アヴェリン公の剣 海都イスブーン浪漫譚

@jdixon0726

第一話 騒ぎ

 ゼダ王の御代が三年目の半ばを過ぎた八月、セディリャ王国の海岸都市イスブーンの港では一つの喧嘩騒ぎが持ち上がっていた。セモリナとの戦争の終結から二十年が過ぎて、世情は大分落ち着きを見せていたが、それでも商人、商会所属の武士、貴族、神職、元軍人、元犯罪者、現犯罪者等が盛んに出入りするこの港湾都市では、互いの違いを見つける口実に事欠かなかったから、喧嘩など日常茶飯事であった。互いの素性をあげつらう罵詈雑言、偏見と差別的な放言、舌を動かさずとも十分相手に伝わる軽蔑のまなざしにより、拳、剣、銃が日に何べんも抜かれた。


 そのような事情で、喧嘩それ自体にはさしたる物珍しさもなかったが、それでも騒ぎが人々の耳目を集めるに足りえたのには理由があった。慣習として、エジウー岬にあるマルクの灯台が船の入港を知らせた場合、暇な人々が早速見物に駆け付けるのが常であった。人々はおりてきた乗客や乗員に対して歓迎の声を上げたり、荷下ろしされた積み荷を品評して暇をつぶすのである。しかし、この日は船から岸に渡された木製の橋上で人々が最初に目にしたものは、歓迎の声に帽子を振り上げながら鷹揚に答える船長でも、従者の日傘の影の下でかかとから密やかな音を立てながらつつましく歩む貴婦人でもなく、全身を血まみれにしながら抜剣し、手負いの獅子のように荒れ狂う一人の男であった。まして、その剣を突き付けている相手がイスブーンにおける『赤十字の服』たちであるというおまけつきであった。


 この事態の特異性に明確さを付与するために、今少し余白が必要である。青年―アルマン・ソルディン─これが青年の名前である。彼を端的に表現するならば、野心の鎧に身を包んだ田舎者、向こう見ずの挑戦者であった。身の丈八尺の立派な体格を持ち、秀でた額と油断のない目つきは決断と意志の強さを示していた。ソルディンという勇ましい名前は、彼がセディリャの辺境の地ディードの生まれであることを示していた。アルマンは母親を早くになくし、父と祖母の手で育てられた。父はソルディン家の婿養子であり、ごく大人しい田舎貴族として、年金と領地からの収入で細々と暮らしていた。特段の秀でたところはなかったが面倒見の良い父親であり、アルマンも彼に対して息子が父に与える一般的な尊敬と愛情を持っていた。

 

 一方で祖母の方は、これは常ならぬ豪傑であった。彼女の誇りは亡き夫がセモリナとの十年戦争に従軍したことと、そこで今やセディリャのすみずみまで大貴族として名の轟くアヴェリン公と肩を並べて戦い、その功績として陛下から下賜された聖剣勲章の第三等であり、これがソルディン家の一人孫の教育に際して多大な影響を及ぼしていた。彼女はアルマンにも夫と同様、武人の道を進むことを強く望んだため、アルマンが物心がつくとすぐに気の弱い婿養子の制止を押し切って、自らの年金から武芸師範や家庭教師を雇ってしまい、陛下にお仕えする護衛士どもの向こうを張るべしと激しい稽古をつけさせた。そして夫が病を患って床につくと、アルマンが齢十にも届いていないにもかかわらず、将来のためと主張してアルマンがアヴェリン公へお仕えするための推薦状を書かせたのである。アルマンはこの祖母の言いつけを大変良く守って育ち、暴力と機知を兼ね備えた大変な向こう見ずに成長した。そしていよいよ、彼をアヴェリン公がお住まいになるイスブーンへ送り出すとなると、彼女はアルマンを呼びつけて次のような訓示を与えたものである。


