詭妄-7(寄り合いと排斥について)

算盤を弾き、カルロは日毎の消費カロリーを計算していた。屋敷に積んである食料の残りと合わせて猶予は半月。働き手が倒れると取り返しがつかないので、チェイスへの報酬は削れない。加えて採取の取れ高も悪い。なれば食べる量を今以上に減らし、延命を図るより他にあるまい。帳面を投げ出したカルロは満たされることのない空腹を抱え、随分と広くなった寝台の上で複製二体と抱き合って眠った。



「チェイス、カルロ? 街で焼菓子が手に入りましたよー、一緒に食べましょうね?」

よく通るペタルの声が無人の廊下に響く。声と足音を聞きつけて、作業室からはチェイスが、寝室からはカルロがそれぞれ顔を覗かせた。

「でかした! 卵か!? 卵だな!? ここのところ油漬けとパンばかりで飽き飽きしていたところだ!」

「……おはようというにはやや遅い時間だな…… 顔を合わせるのは三日ぶりか? すぐに皿を用意しよう……」

はやくはやくとチェイスにどやされ、カルロは台所に追い立てられていく。その後ろ姿をペタルはゆっくりと追いかけた。


ナイフを持ったカルロが丸い菓子をゆっくりと切る。偏りのない五号サイズは同居者二人と複製二体が監視する中、公正に三等分された。チェイスは匙を握り、待ちきれないとでもいうように椅子の上で揺れていた。カルロは指を立て、注目を集めてから宣言するようにいった。

「いいか、これがチェイスの分。これがペタルの分だ。文句はないな」

受け取ったペタルは皿の上をじっと見て、僅かに戸惑ったような顔をする。

「カルロ、あなたの分は?」

「均等に分けたんだ、大きさに違いがあるとも思わないが…… なにか不満か? 交換したいなら食い切る前に言ってくれ」

ペタルは一瞬きょとんとして目を瞬いた。

「いえ…… いいえ? 違います。でも、カルロはあなた一人じゃないでしょう?」

今度はカルロが目を丸くする番だった。

「確かに頭は四つある。いまは三つか。……でもこれは嗜好品だろう? 味を楽しむものなら身体の大きさで取り分を変えるのは道理ではないな」

我ながら欺瞞だなと思った。だが、カルロには食わせる側としての義務がある。下手な嘘をついてでも、二人により多くを食わせてやらなければという思いがカルロにはあった。

「そうだ、カルロのいうとおりだ! 俺は返さない、もう貰ったからな!」

これは俺の分だ、といったチェイスは既に食べ始めている。ペタルは困り顔のまま、自分とカルロの焼菓子をさらに切り、二つだったものを四つに分けた。切った片方をカルロの皿へ追加で乗せると分配は三対一になった。気まずく降りた沈黙の中で、ペタルが口を開く。

「自分には少し、大きいようでしたので」

「……礼を言う」

自分の倍ほどもあるペタルの背をそれとなくなぞりながら、三つの頭で再分配された『嗜好品』を囓る。油っぽい味の焼菓子は、噛むたび口の中がガサガサと鳴った。ペタルは見ない間に少し痩せたようだった。今、これを食うべきなのはペタルだろうと思ったが、カルロはそれをうまく言葉にすることができなかった。



鶏卵もパンも、ミルクも肉も、あらゆるものが値上がりしていた。剣の発注は入ったが納品までには期間が開いていて、支払い期日は更に先だ。請求期日を早める催促も、立場の弱さがあるので適わない。匙を口に運びながら無力感を覚える。ペタルが常駐でもそうでなくても、この家にいる限り食事の采配はカルロの役目だ。自分にもっと力があれば、と思う。押し込んだ匙の先に硬いものがあたり、不審に思ったカルロは焼き菓子をつついて崩した。横で口の端を舐めていたチェイスが、ぐっと口を拭う。

