ブームに乗る二人

『皆さんこんばんは。氷月ひゅうがこおりが午後七時をお知らせ致します。今日も私の配信に来てくれてありがとう』


 ゲーミングチェアに座りこおりちゃんの配信ページに飛ぶと、俺は缶ビールを開け勢いよく喉に流し込んだ。


 今日は金曜の夜。社会人にとって最も幸せな時間。


『ふふっ、明日は用事があるので今日は雑談枠です。一時間くらいで終わる予定です。ごめんなさいね』


「マジか」


 今日の配信は一時間で終わりか。残念だな。


 まあ俺も明日は菜々実ちゃんと遊びに行くという用事がある。今日は早めに寝ておいた方が良いかもしれないな。


『今日は質問箱に来たお便りからいくつか答えていこうと思います』


 お、今日は質問枠か。


 俺は質問枠好きなんだよな。こおりちゃんの人となりを知れるいい機会だし。俺自身、何度も質問投稿をしている。


『では早速最初の質問です────こおりちゃんこんばんは。もしこおりちゃんがデートに行くとしたら、どういう所に行きたいですか?』


「おお、質問読まれた!」


 菜々実ちゃんと遊びに行くことになったけど、どこにいけばいいか全く検討がつかないから一応こおりちゃんの質問箱にも入れていたんだよな。


 あとはネットで色々調べてはみたけど、正直どれもしっくりこなかった。前日の夜になってもプランが全く決まっていない。やばいかもしれん。


 俺はコメントでアピールすると、こおりちゃんの回答を待った。


『質問主さん、質問ありがとうございます。デートですか…………ふふ、好きな人とだったらどこでも楽しいと思いますよ。一緒にいられるだけで、何よりも幸せだと思います。私個人の好みで言えば……そうですね、人混みがあまり得意ではないので静かなところだと嬉しいかもしれません』


 こおりちゃんの回答に、胸がドキッと跳ねた。

 こおりちゃんの声色がとても幸せそうで……本当に魅力的だった。こおりちゃんはデート前こんな感じなのかな。


 もしこおりちゃんとデートに行けるなら……こんなに幸せなことはないだろうな。釣り合わないことは分かっていても、つい妄想してしまう。


「…………はあ」


 ………もう、認めるしかないか。


 俺は……こおりちゃんに恋しているのかもしれない。

 バーチャル配信者に恋するのなんて無駄だとは分かっていた。だから必死に『俺は純粋な気持ちで応援している』と自分に言い聞かせていた。


 でも、ダメだ。

 一度自覚してしまえば、『ああ、そうだったんだな』と強く腑に落ちてしまった。


 顔も知らない、なんなら声しか知らない相手を好きになってしまった。バレッタが鳥沢とりさわさんなんだ、こおりちゃんだって本当の性格は分からない。声だって多少は作っているだろう。そうなったら、俺はこおりちゃんの事を何も知らないことになる。


 それでも、こおりちゃんの中の人がどんな人でも、俺はきっと好きなんだろう。





 配信を終えると、千早さんからメッセージが来た。


『明日、ピクニックとかどう? 天気もいいみたいだし』


 ピクニックかあ。人も少なそうだし、いいかも。


 どんな感じになるんだろうか。

 想像してみる。


 よく晴れた青い空。白い雲。


 芝生の丘にシートをひいて、千早さんと私は仲良くお弁当を食べる。

 お弁当を食べて二人並んで寝そべっていると、ポカポカ陽気に千早さんが眠くなっちゃったりして。

 私はうとうとしている千早さんを膝枕で…………。


「…………うへへ」


 いい。


 ピクニックいい!


