第20話  鎧の中

 ガチャリ。


「見ぃつけた……」


 何の前触れもなしに倉庫の扉が開き、そこに人影が現れた。

 俺とログスの親交を深める苦しい時間は終わりを告げた……と思っていたのは俺だけだったらしい。

 ログスの両腕は未だに俺を締め上げ……いや、抱き締めている。まるで鎧越しに俺の体温を感じようとしているかのように。


 だが、俺には見えた。

 ログスの背後に建つ人影の表情が、安堵に満ちたにこやかな表情から、憎悪に満たされた憤怒の表情に変わるのが。ワイン色の髪は逆立ち、目は金色の光で燃えている。その身を包む実用性の乏しいコスプレっぽいミニスカメイド服が、恐怖感を倍増させている。


「あ……うぇ……(あれ、例のメフルさんじゃないか?)」

「え? 何ですか」


 肺を圧迫されたまま絞り出した声は、残念ながらログスには届かなかった。しかし、ログスの後ろにいたメイド服の女性には届いたらしい。


「カイ……勇者カイ……」


 どういう構造なのか、メイド服のフリルやリボンが、蛇のようにのたうっている。

 彼女のわななく両手が、剣帯からブロードソードと、柄が小さな盾になった小剣――マン・ゴーシュを引き抜き……


「ログス様から離れろクソ人間がぁーっ!」


 メイドは狂気に冒されたような叫びを上げてそのまま跳躍する。天井近くの梁まで跳び上がった彼女は真上よりやや後方から斬りかかってくる。これはログスに傷一つ付けずに俺を攻撃できる角度だ。

 突然襲ったりしないんじゃなかったのか⁉

 ログスはようやく俺以外の声がすることに気づいたのか、辺りをキョロキョロしている。しかし、両腕は未だ俺に巻きついている。まさか、知っていて離さないのか……いや、絶対そうじゃない。

 俺が信じなくて誰が信じるって言うんだ!


「く……らぁ……!」


 俺は渾身の力を込めてログスの身体を回転させる。その角度、僅か二十度かそこら。

 しかし、直後に垂直落下してきたブロードソードの切っ先は、俺の袖を掠めてさっきまで寄りかかっていた樽を粉砕した。

 備蓄されていた水がぶちまけられる。

 そこまで騒いだところでようやく、ログスが侵入者を確認した。


「メフル!」

「離れて下さい。今すぐこのクソ人間を駆除しますから」

「メフル、違うのです!」


 ログスが二度呼びかけて、ようやく切っ先を下ろすメフル。話を聞かないメイドだ。

 ログスはようやく俺を解放すると、俺を庇う位置に立ってメフルに向き直った。


「この方は……カイは、わたくしに重大なことを教えてくれました。そして、冤罪を着せられたわたくしを助けると言ってくれたのです」

「重大……ですか」

「そうです」


 落ち着きを取り戻したメフルに、ログスは正対する。


「メフル、よくお聞きなさい。先月、父は……」

「ログス様っ!」


 メフルが一瞬で血相を変え、ジャンプしてログスの面頬を両手で押さえる。

 一瞬、小首を傾げたログス。だが、何事かを理解したように頷くと、メフルの手を優しく掴み、下ろした。その動きは思いやりに溢れつつ、反論を許さない意思を感じさせた。


 それよりも俺は今、ログスの口からとんでもない事実を聞いた。

 確か、「父」とか……


「メフル、よいのです。わたくしがロクサーナであることは、もうカイには教えてあるのです。それなのにカイったら信じてくれなくて、わたくしのことを『図体がでかい』だの『重量差』だの『連れ……』だの……」


 ログスの言葉に、メフルの頬がが再び紅潮した。ブロードソードの柄頭を握る手が怒りに震えている。


「こっ……この無礼者が! やはり殺す! 喉笛から引き裂いて殺すっ!」

「メフル、もうよいですから」


 今度はログスが止めに入ってくれた。

 危なかった。このメフルっていう人、今戦ったら負けると思う。ただでさえマグマのような敵意を向けてくるし、視界に入ってるだけで何だか落ち着かない……


「……ですから、メフル?」


 ログスがメフルを宥めながら、おもねるように言葉を続ける。


「……鎧を外してほしいのです」

「いけませんっ!」


 メフルが絶叫してログスの言葉を撥ね除ける。


「こんな強姦魔の目の前で鎧をお脱ぎになどなったら、どんな目に遭わされるか!」


 ごう……って、俺の評価がダダ下がりだ。


「大丈夫ですよ。カイはそんな人じゃありません。二晩も一緒に過ごしたのでわかります。それに今はメフルもいるじゃありませんか?」


 プレートメイルのゴリマッチョと一緒に過ごしたって、何かあるはずもないけどな。


「両親とあなたしか外せないのです。ね、お願いします」

「わ……わかりました」


 メフルは肩を竦める。しかしその目は、我が儘な弟を見守るような慈愛に満ちていた。彼女はログスの背後に回り、ログスの手の届かない辺りで何やら操作している。


「……自動防衛装置……例外設定……血の守護者、メフルの名のもとに……装備解除」


 メフルが何事か唱え終わると、ログスからシュッという音がした。

 肩当てがせり上がる。可変構造のロボットみたいで……格好いい!

