Command+19

かんなづき

Command+19

「まーた−13進行マイナスサーティーンだ。これで何回目だよぉ」


 ガーニーはそう唸りながら口をとんがらせて背もたれにもたれかかった。その様子を見たファーレが申し訳なさそうに眉尻をくんと下げる。


「すみません」


「いや、ファーレのせいじゃないんだけどさ。いい加減このループから抜け出せないと、オレらやばいって。な?」


「そうですわね……」


 ただひたすらにインスティンクチュアルコードをさばき続けるサダーの隣でダスが怪訝そうに瞳を揺らした。


「ダス。ちょっと飲み物くれる?」


「ええ、いいですわよ。本当にお疲れ様ですわ」


 彼女はデスクに置いてあるコップにストローを差して、サダーの口元へ運んだ。サダーはそれをついばむようにくわえて幾分か吸い上げると、ありがとう、とだけ言った。その間視線はONモニターとコマンドパネルにがっちりと固定されていた。


「これだけサダーさんに集まるのも、本来異常だもんねぇ。もう二ヶ月くらいですか」


 サルプルがデスクから少し離れたソファで寝転びながらのんびりした声を上げる。彼女は元々仕事が少ないけれど、今はほとんどデスクに触れていない。


「なーに呑気のんきしてんだ、一応デスクには座っとけよ。あんたの出番はいつだって急なんだから」


「いやぁもう無いよ。Eラインの絶対値集計表見た? ずぅっと横ばい。路面電車みたいな感情推移だよ」


「確かに執行してるコマンドもほぼ一緒」


 サダーが口だけをこちらに向けた。


「ナイフとかロープとかベランダとか、いざってものがONモニターに映ったらファーレがコマンド執行して反転させるの繰り返しだもんなぁ。どうなってんだか、は」


「まあかなり重度のうつ状態であることは確かですわ。ONモニターにも、もうしばらく外の風景が映っていませんもの」


「んー」


 ガーニーは席を立ってデスクの周りをぐるぐる回り始めた。彼女は考え事をする時、こうやってせかせか歩く癖があった。


「ファーレのコマンドばっか使ってちゃいたちごっこだよなぁ。やっぱパフィーのコードが絶対必要なんだけど」


 彼女はコード001のデスクの前で立ち止まった。それから部屋の隅で観葉植物の世話をしている少女に視線を投げる。


「最近はわたしのコマンドも効きが悪いんです。使ってるのは同じなんですけど、執行が反映されるまでタイムラグがあって、コマンドパネルの操作性も若干重くなってて」


 ファーレが自分のコマンドパネルをぽちぽちいじりながら呟いた。


「あ、それはボクのコマンド情報が多いからだと思う。ほぼ全てのインスティンクチュアルコードが004ここを経由してて、それを全部ファーレのコマンド一つで反転させなきゃいけないからめちゃくちゃ負担かかってるはず」


「えぇ? マジかよ。ファーレのコマンドがなかったらコード004のまんま感情順転させなきゃいけないじゃん。それは絶対やばい。なぁ、パフィー。やっぱりあんたの力が必要だよぉ……!」


 ガーニーが少女に抱きつこうとしたちょうどその時、彼女のコマンドパネルにインスティンクチュアルコードが届いた。


「あら、ガーニーさん。仕事ですわよ」


「え、オレ? ファーレのコマンドの後に何で002オレが請求されるんだよ……なになに?」


 ONモニターには芸能人の結婚を知らせるSNSの投稿が映っていた。


「こんなの絶対パフィーのコードに行くはずだろうがよ。どうなってんだ全く」


「それ、こっちで処理する」


 サダーがモニターを見たままそう言った。


「いや、それはまずいだろ。あんたのコマンド蓄積させたらファーレへの負担がまたデカくなるし、そもそもこのニュースなんてそのものじゃねぇかよ。オレもあんたもお門違い」


