夏の夜の駅

加藤伊織

大宮下という駅

 帰宅ラッシュの時間帯でギリギリ席を確保することができて、私は電車のシートに深く座りながらため息をついた。

 外の蒸し暑さに茹だった後は、きついくらいの冷房が心地良い。この駅から自宅への最寄り駅までは、今乗っている急行で30分ほどだ。降りる間際は体が冷えているかもしれないが、贅沢は言っていられなかった。


 特に自分宛にメッセージが入っていないことを確認したスマホをバッグに放り込む。そして、私はバッグを抱え直すと目を閉じた。

 週末の疲労感に、すぐに眠気が襲ってくる。


 席が取れたのはラッキーだったと思いながら、私は眠りに落ちていった。


 

 聞き慣れた着信音で私は慌てて目を覚ました。

 慣れた動作で電話に出ると、切羽詰まったような母の声が突然耳に飛び込んでくる。


「その電車、次の駅で降りなさい! すぐ!」

「えっ? 何言ってるの? 次の駅で降りたら帰るの遅くなるよ」

「いいから!」

「いや、ごめん、電車の中だから切るね」


 車内通話はマナーが悪い。周囲の視線が自分に向いているのに気付いて私は慌てて電話を切り、それと同時に電車は駅のホームへ滑り込んでいった。

 乗り換えに使われることが多い駅なので、かなりの人数が降りていく。車内は気がついたら席が8割ほど埋まっている感じで、かなり乗客は減っていた。


 電車が発車してからふと気付く。

 何故母は、私が電車に乗っていることに気付いたのだろう、と。


「きゃっ!」


 突然車体に激しい揺れを感じた。それと同時に、車内の照明が消える。

 焦った瞬間にすぐに灯りは復活して、私は胸を撫で下ろした。

 ――このショックで、母についての疑問は一度頭の中から出てしまっていた。


「事故?」

「凄い揺れたよね」


 カップルらしい男女の話し声で私も外を見た。電車は揺れはしたけども、その後はガタンゴトンと規則正しいリズムを刻んで走っている。

 あの揺れはなんだったんだろう。線路に石があったとかそういうものだろうか。


 考えながら外を見ていると、いつもよりも随分景色が暗いことに気がついた。

 そして、減速した電車から見える駅は妙に古めかしく緑色の灯りに照らされ、錆びた駅名板には「大宮下」と書かれている。


 おかしい。そんな駅名はこの路線で聞いたことがない。

 それに、他の駅と比べてこの駅――「おおみやした」か、「たいぐうした」なのかわからないが――だけ景色がおかしい。

 墓場でよく見るような五輪塔は苔むしていて、それがあちこちに立っている。その光景はあまりに異様すぎた。


 この電車に乗っていてはよくないと今更気付いたけども、「大宮下」では電車は減速したものの停車することはなく、駅を過ぎると再びスピードは上がった。


 知らない内に、私は手のひらに冷たい汗を掻いていた。

 乗客は皆、窓の外を見ながら不安そうにしている。

 私も例に漏れず、後ろを向いて窓の外に見える僅かなものから情報を拾おうとしていた。


「嘘!」


 電車が、急降下した。


 線路に沿って、「急降下」をした。

 急激な重力が掛かって、隣の人に思い切りぶつかってしまう。隣の人も、私と同じように悲鳴を上げてポールに掴まっていた。


 窓の外には、線路が見えていた。

 これからこの電車が走る線路は、曲がりくねっていて、ありえない軌道を描いている。

 夜闇の中で線路だけが見えるのも奇異だった。


 嫌だ嫌だ嫌だ――。

 叫びたいけどまともな言葉は出ない。電車はジェットコースターのように線路の上を走り抜けていく。ただ悲鳴だけが車内に満ちていた。



 そんな時間がどれだけ過ぎただろうか。

 突然線路は真っ直ぐになったようで、おかしい揺れは収まった。


「お客様へご案内いたします。ご家族からお電話のあったお客様、乗車前に神社に参拝されたお客様、同じく乗車前にお墓参りをされたお客様――以上のお客様は車掌が回りますので、挙手をしてお待ちください」


 心臓が酷いリズムで鳴っていた。

 私は男性か女性かもわからないアナウンスを聞いた後、母の電話を思い出してそろりと手を挙げる。


 そして、隣の車両から半袖の車掌が移動してきて、ぺこりと礼をしたのを見た瞬間、私の意識は突然落ちたのだった。




 気がついたら、病院のベッドの上だった。

 私の体にはたくさんの管が繋がっていて、意識が戻ったことに気付いた姉は号泣した。


 後からわかったのは、私が乗った電車は事故で多数の死傷者を出したと言うことだけ。

 もちろん、「大宮下」なんて駅名は路線にない。もしかすると、黄泉の入り口のような場所だったのかもしれない。


 私の他の生還した乗客とも話をしたけども、電車のアナウンスについては人それぞれだった。中には、「お財布に一万円以上入っているお客様」なんてふざけた条件も合ったらしい。


 これは私が夏の夜に遭遇した、奇妙な体験だ。


 最後にひとつ疑問に思うのは、何故寝ぼけていたからといって母からの電話を当たり前に取ることができたのだろうかと言うこと。


 母は、半年前に亡くなっているのに。

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夏の夜の駅 加藤伊織 @rokushou

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