異世界に行った先生の代わりにゴーストライター始めました。

kuron

第1話 先生、〆切間に合いますか?



『ーーちょっと異世界に取材行ってくるから休み下さい』


 先生がそんな事を言い出したのは駆け出し編集者の僕が担当になって三ヶ月目。

 今日みたいに、頭が朦朧とする程に茹だる暑さが続く夏の日だった。


 …三か月前、編集長からそのお話を頂いた時、僕はあまりに興奮しその晩は眠る事が出来なかった。いや、実は眠れなかったのはその日だけじゃない…その日から連日だ。


 ーー結果寝不足がたたり、先生との初顔合わせの時は頭が朦朧として(そう、丁度今日みたいに……)何を話したのかを全く覚えていないという大失態を犯してしまった…。


 でも、仕方ないと思うんだ。


 プロ野球選手や格闘家、アイドルに声優さん、誰だって自分の憧れの人に会って話せて一緒にお仕事出来るなんて聞いたなら眠れぬ夜を過ごすに違いない!


 僕にとってそれが先生なのだ!初めて担当する作家さんが、まさか、僕の憧れの先生だなんて!!


 作中に出てくるキャラクター達の感情豊かな描写、目を瞑れば浮かぶ様な情景表現、時にほっこり時に涙したり…先生の紡ぐ言葉の羅列は、読み手の心の柔らかい部分をぎゅっと掴む。


 読み終わると思わず愛しい人に会いに行きたくなる様な…そんな素敵な文章を書くのが「恋愛小説家」朱鷺村 弥撒(ときむら みさい)、僕の担当する先生だ。


 先生の書く小説は常に発売前から話題になり「気宇壮大」「一読三嘆」と揶揄され実写化、映画化された作品も一つ二つでは無い。


 一時期は、多数の出版社から担当編集者が入れ替わり立ち替わり先生の家へとやって来て、「彼らが待つ応接間から立ち登る大量の煙草の煙に近隣住民が消防車を呼んだ」、なんて話が昔からこの業界の語り草となっている。


 ーーだけどそれも昔の話…ここ6年程ヒット作もなく、書店では朱鷺村 弥撒(ときむら みさい)コーナーと一番目立つ場所に山積みされていた作品達は、目立たない端にひっそりと数冊並べられているだけとなった。


「ーー今の朱鷺村先生なら、駆け出しのお前に丁度良いだろう」


 多数手掛けていた連載や公演が無くなった先生は遊星社(うち)の雑誌の週間コラムやちょっとした短編小説などで生計を立てているのだ。

 勿論、他出版社からの仕事も偶にあるらしいが、以前に比べれば微々たる物だ。


 我が社に多大な恩恵を与えて下さった先生だ、例え落ち目といえど無下には出来ない。だが人手も足りない…それで白羽の矢が立ったのがこの僕という訳だ。


 あぁ、あの社会現象にもなった「君と僕との恋模様」を書いた超一流人気作家が、「晩酌と肴」とか「旅して分かった北九州」などのコラムを細々書いては日銭を稼いでいるなど全くもって嘆かわしい!


「朱鷺村先生? う〜ん、正直もう厳しいと思うよーーちょっともう…何と言うか古いんだよねぇ」


 そんな声をうちの社内でもチラホラ聞くが僕は今でも先生をちゃんと尊敬しているし、再び返り咲く事を信じてる!


 何せ、僕がこの世界に飛び込むきっかけを作ったのは、他ならぬ先生の作品なのだから…。



「ち、ちょっと待って下さい先生! 休みって僕の判断じゃ…って異世界!?」


『取材で連載を休むなんて良くある事じゃないか、無理なら病気で休載とかさ…頼むよ?』


「い、いやいや、今週の[雨降る時間に会いましょう]はどうなるんですか! 〆切明日ですよ?ってゆうか、異世界って何ですか!?」


『その原稿なら上がってるさ、私の机にちゃんと置いてある。それに君が言ったんじゃないか、今書くなら異世界物だって…。ただ知っての通り私はこれまで恋愛物一本で来たからさ、新しいジャンルに踏み込む為に取材は必須だろう?』


「そ、そりゃあ言ったかもしれませんが…異世界って一体何処に取材に行くつもりなんですか?えぇ勿論、先生が新しい作品に取り組むのは僕は大賛成ですよ、まずは流行りの異世界物から僕のお勧めの本を…」


『大丈夫だ、その辺はちゃんと予習済みだよ。異世界への行き方は心得てる。明日以降の〆切は…まぁ上手くやっておいてくれ。あっ、家の鍵はマモルさんに持たせとくからーーじゃぁ頼んだよ!』


ーーーツーツーツー


「ちょっ、先生? 先生!? あ〜もうっ!!」


 ど、ど、どうしよう! 


 短編の〆切は明日だから明日の朝一番にお伺いしようと思っていたけど、こりゃ今すぐ行って先生を捕まえなきゃ!


 「いいか佐久間ーー作家さんが原稿落としそうな時ってのはさ、大抵嘘をつくもんなんだ。全然出来てない原稿を後少しで上がると言ってみたりな。俺達はそいつを見抜ける様にならなきゃ駄目なんだよ。」


 そんな忠告を先輩から聞いた覚えがあるけど…まさか先生が?


 そ、そうだ、まずは会社に電話を!


「ーーあ、お疲れ様です佐久間です。あ、あの編集長は…」


『何だ佐久間か、今日は内藤の代わりに阿久津川先生の原稿を取りに行ったんだったな。どうした、トラブルか?まさかお前、おつかいも出来なかった訳じゃないよな?』


 ひいぃ、怖いっ! 編集長の圧が怖い! 


 ウチの編集長は仕事に厳しく部下の怠慢は絶対に許さない。先生が原稿を落とすなんて言ったら100%怒られる!あの2〜3人殺っててもおかしくない様な鋭い眼で凄まれたら・・・僕は泣きながら嘔吐する自信ある。


「あ、いや、阿久津川先生の原稿はちゃんと受け取れました。えっと…その、それとは別件なんですが、えっと…と、朱鷺村先生から、その、あー連絡がありましてぇ…」


『朱鷺村先生?確か[雨降る時間に会いましょう]明日〆切だったな。あの先生は絶頂期でも〆切には絶対遅れない人だったからな。いいか、もし原稿が落ちる事があるなら、それはお前のせいだぞ佐久間!』


 はひぃ〜!先制攻撃受けました!編集長、どっかで聞いてましたか?まさか社用の携帯には盗聴器が? 


 これは言えない!言ったら終わる!僕の机デスクが血に染まる!Death苦になっちゃう!


「い、嫌だなぁ、だ、大丈夫ですよ!えっと…なんでも新作の構想が出来たので…相談とか、その、打ち合わせ?をしたいなーっと…」


『へぇ、朱鷺村先生からそんな話が?……そうか、これから行くのか?じゃあ、阿久津川先生の原稿はメールとFAX両方で送っておいてくれ』


ーーーツーツーツー


「ーーー言えなかった…」


 あぁ、意気地のない僕を誰か叱ってくれないだろうか?


 と、兎に角…今すぐ先生宅へ向かわなきゃ!何処に行くつもりか分からないけど引き留めなきゃヤバい。主に明日以降の〆切がヤバい!


 僕は先生宅へ向かうべく駅に向かって走り出した。

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