取れない。

 これはいつものことだ。やはりフリマなので売り物のある主役のお店に遠慮して、メイン会場から離れた神社の駐車場の一角にお店を出していて。

 それと同じなのだろうか、隣もやはり奇妙なお店だった。

「おお、ひさしぶり碧ちゃん」「どーも」

 碧がぺこりと頭を下げたのは、ぼさぼさ頭の少し顔の長い、無精髭を生やした長身の男性だ。TシャツにGパンの出で立ちで、首には汚れたタオルをかけている。

利賀とがさんゆっくりですね」

「昨日のうちに運んだからなあ。ぼちぼち並べるさ」

 笑う利賀の肩越しに見えるテントの中を碧が覗くと。

 相変わらずだ。

 積み重なった段ボールからこぼれたコードの奥に何やらアヤシげな機械がいっぱい詰め込んである。

 眉をしかめる碧に利賀が言う。

「今日の売り上げ占ってよ」

「売れませんよ」「ひどッ!」

「売れませんってジャンク品なんて。なんかこう、あるでしょうもっと」

「中古ゲームとか?」「そうそう」

「店で売れるもん持ってきてもなあ」

 その考えがもうどうなんだと思う碧の前で始まる前から肩を落としているのは近くの商店街で中古PCパーツなどを扱っている利賀とが大輔だいすけである。

 雑然とした店の中にはごく稀に掘り出し物のハードやソフトが埋まっていることもあるのは碧も古い付き合いなので知っているが、そこからさらに売れ残っていつまでも捌けないガラクタを、あちこちのフリマで投げ売りしているのだ。

 もちろん、ろくに売れない。いつもだ。しかも。

「隣が碧ちゃんだからさあ。ほとんど女のお客さんだし。回遊性がないんだよねえ」

「僕のせいにしないでくださいよ、むしろ港のステージ周りの方が男の人多いから売れるんじゃないですか?」

「出させてくれないってあの辺りは海産と乾物でいっぱい」

 まあそうなのだ。港祭りなのだ。

 港祭りでPCのジャンク品を出す利賀のボールひとつ外れたセンスにいつも碧はじりじりするのだ。

 なんかこう。

「あるでしょう、もうちょっとやり方が」

「なのかなあ」

 こののんびりした性格にも、じりじりする。

 そこに八津坂が戻ってきた。

 テントの前で立ち話する碧の横に立つ利賀にちょんと頭を下げて。

「おはようございまーす」

「え、おお、おはよう」

 ちょっと驚く利賀に笑って。八津坂が碧に話す。

「ね、ね」「どしたの?」

「やきそば食べたい」

「まだ早いって。じゃあお昼は買いに行こうか」

「うんうん。椅子出す?」「お願い」

 えへへと嬉しそうにテントに入っていく八津坂は、今日は占いの手伝いと聞いてきたのでノースリーブのシャツに細いパンツで少し大人っぽい。

 最初は口を半開きにしていた利賀が、ぐっと顔を寄せる。

「近いです利賀さん」「彼女?」

「ええ?」「いやマジで」

「同級生ですよ」「いつまで?」

「なんですかその質問わかんないですってば」

 碧が困り顔だ。


 始まってみると意外なのか想定内なのか、最初はぼちぼち覗いていたお客さんが一時間ほど経つと外に並べた椅子に二、三人は座るほどには待ちが出る。

 フリマのチラシは界隈に配られていて碧の占いも書いてあるので、午前中に来る客は碧曰く最初から鑑定が目的でここに来てくれたお客さんらしい。

 面白いもので、こういう出店は一人も客がいないといつまでも誰も入らない、一人二人覗いてくれればさっと人の波ができるのだ。

 だが、隣はできない。

 外に並べた椅子に「こちらにどうぞー」と座らせる八津坂がちらと覗けば、タオルをかけた利賀がぼおっと椅子に腰掛けたまま肘をついている。

 お客の回転の際に碧に「お隣のお兄さん大丈夫かな」と聞くが碧は苦笑して首をひねるだけなのだ。


 そんな碧の鑑定を、初めて傍で見る機会のできた八津坂だったが。

 少し感心してしまった。

 カード捌きも早いが、その鑑定の幅に驚くのだ。

 まずは転職のタイミングを聞きにきた女性。

  聖杯4

「今来てる転職の話、他所からのお誘いなら、ちょっと立ち止まって考えた方がいいですよ。もう少し後にもっといい話が出てくるかもしれません」

 次はお子さんの模試の話。

  金貨8

「受けてみられるといいです、十分いい結果が出ます。もう一息と思うかもしれませんが、まだ伸び代があります。本番の受験の頃にはもう二割ほど点数が上がっているはずです」

 そして土地の売買の話。

  聖杯6 逆位置

「今の所有者ですが、ご親族の間で持ち主が曖昧になっている区画がありそうです。本人の所在も探さないといけないので、買われるなら少し時間がかかるかもしれませんね」

 そもそもフリマで土地の売買まで鑑定してもらいにくるのもどうなのかと八津坂が思うが、臆することなく碧がさくさくカードを読んでいくだけでなく、そのたびに相手が目を丸くして。思い当たっているのだろうか。