『ピクニックにしましょう! 私、お弁当準備します!』


 返事を送り冷蔵庫を確認する。


 ……うーん、これは買い出しに行かないといけないかも。どうせなら美味しいお弁当を食べて欲しい。胃袋から掴め、って言うもんね。


 私は着替えると、近くのスーパーに向かうためマンションを出た。





 昼。


 予報通りの晴天が俺を責める。

 七月の日差しはジリジリと肌を焼き、背中がじっとりと汗ばんでいく。


「千早さん、おはようございます!」


 菜々実ちゃんが住むマンション前で待っていると、白いワンピースを着た菜々実ちゃんがパタパタと出てきた。麦わら帽子を被って、両手でランチバスケットを抱えている。


「おはよう、菜々実ちゃん」


「お待たせしてすいません……お弁当に思ったより時間がかかってしまって……」


「ううん、気にしないで。寧ろこの前のお礼のはずなのにお弁当準備して貰っちゃってごめんね。そもそもお礼になってるのか分からないけど……」


「ふふっ……なってますよ」


 菜々実ちゃんは困った様子の俺を見て笑う。


「そっか。それなら良かった」


 本当にお礼になってるのか。栗坂さんの言っていた『二十歳の中でデートがブーム』というのは、どうやら本当らしい。


「じゃあ、行こっか。それ持つよ」


 俺が手を差し出すと菜々実ちゃんが申し訳なさそうにランチバスケットを握らせてくる。


「ありがとうございます」


「これくらいはしないと申し訳なくて食べれないから」


 菜々実ちゃんと二人並んで歩きだす。

 夜は街頭が無くて真っ暗なこの道も、昼間は明るい。


「そういえば、どこでやるんですか?」


「少し歩いたところに大きな公園があるんだけど、そこでやろうと思って。いい感じの芝生もあるし」


 ここからだと徒歩二十分くらいか。


「多分二十分くらい歩くけど……どうする? バス使おっか?」


 俺の提案に菜々実ちゃんはかぶりを振った。


「歩きたいです。こういうのもピクニックの醍醐味ですから」


「それじゃそうしよっか」


 世間話をしながら舗装された道を歩く。


 そういえばこうやって菜々実ちゃんとなんでもない話をするのは初めてかもしれない。



「────じゃあ、菜々実ちゃんは去年東京に出てきたんだ」


「そうですね。なのでまだまだ田舎者なんです」


「ははっ、俺もだよ。三年いるけど全然都会人になった気はしないね」


 そんなことを話しながら歩いていると公園に辿り着いた。


「わあ……! 大きい公園ですね!」


「そうだね。俺もあまり来たことはないけど、来ると毎回誰かしらピクニックをしてるから、それで思いついたんだ」


 見渡すと、俺たちの他にもちらほらピクニックをしにきている人が目につく。家族や若者など。


 俺たちはいい感じに木陰になっている場所を見つけると、レジャーシートを敷いた。靴を脱いでシートにあがると柔らかな芝生の感触を足裏で感じる。


「千早さん、お腹空いてますか?」


「うん、朝ご飯食べてないからもうペコペコ」


「それじゃあお昼ご飯にしましょう」


 菜々実ちゃんがランチバスケットを開けると、そこには小さな水筒とハムや卵など色とりどりの具材を使ったサンドイッチが入っていた。


「沢山食べてくださいね」


 菜々実ちゃんは少し恥ずかしそうにランチバスケットを差し出してくる。


「ありがとう。じゃあ……頂きます」


 ハムのサンドイッチを食べる。口の中にパンの仄かな甘みとハムとマヨネーズの塩気が広がった。


「……めちゃくちゃ美味しい。菜々実ちゃん、料理上手だね」


「…………さ、サンドイッチですから。誰でも出来ますよ」


 菜々実ちゃんは恥ずかしそうに頬を掻いた。本当に美味しいんだけどな。謙遜しなくてもいいのに。


 二人で景色を眺めながらサンドイッチを食べていると、散歩している人が前を通る度ちらちらとこちらを見てくることに気が付いた。特に若い男などはほぼ確実に視線がこちらに向く。


 正確にはこちらというより菜々実ちゃんを見ていた。気持ちは分かる。ついつい見てしまうくらい菜々実ちゃんは可愛いんだよ。隣にいる男がこれまたどこにでもいる男だから余計に珍しいんだろう。

 ないとは思うけど、もし絡まれるような事があれば俺が何とかしないとだな。


 サンドイッチを食べ、水筒の麦茶を飲みながら二人でまったりする。


 果たしてこれでいいのだろうか。お礼になっていればいいが。やっぱりちゃんとしたプランを考えた方がよかったかな。俺、ほとんど何もしていないぞ。


 隣を見ると、菜々実ちゃんは瞼をトロンとさせていた。上半身がふらふらと僅かに揺れている。眠いのだろうか。


 確かにこの陽気は眠くなるよな。ご飯も食べて、ぽかぽかで。寝たら最高に気持ちがいいだろう。俺は特に声をかけることはせず、足を伸ばした。こっちもこっちでリラックスさせてもらおう。


 そのまま二人でぼーっとしていると、菜々実ちゃんがついに身体を大きくぐらつかせた。こちらにもたれ掛かると、頭はそのまま俺の胸を滑り落ち綺麗に膝の上に収まった。


「…………え?」


 俺の膝の上で、菜々実ちゃんがすうすうと寝息を立てている。


 いやいやいやいや待て待て待て!!!


 これ、膝枕だよな!?


 俺は今菜々実ちゃんに膝枕しているのか!?


 おっかなびっくり下に視線をやる。

 菜々実ちゃんの冗談みたいに小さくて綺麗な横顔が俺の膝の上で気持ちよさそうに収まっていた。


「…………うわ」


 心臓が早鐘を打つ。汗が噴き出す。


 なんだこれ。どういう状況だ。


 緊張やら、俺なんかの膝でという申し訳なさでどうにかなりそうだった。ちらちらとこちらを見る周りの視線も胸を締め付ける。


 膝を暖める温もりが妙にリアルで艶めかしくて、俺は空を必死に眺めた。出来る限り下半身の感触を忘れようと努めた。


 お願い、早く起きてくれ。


 …………心のどこかで「起きないでくれ」と思っていることには、気付かない振りをした。





 ふっと目が覚め、自分が寝ている事に気が付いた。


 柔らかな感触。シートの上じゃない。


 視界に意識を向けると、衝撃的な事になっていた。


「……!?」


 私…………千早さんに膝枕されてる!?


 なんでなんで!?

 どうしてこんなことになってるの!?


 慌てる心をよそに、身体は必死に動かないように頑張っていた。寝た振りをしていればこのままでいられることを瞬時に判断していた。


 心臓がバクバクいっている。耳から感じる千早さんの太腿の温もりが、私をどうにかしてしまいそうだった。


 私はそっと目を閉じた。目を閉じると、余計に膝枕の感触が強調された。


 ……神様、どうかもう少しこのままでいさせて下さい。


 私はわざとらしく「うーん」と声をあげると、手をそっと千早さんの膝に乗せた。

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