「良いですか、アルマン、わたくしは貴方が我が夫と同様に立派に育ってくれたことを心から嬉しく思っています。そして、海都(イスブーンのこと)へ赴き、アヴェリン公のもとで貴方の運命を開きたいという志も大変立派なことです。貴方の祖父は先の大戦で立派に戦いましたから、あの方もきっと覚えてくださるはずです。推薦状を渡すだけで、直ちに貴方に良い目が巡ってくるとは限りませんが、まずあの方のお目にとまることが大事です。その後もこまめに、事あるごとに成果を上げて誠実にお仕えするように。そして、ここまでの間に、将来人の上に立つ貴方にとって役に立つであろうことについて、わたくしはその基礎は貴方にすべて教えたと自負しております。ですから、貴方を蔑むような輩には、例えそれが陛下の護衛にあたる騎士の方々であったとしても、何人たりとも容赦してはなりません。旅立ちに際して剣と服を用意しておきましたから、損耗することを恐れず存分に戦いなさい。自らの正しさが確信できるのならば、どんな困難にも立ち向かうことです。ただし、陛下および王家の方々、アヴェリン公、これらは名誉ある立派な方々ですから、絶対に無礼があってはなりませぬ。そして、貴方の背中を守ってくれる仲間に対しては、敬意と友誼を以て厚く遇することです。そうすれば、自然と貴方の栄達の道が開けてくるでありましょう。最後に一つ、都では女と弱い男に用心することです。これは経験しなければわからないことですから多くは申しませんが、腕力のない者には剣とは別の戦い方があるのです。さあ、これだけ申しておけば、あとは貴方の勇気と機知が導いてくれるはずです。わたくしはもう長くない、今生の別れとなるやもしれません。達者で、アルマン。良い便りが届くのを楽しみにしておりますよ」

 

 アルマンはこれらの言葉を大人しく聞いていた。これは彼が祖母以外には決して見せない殊勝な姿勢であった。父よりもはるかに元気な目の前の祖母がそうそうに亡くなるとは思えなかったが、それでもこれまでに過ごした長い年月が彼の目に何かこみ上げるものをもたらすのだった。しかし、そうした男らしくない衝動は決して祖母の好むところではないと承知していたので、彼はぐっとこらえていた。

 

 父のところへ赴くと、アルマンの何人かの知人たちがいたため、しばらくの間彼らと別れを交わした。何人かは彼が出世したら働かせてほしいと頼んできたので、任せておけと答えておいた。父は、もともとアルマンのことにうるさく口を出すような人ではなかったが、とにかく無事でいるようにと言ってアルマンと抱擁を交わした。その後、別の部屋から彼の義母の用意した剣と胴着と服を持ってきて、アルマンに渡したのである。

 

 アルマンはこれらの思いやりのこもった教訓を大変ありがたく受け止めたが、用意された旅装にはためらいの念を禁じえなかった。祖母の用意した服は、どのように見ても、彼女の夫が在りし日に使用していたものであった。ぴっちりとした股引のうえにスカートのように膝まで裾が広がったズボン、胴着もやはりぴっちりとして体周りに余裕のないものであった。町の人形劇でしかこうした格好を見たことのなかったアルマンは、あるいはこうした格好はイスブーンでは笑いものになるのではないかと懸念した。

 

 この懸念は、後に明らかになる通り実に的を射たものであったが、ディードより出たことのない彼の知るところではなかった。この服の良いところを強いて挙げるとすれば、胴着の隙間に差し込まれたアヴェリン公へ宛てた例の推薦状と、金貨二十リベールの入った袋である。これは裕福ではない彼の実家にとって少なからぬ出費であったし、何より衣服は祖母の用意してくれたものであったから、結局アルマンはそれらを大人しく着用することにした。そして、父親と友人たちに見送られながら、ディードの町から近隣のティラの港へ赴き、イスブーンへ向かう帆船に乗り込んだのである。


