第四話 逃げた父親はこの街にいる

 Aのカード。

  金貨2 正位置

 Bのカード。

  法王  逆位置

 Cのカード。

  剣4  正位置


 三つのカードを表に開いて。碧がスマホに声を出す。

「B。かな」

『ほお? なんつってるの?』


「〝上からの掟は下々まで縛ること叶わず〟。新しく雇った人がいるはず。そいつらが会社に内緒で暴走してる」


『あー。……タナベさん甘えからなあ』

「名前出てるよ」

『と。わかった。調べてやるよ。ちなみにさ、AとCはどんなカードだっけ、特にCが知りたいんだけどさ』

「Aはなんとかお金回してるみたいだよ。Cは休業中だね。休養中かもしれない、体を壊してるのかも」

『それで連絡つかねえのか。アゲられたのかと思ったぜ。ありがと碧目あおめちゃんまた連絡する、いつがいい?』

 碧が苦笑して答えた。

「十二時四十分以降に回線繋ぎます。あとMIDORIです」

『あっはは。はいよー』

 電話はそこで終わった。

 相手の声はまるで碧のカードが真実を言い当てるのが〝当たり前〟であるかのような振る舞いであった。

 壁の時計を見れば二一時を回っている。碧がため息を吐く。



◆◇◆



 翌日の教室で。いったいどんな顔をして会えばいいのか朝から悩んで登校した八津坂はいささか拍子抜けで席に着く。

 当の彼は相変わらずで、窓の外を見たまま何を語りかけてくるわけでもないからだ。

 焦れた八津坂がとうとう三時限目が終わった休み時間に。

 どかっ。と。

「?……あの、八津坂?」

 と困惑するのは。近くで数人と駄弁っていた、碧と彼女の間に座っている海江田だ。そこは彼の席だ。

 外を見ながら肘をついていた碧は、困り顔で首を沈めて何も言わない。

「ちょっと席貸してねっ」「あ、ああ」

 笑いかけた彼女から出ているただならぬ気配に引き下がると横の男子が海江田に耳打ちしてきた。

(なに? お前なんかしたのミドリちゃんに?)

(知らねえよっ)

 そんな小声を気にすることもなく、いつもの格好で立膝をついた八津坂がスマホを弄りながら、こちらも何も言わない。

 無言の圧力。しばし互いに黙ったままで。


「……昼休み、駐輪場で」

 窓の外に向かって、碧がぼそっと呟いた。

 画面を弄る八津坂の指がぴたりと止まって。

 すっ。と。

「ありがとねー海江田くんっ」「あ? ああ、うん」

 一つ前の、自分の席に戻る。当の海江田は首をかしげるばかりだ。

 やや離れて赤那谷あかやな瀧川たつかわも怪訝な顔で八津坂を見て話す。

「なにやってんのミドリ?」「さあ?」



 タカコーの駐輪場は北校舎の裏手にある。

 昼休みの生徒たちは南体育館側の学食や購買に集まっているので、駐輪場にはめったに人が来ることはない。

 それでも数人思いおもいに自転車のサドルに座っているのは何かの用事で外に向かって携帯をかけている生徒たちだ。

 昼の駐輪場は一種の通話場になっていた。


 他の生徒から離れた碧と八津坂も二人で駐輪場にいる。

 八津坂は理由がわからない。だが。

 ほどなくして碧のポケットでバイブの震える音がしたので彼女が少し驚く。

「関野くん……スマホ持ってんの?」

 軽く頷いただけの碧が電話に出た。

「——お疲れ様です、どうでした?」


『当たりだ碧目ちゃん。タナベ……Bさんとこに入った新人二人がヨゴレだ。顧客リストから金になりそうな相手に片っ端から似たようなちょっかい出してたらしい。クビで済みゃあいいがな。どっかの箱に詰められるんじゃねえかな、そこも調べる?』

「知らなくていいです……じゃあ大丈夫なんですね」

『ああ。その子に害は及ばない。な』

 案の定の答えだ。碧が眉根を寄せた。

「ソレとコレとは別ってことですか」

『まあ当たり前だわな。貸したもんはきっちり回収するさ。ひでえ話だが嫁さんの職場も実家も知られちまってるぜ。全部に話は通る。逃げちまった旦那が悪いな、なんとかしねえと嫁さん仕事なくすかもよ』