 中には碧を知ってるお客もいる。

「今日、ホント五百円でいいの?」

「はい。いいですよ」

「ありがと。また予約入れるからねえ」

 ちょっと客が切れた。ふうと碧が一息つく。

 なんだか隣の八津坂がうれしそうだ。

 ポケットからハンカチを出して碧の顔を拭いたので。

「あ。あ。大丈夫だって」

「お茶買ってこようか?」

「うん。お願い」

 甲斐甲斐しいのに少し碧が戸惑って、でもうれしい。

 ぱりぱり頭を掻くと、テントを出た八津坂と入れ替わりに。

 男の子が入ってきたのに碧が気づいた。

「どしたの?」

 その子が百円玉を出す。


 自販機でペットボトルのお茶を三本買ってきた八津坂が、まずは隣のテントに入って。

「どーも」「お。彼女さん」

「えええ、そんなんじゃないです。はいこれ」

「お、ありがと。身にしみるなあ」

 へらっと笑って利賀がお茶を手に取る。客はいない。

 見渡せばどちゃっとテーブルに置かれている、なんだかわからない機械類にまったく八津坂もときめかない。

「売れません?」「売れません」

「ですよねー」

「ひどい。やっぱフリマじゃ無理かなあ」

「なんかポップみたいなの書かないと、わからないですよ」

「字、下手だからなあ」

「関係ないですって。ふぁいと」

 おお、と言って拳を握る利賀が可笑しい。

 笑って隣に戻ると。しゃがんだ碧が困った顔で子供に話していた。

「うーん、ちょっと無理かなあ」

「でも〝わんこいん〟ってかいてあるよ。えいご、わかるんだ」

「えらいなあ。これって五百円玉ってことだよ」

「えー。さんびゃくえんしかない、おこづかい」

「——それとね」

 碧が口元に指を当てて。

「病気は占ったら、いけないんだ」

「そうなの?」「うん」

 見ていた八津坂のすぐ後ろから。


「さとるっ。ここにいたのかい」

 びくっと少年が。むしろ八津坂も驚いて振り向く。

 後ろには背のしゃきっとした老女が立っていた。テントの二人は気にせずに少年へ声を投げる。

「寛次らが遊びに来てるよ。港に行くんじゃないのかい」

「あ。いく。すぐいく」

 ぱっと立ち上がって。少年が八津坂の脇を抜けて走っていった。

 見送るテントの二人を老婆が一瞥して。

「まさか子供から、金取って占っちゃいないだろうね」

「いえ。観ていません」

「——神社の庭でまじないごとは、ばちあたりだ。何度言えばわかるんだい」

 驚く八津坂とは違って。碧がすっと頭を下げて。

「すみません」

「いいかげん場所を変えな。本部には言ってあるのかい?」

「毎年、話はしてるんですが」

 ふんと鼻を鳴らして、老婆がすたすた去っていった。


「……なにあれ感じ悪い」

「いや。えっと。向こうが正しいから」

「そうなの?」

 碧が細かく頷く。

「そういう考えの人もいるし、それに逆らっちゃいけない」

 ふーんとやや不服そうな八津坂が、少し肩の落ちた碧のほっぺたに。

 ぺた。と。お茶をくっつけて。

「冷たっ」

「やきそば買ってくる」

「どんだけ食べたいんだよ。じゃあお願い」

「へっへー。りょーかい」

 ぴっと笑って指を振る八津坂に、ちょっと碧が救われた。



 どっちゃりの削り節が目玉焼きの上にかかった焼きそばは、ざくざくのキャベツと玉ねぎが味がしみて美味しい。

 なぜかテーブルには一緒にたこ焼きまで一パック乗っている。

「食べふぎじゃない」「ほお?」

 まだ湯気の立つ焼きそばをぺろっと平らげた二人が、つんつんたこ焼きを一緒につまんで頬張る。

 碧が言うには午後からの方が、会場を一通り見たお客が流れてくるらしいのだ。

 早めに食べて準備した方がいいのだ。

 ゴミを片付けながら、八津坂が訊く。

「あの子、なんだったの?」

「え? うーん。お母さんの病気を観てほしいって」

「そうなんだ……観ちゃいけないの?」

「病気はね——あ。どうぞ」

 碧の声掛けに、八津坂も気づいた。

 テントに入ってきたのはずいぶん日焼けしたショートカットの女性だ。体は小さいがTシャツで胸を張っているので胸元がはちきれそうだ。ただなんとなく。

 不機嫌そうなのだ。

 碧のテーブルに正面から座って。

「鑑定。いいですか」

「はい。どうぞ」

「彼氏のことを、占ってほしいですっ。」

 声がでかい。

「ええ、どういった……」


「いつまでも将来のこと全然考えなくて。売れるかもわからないガラクタばっかり売ってる彼とわたしの将来をっ。占ってほしいですっ。」


 碧と八津坂が。ぽかんとして。

「あの。……ひょっとして」

「名前ですかっ?」

「いや名前は別に要らなくて」

利賀とがですっ。利賀大輔だいすけっ。」

「いや要らないんですが」


 そこで気づいた。

 テントの端から利賀が斜めに顔を出している。

 碧が。ちょいちょい手招きするが。細かく。細かく首を振っている。

 女性がぎろっと振り向いた。さっと顔が隠れる。

 猫かあんた。碧と八津坂が呆れるのだ。

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