金色のボタン

あさぎ

金色のボタン


 それは、三年間の思い出に区切りをつける、感動の日。


「——卒業、おっめでとーう!」


 ある者は旅立ちを喜び、またある者は別れに涙する。

 やるべき事はたくさんある。お世話になった先生に感謝の色紙を渡したり、クラスのみんなで最後の集合写真を撮ったり、残される後輩に思いをたくしたり。


 そして、私は——。


「先輩っ、ずっと前から先輩のことが好きでした! 第二ボタンください!」

 物陰から、同級生の男子が告白されるのを聞いていた。


 そう、あらゆる感情が交錯するこの日、告白ラッシュは定番だ。なぜもう会えないかもしれない相手に気持ちを伝えるのか。だからこそだ、と言う人もいる。二度と会えないからこそ、最後の最後に伝えたいのだと。いわゆる当たって砕けろ精神なのだろう。だけど私は違う。今日で終わる関係なんて望んでない。私はこの日を三年間待っていたのだから。

 絶対に、成功させてやる——!

 

 男子がブチリと制服からボタンを取った瞬間、私は勢いよく飛び出した。こちらを振り返った後輩の女の子の目が、こぼれんばかりに見開かれている。きっと二人の間には新たな愛が生まれるだろう。

「お幸せにぃぃーーーー!」

 呆気に取られている二人を尻目に、体育館裏を駆ける。

 あと数メートル。

 そこには、学校で一番大きな桜の木があって、風が吹く度にその薄桃の花びらを散らしていた。

 その下にいる黒の学ランが、私の目当ての人物。左手に卒業証書と記念品を持って、私を待ってくれている。

佐々倉ささくら!」

「よぉ。そんな走んなくても俺は逃げねぇよ。で? 呼び出してなんの用だ?」

 まさか私に好かれてるとは想像もしていない様子だ。

 中背中肉、ルックスも平凡、人徳者なわけでもない。私の方が頭良いし。つくづく恋に理由なんてないと思う。……まぁ、くしゃって笑った顔はポイントあげてもいいけど。

 私は二、三回深呼吸すると、佐々倉の目を真っ直ぐ見た。

「佐々倉……」

 鼓動が一気に速くなる。怖い。こんなにも緊張するのか。さっきの後輩女子、あっぱれ。

 ——いな! このセリフを言うための三年間だったのだ! ここで無意味にしてはだめだ!

 逃げるな逃げるな逃げるな。

 下っ腹に力を込める。

「佐々倉の! 第二ボタンを」

 ください、と言おうとして、ちらりと胸元に視線をやった私は、衝撃の事実を目の当たりにした。

「第二ボタンが…………ない」

 佐々倉は照れ臭そうに鼻頭を掻いた。

「いやぁ……俺にも春が来たみたいだぜ……」

 愕然とする。

 うそだ……。佐々倉に限ってそんなことはない。


 卒業式のドキドキイベントの一つ、「第二ボタンください」は、すなわち告白と同義だ。そしてそれにOKした場合、「俺のハートはお前のものだ……」とか言って、男子の学ランの第二ボタンは女子の手に渡る。そう、佐々倉の第二ボタンは私の手に……。


 なのに、なんてことだ。友達との写真撮影会も抜けて、急いで来たのに。佐々倉に惚れるアホなんて私だけだと思っていたのに。

 先を越された!

「——どこのどいつだ、そいつはあああぁ!」

 私は佐々倉に掴みかかった。

「いいいぃ痛え!」

 肩をガクガクと揺すったもんだから、佐々倉が白目を剥く。

「ば、バスケ部の女の子だよ」

「バスケ部⁉︎ おーけーしちゃったの⁉︎ 無いってことは、しちゃったの⁉︎」

 私の手を振り解き、佐々倉は襟元を正した。

「断る理由がどこにあんだよ。可愛いし、優しそうだし、俺のこと一途に想ってくれてたらしいし」

 そ、そんなぁ!

