酒は飲んでも飲まれるな。

 もうすぐ午後七時。こおりちゃんと姫のオフコラボ配信に向けて俺は万全の体制でスタンバっていた。

 長風呂に入り身体をリラックスさせ、手元にはキンキンに冷えた缶ビールとおつまみアソート。まさに銀河系軍団。完璧な布陣と言っていい。


 いつもなら放送前から、なんなら昼から飲んでいるが今日はまだ身体に酒を入れていない。その理由は姫の呟きにある。


『今日のこおりちゃんとのオフコラボ配信はなんと禁断の飲酒枠!!!!! 大人の皆はお酒を用意して待機するように! 子供の皆は好きな炭酸で我慢だ!』


 そう。


 なんと今日の配信は飲酒配信なのだ。飲酒配信は大抵最初に乾杯の音頭があるため、俺はこうして酒を手元に置いて待機しているというわけだ。


 それにしても飲酒配信か。

 古参ファンの俺には分かるが、こおりちゃんはこれまで飲酒配信をしたことはない。

 つまりは初飲酒枠。


 楽しみすぎるだろ、いくらなんでも。

 最高の休日になりそうな予感がビンビンする。


 期待に胸を膨らませていると、モニターが待機画面から切り替わる。時計を見れば丁度午後七時。配信が始まったんだ。


『皆さんこんばんは。氷月ひゅうがこおりが午後七時をお知らせ致します。今日も私の配信に来てくれてありがとう。今日はお伝えしていたとおりオフコラボ配信です』


 こおりちゃんの3Dモデルが画面に現れる。綺麗な青色の長い髪。サファイアみたいに輝く瞳。透き通った白い肌。青色のドレスに身を包んだ完璧な美少女がそこにいた。今日も最高に可愛い。


『ちょっと〜!? ただのオフコラボ配信じゃないでしょー!? い、ん、しゅ、オフコラボ配信だからね! …………みんな飲み物の準備はおーけー!?』


 画面にもうひとつ3Dモデルが現れる。

 怪しげな妖気を纏った紫のツインテール。頭には悪魔の王冠。

 漆黒のゴシックドレスに身を包むのは魔界のお姫様、魔魅夢まみむメモだ。


『メモちゃん、私が呼んだら出てくる手筈じゃないでしたっけ?』


『あはは、我慢出来なかった! 楽しみすぎてつい出てきちゃった!』


 画面の向こうでは早速段取りが崩壊しているらしい。流石は姫。バーチャル配信者いちフリーダムな姫の二つ名は伊達じゃない。


『……気を取り直しまして。皆さんご存知だと思いますが、今日はメモちゃんがうちに遊びに来てくれました。いつの間にか飲酒枠になっていたんですが……何故か今、私の手元にちょい酔いサワー用意されています』


 マジか。飲酒枠、姫が勝手に決めたのか。とんでもないな。

 コメント欄もまさかの事実に沸いている。


『実は私、お酒を飲んだことがなくて。とりあえず弱いお酒を用意してもらったんですが……お見苦しい姿を見せてしまったらごめんなさい』


 !?

 こおりちゃん、お酒を飲んだことがないのか。ハタチなりたてとかなのかな。こおりちゃんはその辺きちんとしていてリアルの情報を全く透けさせないんだよな。

 それにしても人生初飲酒に立ち会えるとは……俺は胸が熱くなった。今日は伝説の配信になるかもしれない。


『こおりちゃん〜! お酒が温くなっちゃうよ〜!? はやくはやく〜!』


 姫の3Dモデルがじたばたと揺れる。他人の家での初コラボだと言うのにこの堂々とした振る舞い。ザ・フリーダム。


『ああ……メモちゃん急かさないでください……。コホン、では皆さん準備はよろしいでしょうか。いきますよ〜〜…………乾杯!』


 乾杯!


 俺はそうコメントに打ち込むと勢いよくビールを呷った。





 おろ?


 なんだか頭がぽやぽやしますねえ?


