#06 なんだ、そうだったのかぁ

 翌日。

 いつものように出社して、台本に集中している中村さんを意識しながら、私はマイデスクで任された雑務を熟していた。

 と、いきなり背後に悪寒を感じて、手を止めた。

「……昨夜はよくもやってくれたなぁぁ」

 肩越しに怒ったような声がして振り返ると、ありさのジトっとした顔が間近にあって、思わず身を引いてしまう。

「お、おはよう。ありさ……」

「おはよう、じゃないって。あれから、気まずくってどうしようかと思ったんだからね」

「ごめん。でも、私がいない方が良いかな? と、思ったものだから」

 苦笑する私の隣の席に座ると、ありさは小声で昨晩のことを簡潔に話してくれた。

 私が去った後。しばらくの間沈黙が続き、その沈黙に耐えられなくなったありさが、その場を立ち去ろうとした。その時、裕樹くんから呼び止められたらしい。

 けれど、一向に何も話してくる気配が無い。とうとう、ありさはそんなどっちつかずな態度に呆れ果て…

「だから、やっぱり裕樹あいつを置いて帰った」

「え?」

 きょとんと目を丸くする私を横目に、ありさは深く溜息をつく。

「だから、今夜も付き合ってよね」

 今夜も『MIRA』で飲む約束をした私達は、お互いに自分の仕事に戻った。

 片づけなければいけない雑務は山のようにあったが、私はどこかで二人のことが気になってしまい、何とかならないものかと考えていた。


 ・

 ・

 ・


 PM 7:34


「ふぅ~、終わったぁー」

 手を休め時計を見遣ると、いつもよりも早く終えていたことに気付く。


(私も少しは効率よく仕事が出来るようになってきた、かな)


「遥香、もう行ける?」

 ありさに声を掛けられ、私もすぐに帰り支度を済ませた。その時、収録室から中村さんが戻って来て、デスクに座り込み、深い溜息をついた。

 その、少しぐったりとした背中に労いの声を掛けたけれど、「おぅ」と、力なく返されただけ。


(あの様子じゃ、ものすごく大変だったんだろうな……)


 こういう時は、話しかけない方がいい。

 ありさと顔を見合わせながら苦笑し、私たちは、「お先に失礼します」と、声をかけ、その場を後にしたのだった。


 *

 *

 *


 そしてまた、昨夜同様、『MIRA』へとお邪魔した私達は、斉藤さんに迎え入れられた。

「いらっしゃい。あれ、今夜は二人だけ?」

「はい。今夜は女子会です」

 声を掛けられて、ありさが笑顔で答える。と、斉藤さんは、中村さんと訪れた時に使わせて貰った席へと案内してくれた。

 次いで、飲み物や簡単な食事を注文し、微笑みながら奥へと戻って行く斉藤さんを見送る。

「斉藤さん、ショートヘアも似合うよね。なんか、より男っぽくなった」

 と、言うありさに頷いて、私は早速、今後の事について触れてみた。

 すると、ありさは少し躊躇いながら口を開いた。

「それなんだけど、斉藤さんに相談してみようと思って。斉藤さんなら信頼出来るし」

 そう、ありさが呟いてすぐ、生ビールを持って戻って来た斉藤さんの、優しい眼差しと目が合う。

「俺が何だって?」

「あ、えっと……」

 聞かれていたのかと、私が苦笑いを返す。と、斉藤さんはビールをテーブルに置きながら、ありさの隣に腰掛けた。

「あの夜は楽しかったね。優さんは、相変わらず仏頂面だったけど」

「ふふ、そうでしたね」

 そして、ふっと微笑み合う。

 斉藤さんの話だと、私を迎えに行くよう中村さんにLIMEメッセージを送った際、「なんで俺が行かなきゃならねぇんだ」との返信を貰ったらしいのだけれど、部下の誕生日なんだから上司として当然だろう。と、返したところ、しぶしぶ納得してくれたそうだ。

 私が、あんな優しい中村さんは初めてで、びっくりしたこと。でも、あの時にかけてもらった言葉のおかげで、今も頑張れることなどを伝えると、斉藤さんはすごく嬉しそうに微笑んだ。

 そんなやりとりの中。私が斉藤さんに、昨夜お休みだった理由を訪ねようとした。その時、口を噤んでいたありさが、斉藤さんを見つめながら切なげに口を開いた。

「あのぉ、斉藤さん」

「ん?」

「今夜、私に付き合ってくれませんか?」

「え……?」

 ありさは、少し呆気に取られる斉藤さんに、なおも詰め寄りながら、相談に乗って貰いたいことを告げる。と、斉藤さんは快く承諾してくれたのだった。

「俺で良ければ」

「ありがとう……」

 ありさは早速、裕樹くんのことが気になっていること。でも、会えば喧嘩ばかりでどうしたら良いか分からないことなど、全ての悩みを打ち明けた。

 すると、斉藤さんはおどけた表情で、「なんだ、そうだったのか」と、言って嬉しそうに顔をほころばせる。

「じつは最近、裕樹くんからも、ありさちゃんとのことを相談されていたんだよね」

「ええっ?!」

 唖然とする私達に、斉藤さんは、「両想いだったんだね」と、言って柔和に微笑んだ。

 みるみる顔が赤くなっていくありさ。

「良かったね、ありさ」

「……うん」

 小さく頷くありさがいつもよりも可愛く見える。その幸せそうな笑顔を見ていると、私も自分のことのように嬉しくなった。

 けれど、それと同時に、ほんの少しだけ表情を曇らせる斉藤さんの事も気になっていた。

「きっと、ありさちゃんなら、彼のもう一つの想いにも寄り添っていけると思う」

 その後、贔屓にしてくれているお客さんが来店したとかで、斉藤さんはカウンターの方へと戻って行った。

 お互いに想い合っていたことが分かって、ありさも変な意地を張らずに告白出来るだろうし、裕樹くんもありさから告白されたらきっと嬉しいはずだ。

 けれど、一つだけ気になっているのは、何気なく発せられた斉藤さんの一言だ。

 裕樹くんの想いも気になるところだけれど、剣道一筋だった斉藤さんが、どうしてこの道を選んだのか。

 きっと、この仕事が好きだからなのだと思う。だけど、本人から直接じゃないと聞けない理由がずっと気になっていたから。

 もしかして、それだけ話しづらいことなのかもしれない。それに、あの日。見知らぬ男性とどこへ何しに行ったのか。

 謎だらけだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る