 アルマンが乗船したのは、四十人乗りの小型キャラックであった。船長はずんぐりとした老練の船乗りで、イスブーンとの航路は千べんも航海したことがあると道中の安全を保証した。アルマンは、本来彼のような田舎出の青年にあてがわれるよりも幾分上等の客室を与えられたが、これには事情があり、何でも乗船予定だったさる身分の高い武人の一人が体調を崩して断念したためとのことだった。船長は彼の身なりを見て、これは出稼ぎに行く田舎の青年と直ちに看破したものの、彼のうわついたというよりは将来への野心と不安にぎらついた眼をみて、賢明にもそれを口に出すことはなく、隣室の方々には身分の高い方も乗船されているので失礼のないように、と言い添えるだけに留めておいた。彼は礼もそこそこにあてがわれた船室へ引き取ると、持ってきた荷物を直ちに広げ、特にアヴェリン公への推薦状と金貨袋の中身を紛失したりはしていないことを繰り返し確認した。


 アルマンにとっての郷里を離れた初めての旅路であり、そのため彼に本来備わっているはずの冷静さを幾分損ねていた。彼の脳裏にはいかなる見知らぬ人も、自身が宝とも思う推薦状のことを知れば盗人に代わるのではないかという不安がこびりついていた。これは旅人の心得としては非常に優れたことであるが、それをあらわにするのは良いことではなかった。また、アルマンとしては、自身の旅装も気がかりであった。というのも、デッキで外の空気を吸って気分を入れ替えようと部屋を出た際に、すれ違った武人と思われる数人がアルマンの方を振り返ってじろじろ見てきたからである。プライドの高いアルマンとしては、自身が田舎者と思われることを想像しただけで、大変な苦痛に感じるのであった。


 幸いなことに、この懸念を明らかにする機会はイスブーンにつくまでには訪れなかった。船足は順調であり、特に障害もなく予定通りに目的地へと近づいていた。四日の後、マストに上った船員の一人がイスブーンが見えたことを船長に知らせた。この日は大変な快晴であったため、商売上手の船長は気を利かせて船客に知らせて回り、希望する上客には甲板上で自身の秘蔵の酒を一杯サービスしていた。


デッキへ出たアルマンは、舷側に駆け寄って目的地の姿をとくと眺めた。まだ地平線上の小さな影の一つに過ぎなかったが、城、いくつもの尖塔、多くの住居、遠目に見てもディードとは比べ物にならない都であり、港には大小さまざまな船舶が停留し、日の光を反射してきらめいていた。彼は夢見心地で、どこかにいるはずのまだ見ぬアヴェリン公と、その下で栄達した自身の姿を思い浮かべた。これは彼がディードにいるときから、何度も行ってきた空想であった。その中で彼は立派な邸宅に住み、千人の部下を従える大隊長であった。イスブーンの姿は、彼にこの空想に対する確かな実感を抱かせた。とうとうやってきた大海都で、必ず我が身を立ててやるぞ─目の前の景色はそんな抱負をアルマンにもたらしたのである。


 ふと、大きな笑い声が聞こえ、夢見心地にあったアルマンは現実へ呼び覚まされた。振り向くと、一群の男たちがアルマンとは反対側の舷側に身を持たせながら談笑しているのが見えた。彼らは他の旅客たちとは違う、アルマンとはまた違う良い意味で、風変わりな姿をしていた。裾に余裕のあるゆったりした白いズボンを身に着け、薄茶色の皮でできた靴を履いていた。全員が緑色の腰帯をし、そこにひもをかけて剣をつるしていた。上半身には薄い白い生地でできたシャツを着ており、シャツは胸から腹にかけて大きな十字の形に赤く染め抜かれていた。この赤十字が特に、この一団をひときわ目立たせる役目を果たしていた。


 先に述べた理由により、笑いの的になることに対して大変敏感になっていたアルマンは、彼らのことをとくと眺め、彼が船中ですれちがった武人たちであることを確認した。これは彼の懸念を大変に濃くした。周りを見回すと、他の客のほとんどはイスブーンの方向を見て談笑していた。そんな時、赤十字の男の一人がアルマンの方を指さすと、何か非常に重大か、あるいはある種の要点を突いた発言を行ったと見えて、相対する何人かの男がどっと笑い声をあげたのである。


