約束

 酔ったこおりちゃん最高に可愛かったんだが!!!!!!


 オフコラボ最高だったんだが!!!!!!


 ……ふう、すっきりした。


 配信が終わった今も、胸がバクバク鳴っている。

 今回の配信……酔っ払ったこおりちゃんの可愛さが限界突破して俺を殺しにきていた。


 あの甘々ロリボイスで発される猫撫で声のあまりの破壊力に、ツブヤッキーのトレンドにも「氷月ひゅうがこおり」が入っている。バーチャル配信者界隈はお祭り騒ぎだった。


 配信の同時視聴者数は最終的に十万人を突破し、こおりちゃんのチャンネル登録者数は配信中だけで三万人ほど伸びて三十三万人になっていた。今回の配信が話題になってもっともっと伸びるだろう。

 『氷月こおり』の人気を一段階上に押し上げるのは間違いない、そんな配信だった。


 それは開始早々酔って寝落ちしたこおりちゃんが可愛かったこともあるが、それよりも。


 起きて酔いが覚めた後の、姫とのトークが本当に良かったのだ。


 いつもとは違うリラックスした雰囲気で、こおりちゃんの配信に対する想い、ファンへの想い、姫との関係など、これまでこおりちゃんが配信に載せることの無かった心情が姫との雑談で語られた。


 俺はそれを聞いて…………正直泣いてしまった。


 辛抱たまらなかった。


 特に、こおりちゃんが配信を始めたての頃の話になった時。あの頃はまだチャンネル登録者数五百人くらいの無名バーチャル配信者だった。

 思うようにチャンネル登録者数が伸びず、活動を辞めようか悩んでいた事もあったそう。

 それでも辞めずに続けてこれたのは、ファンの存在が大きかったとこおりちゃんは語った。


『私が今こうやって沢山の人の前でお話出来ているのは、あの時支えてくれた皆さんがいたからです。…………まだ観ていて下さっているでしょうか。のお陰で、私は今ここにいます。本当にありがとうございます』


 画面の向こうにいる一人一人に語りかけるように発せられたその言葉。


 俺はそれを聞いた瞬間、涙を堪えきれなかった。


 拭っても拭っても次から溢れ出して、視界がぼやけた。抑えきれず声にならない声が口から漏れた。


 部屋で一人で嗚咽する二十五歳がそこにいた。


 気持ち悪いか?


 いいさ気持ち悪くても。

 かっこつけるために推してる訳じゃない。


 俺は立派になった娘を見るよう父親のような感情でこおりちゃんの語りを聞いていた。


 この感情はきっと個人勢バーチャル配信者のファンならではのものだろう。


 姫のような企業勢バーチャル配信者は、デビューする時にはとても話題になり、何もしなくても登録者数が十万人を超える。

 その分厳しいオーディションを合格した者しかなれないが、なってしまえばあとは順風満帆なバーチャル配信者生活が約束されている。


 反面個人勢バーチャル配信者は、誰でもなれる代わりにゼロからのスタートだ。

 面白い面白くない、可愛い可愛くない以前に、「そもそも観てもらえない」という状態を脱する所から始まる。そして、そこで挫折してしまう人が最も多い。何をやっても反応が貰えないというのが最も辛いのは、何となく分かるだろう。


 こおりちゃんも同じ状態に陥った。でも辞めなかった。俺たちの存在、コメントの一つ一つが、確かにこおりちゃんを勇気づけていたんだ。


 こおりちゃんを推していて良かった。


 俺は心から、そう思った。





 感情がぐちゃぐちゃになり昨日はいつの間にかベッドで横になっていた。酒も入っていたし、こおりちゃんの配信が終わってからの記憶が曖昧だ。


 スマホを確認すると午前九時。めちゃくちゃ寝たな。


「ん……?」


 ロック画面がルインの未読メッセージありを告げていた。お恥ずかしながら俺には日頃連絡を取るような相手は殆ど居ない。全てをこおりちゃんに捧げているが故に。


 首を捻りながらルインを開くと、メッセージ主は「木崎きざき菜々実ななみ」と表示されていた。


 見慣れない名前に一瞬寝惚け頭がフリーズするが、ああこの前助けた女の子かと思い出す。


 確かお礼がしたいと言っていたっけ。大した事はしていないし、本当に気にしなくていいんだけどな。ああいうキラキラした子が俺みたいな社会不適合者と関わるのは、はっきり言って時間の無駄だ。俺もあの子のきっと輝かしいであろう人生を邪魔したくはない。