 次いで兜が後方に倒れてブレストプレートが持ち上がると、二重になった下のプレートが縦に裂ける。まるで魔物の口のようだ。食虫植物のような衝撃吸収材が、糸を引きながら「ぐぱぁ」っというおぞましい音を立てて口を開ける。

 糸を引く黄緑色の液体が、床にべちゃりと落ちた。


「うっ……」


 不覚にも呻きを漏らしかけ、俺は目を見張った。

 ログスの中に女の子がいるっ!

 ピンクの長い髪。細面に黄金の瞳が輝いている。エルフの血が混じっているような、細く通った鼻梁と、尖った耳。肌はクリスタルに乳を溶かし込んだような滑らかさで、そしてその雪肌を申し訳程度に隠している、薄くて白い競泳水着のようなスーツ。細作りの身体なのに、胸元だけ豊かな双丘が、スーツをはち切れさせんばかりに主張している。その嬌姿はまさにチート……

 極めつけは、ログスのヴァンブレイスに両腕を突っ込んで磔のようなポーズになっている女の子の全身が、黄緑色の粘液に塗れていて、たらーり、たらーり、と糸を引きながら雫を滴らせているってことだ!

 おお、神よ! もしいるなら俺に一人で悶絶することのできる空間を与え給え!

 い……いや、何度も楽しむためには録画だ! 【顕術けんじゅつ】でビデオカメラを創り出して……

 ビデオを構える俺の目の前を何かが縦に通り過ぎた。

 両手から、二つに切断されたビデオカメラが弾け飛び、遥か後方で懐かしいプラスチックの落下音を響かせた。


「ひっ……」

「おい、クソ人間。やましいことを企んでいると、鼠径部から斬り上げて真っ二つにするぞ」

「メフル」


 ことあるごとにブロードソードを振り回すメフルを、ログスの中の人が窘める。その声はまるで幼い小動物のようだ。


「カイも……あまり見ないでくだい。結構恥ずかしいのですから」

「ご、ごめ……っていうか、どちら様で?」

「控えろ、クソ人間!」


 俺とログスの間に、メフルが割って入る。


「こちらにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも皇帝陛下のご息女、ロクサーナ皇女殿下にあらせられるぞ!」

「……マジか」


 俺はログス……いや、ロクサーナの地位の高さと言うよりも、そのあまりの可憐さに後ずさってしまう。


 ロクサーナはメフルにエスコートされ、巨大な鎧から降り立った。

 メフルがどこからか取り出したバスタオルで身体や髪を拭くと、驚くほど跡形もなく粘液が取り除かれていく。ピンクのロングヘアーに至っては、絹のような手触りを想起させるほど、サラサラになっていた。

 彼女はメフルから差し出されたバスローブのようなものを羽織ると、未だ呆けた表情をしていたらしい俺の顔を困ったように覗き込んだ。


「ど……どうですか、カイ? やっぱり、ログスの姿の方がお好きですか?」

「い……いや、まさか! ちょっと驚いただけ、です。えーと……殿下?」

「カイ。どうか、この姿のときはロクサーナと呼んでください」

「あ、ああ。その……き……綺麗だよ、ロクサーナ」

「お美しいロクサーナ様と言わんかぁっ!」

「こら、メフル」


 ロクサーナが再度窘める。


「カイはわたくしの大切な協力者なのですし、何よりガファスの民ではないのですから」

「ぐぬぬ……承知しました」


 メフルは未練たらしく引き下がった。

 ロクサーナは俺がメフルの間合いから外れたことを確認すると、メフルに向き直った……腰、細っ。


「メフル、そちらから見つけに来てくれて、とても助かりました。ところで、なぜわたくしがここにいるとわかったのですか?」

「愛、ですわ」

「愛、ね……」

「何か文句あるか、クソ人間?」

「い……いや」


 俺を見る時だけ、凄い殺気だ。

 せっかく拾った命を無駄にしないようにしなくっちゃ。


「……それにしても、発見できてよかったです。地下の訓練エリアから魔力標識が消えた時は、もう心配で心配で……」


 メフルの表情が心底ロクサーナを案じているものに変わる。このメイド、やっぱりロクサーナに発信器みたいなのを付けていたんじゃないか。皇族専用の脱出路に入ったから魔力標識とやらが圏外になったって、今さらっと言ったぞ。


