おはようから始まる国づくり
高坂静
第1章
第0話 相棒との別れ
目の前が明るくなってきた。私の隣でも、もそもそと動いている気配がする。
間もなく夜明けの時間だ。
ゆっくりと目を開け、体を起こしながら動いている隣の方を見ると、白く美しい毛皮をまとった相棒が、しなやかな体を伸ばしながら『ふわぁ』とあくびをしている。
「おはよう、カァル。よく眠れた?」
こちらでの私の名前はソル。
「にゃお」
この子はカァル。ユキヒョウの男の子……男の子というには大きくなりすぎたかも。うちに来た時にはあんなに小さかったのに、三年経った今では立派な大人のユキヒョウだ。ほら、抱き心地だって全然違う。
「にゃう!」
いきなり抱きついたのが気に入らないのか、カァルは私の腕から逃れ抗議の声をあげた。
「ごめんごめん。それじゃ一緒にテムスを起こそう」
カァルと協力して、弟のテムスを起こしにかかる。
「テムス、ほら起きて。もう朝だよ。馬の世話に行くよ!」
「ん、お姉ちゃん……。もう少し……。ん! ち、ちょっとやめて! わ、わかった、わかったから! カァル、やめてってば! もう起きるから!」
カァルはテムスの顔を舐めるのをやめて、すたすたと部屋の入口まで行き、私たちを待っている。
「ああ、もう。べとべとだよ」
テムスは7才。体はまだ小さいけど、よく言うことを聞いてくれる……まあ、たまにそうじゃない時もあるけど、だいたい聞き分けのいい私の可愛い弟だ。
「すぐに起きないからでしょう、早く行くよ。ご飯できちゃう」
私はカァルを連れ、テムスと一緒に馬小屋にいる二頭の馬の世話を済ませた後、朝食をとるために居間へと向かう。
居間の絨毯の上にはパンと羊肉の炒め物、そして、羊肉と野菜の入ったスープが置かれていた。こちらではごく普通の朝食のメニューだ。このあたりではどこの家でも羊をたくさん飼っていて、ほとんどの料理に羊が使われている。日本ではあまり見かけないんだけどね。
うーん、テムスったら……父さんが来て食事が始まったというのに、カァルに抱き着いたままだ。このままだと母さんが怒り出しそうだし、それに……
「ほら、テムス。そんなにしていたら、カァルがご飯食べられないでしょ。離してあげなさい」
「だって、カァルって、あったかいんだもん」
確かに馬小屋では寒かった。冬毛でモフモフのカァルに抱き着きたいのは分かる。でも、カァルが黙っていない。
「にゃう!」
ほらね。
テムスから解放され、ようやく自由になったカァルは彼のために用意された生の羊肉にかぶりついた。
「生肉って美味しいのかな」
カァルが食べる様子を見ていたテムスは、野菜炒めに入った羊肉をさじで掬いながら呟いた。
確かに、カァルが骨に付いた肉をがりがりと食べているさまは、いかにも美味しそうに見えるけど、私たちが食べても美味しくはないんじゃないのかな。
それにしても、カァルたらあんなに必死に食べちゃって……あーあ、あとから顔を拭いてあげなきゃ。口の周りが、なかなかのいい男っぷりだ。真っ赤だよ。
「それで、ソル。今日は山に行くんだろう。危ないから俺も一緒に行くからね」
食事が終わり、カァルの口を拭いてあげていると、三つ年上のジュト兄が話しかけてきた。
「カァルがいるから私一人でも大丈夫だよ」
うちは代々村長の家だけど、村長は名誉職なのでそれだけでは食べることができない。だから別に
今日は雪が積もって山に入れなくなる前に、薬草を採りに行くつもりなんだ。カァルが一緒なら山で迷子になることもないからね。
「いや、そろそろクマが冬眠するころだろう。一人でも多い方が安心だよ」
それもそうか、冬眠前のクマは危険だ。いくらカァルでも負けてしまうかもしれない。ジュト兄が付いてきてくれた方が安心なのは間違いない。
「わかった。先におじさんのところの用事を済ませてくるから、ちょっと待っていて」
