第5話 封印されていた記憶

男に向けていた視線とは一転して穏やかな眼差しを湛えて私を見る。

「至極当然な疑問ですが……この神社は死者を彼岸へ送る場。神ならざるものしか居ることが許されません。立ち話していると瘴気や邪気にやられる可能性がありますので……少し場所を変えましょうか」


 泉を離れゆく歩澄の後ろをついて行くと、普段は立ち入らない本殿の2階へ辿り着いた。境内を見下ろすと境内の奥にある泉が一望できる。


「先程の話の続きですが、ここは神しか立ち入れない神社です。私が貴女を守護しているのは、貴女が神であるのと同時に生前、高貴な身分であったからです」

「高貴な身分……?私は神になる前、何があったの?」

思考を巡らせるほど、自分の正体が分からなくなり、謎が深まっていく。

「それは……。貴女はここに来る前の事の全貌を思いだしたいですか?酷く悲しいであろう出来事を。今まで避けてきましたが、貴女の意志を尊重します」


 歯切れ悪い口調で言い淀みながらも、歩澄は私に問う。念を押すように再確認されなくとも、私の答えは初めからただ一つ。許されるのなら過去の消された出来事は全て知りたかった。胸を焦がす想いと、時折記憶にちらつく男の人の正体も。


「思い出したい……私。ずっと何かを忘れてる気がしたの。お願い」

「……だそうです。いかが致しましょうか。底津綿津見神そこつわたつみのかみ様。どうかお姿をお願い致します」


 歩澄がそういうと、何もいなかった空間から風が巻き起こり、上質な羽織をまとった白髭を生やした男性が姿を現した。この本堂の2階は、彼の住処らしい。歩澄が私をここに連れてきたのは彼と合わせるためだろう。


「音羽様、このお方が神社の主です。海の底の神霊で……貴方をこの神社に導き、''音羽''と言う偽名も私と同じくこの方が付けました」

「申し遅れた。お主は生前の記憶を見たい、との事だったな。なら仕方あるまい。意思に応えよう。お主がここにきた理由と行いがわかるだろう」

しわがれた声と共に、ふと景色が変わる。 その景色は私の脳裏に膨張して広がった。浮かんだ映像に反応するように封印されていた記憶が走馬灯の如く蘇る───


*********

 眼前には青い海が広がり、心地よい波が船を揺らしている。その船に乗っているのは2人の男女。

『天皇の勅命によって東征……か。海の状態が心配だな』


 そう呟くのは高貴な身分の象徴である刀と着物を来ている男性。その顔には見覚えがあった──倭建命やまとたける様だ。彼は皇族で、周りには手下が集っている。映し出される彼の姿を一目みると、愛しさが込み上げてきた。


『天候は直ぐに変わりますからね』


 倭建命様の言葉に、上品な羽織を肩にかけた長い髪を垂らしている女の人──映像に移るはそう告げると、海を見渡す。既に雲行きは怪しく、遠方には雨雲が広がっている。暫く船に揺られ、海の中間である房総半島に差し掛かった。その時だった。突如風波が強まり、天に暗雲が空に垂れ込み、海が荒れ狂い始めた。乗っている船が激しく揺れ動き、飛沫を上げる。


『こ、これはまずい!一旦近くの陸に上がれ』

 倭建命様の指示に、周りにいる配下の者は忙しなく動き、周囲に視線を向ける。だが、ここは海の中間。当然近くに陸はない。

『倭建命様!難しいです。一旦身をおける陸が近くにありませぬ』

『なんだと?これでは東征を続けられ無いどころか、命も危うい』

『で、ですか……!』


 配下が狼狽え、倭建命様は策はないかと切羽詰まった表情をする。その間も荒波が弱まることはない。むしろ強まるばかりで海に投げ出されまいと、配下が無我夢中に船にしがみついている。様子を見兼ねたは配下と倭建命様に割り込む。


『待ってください。倭建命様。これはおそらく海の神の怒りです。こんなに急に変化するなんて……普通は有り得ません』


 おさまる気配のない突風。は配下と倭建命様から注がれる視線を受け止め、覚悟を決めて船の縁に立つ。私のしようとしていることを察したのか、目の前の倭建命様の表情は険しい。


『お前……なにをしようとしてる?』

『……私が貴方の身代わりになります。どうか倭建命様はご無事で』

『お前正気か……?どうしてそこまでするのだ''弟橘媛おとたちばな''──!』


 彼が名前を呼び、悲痛な声を上げる。それでもは意見を貫いた。


『この方法しかないのです……貴方は、私が野原で火に襲われた時、私に大丈夫かと声をかけてくださいました。だから、今度は私が』

『待て!待ってくれ。弟橘媛!』

必死に。懇願するように手を伸ばす倭建命様。

『今まで……ありがとうございました。倭建命様。どうか貴方はお元気で』

私は微笑み、船から飛び降りると海へと入水する。徐に深海へ落ちていく中、目を瞑って辞世の句を読む。


『さねさし相模の小野に燃ゆる火の

 火中に立ちて問いし君はも』


 相模の野原で火に囲まれた時、火の中私を気遣ってくれた愛しい人。どうか無事でいてください。そんな純粋な想いを込めた句が流れた時、見えていた映像と光景が煙のようにうねり、ふっと消えていった──

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