「でもしょうがない。Eラインのこと考えたら、ファーレのコマンド使った後に002は危険すぎる。反転しきれない感情が反復請求されるかもしれない。そうなったらいよいよ打つ手がなくなる」


 サダーはいたって冷静だった。


「……そうするしか、ないか」


「ない。転送してくれ」


「わかったよ」


 ガーニーは素直にインスティンクチュアルコードを004に請求し直して、パネルからそっと手を離した。それからゆっくりパフィーの元に歩み寄って、その隣に並ぶようにしゃがみ込んだ。


「なぁパフィー。何とかしてくれよ」


 水やりジョウロをことんと置いて彼女は綺麗な灰色の瞳をガーニーに向けた。それはかつて輝かしい橙色をしていたものだった。


「何とかしてと言われても、私じゃどうにもできないですよ」


「でも現実的に考えてご主人様を救うにはパフィーがコマンド打つ以外に手がないんだよ」


「そのコマンドが打てないから、困っているのでしょう?」


 ダスがコマンドパネルを打ちながら言った。それが灰色の理由だった。


「だ・か・ら! パフィーのコマンドが打てなくなったのにも絶対理由があるんだって。三年前のクリスマスなんか、パフィーが鼻血出すくらいコード001が請求されてたじゃない。雪の日だっていうのにオレたちがパフィーの頭冷やしながら支えてさ」


「懐かしいですねぇ」


 サルプルは相も変わらずあくびをしながらソファに伸びている。


「原因は明らかではありませんの? どう考えても就労ストレスですわ」


「そういうことじゃなくて、パフィーのコードに接続できないシステム的な話だよっ!」


「私だって、本来なら私が一番忙しくあるべきだって思います。でも今のご主人様には、必要ない感情コマンドなんですよ。それだけだと思います」


「そんなのあり得ないだろ。いくら鬱だからって、001を排除した状態なんて人間としてちゃんと存在してられない」


「だから何度もとしているのではないですの。EESがなかったらとっくに亡くなっておりますわよ」


 ダスはふぅと息を吐いて天井を仰いだ。両手は上品に胸元に揃えて重ねられている。


「ご主人様には元気でいてほしいけど、私が拒絶されているのでどうすることも」


 パフィーは自分のデスクに近づいて、首から下げた執行官コードをリーダーに近づけた。ブー、と無機質な音が鳴って、コマンドパネルがシャットダウンされる。


「サーバーアウトしてるわけじゃないんだな」


本能線ほんのうせんの方に問題があると思うよ。コード001を強制遮断して、通常はそこにいくさっきのSNSの投稿なんかの情報も、ボクやガーニーのところに飛んでいくようになってる。代替感情措置だね」


「どうにかなんないんだっけ」


「本能線は有機生成帯ですし、私たちの手で治すのは無理です。そもそもコマンドパネルのオペレーションシステムじゃ、本能線には干渉できないです」


「不可逆貫通ですわね」


「そっかぁ」


 パフィーはデスクチェアに腰を下ろして、ほこりの積もり出したコマンドパネルを手のひらで払った。彼女がいくつもの幸福を執行してきたそのパネルは、すっかりすさんでしまっていた。


「パフィー……」


 その時。


 

 ばつんっ。



 EESの電源がいきなり落ちた。白い天井が映っていたONモニターも完全に暗転して機能を停止する。


「なんだなんだ!? え!?」


 ガーニーは急いで自分のデスクに戻ってコマンドパネルをスワイプした。


「動かねぇ。そっちは?」


「ボクの方もダメ」


「わたくしもダメですわ」


「わたしもっ……」


「えぇ!?」


 ガーニーはデスクに設置されている神経系緊急通信を手に取る。


「ちょっともしもし!? 生きてる!?」


「ダス、ちょっと手伝って。再起動してみる」


「もちろんですわ」


「おやおや、どうやらピンチのようですねぇ」


 サルプルがやっと腰を上げてパフィーの肩を後ろから掴んだ。それでも声に緊張感はほとんどない。


「サルプルさんもデスク確認した方が」


「無駄だよ。見ればわかる。完全に


「でも……」


 がちゃん!


