四月ばか

本日は二話同時更新(1/2)







 僕は。

 近衛晶と言う名であるところの僕は“おわり”を選ぶことにした。

 女性の身体に男性の心。世間が受け入れ、マシになったとは言え、生き難いモノは生き難いし、辛いモノは辛い。

 相対的に楽になったのだから甘えだと言う人もいるかもしれない。

 それでも辛いのは僕であり、この身体の、或いは命の権利を有しているのも僕だ。全ての国民に『死ぬ権利』が認められている以上、それを行使することは許して欲しい。

 唐木さんの様に小さな楽しみを見出して生きることは出来ない。

 野村さんの様な人情の人は近い場所に居ないので、悪いとも思えない。

 ウンザリしたのは世間体を気にしてグチグチ言って来た父と、主演女優さんの存在だ。何と言うか、ここに至って尚、僕では無く、自身のことを気にして、説教と絶叫を電話越しに聞かされたのには本気でウンザリした。

 三日前のA直業務中の午前九時三十九分。

 少し仕事が暇になったその時間を狙って僕は受付を済ませた。

 それから三日。既に荷物の整理を済ませていたので家に帰ること無く、僕は自殺屋に泊まりながら仕事をしている。

 受付をした僕が、入所者用の区画の部屋に帰って行く様はそれなりに特異に映るのだろう。基本的に他人への干渉がNGとされる中、何人かの入所者さんと話すことになった。

 同じ入所者として、或いは四ヵ月ほどの業務経験を持つ心因性終末ケアセンターの職員として、二つの顔を使い分けて話をした。

 治らない病に絶望して“おわり”を選んだO川さん。先に逝く彼に


「先に待ってるぜ!」


 とブラック気味の言葉を言われて、思わず半笑い。

 自由が利く内に……と“おわり”を選んだHさんは、受付を担当した僕の方が先だと知ると


「あらっ! それじゃアンタには見送って貰えんのね!」


 と大袈裟に残念がってくれた。

 そして今日。

 今日のC直の終わり頃に僕は“おわり”を迎えることになっている。早朝の車が少ない内に運びだして貰おうと言う一応の配慮だ。

 部屋は片づけてある。遺産……と言うには細やかなだが、四ヵ月ほど働いた分の給料は国へ寄付。記憶の提出はなし。スマホは解約してデータを消した後、売り飛ばした。

 指折り指折り、やったこと、やることを確認し、僕は僕の“おわり”の準備を進めた。

 一応、と挨拶をしたアイザッくんが


「残念です」


 と言った時は、思わず笑ってしまった。

 声音も、表情も、本当に残念そうに見えたからだ。成程。ロボだと分かる様に一部の機械を剥き出しにするのはこう言う理由からか、と僕は変な所に感心した。

 それだけだ。


■□■□■


 B直の野村さんと、田畑さんに挨拶をした。

 C直の唐木さんと、桜庭さんに挨拶をした。

 十八時に退社する所長にも挨拶をした。

 そして、今。

 二十二時四十五分。暑さで繁殖した羽虫の群れが電灯や自販機に群がり集団自殺を繰り返す我が国の八月らしい湿度、温度ともに高い夜。

 何故だかこの時間にいるはずの無いアフロが僕の目の前にいた。

 宇津木朔日。

 A直の終わりに挨拶をしようとしたら「後でな!」と言ったアフロは宣言通り、態々仕事でもない癖に自殺屋にやって来ていた。


「どうする? メシ、行くか?」

「……いや、メシ食うとアレじゃないですか」


 消化する前にアレじゃないですか。詰め物しないと駄目になっちゃうじゃないですか。流石に知り合いに見られるのはシンドイからメシ抜いてんですよ、と僕。


「えぇ~? あ、そんじゃお前は食わなけりゃ良いじゃん!」


 残念そうに一瞬、しゅん、としたかと思えば、名案を思い付くアフロ。


「僕の見送り的なサムシングじゃないんですか?」

「おぅ、そうだぞ? お前の見送り的なサムシングですよ?」

「……」

「……」


 何故かお互いに相手が変なことを言っている様な気がして、あるぇ~? と同じ方向に傾く。三秒。ぷっ、と吹き出したのはどちらだったのだろうか?

