お母さん

「江口さん、まだそれやってたんですか……」

「あの、スーツの中に入ってる状態で中身に話しかけられるのはちょっと……」


 ミーの体調不良を心配し、今日は一人で帰っていたアラトだったが、通学路でまたしても自衛軍の怪人に出くわしてしまった。

 この間会った所よりはずっと学校に近いところにテントを設置しているところを見ると、このPR活動は意外と広い範囲で行われているのかもしれない。


「そうですね、すみません。では」

「ちょっと待ってください! すぐにこれ脱ぎますので!!」


 スーツ内臓のマイク越しの、リハーブのかかった機械的な声で焦っているヒーローというのは中々面白い光景だ。

 しかし今日は早めに帰らなければならない。

 そのために久々の一人で帰っているのに本も開かず速足で帰っていたのだ。


 解順を無視してその場を立ち去ることにする。

 姿を見かけて思わず声を上げてしまったが、色々バレてはまずいことも多いので、正直あまり関わりたくない。


 あの変な怪人の頭を見ているだけで、すでにアラトの腹は渋い顔をしているのだ。ゆっくり話し込んだりしたらどうなるか分かったものではない。


「そんなことおっしゃらずに! 飲み物お出ししますので!」

「結構ですから! 結構ですから!」


 逃げようとするアラトの腕を引っ張る怪人というシュールな光景を、テントの中にいる男性スタッフが温かい目で見ていた。

 見てるんなら助けて、とアラトが無言のSOSを送っていると、エコアースの腕に装着されていた携帯端末のような装置がけたたましく、アラームのような電子音を発し始めた。


「これは……!? 怪獣出現、反応から見て小型の個体!」

「ほんとにその装置信用できるんですかー?」

「誤作動ならそれでいいの! 怪獣なんか出てこないのが一番だから!! ……あっ、今回は誰かの家に突入したりしないからね! 反応も多分屋外だし……」


 アラトに向かって弁明しながら、スーツから伸びてポータブル電源につながっていたコードを外すエコアース。


 あ、その電源必要ないんだ、目とか光ってたの消えたな、あれの電源か、というかそれPR用のスーツなのに戦闘力あるのか、とアラトが余計なことを考えているうちに出動の用意が整ったようで、ライフルのような物を持った男性スタッフ三人とエコアースが並び、怪獣の場所や対応の確認をしていた。


「じゃあ少し行ってくるので、申し訳ありませんがしばらく待っていてもらえますか。テントの中の椅子もお茶もご自由に」

「え、いや、ちょ」


 それだけ言い残すと、ライフルを構えた怪人はお供と一緒に走って行ってしまった。

 しまった、今の隙に帰ってしまえばよかったんだ。


 なんなら今帰ってしまおう、ミーも心配だし、と思ったところでいや待てよと別の考えが頭をよぎる。


 ここで無視して帰ったら、あの人はまた家に押しかけて来るのではないか?


 改めてお詫びに来るみたいなことも言っていたし。

 それならここで話をつけてしまって……いや、それはそれで面倒だ。

 それに、さっき彼女が使っていたのは例のM波感知機なる装置だろう。

 以前のパターンから考えると、今回の反応も多分……。


「ミー? お前、なんでこんなところにいるんだ?」

 とりあえずテントの中に置いてあったパイプ椅子に腰を下ろし、本でも読みながらコアスたちの帰りを待つことにしたアラトは、目の前の道路に家で待っているはずの怪獣が立ち、こちらをじっと見ていることに気が付いた。


 その瞬間、アラトの脳は高速で回転し始める。

 待て待て、どうして外に出ている!?

 というかどうやって!?


 こんなところにいるのが見つかったらまずいだろ!

 何としてでも早急に保護しなければ!


 しかし保護したとしてどうする?

 ここにいては戻ってきた自衛軍の面々に「処分」されてしまうだろうし、当初の予定通り帰ろうにも、走ったって家までは十分以上かかる。


 その間、誰にも見られずに帰ることができるか?

