第五話 占い師は二度カードに触れる

 そのカードは大アルカナの十七番。

 星。

 碧がしばしカードを見据えて固まる。時間は十六時二十分を回っていた。

(星のカード……こんな時に、なんだよ……)

 

 碧のリーディングは我流で独特だ。

 小さい頃から玩具おもちゃ代わりに擦れた中古のカードを店の片隅でぱしぱし並べているうちに、なぜか知らないが意味が読めるようになった。

 やがて書籍や先輩の占い師からきっちり学ぶ頃に差し掛かっても、幼い頃に浮かんだカードの意味と重なって、時折周りの先輩すら思いつかないようなリーディングをする。

 星のカードは。

 未来への希望、展望。可能性の追求。新しい道や選択肢の予感。

 どちらかといえばポジティブなカードで、普通に読めば今の八津坂の父親が、母親に言い放った〝どこか新天地で金を稼いでくる〟なんて台詞を心から出した本音だと保証する意味合いかもしれない。

 実際、本人は割と本気で。そんなことを思っているのかもしれない。


 だが殴ったのだ。奪ったのだ。

 そんな奴の本気なんて自分勝手で都合のいい願望にしか過ぎない。

 ろくに先のことなんて。残された彼女ら家族に降りかかる迷惑なんて。これっぽっちも考えちゃいないはずなのだ。

 昼間に出したハートのジャックといい、今回の騒動といい、動きや考え方が甘すぎる、と碧が思う。


 そもそも逃げた未来のことなんか、今、カードに聞いちゃいない。


 碧が知りたいのは。

 父親の車がどこに向かっているか、なのだ。

「星。……どっか家族の思い出の場所で。見晴らしのいい展望台で。夜空を見ながら先のことをのんびり考える……とかね」

 ふざけんなよ。そんなわけない。

 今のあんたがそんな殊勝なわけないだろ。考えてるのは、どうやって借金取りから自分だけ逃げ切るかってことだけだろうが。

 と。そこまで思考が辿り着いた碧の頭に意味が浮かぶ。


〝逃亡者は星の羅針盤に身を任せる〟


「羅針盤、船……長距離フェリー? 港かッ!」

 碧がスマホから履歴に電話をかけた。相手はすぐに出る。

『よおおおっ。待ってたぜ。なんか出た?』

「ナベさん車で向かえる?」『どこに?』

「港。長距離だから南港のフェリー発着場ッ!」



 夕刻のフェリー乗り場には三列ほどの車が並んで、乗船案内が出るのを待っていた。

 資材を積んだひとつ前のトラックが邪魔で、この小さい軽のフロントからは遠くがよく見えない。

 だがすでにフェリーは港に入って後ろのランプも開いている。

 そのうち列が動き出すだろう。

 はやる気を落ち着かせるために八津坂の父親が運転席でタバコに火をつける。

 飛行機か船か高速か、ずいぶん迷ったが。

 行った先でも車は要るだろう。

 今は少し逃げ回った身体も休めたい彼は、船旅を選んだのだ。



 電話の声が焦って言う。

『フェリー? いやお前、確か夕方の出港は十六時台じゃなかったっけ? 十六時三十分か四十分か』

「えっ? そうなの?」

『確か十七時前にはもう港を出てたはずだぜ。まいったなあ。今日は俺、山手の方に来ててさ。ここから車で南港までだと渋滞で捕まりそうだな』

「……間に合わない?」

『わかんねえな。すぐ出るけどさ。それに俺だけ行っても話ができねえから途中で田辺さんとこの誰か拾ってやんなきゃいけねえし。わかった。また連絡する』

 もう名前を隠すのも忘れた渡辺がそれだけ言って電話を切った。



 咥えタバコを吹かしながら胸ポケットから折りたたんだ裸の紙幣を取り出す。ざっと指で広げて。

 妻の預金は十七万入っていた。これだけあれば当面は食い繋げる。

 生活がどうとか言っていたが、そんなものはどうにだってなるのだ。

 家賃もガスも電気も一月支払いが遅れたからってなんなんだと父親が思う。

 そうそう止められたり追い出されたりするものか。

 こっちは明日の金がないんだ。

 まずはどこか住み込みで働けるところを探そう。

 きっちり稼いで帰ってくるからな。待ってろよ。


 遠くで誘導のホイッスルが鳴った。乗船開始だ。

 父親が胸に紙幣を押し込んで、灰皿でタバコを消した。



 碧は自分自身の立場を知っている。未成年の高校生だ。


 多少占い師めいた事ができるというだけで、車の免許を持っているわけでもない、特に腕っぷしに自信があるわけでもない、まして公的資格を取得しているわけでもない彼は、これ以上なにもすることがない。