食事の片づけが終わった後、カァルと一緒に、急いでおじさんの家へと向かう。
「――を探してほしいんです」
おじさんはセムトさんと言って、お母さんのお姉さんの旦那さん。隊商の隊長さんをしているんだ。隊商というのは、私たちの村で余っているものを他の村に持っていって、足りないものと替えてくること。いわゆる交易ってやつだね。おじさんはかなりのベテランらしくて、このあたりのことならなんでも知っている頼もしい存在なんだ。
「確かに、そういうものがあるのは聞いたことがあるが、手に入るかどうか……。それにこれから冬になって私たちも動けなくなるし、すぐには見つからないかもしれないよ」
「それでも構いません。どうしても必要な物なのでお願いします!」
「にゃお!」
「わかった。かわいい姪っこの頼みだからね。探してみるよ」
これで、こちらの方はおじさんに任せていたら何とかしてくれるだろう。
急いで家に戻って、ジュト兄と一緒に山へと向かう。ジュト兄が操る馬の後ろに乗せてもらい、カァルはそのあとを離れずについてくる。もちろん私も馬に乗ることができるけど、一頭は家に残すことにしているんだ、急患で呼ばれることがあるからね。
今向かっているのは、少し山に入った道沿いの場所。道と言っても私たち薬師や狩人ぐらいしか通らないところなので、ここに薬草があるなんて誰も知らないと思う。
私たちは通いなれた道を進み、目的の薬草を収穫していく。その間のカァルはいつものように周りを警戒してくれてるから、私たちも安心して作業ができる。
「今年は寒くなりそうだね」
ジュト兄のいう通り、去年より寒いかもしれない。この様子ならいつ雪が降り出してもおかしくない。
「ほんと、クマが出てきてもおかしくなかったよ。ありがとうジュト兄。薬草もこれくらいあったら大丈夫だよね」
必要な量の薬草も手に入れることができたので、暗くなる前に山を降りようとしたんだけど、カァルの様子がおかしい。
周りを警戒しているのか、キョロキョロと落ち着かない様子だ……
「カァルどうしたの? 何かいるの?」
カァルは警戒を強め、唸り声を上げ始めた。
「グルルルル!」
カァルが睨みつけるその先には、白地に黒い模様が鮮やかな一匹の若いユキヒョウの姿があった。
あまりにも美しいユキヒョウの姿に、私とジュト兄が声を上げることもできずに見惚れていると、カァルはゆっくりとそのユキヒョウに向かって歩いていく。
そして二頭は
きっと、相手の子はメスなんだと思う。
カァルは恋のお相手を見つけることができたみたいだ。
「ソルいいの?」
「うん、カァルはいつか山に返さないといけないと思っていたから……」
最初は興味なさげにしていた相手のユキヒョウも、次第にカァルに寄り添っていき、そして二頭は山の奥へと消えていった……
「ソル……」
「ジュト兄、帰ろう。暗くなる前に……」
私は馬の上でジュト兄に掴まりながら考えていた。
テムスになんて話そうか……
窓の外からスズメの声が聞こえてくる。目の中も明るくなってきたから、そろそろ夜明けだと思う。
ところが、目を開けようとするけどうまくいかない。多分、寝ているうちに泣いてしまって、
「ははは、あっちでは泣かなかったのに、僕の方が泣いちゃうなんて……」
目をこすりながら思わず口に出してしまった。この部屋には他に話を聞いてくれる人は誰もいないというのに……
寂しいけど、カァルが幸せになってくれたらそれが一番だよね。そういえば、ユキヒョウのオスって子育てをしないんじゃなかったかな……それならいつかどこかで会えるかな。
6時か……さてと、朝ごはんまで時間がある。いつものように散歩に行こうかな。そうだ、今日は日直だった。早めに学校に行かなくちゃ。
今日もいつもと変わらない一日が始まる……
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