「外見と言葉に騙されるなぁあああ‼︎」

 叫びながら、私は頭を抱えた。

 最悪だ。どうしよう。もう無理だ。渡してしまったなら私にできることは……。

「いや、まだだ‼︎」

「は? なにが?」

 私は佐々倉を睨んだ。

「佐々倉……その子、今まで喋ったこともないような子でしょ。可愛いとか優しそうとか、そんなの佐々倉の印象でしょ。真価を見極めないと!」

「お前、なに言ってんだ」

 高速で思考が回転していく。

「もし、サタンだったらどうするの⁉︎ 佐々倉を騙してたら⁉︎ 第二ボタンは心臓の位置にあるから特別なんだよ! サタンに心臓あげちゃったんだよ⁉︎ 取り返してこなきゃ‼︎」

「いや、サタンじゃねーだろ。漫画の読みすぎだ」

 冷静に返された。くそぅ!

 負けるな。なにがなんでもその女の子からボタンを取り返すんだ!

「じゃあさ……『第二ボタンください』の本当の意味知ってる?」

「そりゃ……あなたが好きです、だろ」

「世間ではそう言われてる。だけど実はその裏に隠された意味があるの」

「あ?」

「つまり、その子は佐々倉のこと好きでもなんでもなくて、その裏の意味でボタンを欲しがったの」

「……その意味って?」

 カッと目を見開く。考えてなかった。

 隠された裏の意味なんて、私も知らない。そんなの無いからだ。だが、言葉にしてしまった以上仕方がない。それっぽいのを考えなければ。そう、ご利益がありそうな——。


「——安産だよ」


「は?」あ、やべ、呆れられた。今にも「ばーか」とか言われそう。

「安産だけじゃない! こ、交通安全とか、学業成就とか……。だから恋愛成就でないことだけは確かなの!」

「あっそ」

「〜〜〜〜っ! いいの⁉︎ 自分のご利益が、その子の手に渡っちゃったんだよ⁉︎ 佐々倉そのうち死ぬよ!」

 自分でも訳の分からないことを口走ってしまったが、佐々倉はその時サッと青ざめた。効果があったらしい。

「……あげちゃった、ってことか? その、第二ボタンのご利益を」

 私は大きく頷いた。

「そうだよ。その子にあげたから、佐々倉の交通安全は守られないし、学業もうまくいかない。それに難産になるだろうね」

「大学受かってるし、子供産まねぇから、それは別にいいんだけどよ。……俺、これからチャリ通なんだ……」

 知ってる。私も同じ大学行くからね。たしか道中、車がたくさん通っていたはず。

「うん……おそらく佐々倉は自転車で車とぶつかってぐちゃぐちゃになるね」

 そんなの私が嫌だけどね!

「まじか……なんてこった」

 佐々倉は額を押さえた。そのまましゃがみこんでしまう。


「……」

 なんだろう……。騙されてくれて嬉しいけどさ、こんなの信じるって……どうなの。

 しかも少し胸が痛む。こんな嘘ついて、バスケ部の子からボタンを取り返したとして、佐々倉の気が私に向くかどうかなんてわからないのに。

 今からでも訂正しようか。卑劣な人間に成り下がる前に……。


 しかしその時、佐々倉の肩が震えているのに気がついた。

「佐々倉? な、泣か……」


「——ありがとよ、お前のおかげでサタンからボタンを守れたぜ」


「いやいやぁ〜………………え?」

 まも、れた? 第二ボタンはもう渡して……取り返そうってことじゃ……?

 私が固まっていると、佐々倉の震えはだんだん激しくなり、ついに盛大に吹き出した。

「ぎゃはははは! バカだろお前!」

 そう言うと、手をポケットに突っ込み、取り出したそれ、、を親指で弾く。

 宙を舞い、私の手のひらに転がったそれは、私が渇望していたものだった。

「ボタン……?」

「そうだよ。第二な」

 佐々倉がよっこいしょと立ち上がる。

「お前、分かりやすすぎるんだよ。気づかねぇほうがおかしいってもんだ」

「バスケ部の、女の子は……」

「嘘に決まってるだろ。サプライズだよ。日頃のお返しだ」

 さっさと帰るぞー、と歩き出す。その耳はほんのり赤かった。

 私はもう一度、手のひらのそれを見た。まるで宝石のように金色に光っている。佐々倉の、第二ボタン。

 


 あなたが好きです。

 


「……ほわああああああぁぁあ‼︎」

「うるせぇ心実ここみ!」

 ボタンの上に桜の花びらが舞い込んだ。

 

 佐々倉からの卒業は、できそうにない。

 

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