第3話

「もう私たちに残された道は多くありません。一縷いちるの望みにかけて、神託より仰せつかった召喚の儀を行わせていただきました」


 勇者と聞かされて次に魔王と来たか。いつの世も、勇者と魔王は対立している。王女様が「お呼びして」と言っているのを鑑みるに、勇者とやらは俺たち、もしくは、俺たちの中にいる誰かを指すのは明白だ。

 魔王軍ということは、魔王本人ではなくその配下。それらを打ち倒せというのが、彼女たちの要望なのだろう。自国や同盟国の戦力でどうにかするのではなく、わざわざ他国から俺たちを連れてくるのだから、迷惑な話だ。それほどまでに事態は逼迫しているともいえるか。


 彼女たちが統一王国と呼ぶこの国は島国であり、この島より東にある大陸の国々と国交を結んで貿易をしていた。しかし魔王軍の手により海は魔物であふれ、航路を進むのはおろか近海での漁すらも安全に行うことができない状態である。

 世界から隔離され孤立無援の状態のこの国は魔王軍には攻め入る恰好の的だ。いずれ来るその日に向け、あるいは、制海権を取り戻し航路を復興させるために、俺たちは『召喚』された、というわけだ。


 耳慣れない言葉から何となく察しがついてしまったが、これは地球での出来事ではない。


 フィクションの中でしかありえなかった出来事が、今、現実となって目の前に現れたのである。

 いわゆる『異世界もの』というジャンルが本屋に並んで久しいが、これはその中から派生した「勇者召喚」というわけだ。みんなが勇者なのか、選ばれた数名が勇者で、他の皆は「巻き込まれた」だけなのかは定かではないが、ここが地球であると仮定して考えるのは疲れてきた。


 これがすべてあの武装集団の妄想であればそのうち助けが来てめでたしめでたしで終われるのだけれど、見るからに武力はあちらが有利だし、おそらくは地の利もあちら側にある。

 とりあえずはあちらの言い分が正しいていでいるのが無難だろう。


 問答無用で召喚されたにしては、その対応は丁寧なものだった。一通りの話を聞いた後には俺たちはそれぞれに用意された部屋へと案内され、そのまま一晩過ごすことになる。驚くことに全員が個室を割り当てられていたのだが、見知らぬ土地でひとりで過ごすのは多少なりとも不安が残るのか、一つのベッドで二人で寝たり、床で寝たりと、複数人で過ごす者もいたようだった。


 俺たちが最初にいたあの空間が薄暗かったのは、明かり取りの窓が少なかったこともあるだろうが、そもそも召喚の儀とやらが太陽が沈んだ後に行われたというのが大きな理由だろう。


 多少外を出歩くのも許されたので、俺は中庭に出てみた。満月のため足元までよく見える。庭とは名ばかりで、中央に井戸があるだけの殺風景な空間だ。

 荘厳な建物だが、王女様がいうにはこれは王城ではなく教会らしい。ここら一帯の教会を束ねる団体らしく、そのため建物自体も大きく建設されているのだとか。巡礼地に指定されているので宿泊施設も完備している。俺たちが泊めてもらうのはその部屋だ。

 どういった教義なのかはわからないが、建物を見て回った限りではあまり華美な装飾は施されていないように感じる。この中庭も、あくまでも自然の一部のように、草花が慎ましやかに花びらを広げていた。夜なので元気がないだけかもしれないが。


「こんな夜更けにどうかなさいましたか?」


 背後から、そんな声をかけられた。振り返れば、そこには修道着に身を包んだ一人の女性が立っていた。年齢は俺よりも少し上くらいに見える。木製の大きなバケツを抱えているので、井戸に用事があるようだ。


「いえ、環境が変わったこともあり、なかなか寝付けなくて」


 この世界の人とは日本語で会話することが可能なのはすでに王女様を相手に浅井君を証明してくれた。日本語が通じるのではなく、なんらかのファンタジー的ギミックがあるのだろうけれど、ありがたいのでこのまま使わせてもらう。


「それは大変ですね。よろしければミルクを温めましょうか。ほっと一息つけば、自然と眠くもなりましょう」


 異世界の食事には興味があった。俺たちは、召喚され説明され個室へ促されと、こちらに来てから一度も食べ物を口にしていない。明日の朝には王女様が手配した料理人が来るそうなので、全員分の食事を用意できるようなのだが、今のところ、ここには教会の関係者しかいないようなので、人に料理をふるまえるような人はいなかった。

