#26 成瀬くんの優しさ②

 乙葉さんのマネージャーである、間島佑子まじま ゆうこさんと共に保健室へと辿り着く。そして、すぐに廊下よりのベッドに横たわる乙葉さんと、その横で様子を看ている成瀬くんを見つけた。

「ここまで体調を崩すのは初めてだわ……」

 間島さんは、腕にはめていた黒い輪ゴムで長い髪を一つに結わき上げ、白Tシャツの両袖をまくりながらもう片方のベッド端へ駆け寄り、乙葉さんの手首の脈を測り始める。

「一応、病院へ運んだほうがいいかもしれない」

「俺もそう思ってました。多分、救急車呼ぶよりこっちから連れてくほうが速い」

 と、その時。成瀬くんのマネージャーである、山本慎一やまもと しんいちさんもやって来て、今の話が聞こえていたのか、自分が車を出すと言ってすぐに保健室を後にした。

 山本さんが、成瀬くんの担当になったのはごく最近で、この間、いよいよ三十路だよ。と、言って苦笑していたから、二十代後半くらいだろうか。高校、大学時代に陸上部だったことから、忙しさも体力勝負で乗り切っているらしい。

 間島さんは私と同世代で、芸能人のマネージャーを務めているだけあって、知識豊富でしっかり者だ。

 お二人とも、敏腕マネージャーであり、乙葉さんや成瀬くんからの信用度は高い。

「ごめんなさい……」

 乙葉さんが、虚ろげに呟く。と、間島さんは困ったように微笑んだ。

「もう、慣れっこよ。後のことは任せて」

「成瀬さんにも、ご迷惑かけてすみませんでした……」

「そんなこと、気にしなくていいから。今はゆっくり休んで」

 成瀬くんも、乙葉さんを見つめながら、柔和に微笑む。


( あ、これって……)


 ふと、あの頃のことを思い出した。

 熱を出して、保健室で眠る私のために何度も見守りに来てくれた時の……。

「用意出来た。急ごう!」

 走って来たのか、山本さんが息を弾ませながら戻ってきて、私たちはふらつく乙葉さんを支えるようにして玄関へと向かったのだった。


 それから、数分後。

 男性スタッフ二名が加わり、乙葉さんは、ここから近い救急病院へと運ばれて行った。

 見送った私たちは、とりあえず、朱莉抜きのシーン撮影から始めることになったのだけれど、その調整に少し時間がかかっている。

 監督からの開始の声を待っている間、音響班私たちは、変更部分を整理しながら待機していた。

 待つこと約40分。

 まずは、部活動でのシーンから撮影していくこととなった。

 野球やバスケットボールなどのユニフォーム姿の劇団員や、エキストラの方々が、監督の演出通りに演技していく。

 撮影場所が、体育館と運動場になり、私たちはその都度、彼らの行動を目に焼き付けながら、自分の頭の中でシーンごとに合う曲を思い描きながら構成していった。

 ほとんど余白が無くなるほど、自分の想いでいっぱいの台本。

 これまでは、中村さんや裕樹くんのサポートがメインだった。でも、今回は違う。私にも、任されたシーンがあり、それを私なりに結論を出してアピールしていかなければならないのだ。

 私がメインとして、音響制作をするまでにあと何年かかるか分からないけれど、いつか、中村さんに並び、追い越して見せる。

 私は、これまでにないほどの使命感をもって挑んでいた。


 ・

 ・

 ・

 

 PM 12:36


 部活動でのシーンなどが終わった頃にはもう、お昼を軽く回っていて、予定よりも早く現場入りした、冬夜役の冴原真咲さえはら まさきくんを迎え入れ、それぞれ、一時間のお昼休憩となった。

