第13話  死角での出来事

 檻だらけの倉庫を出た俺は、また驚かされた。

 そこが巨大な空洞になっており、街並みが続いていたからだ。

 高さ百メートルはありそうな天井には、牢獄や研究施設にも取りつけられていた光る石が無数に嵌め込まれているらしく、傾いた太陽の山吹色と、黄色味がかった空色の光を発している。どうやらこの石は、地上の光を投影しているようだ。液晶の電極のように光る石が隙間なく埋め込まれた天井は、荒いドットで描かれた空の画像を形作り、まるで古いゲームの世界に迷い込んだような気にさせた。


 驚いたのはそれだけではない。大きな倉庫から離れたかと思ったら、次に目に飛び込んできたのはさらに巨大なコロッセウムだった。ドーム球場ほどもあるコロッセウムの四隅には、ビルのような極太の柱がそそり立ち、人工の空を支えていた。

 フロア全体が軍事施設なのか、視界に入るのは軍属や傭兵の雰囲気を持った者がほとんどだ。みんな、こちらを意に介さず行動しているように見えるが、道端、建物の陰、至る所から視線を感じる。

 コロッセウムに沿って歩いていると、向かい側にはこの世界で広く信仰されている『三龍神教』の神殿や大規模な救護施設などを見ることができた。


「こんなファンタジー世界でジオフロントを見ることになるとは……」

「ジオ何とかは知りませんが、ガファスの魔法技術の賜物です」


 うふふと低い声で笑いつつログスが振り返り、三メートル弱の身長で俺を見下ろした。

 命じゃない何かに危険を感じて、全身が総毛立つ。

 そんな俺の内心に気づくこともなく、ログスは大通りの十字路で立ち止まった。

 道の向こう側には、石造りの重厚な建物が待ち構えていた。七階建ての建造物は、イタリアの街並みが似合いそうな洒落た造りになっている。


「ガファス訓練地区・上級宿泊施設です。お二人にはここに宿泊してもらいます」

「何を企んでいるの?」


 ルグノーラは不信感を隠しもせずに棘のある声を叩きつける。


「ま……まさか、あたしとカイ様に子どもを作らせて、ガファス国籍にしようとか……何て狡猾な策略っ!」

「ないよー」


 俺とバブレーフの声がハモる。無意識に目が合い、一瞬の後には互い気まずさと共に目を逸らした。

 ログスはまた、うふふと薄気味悪い笑い声を立てると、俺の方に向き直った。


「……わたくしは、あなたと引き替えに捕虜交換をしたいと考えています。その前に、あなたからお話を聞きたいと思ったのです」

「……何かガファスって、聞いていたのより文明的だな」

「勇者も、聞いていたのより理性的ですね」

「そ……そうか?」


 ログスとの男同士フラグが立ったのを危惧していると、宿泊施設のエントランス前に辿り着いた。犬獣人と思われるドアマンが高級そうなドアを無言で開けると、俺はログスについて屋内へと足を踏み入れる。

 建物に入って早々に、ログスは豪華なロビーを素通りし、重厚な観音開きの扉へと俺たちを案内した。従業員が見咎めもせず、逆に最敬礼しているところを見るに、このログスという奴は顔パスするほどの身分なのだということが理解できる。

 部屋の中には円卓があり、高級そうな茶器と湯気を漂わせているポットが用意してあった。


「こういう格の高い場所の方が防音もしっかりしていますし、お話をするのにはうってつけです。さ、どうぞ」


 促されるままに入室する。

 続いて部屋に入ろうとしたルグノーラを、バブレーフが遮った。


「はいはーい、ルグノーラさんはこちらでーす」

「……どういうつもり?」

「ログス様は勇者にだけ用があるのー。ルグノーラさんはこちらで待つんだよー」


 やっぱりか。


「俺たちを各個撃破するつもりか? この階層くらいは道連れにしてやるぞ」

「そんなことしないよー。野蛮なエルナ……ゲフンゲフン、今のなしねー」


 ともすると挑発的な言葉を口走りがちなトラ獣人を、ログスが控えさせる。


「ルグノーラさんの安全は、わたくしの……『道化の王』ログスの名にかけて保証させていただきます」


 腹の底に届くようなログスの太い声は、俺とルグノーラ、そしてバブレーフにも、有無を言わせぬ強制力を伴って響いた。


「……生き残れる可能性がある選択肢は一つ、か。いいね、ルグノーラ」

「カイ様がそう言うなら、あたしはいいわ」


 しなを作りながら名残惜しそうにしていいたルグノーラがバブレーフに連れられていくと、扉は重々しく閉じられた。


 椅子に変な罠がないことを軽く確かめると、腰掛けた。

 ログスは丸太のような籠手を填めたまま、器用にポットを摘み、茶を入れる。「あまり上手ではないかも知れませんが」とか言いながら俺にカップを差し出すと、ようやく窮屈そうに着席した。