 ミルクを温めるだけとはいえ、この世界の食材の味は興味をそそるのに十分な代物だ。


「それではお言葉に甘えて、少しだけいただいてもよろしいでしょうか」


 こちらへ、と修道女に促されたのでついていくように隣に並んだ。彼女は井戸で水をくむことなく歩き出したので、彼女の仕事を邪魔してしまったかと少し申し訳なく思う。


「この世界のミルクが一体どんなものかとても気になりますね」


「ふふ。今朝方羊からとれたものなので、新鮮とは言いませんが、それでも濃厚で優しい味がしますよ」


「この世界にも羊がいるのですか。俺たちの世界にも羊がいますよ。白くて毛むくじゃらのが」


「まあ! それは本当ですか? 私、羊って好きなんですよ。もふもふで柔らかくて、顔もなんだかかわいらしくて」


 残念ながら実物を見たことがないので俺は地球の羊がどんな顔をしているのか全く分からない。渦を巻くような角が生えているのは覚えているが、大体はシルエットくらいなものだ。


「そうなんですか。それは、ぜひとも会ってみたいものですね」


 そうこうしているうちに、俺たちは宿泊している建物の広間に到着した。誰もいないが暖炉にまだ火が残っていた。


「それでは、今持ってきますので、こちらでお待ちください」


 そういって、彼女は奥へと姿を消した。彼女が戻ってくるまで、手持無沙汰になってしまった。適当に椅子を引っ張ってきて暖炉の前を陣取って座る。弱弱しい炎を眺めること数分。ほどなくして修道女は帰ってきた。小さな片手鍋と、マグカップを持ってきたようだ。鍋の中にはすでに真っ白なミルクが注がれている。

 その鍋を暖炉に火にかけた。


 ミルクってだいたいどのくらいで温まるのだろうか。こういうのを待っている時間は、実際に経過した時間よりも長く感じたりする。つまり、退屈だ。

 特に会話らしい会話も生まれない。気まずい沈黙である。


 いやいや、これを気まずいと感じているのは俺だけで、相手はあまりそうは感じていないかもしれない。堂々としていれば、気まずさなんて吹っ飛ぶさ。


 俺は炎を、修道女はミルクを眺めて、しばらく、まさか沸騰させるまで温めるということもなく、すぐにホットミルクは完成した。


「どうぞ、熱いので気を付けてくださいね」


 ちょうど一杯分のそれをマグカップに注ぎ込み、それを手渡ししてくれた。

 欲を言えば、持ち手の部分持たれちゃうと結局熱い部分触らないとだから、何かトレイとか机とかに置いてから渡してほしい。湯気がもくもくと昇っているので、実はそんなに熱くない、という落ちもないはずだ。

 しかし、修道女がそういった気をきかせてくれる気配もないので、恐る恐る両手の指先で、受け取った。ほら熱い。俺は急いで持ち手の部分をつかむ。


 忌々し気に修道女を見つめるが、俺の念が届くともなく彼女はきょとんとしている。これ以上続けても不毛なだけなので、そうそうに俺はマグカップに口をつけた。


「あ、うま」


 自然とそう言葉が漏れた。それを聞いて修道女はにんまりと笑顔を浮かべると、


「そうでしょう! うちの羊はとっても良いお乳を出すんです!」


 と胸を張った。


「うちの羊……?」


 その言葉がひっかかった。


「ええ。このミルクは私のお父さんの牧場で採れたものなんです」


「へえ、牧場を経営しているのですか」


「はい。羊のほかにも、豚や鶏なんかもいるんですよ!」


「それはそれは、そのお父様に感謝しなくては。おかげでおいしいミルクにありつけた」


「いえいえ、ここには採れ過ぎたり、あまり売り物にならないようなものを卸しているだけですから」


 宗教団体は営利団体ではないため、金銭的だろうとなかろうとこういった寄付で成り立っている。地球でもそうだったが、それはこちらの世界でも変わらないようだ。この寄付はいずれ俺たち地球人にも求められるのだろうか。相手の都合で呼び出されて、その上でたかられるのかと思うとげんなりする。いやいや、まさかね?


 最後の一口を飲み干すころには、小さなあくびが出てくるようになっていた。


「ごちそうさまでした。おかげでぐっすり眠れそうです」


「どうせあまりものですから、お気になさらないでください」


 そう言う修道女に、俺はマグカップをあずけて、自分に充てられた部屋へ向かった。程よく眠気も襲ってきたから都合がいい。


 明日はそれぞれの特性を見極める『鑑定の儀』が執り行われるそうだ。


 目覚めたら実は夢でした、という結果を望みつつも、俺はゆっくりと瞼を閉じた。

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