「なんだ、汚い食い方をするんだな。要らなくなったなら俺にくれ」

「いや……悪いがまだ食べている、中に種かなにかが入っていたみたいなんだ」

カルロは曖昧な返事をしながら焼菓子の中を匙で探る。崩したスポンジからは、銀色のコインが出てきた。カルロは表面を指で拭って絵柄をあらためた。ペタルは焼菓子を口に運ぶ手を止め、フェーブですね、と言った。

「いわゆる『当たり』のしるしです。パーティーの王を決めるのに使うんですよ。カルロは知っています? 焼菓子を食べて、みんなで王の言うことを一日聞く……そういう催しがあるんです」

「初めて聞いた。……それよりこれは、コルチ家の即位記念硬貨だ。俺も久しぶりに見た、なんでこんなところに?」

「値打ちものか? 金になるなら売っ払って新しいのを買おうぜ」

チェイスが横から口を挟めば、ペタルは呆れたように眉根を寄せた。

「フェーブなんて二束三文で取引されるものでしょう? 間違って飲み込んでも惜しくないものを使うわけですし、あまり期待はしない方が……」

「ペタルの言うとおり、忘れられた古銭だ。俺が生まれたときにはもう使われていなかった。発行元へ持っていっても何にも替えてはもらえないだろうな」

あれから時間も経っているし、そもそも国が残っているさえ怪しいものだ、とカルロは言った。茶で口を潤していたペタルが目を上げ、しばし思案する。

「あなたが言っているのがいつのことかはわかりませんが、一応、まだ残っていますよ。あまり状況は良くないと聞いていますが……」

「そうか、随分盛り上がっていると当時は思ったものだったが。輝天暦で八十年。いや、八十年代だったか……」

カルロは過去へ思いをはせる。ともあれ、答えられる質問が来るのはカルロにとって都合の良いことだった。しかし、その答えを聞いたペタルが渋い顔をしたので、カルロは引っかかりを覚えた。

「俺は今、なにか変な事を言ったか?」

「……いえ? できたらで良いのですが、今度から統合暦で言っていただけませんか?」

「ああ、そうか。この辺では使われていないんだったな。年数がわかるときはそうしよう」

「頼みますよー」


◆◆◆


ペタルは困ったように微笑みかけた。カルロの与り知らぬ事ではあるが、輝天暦というのは混迷そのものだ。公的には六十年代までしかないと伝えられているが、その後四十年ほど各地で使われていた跡があり、その上で暦の終わりとされる『輝天六十年』を何年に定めるかという記録が土地ごとで複数、それも矛盾するような記録が残されている。北に集められた文献を漁っていたペタルは常々、そんな暦を指標に使わないでほしいと思ってたし、カルロが来た今、その思いは一層強くなっていた。


話に区切りがついたところで、先に食べ終えたらしいチェイスが、そういえば、と言って切り出した。

「さっきペタルが言っていたコルチ家の話だが、ここからじゃだいぶ距離あるのによく知ってるな。医者だとその辺詳しくなるものなのか? それとも何か行く用事でもあったか?」

「いいえ? 知っているも何も、コルチと言えば螺旋の城ですよ。医術の中心地です。内の勢力図は知りませんが、あれらは表向きコルチ家の預かりということになっています」

「ああ、それでか…… 道理で詳しいわけだ」


◆◆◆


手元の硬貨は既に話題の中心から外れている。カルロがつまみ上げて光にすかせば、細かい傷の入った硬貨はきらきらと鈍く輝いた。

「……これっていうのは、引き当てた人間がもらっていいのか?」

「欲しいんですかー? 構いませんけれど、その硬貨になにか?」

問い掛けに、カルロは手元のコインを指さして見せた。そこには描画魔術に使うような直線を多用する文字が刻まれていた。

「ここに自律と繁栄を願う文言が刻まれている。俺が前に書いていた字とセットで使われていたものだ。多分、ペタルならわかるんじゃないか」

北方で使われる字が読めるのなら、と思ってカルロは言ったが、描画魔術に使われる文字と筆記に使われるそれは字体こそ近いが系統が違う。ペタルは目を細めて文字を追い、しばらく眺めて首を振った。