 暫く二人してげらげらと笑い合う。


「勿論、驕りっすよね?」

「……今後使う予定の無いお前の?」

「うわぁ、流石パイセンっすわ」


 最悪にブラックですわー。

 思わず口の端をひく付かせながら僕。

 流石と言うか、何と言うか、一周回って逆にかっこいいまである程にブラックだ。


「ま、軽い冗談だ。チミは後輩らしく、偉大なる先輩に奢られれば良いのだよ!」

「あざーっす!」

「お? 何だ何だ? 食う気になったか?」

「どこぞの大工の息子だって最後の晩餐してますからね。僕もそれ位は許されるでしょ」

「おぉ、その通りだ。それに安心しろ、後輩。詰めモンくらい俺がやってやるよ!」

「それは! やめてっ!」


 唐木さんか、田畑さんにして!

 女性にして!

 流石に!

 心は野郎でも、身体は女の子なので、知り合いであるアフロのおっさんに身体を弄られるのは抵抗があるのである。精神が肉体に引っ張られると言うのなら、コレは僅かなりとも肉体が精神を引っ張った結果なのかもしれない。

 ……死ぬほどどうでも良い部分ではあるが。

 と、そんな馬鹿話をしながら店も決めずに歩いていたら、ありがとラーメンに辿り着いた。帰巣本能……と言う程、僕は通って居ないので、ここに辿り着いたのは先輩の足のせいだろう。

 明日も業務だ。それがどうした。

 と、先輩は今日も豚骨にんにくラーメンを頼む。

 明日“おわり”だ。だからこそ――行け!

 と、言う気分になったので僕も今日は豚骨にんにくラーメンを頼む。エンバーミングする人が誰になるかは分からないが、一応後で牛乳を飲んでおくので許して欲しい。

 牛スジとおでんも追加され、テーブルの上はちょっとした祝い事の様な感じになっていた。

 やはり、と言うか何と言うか、宇津木先輩はここの常連らしく、女性定員さんに「お、何か良いことあった?」と言われていた。

 デカいアフロのせいで雑に見えながらも、細やかな気配りが出来ることに定評のある男。

 そんな宇津木朔日は、流石にこれに、そうなんだよ! と返す精神力は無いらしく、半端な笑顔を浮かべていた。「……」。やれやれ、手のかかる先輩だぜ。

 そんな訳で、代わりに


「そうなんすよ」


 と、僕。

 事情を知ってるパイセンの笑顔が固まり、事情を知らない店員さんが「おっ、やっぱりですか? それなら――」とおでんの盛り合わせに、追加の大根と卵を入れてくれた。

 出汁に溶いた卵こそが至高と信じる僕にとってはご褒美意外の何でも無い。なので素直に「ありがとうございます」そんな僕の声に我に返った先輩が、少し遅れて

「……ありがとな」。


 そうしてラーメンが来るのを待ちながらおでんと牛スジに手を付けて行く。


「……流石だよ、後輩。ブラック過ぎて対応が遅れたぜ」


 完敗だぜ、と先輩。


「いえいえ、先輩の教育の賜物って奴ですよ」


 性格が歪んだのは、と僕。


「……何でも先輩のせいにするんじゃぁ――ない」

「謙遜も度が過ぎれば何とやらですよ、センパイ☆」


 可愛らしさを意識しつつ慣れないウィンクをしてまで責任を押し付け、大根を両断する。

 出汁の染みた大根は容易く箸で割れた。もう一度の分割、更にもう一度。そうして僕が八分の一の大根を食べる中、四分の一の大きさの大根をほおばったパイセンが、熱さに、ほふほふと口をぱくぱくさせていた。