 八津坂の親父さんのことも、あとは渡辺さんがどうにかするだろう。

 そもそも出港に間に合わないかもしれない。悠々と船は出て、親父さんはどこか都会に雲隠れしてしまうのだろうか。

 ぎいっと。椅子を鳴らす。

 今日はなんだか鑑定をする気になれない。

 呆けたようにしばらく肩を下げてテーブルに目を落としていたら。


 〝それ〟は起こった。

 

 碧の目が丸くなる。久しぶりだ。

 どのくらいぶりだろう。

 中学の時。母親に平手で叩かれてから。

 もう起こることはないかも、と思っていたのに。


 テーブルの。

 星のカードがぼんやり〝光っている〟のだ。



 一列目と二列目の車が次々と誘導されてフェリーの中へと消えていく。

 やっと視界が開けた。どうやら三列目の頭が動き出したようだ。

 ホイッスルの音と同時に列の前方から数台、すぐ目の前のトラックもエンジンをかける。ふうっと一息ついて八津坂の父親もキーを回す。


 今夜一晩の航海で、明日の早朝には街に着く。

 二等船室しか取れていないが、疲れた身体にはどこでもいい。

 とにかく今は横になりたい。

 いくつか前の車が順々に動き出した。やがてトラックも進み始める。

 

 そのトラックの荷台で。

 縛られた積荷の端でぐらぐらと木片が揺れていた。

 


 旧くから人はなぜ未来を占うのか?

 運命を知るためか? 変えるためか?

 運命が変えられないから知ろうとするのか?

 運命が変えられるから変えようとするのか?


 幼い頃から碧は、その答えを知っていた。

 カードが光るからだ。


 運命には〝変えられるところ〟と〝変えられないところ〟がある。

 まるで線路の分岐ポイントのように。

 運命にも分岐がある。

 碧はそれを〝光るカード〟で読む事ができて。


 そして。


 おもむろに右手をテーブルに伸ばす。ふわりと。

 手を包んでわずかに周囲の空気が、揺れるように感じる。

 陽炎のように。


「逃がさないよ」


 碧の右手が星のカードを上下逆さに反転させた。



 やっと走り出した前のトラックと少し距離を保とうとして、数瞬だけ待って。白の軽自動車が走り出す。

 その時。

「うん?」

 前の荷台から、なにか落ちたような気がして。


 落ちたのは木片で。平べったいそれはぱたんと地面に敷かれて。

 刺さった数本の五寸釘が剣山のように上を向いたのだ。


 がくん! と。

「うわッ!」

 急な衝撃に身を竦めた父親がハンドルを切ろうとする、が。

 見覚えのある振動に全身から脂汗が出る。

 車を止めた。後続も止まる。

 クラクションが鳴る。

 が、運転席から人が降りるのを見て、後続の車両は覗き見しながら迂回して次々にその軽自動車を追い越していく。


 岸壁から潮風の吹くフェリー乗船場で、呆然と男が立ち尽くす。

 一目見て明らかだ。前輪左のタイヤがパンクしている。

 父親は声も出ない。

 誰かが知らせたのかもしれない、フェリーの方から誘導員が走ってきた。

「どうしました、パンクですか?」

「……あ、ああ」

「ちょっと出航までは手が貸せませんが、ご自分で換えられます?」

「あ。あ。あの。出航待ったりとか」

「え? いやいや。無理です。申し訳ないですが。明日の便でお願いしますよ」

 誘導員の返事に、じっとりと背中が汗で濡れる。

「必要な時は声かけてください」

 それだけ言って戻っていく。

 タイヤ交換ぐらいは訳ないと思っているのだろう。


 父親が思いを巡らせる。

 どうする? まずは走らせるようにする事だ。

 それから? 一晩ぐらいだったら街の何処かに泊まるか?

 それともいっそ高速を走って……

 とにかく交換だ。後ろにスペアがあったはずだ。

 極めて冷静に、冷静に。事を運ぼうとする父親は。


 しかし渡辺が車で傍まで追って来ているのを、知らないのだ。



 十七時。壁の時計がぽん。と鳴った。


 ぶっちゃけ、碧は光るカードと実際の出来事の因果関係を知らない。

 ただそこに触れるだけだ。何が起こるかは知らない。

 しかし触れて動かしたカードに映る運命は書き換えられて、後で聞けばそのように事が起こっている。

 ただの偶然かもしれない。その偶然を。

 もう碧は何度も体験している。

 きっと。あまり良くない事をしているのだ。

 騒動を起こして母親から叩かれた時も結局、光の件は話していない。


 ほんとうに久しぶりで。

 今回もまた、何が起こるのか彼は知らない。

 十七時十五分。

 スマホが震える。碧が電話に出た。

 港で捕まえたそうだ。少し話をして、電話を切る。



 碧は自分が占い師である事を、周りに隠している。

 その五番目の理由が、これなのだ。


 この理由だけは、碧は誰にも教えていない。

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