 この笑いは疑う余地なく、侮蔑の意味を含んでいることがアルマンにもはっきり分かった。奴らは俺を笑いものにして楽しんでいるのだ。こう感じたとたん、若き青年の心中の羞恥心と戸惑いは溶岩のごとく噴き出た憤怒に直ちに席を譲った。これは彼の祖母が与えた例の金言を実行に移す機会が早速訪れたことを確信させた。アルマンは自身がいる舷側を蹴っとばすと、肩をいからせてずかずかと甲板を踏みしめながら、赤い服の男たちの方へ近づいていった。


「ちょっとよろしいか」

 彼は拳を握りしめながら言った。

「先ほどからずいぶん楽しそうにされておりますが、何の話をしているのですかな。できれば私にも教えてもらいたいものだが」

 けんか腰丸出しのこのぶしつけな物言いに対して男たちは一瞬面食らったようで黙り込んだが、すぐにお互いに目配せをした。その頬に浮かんだ不快な微笑は、アルマンのいら立ちをますます増大させた。

「おぬしに話しかけたつもりはない」

 アルマンに一番近い椅子に腰かけた男が言った。筋骨隆々としており、アルマンと同じくらい体格が良い男である。

「では私に何か用ですかな。明らかに私の方を見て笑っておられたようだが」

 アルマンは別の男に向かって言ったアルマンの方か見て、この男が会話の口火を切った男であった。

「私もおぬしには何も興味はない」

 二人目の男はそっぽを向いた。

「おぬしの衣装がこのあたりではあまり見慣れぬものだったのでな、皆の意見をきいておったのだ」

「そうだ、あっちへ行け小僧」

 別の大男がにやにや笑いながら言った。

「お気に入りの衣装に穴をあけられたいのか。明日は芝居ができなくなるぞ」

 これを聞いて先に口を開いた三人は大声で笑った。この応対にアルマンは怒気を発した。

「なるほど素性は知らんが卑怯なやつらだ、五人で一人を笑うとはな」

 怒りで真っ赤になったアルマンは怒鳴った。

「お若いの」

 アルマンから見て一番遠くに陣取り、舷に背を持たせかけた男が落ち着き払って答えた。

「口の利き方に気を付けることだ。どんな田舎から出てきたかは知らんが、見たところ(わざとらしくアルマンの全身を眺めおろして)、足下はまだ都会の物事を知らんと見える。我らに向かって、ディードの町酒場のちんぴらどもと同じものを言って、ただで済むとは思わんことだ。今後はせいぜい気を付けるがいい。我々は売られた喧嘩を買うのも惜しいほど忙しいのでね。失礼する」


 こう言い捨てると男はゆうゆうとアルマンから離れて歩き出した。この男の装束は、他の連中と比べて特に立派だった。他の男どももそれに続いた。船は野次馬の声がデッキにも聞こえるほど岸に近づいており、ほぼ停泊するはずの場所に到達していたのである。男たちはアルマンを多少山っ気のある田舎者としか見ていないようであったが、この男は面と向かって侮辱されておいて黙っていかせるような気性ではなかった。アルマンはこの男たちが、彼の祖母の言うような王家やアヴェリン公に連なる立派な人々ではないと早速断じてしまった。そこで、決心を決めた彼は最後尾の男の背後に素早く駆け寄った。


「何を」

「逃げる気か、ならず者、こうしてくれる!」

 アルマンは男が言い切るのを待たなかった。男の腰帯を捕まえるや否や、膂力と怒りに任せて胴体ごと持ち上げ、舷の向こう側へ放り投げた。

 数秒後、けたたましい水音と船内と船外から大きなどよめきが聞こえた。

「馬鹿野郎が何をするか!」

 二人の男が振り向いて怒鳴った。

「ああ、卑怯者どもが、逃げるな!さもなくばお前らの腹に穴をあけてやるぞ」

 アルマンもわめき返すや、剣を引き抜いたのである。このようにして、向こう一週間は港中の話題となるであろう、大騒ぎの幕が上がったのである。


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