 そんな先輩を見つつ――


「そう言えば、いつ僕のことに気が付いたんですか?」


 と質問を一つ。

 これは以前、この店に来た時から聞きたかったことだ。先輩はあの時、


『原因は俺にも察しは付くがな、あんま気にすること無いと思うぞ』


 と言っていた。

 僕は、僕の心の性別を隠して居ない。無理に肉体に合わせることなく、僕は僕の赴くままに行動していた。

 それでも外から見て気が付くのは無理だと思うのだ。おや? と思いはしても、確信は出来ないと思うのだ。


「……怖い話だ」


 少し、言い淀みながら先輩。

 あまり大声で話す内容ではないのだろう。軽く手招きをされたので、何ぞ? と顔を寄せる。


「一応色々な理由があるんだが、確信に至った理由は……中央コンピューターが記録してるお前の情報欄に書かれてるんだよ」

「……えぇー……」


 予想の斜め上を行く怖い話だった。

 プライバシーとかどうなってるんだ? と言う思い。そう言うことまで記録しているのか、と言う恐怖。それらが混ざって言葉に出来ない。


「普通にしてる分には見れない層の情報だがな。『一緒に仕事してる相手には知らせた方が良い』とでも判断したのか、俺と所長は見れたんだよ」


 だから所長も知ってるぞ、と先輩。


「ま、流石に楽しく話す内容じゃないから他の直の連中には話してないから安心しろ」

「安心……って言うか……あ、いや、それはありがとうございます? なんですけど……」


 本当に人工知能さんは人間を越えているのだろうか?

 思わず芽生えたそんな疑問。

 ……あぁ、いや、でも知って貰っておいた方が、変なトラブルには成らないのかもしれない。

 それに先輩と所長なら言いふらしはしないだろう、と言うのは僕にも分かる。

 その辺を判断した上での結論なのかもしれない。かもしれないが……


「……機械任せの社会って結構怖いですね」


 人によっては“おわり”を選ぶ切っ掛けになってしまうのではないだろうか、これ。

 僕はそんなことを思った。


■□■□■


 ラーメンが来ても、しばらくはどうでも良いような話で時間を潰した。

 先輩は食べ終わっても、席を立たなかった。

 ビニールカーテンで覆われたベランダ席。夏場には人が少ないここを選んだのはこのためなのだろう。

 先輩は瓶ビールを。僕はウーロン茶を。それとそれに合わせるツマミを幾つか注文し、それらが机に並んだ所で――


「……興味本位なんだが、こんなに何時も通りで居られるモンなのか?」


 ぽつり、と先輩。


「そう言う人、結構多いじゃないですか」


 特別僕が鈍い、と言うほどにレアな反応では無いですよ、と僕。

 そう。それ程レアな反応ではない。

 明日に迫った“おわり”。選んだソレが近づいても、さして動揺しない人と言うのは。


「そうだがな。……俺は、何時も不思議に思ってたんだよ」

「でも流石に聞けなかったところに、後輩が『そう』だったから聞いてみようと?」

「興味本位だから答えなくても良いぞ、っと」


 本当に興味本位なのだろう。

 グラスにビールを注ぎながら先輩。

 真剣に聞かれても困る質問なので、それ位軽い感じなら有り難い。


「まぁ、自分で選んだから、って感じですかね」


 自分が死ぬ時なんて分からない。決められない。

 人権に配慮し、今は既に無くなった死刑制度。それによる捌かれていた死刑囚ならば事前に知らせて貰えたのだろうが、ソレすらも決められた日と時間だ。彼等が選んだ訳では無い。