 キャストもスタッフも、ロケ弁を手に思い思いの場所でお昼休憩を取っている。

 私たちは、一階にある教室の窓際にて、食事をしながらも、意見交換などをして一息ついていた。

 その時、学生服姿の冴原くんが教室後ろのドアから入ってきて、私たちに挨拶をくれた。

「おはようございます。今日も、よろしくお願いします」

「あ、こちらこそ! よろしくお願いします」

 これは、業界の挨拶の一つだそうで、朝は勿論のこと。昼でも、夕方でも、夜であっても、一日の始めの挨拶は、「おはようございます」と、決まっている。

 冴原くんは、モデル出身の俳優で、お父様が韓国人、お母様が日本人のハーフ。中性的な感じがとても素敵だったりする。

 ハーフアップというか、メンズポニーテールのような髪型が、冴原くんの、大人っぽい端整な顔立ちを引き立てている。

 爽やかな笑顔を残して、教室を後にする冴原くんを見送って、私はスマホで残り時間を確認した。

「あと35分。乙葉さんたちまだ戻って来ないですね……」

「顔色が土気色に変色してたってことは、急性的なものだろうから、暫くは様子を看ているのかも」

 裕樹くんが、お弁当箱に蓋をしてペットボトルお茶を半分くらいまで飲んで行く。

「そうかもしれないね」

 今日は、乙葉さん抜きの撮影だけで終わる可能性が高い。と、いうことは、また近いうちにここでの撮影を要するだろう。

 そんな事を考えながら、再び廊下を見遣る。と、教室前のドア付近を山本さんが通り過ぎるのを見て、私は箸を置き席を立った。

「山本さん、帰って来たみたいなんで、ちょっと話を聞いてきますね」

 中村さんに声をかけて、私はすぐに山本さんを追いかけた。

「山本さん!」

 少し張り気味に声をかける。と、山本さんが足を止めこちらを振り返った。

「お帰りなさい。あの、乙葉さんの容体は?」

「重度の貧血だそうです。疲れやストレスだけじゃなく、月経も重なった結果だろう。とのことでした」

「なるほど……」

「点滴治療を受け、様子を看て間島さんとこちらへ戻って来ることになりそうです。これから、監督のところへ報告に行くので、また」

「あ、はい」

 足早に去って行く山本さんを見送り、私も教室へ戻ろうとして、後方から声を掛けられる。

「こんな所でどうした?」

「あ、成瀬くん。今、山本さんと話してたんだけど」

「戻ってきたんだな。それで?」

 少し心配そうな成瀬くんに、今、山本さんから聞いた情報を話して聞かせた。すると、成瀬くんは表情を緩め安堵の息を零した。

「最近、凄く忙しいって言ってたし、稽古中にも一回、気分悪そうにしてたことがあって、さっきもテスト始まる前に何となく具合悪そうだったから、気にかけてたんだ」

「そうだったんだ……」

 初顔合わせ&本読みの際、間島さんとも話す機会があったそうで、その時に、乙葉さんの体調のことも聞いたらしい。

 生まれつき身体が弱いらしく、持病の喘息も持っているのだという。

「いつだったか、乙葉さんから舞台とかミュージカルもやってみたいって、話を聞いたことがあったんだけど、それを間島さんに話したら、『乙葉に、舞台は無理だと思う。』って、言われてしまったことがあったんだよね」

 成瀬くんが、少し悲しげに瞳を細めた。

「舞台一本に絞れば、なんとかなるものも、両立となると体力勝負だからな」

「そうだね……」

「でも、諦めなければいつか、叶う日がやって来るかもしれないよな」

 そう言いながら、成瀬くんは手前のドアを開け、広めの中庭へと足を踏み入れた。

 私も後に続き、陽を浴びながら大きく伸びをする成瀬くんの、背中を見遣る。

「さっきさ、乙葉さんを運んでいる時、思い出してた」

「何を?」

「合宿の時、高熱出して倒れたお前をおぶって保健室へ駆け込んだ日のことを」

 成瀬くんは、こちらを振り返り薄らと微笑んだ。

「乙葉さんと違って、すげー重たかったなって」

「ど、どーせね。私は重いですよー!」

「あっはは、うそうそ。その変顔が見たくてつい、からかいたくなるんだよな」

「さらっとまた、どの口が言うのよ。しかも、爽やかに笑ってくれちゃってからに」

 一頻ひとしきり笑い終えると、今度は青空を仰ぐようにして瞳を細め、「……あの頃に戻れたらいいのにな」と、独り言を呟くように言った。

 私は、そんな成瀬くんの一言に共感して頷き返す。

「そうだね。何でも出来そうな気がしたもんね、学生の頃は」

「それもあるけど……」

「あるけど?」

 私がその続きを待っていると、成瀬くんは視線を泳がせ、「何でもない」と、言って苦笑する。

「誕生日会なんだけどさ、やっぱり今のところ19日が濃厚だな。声かけた人、みんなその日の夜なら空いてるし。一応、プレゼント用意してあるから、楽しみにしてて」

「え、ほんとに?」

「当然でしょ。お前、まさか俺には無しなんてことないよな?」

 いつもの、おどけたような瞳と目が合う。

「ごめん。まだ考えてなかった……」

「マジかよ」

 今度は呆れ顔を前に、申し訳なさから俯いてしまう。

「別に、物じゃなくてもいいよ。水野の気持ちだけで」

「えー、そういう訳にはいかないよ」

 あたふたしている私の両頬を、ふにーっと軽く摘むようにして、成瀬くんはまた、楽し気に笑う。

「じゃあさ、少しでいいから時間を作ってくれる?」

「時間を?」

「うん。二人だけになれる時間」

 秋風がさぁーっと、私たちの髪を優しく攫っていく。


(……っ……)


「ちゃんと頭を為に……ダメかな?」

 成瀬くんの指先が離れてもなお、頬に微熱と、摘まれた後の鈍い感覚が残っている。

 柔和な笑顔。

 低くて少しハスキーな声。

 私を見つめる真っ直ぐな瞳が─────

 あの頃の、大好きだった成瀬くんと、ほんの少しだけれど重なった。

「ダメじゃ、ないよ。成瀬くんが、欲しいというものをあげたいから」

 それは、素直にそう思えたから。

「じゃ、楽しみにしてるよ。水野からのプレゼント」

 いったんロケバスに戻るわ。と、言ってその場を後にする成瀬くんを見送り、私は澄み切った青空を見遣った。


(やっぱ、敵わないな。成瀬くんには……)


 この映画の主役として、出演陣はもちろん、スタッフにまで気を遣い、誰よりも作品を愛している。

 高校の頃でさえ、大半の女の子が言っていたんだった。付き合うなら、成瀬くんみたいな人がいいって。

 私だって、そうだったよ。


『……あの頃に戻れたらいいのにな』


「そうなったら、きっと……。でも、もう」

 あの頃には戻れない。そして、今、この瞬間さえも。すべて、過去思い出になってしまうんだ。



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