 いや、鞄の中に隠せば……教科書類をいくつか捨てなければならないがしかし、ミーの命には代えられないか。


 どこか人目につかないところに置いといて明日登校するときにでも回収するか。


 二秒でそこまで考えながら、アラトは目の前に立つミーを凝視し、とりあえず動き出そうと立ち上がる。


 しかしその瞬間、アラトはある違和感に気づいた。


 瞳の無い鋭い目、体毛の無い肌などは見慣れたミーの姿そのものだが、その後ろには見慣れないものが。


 しっぽが、二つある。


 以前、本で見たことがある。

 猫は長生きするとしっぽが二又に分かれ猫又、所謂化け猫になると。


 ……いやいやいやいや、そんなわけが無い。怪獣が猫又になるかどうかは置いといて、ミーはまだ仔猫じゃないか。

 と、非現実的な仮説に非現実的な回答を見出したところで、もう一つの違和感に気が付く。


 なんだか、ミーの体が少し大きい気がする。

 テントとミー(仮)の間はさほど広くないとはいえ、道路の端と端で向かい合っていて、それなりに距離が離れている。


 故に一瞬見誤ってしまったが、どうもミーよりも一回りほど大きいように感じる。ここで、アラトの脳裏にある言葉が浮かんだ。


「……お母さん?」

 もしかして彼女は、あるいは彼は、ミーの母親か父親ではないだろうか。


 アラトは猫の雄と雌を瞬時に見分ける方法を知らないのでどちらともいえないが、そっくりな見た目を意識するとなんだか段々自分の仮説が正しいような気がしてきた。


 ミーの親ならミーよりは年上だから猫又になっている可能性はミーよりはある。

 親子にしてはサイズ差が小さいが、怪獣だからかそういう種類なのだろうと言い聞かせる。


 怪獣の子も怪獣になるのか、そもそも怪獣の子供が生まれるのか、詳しくないのでアラトには分からないが、なんとなくそんな気がする。

 そして同時に、この猫がさっきから微動だにせずに自分のことを見つめているのは、息子の飼い主だということを嗅ぎ付けてきたからではないかという気がしてきた。


「えっと、あの、息子さんは……預かってます」

 誘拐犯のような事を言ってから、自分は何をしているんだと一瞬で冷静になる。


 一人でよかった。

 いや、むしろ一人だから暴走したのかもしれない。


 しかし冷静になってみても、やはりあの猫はミーの親子……でなくとも兄弟くらいではありそうな気がした。


 どうしたものか、この猫も連れて帰るべきか?

 いや、でも元々野生で生きている猫をこっちの都合で飼いならすのはよくないのか?


 でも怪獣だから心配だし……。しかし怪獣をもう一匹抱え込めるほどの余裕も無いし……。


 こいつのところにミーを返してやるというのも一つの答えなのかもしれない。だがそれはジュンキが許さないだろう。

 アラトは、テントの中で立ち上がったまま何をするでもなくその猫と向かい合っていた。

 そして、そのことを激しく後悔することになる。


「えっ……!?」

 パアン!! という大きな音が辺り一帯に響き、目の前にいた猫の体が一瞬で赤い華に包まれた。


 向かって左側へ軽く一メートルほども吹っ飛んだその小さな体は、再びアスファルトの上に落下し、鮮血が地面を赤黒く染めた。

 その反対側に目を向けると、尚煙を吐き出している細い筒をこちらに突き出している男と、その後ろからこちらに向けて駆け寄ってきている一団がいた。


 エコアースと、自衛軍の男達だった。


 もう一度、撃たれた猫の方に振り返ると、黒いアスファルトの上にうっすらと浮かぶ赤黒い跡が点々と続き、その五メートルほど先を走る四足獣の姿があった。

 当たり所が良かったのか、それとも怪獣だからなのか。

 負傷をものともせずに、人間ではとても追いつけない速度で向こうへと逃げていく。


「もう撃つな! この距離では外す危険がある!」

 エコアースの機械的な声で指示が飛び、ライフルを構えていた隊員が銃を下ろす。


 彼以外の男性隊員二人がそのまま怪獣の後を追い、スーツの頭だけを外したコアスがテントの中にいたアラトのもとに駆け寄り、険しい顔で無事を確認してきた。


「煙野さん、大丈夫ですか!? すみません、隊員を一人残していくべきでした。まさかここに来るとは思わず……」

「いや、何もなかったからいいんですけど……あの怪獣は?」

「あのままでは逃げられてしまうでしょうね」


 その言葉にアラトは一瞬安堵したが、


「しかし安心してください。既に応援を要請してありますので。対怪獣自衛軍の名に懸けて、あの怪獣は確実に仕留めて見せます」

 コアスの覚悟を伴った言葉に、再び絶望させられてしまう。

 しかし、事ここに至ってはアラトに出来ることは何もない。


「また、改めてお話ししましょう。こんな状況ではゆっくりしてもいられませんし。お引き止めしてしまいすみませんでした!」

 そう早口で告げると、コアスはまたマスクを被り、隊員たちを追いかけるように走って行ってしまった。


「気をつけろ! 体の大きさの割にM波の反応が大きい! 見た目以上の力を持っているかもしれない!!」

 アラトの家に乗り込んできたときのような強く厳しい声で指示を飛ばしながら、自衛軍のエリートヒーローの後ろ姿はみるみる遠くなっていった。

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