 視界がぐーるぐる。


 あははは! なんだかいい気持ちです。


「ちょっと〜? こおりちゃん〜? 大丈夫ー?」


 目の前を手がいったりきたり。


「メモしゃん……なんでしゅか……?」


 メモちゃんはとっても綺麗な人。大人のお姉さんって感じでした。


「あちゃー……まさかこおりちゃんがここまでお酒弱いとは……姫も予想外だったよ」


「わらし、よってないれすよ〜?」


 私、全然酔ってない。まだ少ししか飲んでないもん。


「それは酔ってる人しか言わない台詞なのよ」


「ころもあつかいしないれください! もう!」


「うおっ、ビックリした……めっちゃ悪酔いしてるやん……衣扱いて」


 メモちゃんはいじわるです。私を子供扱いして。


 私はぐるぐるする視界をなんとか抑えて画面に目を向ける。折角のオフコラボだもん。コメントを拾わなきゃ。


『!?』『天使や……』『この放送に立ち会えて良かった』『姫、マジでグッジョブ』『休ませてあげて』『いくらなんでも可愛すぎるやろ』『こんな可愛い生物がいていいの?』『姫がフォローする側に回っててワロタ』


 コメントはなんだか可愛い祭り。


「わかるよ〜〜メモしゃん、とってもかぁいいよね〜! あえてよかった〜〜えへへぇ」


『にやけとまらん』『かわいい』『誰か俺を殺してくれ』『人って酔うとこんなんなるんだ』『持ち帰りたい』


 ぶわ〜っと流れるコメントを見てたら何だが眠くなっちゃった。


「みんな、おやすみ〜」


 おやすみなさーい。





「えーっと……マジか」


 ななみんがすぅすぅと寝息を立て始める。まだ配信が始まって五分と経っていない。まさかの事態だ。


 それにしても可愛いな、ななみん。顔を合わせた時こおりちゃんに負けず劣らずの可愛さでビックリしてしまった。今まで会ったバーチャル配信者の中でも断トツに顔が整っている。


 ちょい酔いサワーの缶を持ってみるとほとんど減ってない。本当に数口でここまで酔っちゃったのか。


『こおりちゃん寝ちゃった?』『マジかww』『放送事故だろこれ』『いいもん見させて貰った』


 コメントは荒れてない。いい感じの雰囲気を保っている。


「皆ごめーん、こおりちゃん寝ちゃった! 全然飲んでないから多分すぐ起きてくると思うけど、その間このチャンネルは私が占拠したからそこんとこヨロシク!」


 コメントの反応も良いし、丁度いいから言いたいこと全部言ってしまおう。


「まず今回のオフコラボね、決まったの昨日の夜なのよ。ほんとに決まってすぐ告知した感じ。私が無理やり押しかけた形なんだけどね。と言うのも私とこおりちゃんについてファンの皆に言いたいことがあってさー。ちょっと真面目な話なんだけど聞いてくれる?」


 コメントを見ると皆聞いてくれるようだ。

 私はコップに注いだ日本酒を一気に空にすると意を決して話しだす。


「私のファンとこおりちゃんのファンってさー、ちょっと仲良くないとこあるじゃん? まあ原因は私がエムエム下手っぴだったせいなんだけどさ。荒れたことは私気にしてなくて、でも仲悪いのはちょっと悲しいんだよね〜……それで仲良くなって欲しいなーっていうのが今回のオフコラボの発端なのよ」


『そこに触れるか』『まあな』『仲良くしようぜ』『つまり仲悪くすればこれからもオフコラボが見られる……?』『ちょっと男子〜仲良くしなさいよ〜?』


「私これからもこおりちゃんとは沢山コラボしたいと思ってるのね。だからファンの皆も仲良くしてくれたらなーって思うわけ! 真面目な話終わり! あ、あと私今エムエム猛特訓中だから。ランクもゴールドいったし。次は優勝すっから楽しみにしとけよー!」


『うおおおおおお!!!』『ゴールドかよw』『分かりました姫!』『お前らよろしくな』『仲直りしよう』『優勝だ!!!』『こおメモてえてえ……』


 よし。

 言いたいことも言ったし、あとはななみんが起きてくるまで好き勝手騒ぎますか!


「よーし! じゃあ今から勝手にこおりちゃんの私室探索実況すっぞー!」





 配信も終わり、私達はパジャマ姿でベッドの上に寝そべっている。


「本当にごめんなさい。まさか寝ちゃうなんて……」


 本当にやってしまった。真美さんには申し訳ないことをしたな……。


「んやんや、結果的に盛り上がったしオッケーしょ! 酔ったななみんめちゃくちゃ可愛かったしね」


 可愛かった……?