「ちょっと自分ではわかりかねますね……この模様に何かあるんですかー?」

カルロは白っぽい硬貨の表面を布巾の端で拭い、手の平に握り込んだ。

「俺の知る限り、こういった記念品のコインは取引の他に、まじないや縁起担ぎの挨拶へ使うものだ。つまりこうだ、『あなたに繁栄がありますように』」

青い指輪をした複製のカルロへと渡し、手を握り合わせて祈るように掲げる。同時に目を開き、重なり合った声で『失敗だ、不用意に手へ触れるものではないな』と言った。そのまま気がついたように互いがぱっと手を放す。

「うん? ああ、これは……」

「どうかしましたー?」

手を握りあっていたカルロの片割れ、コインを受け取った方のカルロが卓上のナイフを引き寄せて手元の文字をカツカツと叩いた。

「ここ、文字が一つ二つおかしくなっている。中心部分、まっすぐ引くはずの線がかすれて途切れているだろ。あとここだ、字が二つ飛んでいる。すり切れているんだろうな、これで正しく直ったはずだ」

「あ?」

コインを囲むカルロたちが何をしているのかを遅れて理解したチェイスが、喋っていた複製の腕を掴んでナイフを取り上げた。カルロはチェイスが複製を害するのではないかと思って口を開こうとした。だがそれよりもチェイスの怒号が飛ぶのが早い。

「大馬鹿野郎! 硬貨の文字に手を加えるな!」

カルロは驚きのままにチェイスを見つめた。ペタルが振り返る。チェイスに向けられる視線は困惑や驚きによるものばかりで、そこに賛同の色はない。チェイスが歯がみするのが見えた。

「ど、どうしたんですか? 声を荒げて……」

事態を理解していないらしいペタルの狼狽がチェイスを殊更に苛立たせたようで、口調はますます厳しいものになる。

「このグズ共め、知らないのか!? 魔術紋が『正式に』刻まれたなら否応なしに発動する、だから『記譜』の書式が決まっているんだ! 暴発しないように! それをおまえッ……『紋』の様式に直そうとしただろ!? そうでなくとも中央造幣局発行の翠玉貨には損壊に重い罰がある……露見すれば懲罰があるなどという生やさしいものではなく、硬貨そのものに込められた呪いによる強制執行だ! その意味をわかっているのか!?」

チェイスは力任せに机を叩いた。突然のことに、カルロもペタルもあっけにとられていた。

「いいか、現政権に君臨している女王は化物だ。いかにも! いかにもここはあれの支配地区で! すり切れた他国の古銭とはいえどこまで力が及ぶともわからんのにおまえ! くそ……俺を巻き込むな! 勝手に死ね!」

激昂するチェイスは叫び終わると取り上げていたナイフを机にたたきつけ、そのまま出て行こうとした。呆然としたままのカルロの横で、複製の一人、青い指輪を持つ一体が口を開く。いままで本体のカルロに従うばかりで音の一つも発さなかった喉が震えて明確に意思を示す。

「……身代わりは沢山いるんだ。チェイスに迷惑はかけないさ」

冷たい声に、カルロは震える。青い指輪のカルロは古いコインで机を叩き、これは私のものだ、と言ってから、舌に乗せてためらいなく飲み込んだ。そうして、カルロと繋がるための指輪を抜き、机に置く。

「これは返す。なにかあっても死ぬのは俺ひとりだけだ。誰にも迷惑はかけない、それでいいか」

扉に手をかけていたチェイスは舌打ちして戻ってくると、迷惑料とばかりに僅かに残されていた焼菓子を掴んで口へ押し込んだ。

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