 スマホを耳に当てながらじっと不機嫌に考える碧の顔を、八津坂が横から不安そうに伺っている。ちょっと間をあけて。

「……ひょっとして、逆に探してくれって頼まれたんじゃない?」

『はっはあ。碧目ちゃんには敵わねえなあ。それも当たりだ。旦那さえ押さえりゃあ嫁さんと娘さんには手を出す気はねえってさ、良心的だろ?』

「まあ、そうなんでしょうね。わかりました。観てみます」

『はーい。電話待ってるよお』


 通話は終わった。

 碧が無表情な顔で、隣から覗く八津坂に振り向いたので。彼女がびくっとして。

「とりあえず君の件はカタがついた」

「え? どういうこと?」

「君を騙していた二人はもう家には来ない。夜とかに他人が家に上がり込んで来ることもない」

「ホントに? じゃあ私は?」

「なにもしなくていい……いや、ちょっと待って」

 そう言って碧がごそごそとブレザーのポケットから取り出したのは小さな箱だ。

 模様からどうやら手のひらサイズのトランプの箱のようだ。

 碧が箱の口を開けて。軽くしゃっしゃっと揺する。

 左手の甲の上で。たんッ! と。

「きゃっ」

 驚く八津坂に碧は頓着がない。

 数枚の小さなカードが浮き上がった中から裏向きのまま一枚だけ、抜いた碧がオモテを向けた。

 ハートのジャックだ。

「今さら勝手だなあ」「え?」

 改めて碧が彼女に向き直って。


「いい? 今日は学校が終わったら真っ直ぐ家に帰って。たぶんお母さん仕事非番なんでしょ?」

「……なんでそんなこと、わかるの?」

「親父さんが帰ってくるからだよ」

 みるみる八津坂の目が丸くなって。

「嘘でしょ?」


「残念だけど嘘じゃない。親父さんはお母さんに言うはずだ。金を工面しろって。少しでいいからって。どこか身許のバレないところで働いて金貯めて帰ってくるから心配するなって、それに近いことを言うはずだ」

「ト、トランプ一枚でどうしてそんなことまで」

「いいから。来なけりゃそれでいい。で。もし来たら親父さんに気付かれないように僕のスマホ鳴らして。番号は——」

「待ってよ!」


 少し大きな声で叫んだ八津坂に、駐輪場のそこここで話をしていた数人の生徒が注視するので。

 ぐるっと周りを見渡して、また碧に向き直る彼女の頬が赤い。恥ずかしいのか怒っているのかわからない。

「なんで? なんで父さんが帰ってきたらアンタに電話しなきゃいけないの? どういう意味? ナニするつもり? 父さんを捕まえるの? その電話の人と一緒に」

「あのね八津坂さん」

「あたしはただ家族が今まで通り。昔みたいに。三人で仲良く暮らせるにはどうしたらって考えて!」

「それをぶち壊したのは親父さんだろ」

「ッ!……」

「金貸した方が違法かどうか知らないけど。ろくに調べもしないで手を出したのも親父さんだろ?」

 碧の言葉にぐっと睨み返して。

「……ロジハラっ」

「そんな言葉は知らない。じゃあいい。電話しなくてもいい。そのかわり親父さんに頼まれたら絶対に」

「一円も貸すなって言うんでしょ」

「いいや、逆」「え?」


「絶対にお母さんに〝貸さない〟って言わせないように。一万でも二万でもいいから、親父さんに渡してあげて。僕ができるのはここまでだから。じゃあ」


 そのまま、ぽかんと口を半開きにした八津坂を放っといて碧が校舎に戻ろうとするので。

「ま、待ってよ」

 声に振り返って碧が。

「——それとも一応、僕の番号。聞いとく?」

 冷めた目で言う。なんって性格の悪いやつ。と。彼女が耳まで赤くする。



◆◇◆



 まあ占いの場面でもよくあることなのだ、と碧が思う。

 今日も早めの時間は予約が入っていない。

 更衣室の事務机に座って宿題を開いた碧が、しかし一向にシャーペンが進まない。

 鑑定なんていつもいつも本人の望み通りの結果が出るわけもないし、何度言っても助言に耳を貸さないお客はいる。

 本来それは構わないことなのだ。本人の人生だ。

 占いなんて水もので、鑑定に従おうが無視しようが本人の勝手だ。

 それを学ぶのに、碧は中学の頃、結構な代償を払った。

 なのにまた。今回も出過ぎた真似なのだ。

「……癖が抜けないなあ」

 と。やや自己嫌悪に陥る午後四時過ぎに。

 唐突に机の上のスマホが揺れた。

 登録されていない番号だ。迷わず電話に出る。

「もしもし」


 電話の向こうから女性のすすり泣きが聞こえる。

 こういうのやめてほしい。と碧の顔が歪んだ。

「ちょっと。怖いから。八津坂さんでしょ?」

『お、お、おどおさんがおがあさん殴って』

 ああ。

 やはり。こういうことが起こるのだ。

 ジャックのせいだ。

 ジャックのカードは良くも悪くも行動が先に出る。

 それがハートなら行動の基準は愛情に偏って、問題を抱えた者は多くが身内や恋人を頼るのだ。

 その情が通らなかった時の反動も大きい。

 本来。金に困った人間が出すべきカードではない。

「殴ったんだね。お金、盗られた?」

『うん……うん……』

「お母さん断っちゃったんだ?」

『だって、だって。もう……お金ないからって、アナタに渡すお金は一銭もないって。どれだけひどい目に遭ってるのかわかってんの、って』

「それで?」

 時間がない。碧が先を急かす。

『お母さんの銀行のカード持ってって……』

「わかった。親父さんは車?」

『あれがないと家賃が……車で来たの』

「車種は? 色は? ナンバーわかる?」

『白の軽……ナンバーわかんない』

「了解。お母さん手当してあげて」

『うん……あたし、あたしどうしたら』

「あとは任せて。こっちで動くから」

 それだけ言って碧が電話を切る。


 立ち上がって。

 ロッカーから取り出したブラックのポーチからデッキを取り出し、中身をざあっとテーブルに広げる。78枚のフルデッキだ。

 一気にシャッフルしたカードをまとめて数回カットする。

 こういう時に。躊躇したらいけない。


 ぴしりと一枚テーブルに置いた。

「どこに逃げるつもりだアンタ」

 誰に言うわけでもなく呟く碧がカードをめくった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る