 ガーニーが勢いよく通話機を戻してパフィーのデスクの方へ戻ってきた。


「身体の生命維持活動は全く問題ないって。睡眠状態でもないから、五感情報も全部正常に作動してるみたい」


「EESには届いてないってこと?」


「それすなわち、作動してないってことじゃないのかねぇ」


「無感情状態だ。全部の情報がEESを経由できてないから身体は知覚しているけど精神は何も知覚できていない」


「……危ない、ですわね」


「今まで感情反転で制御していた身体の本能的な行動が全部抑えられなくなる。ボクらの理性ソースも何も効かない」


「この場合って、ご主人様は何に従って動いているんですか?」


「わからない。EESからじゃ判別できないよ。精神状態が身体の運動に染みつくほど極限で、その結果無感情でも行動できるが生まれているなら、もう長くはないかもしれない」


 パフィーは息を呑んだ。


 この暗い箱が今、何を求めてどこへ向かっているのか。黒い海の奥底でとぐろを巻き出す重油のような得体のしれない桎梏しっこくが心筋を締め上げてしまうのみだった。


「な、なぁ、パフィー……」


 ガーニーが顔を青くして少女に手を伸ばす。


「な、なんとか、してくれよ」


 パフィーはじっと黙って、ONモニターを見つめていた。その向こうの景色に自分の居場所がないことは、自分の灰色の瞳が証明している。


 震える手のひらに、絶対零度の焦燥と寂寥。


「ご主人様……」







                   何も感じなくなっていた。自分が望まれないことに。


                  それがご主人様の生き方になったと思ったから。

 

               私はもちろんご主人様が大好き。


               生まれてからずっと一緒だから。


                   ご主人様の幸せは、私の幸せでもあったから。


                  感情執行官なんて業務的な存在じゃなくて                仲の良い友達とかに生まれたかった。


           白と黒は私の嫌いな色だった。


           それでもご主人様が望むなら、








 不意にONモニターが明るくなった。そこは高台だった。風の香りもイシュタムの挽歌ばんかも届いていない。


「これは……」


 サルプルが少女の肩を静かに離した。


 彼女を照らしていたのは、かつてその瞳に宿っていたものと同じ綺麗な夕染ゆうぜんだった。少女はモニターをじっと眺めたままリーダーにコードを通した。もう無機質なあの音は鳴らなかった。


 それが渇望だったのだ。


「感情執行官、コード001担当。EESより緊急執行通達。各細胞、器官の運動上、Eラインの急上昇に伴う機能不全の可能性があるものは至急EESへ通達してください」


「パフィー……!」


「みなさんも解析リスクヘッジをお願いします。執行は全て、001が請け負います」


 ガーニーはこくりと頷いて自分のデスクへ戻った。


「再起動できた。インスティンクチュアルコードからの接続はないけど、体内間の通信は完全に復旧してる」


「今、ファーレさんの分までできていますわ。ちょっと、サルプルさんも見てないで手伝ってくださります?」


「えぇ、も〜しょうがないなぁ」


 サルプルは腰をぐるっと回すと、数回その場で軽くジャンプをした。


「ちょーっとだけ、頑張っちゃいますか」


「お願いします」


 橙色の炎がもう一度その花弁を見せる。


「五感作動性問題なし」


「脳細胞も問題ありません」


「心肺機能もんだいなーし」


「筋骨臓器、機能補完終了!」


「Eライン干渉接続確認。コード001執行システム不順も検知されておりませんわ」


「わかりました」


 白い指がコマンドパネルを滑る。


「コード001。コマンド19=#HoPE、執行します」


 ONモニターに映った橙色の光に照らされた少女はそう宣言して、埃の積もった執行ボタンに手をかけた。

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