 だが僕は違う。

 自分で選んだ。追い詰められたと言う訳でも、まぁ、無い。

 天国も地獄も転生も信じていない。寧ろ有ったら困る。そも、クリスマスにはしゃいで、除夜の鐘を突いて、初詣に行く我々が良く天国、地獄は少しばかりカオス過ぎる。


『天国も、地獄も無いから』


 それが『贖罪の義務』を履行する人的資材再利用局、蔑称・奴隷商の理念だと言う。

 天国も、地獄も無いんだから、この世で罪を償え、と言う訳だ。

 僕もそれに近い宗教観を持って居る。

 だから僕にとって、死と言うのは目覚めない眠り、と言う感覚が強い。

 そこに恐怖する人が居ることも分かる。

 だが僕にとっては『その程度』で済む話だった。

 それよりも生きることの方が色々と辛い。面倒だ。居場所を造れる気がしないし、居場所を造ろうと努力する気も無い。それならば――と言うことだ。

 そんなことを話した。


「参考になりましたかね?」

「軽く言われたけど、俺に取っちゃ結構重く聞こえるな」

「それが個性ですよ」


 知らんけど。


「次、僕から質問、良いですか?」

「お? おぉ、良いぞ」


 少し意表を突かれつつも、かまぁん、と先輩。


「ちょい、干渉し過ぎじゃないっすか?」


 僕に。


「……意外か?」

「えぇ、まぁ、少し……」


 背中を押さない。

 引き止めない。

 前にも言ったが、M市の心因性終末ケアセンターにおいて、それを一番出来ているのは宇津木朔日だ。

 まぁ、僕にグレーゾーンを教えた男なので、完全に機械の様にシビアと言う訳では無い。

 それでもそこまで干渉しないのが宇津木朔日と言う男だ。

 なのに僕にはコレだ。

 引き止め、今もこうして話などしている。


「……知りたいか?」

「興味本位ですけどね」


 卵を半分に割りながら僕。

 藪を突いて蛇が出る。無いとは思うが、僕に惚れているとかだったら最悪だ。

 僕は宇津木朔日と言う男を先輩と尊敬している。

 こうして食事をするのは楽しい。

 それなのに異性として思われていると知らされたら――僕は彼を軽蔑する。

 それは、少し、ほんの少しだが、嫌だった。


「先に言っとくが、お前の心配している様な感情は持って無い」


 前に言ったろ? と一呼吸。


「『俺はお前が後輩で気楽だ』ってな。お前も知っての通り、自殺屋は原則で男女のペアだ。けどなぁ、俺はどうにも若い娘さんは苦手でなぁ」


 アフロに手を突っ込んでばりばりやりながら「その点、お前はメンタルが男だから助かったぜ」とパイセン。


「ほぅ。つまり。それは――」


 一息。声を口の横に手を立て、内緒話の体勢を造りながら顔を近づければ、デカいアフロも、何だ? と顔を寄せてくる。


「ホモってことですか?」

「……ホモってことではない」


 とても嫌そうな声で否定された。


「えー……?」


 本当にござるかぁ? と、ニマニマしながら僕。


「……」


 言葉よりも行動で示せることに定評がある男、宇津木朔日は無言でスマホを机の上に滑らせた。受け取り、時刻を確認してみれば、只今の時刻は二十三時四十一分。午後。つまり今の先輩は正直者と言う訳だ。


「――」


 つまらない。ふぅん、と盛大な溜息を吐き出しながらスマホを滑らせて返した。


「それで? それならどうして僕にやけに突っ掛かるんですか?」

「――妹を、思い出す」

「……妹?」


 脳内に浮かべたのは目の前のモノよりも一回り小さなアフロ。……いや、流石にそれは無いな。そう思うが、上手くイメージが出来ない。そんな僕に


「そう、妹だ」


 と、パイセンがスマホの画面を見せて来た。

 そこには目の前のデカいアフロとは血の繋がりが無さそうな美少女が映っていた。随分と年が離れている様に見える。いや。若しくは――

 彼女の時間は既に止まっているのかもしれない。


「……」


 思いついたその答えのことは見なかったことに。僕は意識して一度、瞬きを深くしてその答えを頭から追い出した。


「遺伝子って残酷ですね」


 くっ、涙で画面が……ッ! 見てられないぜぇー。


「……どういう意味だ、後輩?」

「……」


 どういう意味でしょうね? そんな気持ちを込め、無言でにっこり、と僕。ただ笑っただけなのだが、そこから勝手にメッセージを得たパイセンはジト目で睨みつけながらスマホの画面をブラックアウトさせた。