「メフル、心配を掛けましたね」


 ロクサーナが聞く者の耳を蕩かす小動物のような声で、メフルの尽力なのかストーキングなのかわからない忠誠を労う。だが、すぐに表情を引き締めると、メフルの淡褐色の目を見つめた。


「……ですが、わたくしだけ無事ならよいという事態ではなさそうです」


 メイドだと思っていたメフルの放つ雰囲気が、いつの間にか王女の守護者のものに変わっていた。


「メフル、実はカイが重大なことを教えてくれました。先月、父は盗賊などという卑小な者によって命を絶たれましたが、その愚挙を許したのは、『貨の王』ガシェールムが背後から刺したせいだったのです」


 その言葉にメフルは衝撃を受け……なかった。彼女は一瞬だけ瞼を伏せ、哀悼の意を表すると、ロクサーナの黄金の瞳を見つめた。


「存じております。ガシェールムめは陛下を弑したに等しい」

「メフル……一体誰から?」

「あの時……このクソ人間の他に、陛下が刺されるところを目撃した方がいらっしゃいます。『棍の王』アルド様です」


 メフルは、ひと月前に姿が見えなかった『王』の名を挙げた。


「アルドが……」

「あの日、謁見室に馳せ参じようとしたアルド様は、直前でガシェールムめが陛下を刺すところを目撃してしまったのです」


 ロクサーナの表情が陰る。ひと月前のことが脳裏に過ぎっているのだろう。しかし彼女は気丈にもメフルの目を見つめ返し、続きを促した。


「アルド様はご自分の領地に引き籠もられていらっしゃいますが、城を去る前、私に教えてくださいました。『ガシェールムめが陛下を後ろから刺したために、陛下は勇者一派に殺された』と。そして『メイド長として殿下をお守りせよ』とも」

「そしてメフルは来てくれました。感謝してもしきれません」

「勿体ないお言葉です、殿下」


 メフルが恭しく頭を下げる。

 一瞬、彼女が彼女がふにゃりと表情を蕩けさせるのが見えた気がしたが、気のせいかも知れない。

 頭を挙げたメフルの表情は既にその片鱗も見せてはいなかった。


「アルド様は、国を揺るがすような話をわざわざ伝えにいらっしゃいました。きっと、今まで親交が深かった殿下の身を案じてのことだと思います。きっとお味方になってくださいましょう」

「ふむ。すると……次にすべきは、アルドに会いに行くこと、か」

「そうなりますね。そのためには、城を脱出しなくては」


 俺の意見に、ロクサーナが賛同する。

 メフルも特に異論はないようだ。


「それでしたら、明日の朝がよろしゅうございましょう。明日の出陣に合わせて厨房の者たちを見送りに出しますから、その隙に地下を抜け、主塔の裏から脱出してください」

「出陣?」


 メフルの提案に穏やかじゃない言葉を聞き、思わず聞き返した。


「知らんとは言わせんぞ、クソ人間。貴様らエルナールの軍を迎え撃つための出師だ」

「いや、知らなかった……」


 なぜだ?

 もしかしてルグノーラが「落とし穴に落ちて死んだ」とか報告して……いや、日数が合わない。

 てことは、最初から俺を切り捨てて、生死に関係なく軍事行動を起こすつもりだったのか?


「フン、大恩ある勇者を取り残したまま城を攻めに来るとは、つくづく下種な国だな」

「うん……軽くクラッと来た……」


 ……いや。

 心のどこかではわかってたはずだ。

 そもそも『勇者』というのは、エルナールでは異世界から召喚した能力者の呼称だ。

 思い返せば、俺が受けた敬意は救世主やスーパーヒーローに対するそれではなく、悪漢を退治する治安維持機関や用心棒に近かった。

 つまりエルナール人にとって、『勇者』とは兵器だ。


「必要な成果が得られたら用済みってわけか……」

「哀れみなど掛けんぞ、クソ人間。それと、今夜は私もここに泊まる。殿下からお慰めいただけるなどとは思わぬことだ」

「いや……かえってよかったよ。こんなお姫様が同じ部屋にいたんじゃ、落ち着いて眠れない……」

「『こんな』だと⁉ やはり貴様は死ねぇ!」

「ち……違う! こんな……か、可愛い女子って意味だよ!」

「可愛いだなんて……カイは褒めるのが上手ですね」

「殿下をたぶらかすクソ人間は死ね!」

「ああもう!」


 俺は頭を抱える。煩悶すると本当に頭を抱えるんだな、とか思いながら。

 そんな遣り取りでも、エルナールから切り捨てられたかも知れないというショックを幾分和らげてくれた。


 結局、俺とロクサーナたちとは、倉庫の対角の端に別れて眠ることになった。

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