「寝る前の記憶ないんですけど、私何か変なこととか言ってませんでした……?」


「リアルに繋がることは言ってなかったから安心していいよ。でもななみんは配信見ない方がいいかもね」


 真美さんの不穏な言葉に私は凍りつく。一体何をしてしまったんだろうか。


「それよりさ、恋バナ聞かせてよ! 私半分はそっち目的だし」


 真美さんが笑顔で脇腹をつついてくる。むずむずとくすぐったい。


「恋バナと言っても話すようなことなんて無いですよ……? 一緒にいた時間も……まだ数分しか……うう……」


 千早さんに会いたいな。


 菜々実って呼んで欲しいな。


 頭撫でて欲しいな。


 考えたら恥ずかしくなってきた。顔が熱くなっていくのを感じる。

 私は傍にあった枕を引っつかむと顔をうずめた。ひんやりとして気持ちがいい。


「あはは! だいぶ重症だね」


 真美さんが背中をそっと撫でてくれる。


「ななみんはその子と付き合いたんだよね?」


「…………はい」


 付き合いたいに決まってる。胸が苦しくて、苦しいんだ。


「それでご飯に誘いたいと」


「…………そうです。助けて貰ったお礼という口実で誘いますねとは言ってあるんです」


 枕に顔をうずめたままもごもごと喋る。なんだか面と向かってこういう話をするのが恥ずかしかったから。


「恋愛ルーキーなのに連絡先を入手しとくとはななみんも中々やるねえ。店が聞きたいって言ってたけど、とりあえず若い男なら肉奢っとけばいいんじゃない?」


「お肉……ですか?」


「そ。他人のお金で食べるお肉が嫌いな男っていないから。とりあえず焼肉行っとけば間違いない!」


「なるほど……焼肉ってどういうお店がいいですか? やっぱり高い所の方が……?」


「あんまり高くても向こうが緊張するでしょ。あくまで助けてくれたお礼ってことなら普通のファミリー焼肉でいいと思うよ。リラックスして会話も弾むでしょ」


 焼肉かあ。ちょっと匂いが気になるけど……いいかもしれない。それで千早さんが喜んでくれるなら。


「……やっぱり真美さんに相談して良かったです。焼肉という発想は私の中にありませんでしたから」


「ふっふっふ、お姉さんに任せときなさいって。じゃ、早速連絡しよっか?」


「えっ!?」


 今から!?

 そんな急に言われても……心の準備というものが。


「こういうのは時間空けるほど誘いにくくなるもんさ。丁度明日は日曜だしね。ほら、連絡連絡」


 真美さんが肩を揺らしてくる。


「……わかりました」


 私は枕から顔を上げると傍に転がっているスマホを掴んだ。ルインを起動してある名前を探す。


 岡千早。


 名前を見るとついにやけてしまう。実はこれまで何度も無意味にルインを開いてはにやにやしてしまっている。うん、重症だ。


 トーク画面を開くと、真美さんが顔を近付けて覗き込んでくる。


「へぇ、千早くんって言うんだ。いい名前だね」


「……恥ずかしいのであんまり見ないでください」


 ええと、書き出しは何がいいんだろ。こんばんは。でももう夜遅いから千早さんは朝確認するかも。それならおはようございます、の方がいいのかな。でももし起きてたら夜におはようだなんて変な子だと思われるかな。


「うーん……」


 私が悩んでいると、真美さんが笑いを堪え切れないと言って様子でお腹を押さえる。


「ちょっとななみん、どこで悩んでるの」


「いざ送るとなると緊張してどう書いたらいいか……」


「いいわあ……青春だわ……なんか私まで若返ってきたかも」


「真美さんもまだまだ若いですよね」


「あら、可愛いこと言ってくれるじゃないこのこの!」


 真美さんがほっぺたを突っついてくる。顔が揺れて画面が見づらい。


「約束なんてね、ラフな感じで送ればいいのよ。あんまり畏まってたら向こうも緊張するでしょ」


「……確かにそうかもしれません」


 真美さんは気軽に遊ぶ約束をしてくる。だから私も緊張せずに仲良く出来ているのかも。


 私はポチポチとスマホを操作して文章を打ち込むと、何度も心の中で暗唱した。


 よし、おかしいところは無いはず。


「うんうん、いい感じ」


 覗き見ていた真美さんも背中を押してくれる。見られたのは恥ずかしいけど、心強い。


 祈る様な気持ちで私は送信ボタンを押した。


 ……胸がドキドキする。

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