「俺には妹が居た、、

「……過去形、ですか?」

「そう、過去形だ」


 流石は文系、と軽く拍手をしつつ、先輩は続ける。


「お察しの通り、今は居ない」

「アイツは“おわり”を選んだ」

「で、アイツはお前と同じだった」

「性同一性障害」

「女の身体に、男の心」

「アイツは何て言うか、お前程、器用じゃなくてなぁー……」

「上手く割り切れなかった」

「上手くこの世界で生きられなかった」

「だから随分と前に“おわり”を選んだ」


 たん、たん、たんと、淡々と。

 極力、感情の抑揚を抑え、悲しみが、或いは怒りが声に乗らない様に気を付けながら先輩が語る。


「だからアイツと同じ様な理由で“おわり”を選ぼうとしてるお前に干渉してる」


 僕に干渉する理由を。


「……妹さんの分まで僕に生きて欲しい、ってことですか?」

「ま、そう言うことだ」


 その気持ちは、まぁ、嬉しい。

 代わりであれ、幻影を重ねられたとは言え、僕の特異性を責めること無く、認めた上で居て欲しい。生きて欲しい。そう願ってくれるのはとても嬉しいことだった。


「先輩は、妹さんのことをどう思ってますか?」

「どう?」

「そうですね。言葉を飾らないで訊きます。自殺屋で“おわり”を選んだこと、どう思ってますか? ってことです」

「……責める気は、まぁ、ないわな」


 そうじゃなきゃ自殺屋なんてやってねぇ、と先輩。


「……俺は“おわり”を選ぶ奴等の気持ちが分からない。それ位、俺にとって“おわり”は怖いものだ。……だから、うん。そうだな。だから俺は自殺屋をやってる。俺が怖くて、怖くて仕方がない“おわり”。それを選ぶ程にこの世界に絶望した奴等の最後、それが少しでも良いものになって欲しくて俺は自殺屋をやってる」


 だから――


「俺がアイツに対して思ってるのは『怖くなかったか?』だ。“おわり”を選んだことを責める気はない。その選択肢を選んだ時点で十分に苦しんでるだろうから、もうそれ以上責める気はない。だから俺は……兄ちゃんはお前の手を握る位はしてやりたかったよ」


 永遠の眠り。

 それに抱かれるその時、まだ“ここ”にいる間くらいは怖くない様に、その手を握ってやりたかった、と先輩は言う。


「――」


 何となく、無言で右手を前に。パー。


「――」


 それに合わせる様に先輩が左手を前に。やっぱりパー。

 僕の手と先輩の手が合わさる。


「……」

「……」


 大人と子供。

 男女差は勿論のこと、無駄にデカい先輩と小柄な僕では笑える位に手の大きさが違っていた。


「この手に握られるとか……魘されそうっすね」


 沈黙を破り、うへぇ、と嫌そうに僕。

 何と言うか、圧殺されそうだ。

 僕に妹さんを重ねていると言うのなら、先輩は僕の手を握るつもりなのかもしれない。正直、それは勘弁して欲しい。そう思った。

 生きていると嫌なことがある。

 だがどうやら“おわり”を選んでも嫌なことがあるらしい。

 何とも人生と言うモノは上手く行かないモノだ。


「先輩」

「……おぅ」

「スマホ貸して下さい」

「? 別に構わんが……」


 何に使うんだ? と不思議そうに先輩。

 受け取り、時間を確認する。二十三時五十六分。午後だった。


「――、――」


 軽く、呼吸を一回。それで顔を上げて先輩を見る。

 宇津木朔日。うつぎさくじつ。少し文字って、うづきさくじつ。卯月朔日。

 つまりは四月一日。

 宇津木朔日パイセンは自分の名前にちなんだ縛りを人生に入れている。

 それは午後は絶対に嘘を吐かず、午前は何個か嘘を吐くと言うモノだった。

 四月一日。四月ばか。或いはエイプリルフール。

 この日は嘘を吐いて良いと言う風習がある。先輩はこの風習の中の『四月一日に嘘を吐いて良いのは午前だけ』と言うのを採用している。

 だから午前中の先輩は多少の嘘が混じることがあるが、午後の先輩は正直者だ。

 僕がこれに気が付いたのは先輩が偶に発言の前に時計を確認していたことと、T中さんの件があったからだ。

 馬鹿正直に、ともすれば煽っている様に見える程に自分の胸の内を正直にぶつけるのを見て、おや? と思ったのが切っ掛けだった。

 兎も角。

 それは兎も角として、今は午後だ。午後なのだ。

 つまり、先輩がさっき語ってくれたことは全て本当のことだと言うことだ。

 妹が居たと言うこと。

 妹さんと僕を重ねていると言うこと。

 そして手を握ってやりたかったと言うこと。

 全部が本当のことだと言うことだ。

 だから僕は電話帳から番号を呼び出してコールした。

 生きていても嫌なことがある。“おわり”を選んでも嫌なことがある。

 それなら――


「あ、唐木さん? 僕、近衛です。あの、大変申し上げにくいのですが、僕の“おわり”をやっぱり取り止めたいと言うお話なのですが――」


 無駄にデカい手に手を握られて“おわり”を迎えるのは遠慮したいのだ。













あとがき

いきなり「」つけてかっこつけだした主人公

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