 相手の意図がいまいち掴みきれない。俺は単刀直入に切り出してみることにした。


「……なぜもてなす? なぜ助けた?」


 声に含ませた高密度の棘を、ログスは「うふっ」という不気味な微笑と共に受け流した。


「タフリルドース……陛下の死に立ち会った部外者で、一番信用できそうだったから……では納得しませんか? だったら『勇者カイはわたくしが不意を突かれたり不覚を取ったりしたときに二度も命を取らなかった紳士だから、借りを返したい』というのはどうですか?」


 二度?

 えーっと、つまり……一度目は謁見室の前で突っ立ってたログスを、装飾品だと思って素通りした時で、二度目は地下牢で罠に掛けた時、だよな……うん、こいつは盛大に勘違いしてるね。だが、勘違いでも何でも、生きるためには利用しなくちゃならない。


「あ……ああ、そうだな。じゃあ、ありがたく返してもらおう。それで、何の話があるんだ? 元の世界については、あんたたちには理解しづらいかも知れないが……」

「わたくしが聞きたいのは、陛下の死の瞬間についてです」


 陛下……タフリルドースの死? それなら簡単だ。まだひと月しか経ってないできごとだからな。


「タフリルドースはルグノーラの突剣で心臓を一突きにされて……」

「そんなはずはありません!」


 ログスがいきなり叫び声を上げると、テーブルを拳で叩きつけた。堅牢そうなテーブルが跳ね、空になったポットが身を竦ませるように倒れる。


「陛下が……勇者の仲間とは言え、盗賊風情に不覚を取るなどということはありえません!」

「そう言われてもなぁ……いや待て!」


 違う。

 あの時、確かにタフリルドースの反応には違和感があった。その感覚がひと月前の光景をフラッシュバックさせる。謁見室、立ち尽くす俺、躍りかかるルグノーラ、そして……


「タフリルドースは、ルグノーラの攻撃を受ける直前に背後から攻撃を受けた……」

「なっ⁉」


 ログスが硬直する。机に叩きつけられたままの拳が小さく震えている。一方で金と黒の滑稽な兜は、まるで通信環境の悪いオンラインゲームのようにギクシャクとした声を発した。


「背後……一体、誰が」

「あの立ち位置だと、タフリルドースを背中から刺せたのは黄色い方。つまり……」

「『貨の王』ガシェールム」


 ログスが呻く。ややあって、噛み締めるような声が絞り出された。


「そう……ですか。ガシェールムが」

「つまり、タフリルドースを倒したのは俺たちの手柄じゃ……ああ、悪い。そっちもいろいろあるんだな」

「ええ」


 しばしの沈黙。

 ログスは何かを考え込んでいるようだったが、やおら口を開いた。


「そうでした。あの時、あなたの身に起こったことについてお話しするのでした」

「ああ、そうだな」


 確か、ログスは俺たちを招待した時も、そのようなことを言っていた。

 ひと月前と言えば、俺たちがタフリルドースの謁見室に乗り込んだとき。そして、俺が後ろから刺されて地下牢にぶち込まれたときだ。


「立ち位置からすれば、あんたの場所からは俺の背後で何が起こっていたか見えていてもおかしくはない。その話を期待していいのか?」

「はい」


 ログスが重々しく頷く。

 俺は身を乗り出したいのを懸命に堪えて、期待していない風を装って言葉を待つ。

 ログスは気持ちを切り替えるように、両手で面頬をガシャンガシャンと叩いた。意識して息を吸う音が響くと、言葉が紡ぎ出された。


「わたくしの位置からは、陛下の御身に何が起こったのかや、あの女が陛下に刃を突き立てるところは見えませんでした。ですが、あなたの背中は見えていました。そして……」


 ログスは俺の覚悟を確認するかのように話を切る。俺の表情を一瞥すると、耳に言葉を抉り込んできた。


「そして、わたくしは見たのです……仲間の魔術師があなたの背中を刺すところを」


 ログスの野太い声は、俺の鼓膜と精神を殴りつけた。

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