 ルームをタッチしてメッセージを表示する。そこにはこう書かれていた。


『こんばんは。先日は本当にありがとうございました。お礼に食事でもと思うのですが、明日空いてたりしませんか? お返事待ってます』


 畏まってるのか砕けているのかよく分からない文章だった。


 それにしても、食事か。

 行くのはいいんだが、流れ的に向こうは多分奢る気なんだろうな。

 あの子はどう見ても俺よりかなり年下だった。もしかしたら学生とかかもしれない。

 年下に奢られるというのも、なんだか居心地が悪いな。


 ただ、向こうも何かしないと収まりがつかないのだろう。ここは大人しく奢られる方がいいか。遠慮しないのも気遣いだ。


『こんにちは。丁寧にどうも。そういうことなら是非。時間はどうしようか?』


 俺はあくびを噛み殺しながらポチポチと返信を送った。





「返信が……こない…………既読が……つかない……」


 不安に押し潰されて、私は涙目になる。


 どうしよう……私、嫌われちゃったのかな。気付かないうちに何かしたのかな。連絡が遅かったのかな。


 時刻は午前九時。昨晩同じベッドで寝た真美さんは、隣で昨日の配信の反応をスマホで調べて満足そうな表情を浮かべている。


「おいおいななみん、何を涙目になってんのさ」


 パジャマ姿の真美さんが呆れたように私の顔を覗き込んでくる。綺麗なピンクベージュの髪が朝日を反射してキラリと輝いた。


「既読がつかないんです…………どうしよう……嫌われちゃったのかな……」


「あのなあ……まだ九時だろ? 向こう寝てんじゃないの?」


「でも……」


 頭では分かっていてもどうしてもネガティブな考えばかり浮かんでしまう。恋ってこんなに苦しいんだ。


 堪えきれず目から涙が零れ落ちそうになったその時、千早さんとのトーク画面にひょこっとメッセージが表示された。


『こんにちは。丁寧にどうも。そういうことなら是非。時間はどうしようか?』


 !!!!!!


 千早さんがお返事をくれた!

 しかもこれ、オッケーってことだよね!?


「こんにちは。丁寧にどうも。そういうことなら是非。時間はどうしようか? ……へへへ」


 つい声に出してしまう。隣に真美さんがいるというのに、にやけがとまらない。


「真美さん真美さん! お返事が来ました! ほら!」


 いてもたってもいられずスマホを向ける私に真美さんはなんだか優しげな微笑みを湛えていた。なんだろう、この慈愛の眼差しは。


「お〜良かったねえ。んじゃ安心したし私はそろそろお暇しようかな」


 ベッドを軋ませて真美さんは床に降り立った。


「あれ、もう帰っちゃうんですか?」


「今日昼からバーチャリアルのコラボ配信があってね。色々準備しときたいし、とりあえずななみんの恋が順調そうなのも分かったから」


「随分ハードスケジュールですね」


「まあねん。じゃあぱぱっと用意して帰りますか」


 真美さんは本当にぱぱっと準備すると嵐のように帰っていった。

 また来るね〜と言葉を残して。


 ……いい人だったな、真美さん。これからも仲良く出来たらいいな。


「……ふふっ」


 ダメだ、跳ねる心が抑えられない。


 だって今日は千早さんとご飯。


 千早さんとご飯ですもの!


 千早さんとのトーク画面を眺める。好きな人と話すのがこんなに楽しいなんて知らなかった。


 あ、そうそう。返信をしておかなくちゃ。


 時間かあ……。お肉って夜の方がいいよね。夜配信は出来なくなっちゃうけど、午後七時とかでいいかな。


「えーっと、返信ありがとうございます。午後七時はどうでしょうか……っと」


 送信っ。





 ほどなくして木崎さんから返信が帰ってきた。


『返信ありがとうございます。午後七時はどうでしょうか?』


 うーん午後七時か。その時間は恐らくこおりちゃんの配信と被るんだよな。

 まあでも仕方ないか。流石にこっち優先だろう。


『それで大丈夫です。七時にマンション前に行きます』


 俺はそう送信すると、ベッドにダイブした。


 何するかって?


 無論、二度寝だ。

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