第9話 電撃少女の夏休み初日

 夏休み初日。

 みんみんと鳴く蝉と照りつける太陽。

 青々とした木々を揺らす風は生ぬるくて、俺は手の甲で額に浮かんだ汗をぬぐう。


「……家の前でこんなに待たされるとは」


 一人、夏の空につぶやく。

 俺は七海の家を訪れていた。

 時刻は十一時を少し過ぎたところ。


 色々と考えた結果、まず最初にやるべきこととして七海の電気が初めて出た時を再現してみようということになった。


 のだが。


『――ちょ、待ってくださいねっ!』


 そう言い残して七海は家に引っ込んだ。

 親は仕事でいないとのことだったが、普通なんかあれじゃない? リビングとかで麦茶出して待たせるとかしない?


 こんな照りつける太陽の元で待たせなくない? いや、いいけど。なんか蝉が俺のことを笑っているような気がしてくる。


 そこからさらに五分ほど経ったところで、ガチャリと音を立ててドアが開く。


「……お待たせしました。せんぱい」

「……なんで髪の毛濡れてんの」


 しっとりとした七海の髪。首にはタオルが掛かっており、服装も明らかにパジャマだ。深い紺色が目に映る。


「しかもなんでパジャマなの」

「へ? 電気出た日の再現をするって言いましたよね」


 まさか。

 俺はもう一度濡れた七海の髪を見つめる。


「え? 俺待たせて風呂に入ったの?」

「入りました。いいにおいですよ?」


 七瀬が身体を寄せる。

 ふわんと漂うせっけんの香りに混じって、ぱちんと何かが弾けるような音が聞こえた。


「……どうやら夏休みに入っても、それは健在みたいだな」

「み、みたいです。どうぞ」


 七海に連れられて家に上がる。

 お邪魔します、と一応言うけれど、返事は彼女のものしか返ってこなかった。


「私、髪乾かしてくるのでリビングで待っててもらえますか」

「あ、ああ」


 彼女の家に来るのはなんだかんだで初めてだ。七海の家でなくとも、初めて来る家というのは緊張する。そわそわと辺りを見回して、手頃な椅子に腰掛ける。


 とんとんと七海はリビングに入ってくると、冷蔵庫を開けて麦茶をグラスに注ぐ。俺の前にそれを置いてまたそそくさと洗面所へ消える。


 ドライヤーの音を聞きながらグラスを傾ける。ああ、夏だな。なんてことを思った。



***


 髪を乾かし終えた七海と彼女の部屋へ。

 ふわふわした部屋のイメージなのに、思った以上にきちんと整理された部屋がそこにはあった。


「まず私は先輩に振られたショックでこうなっていたわけです」


 七海はベットにぽふんと倒れ込み、うつ伏せのままもごもごとそんなことを言う。


 そもそもそこまでの再現性を求めるのなら、同じ夜中に検証を行うべきだよな、なんて思ったが言わないでおく。実行されかねないからな。親御さんに殺されそう。


「それで?」

「何度目かの寝返りを打って、窓の外に月が見えて。そこでぱちぱち、って青い光が」

「なるほど」


 薄々分かってはいたが、特におかしなことは無いな。この部屋での行動と、電気が出るようになったことの関連性は感じられない。


「なにか分かりそうですかね」


 起き上がり、ベッドの端に腰掛ける七海。

 ぎぃ、と木のフレームが鳴いた。


「さっぱりわからん」

「つまりせんぱいは私の部屋に入りたいがためにこんなことを言い出したと」


 口元に手を当て、にまにまと七海がこちらを見つめる。


「私のパジャマ姿が見たかったと」

「違う。そもそもこれを言い出したのは椎名……あ」

「…………へえ」


 空気がひりつく。

 ぴりぴりする気がする。気のせいか?


「せんぱいは私のパジャマ姿よりもあの牛……幼馴染のことが気になるんですね?」

「相変わらず敵対心がすごい……」


 人の幼馴染を牛さんと間違えるのやめて?

 俺がぼやいたところで。


 ――ぐぅ。


 そんな音が聞こえた。

 目の前の七海が固まる。

 ぼわわっ、と赤くなる頬と、ばちばちと放たれる青い光。


「せせっ、せんぱいお腹空いたんですか仕方ないですねちょうどお昼ですし私がこの私が手料理をご馳走するのも藪から棒やぶさかではありません」

「めちゃくちゃ喋ったな」


 そうしてリビングに戻った俺たちは、台所で料理を始める。七海は嬉しそうに袋麺と卵を用意して湯を沸かし始める。……手料理、とは?


「お腹すきました」


 うう、とつらそうな顔でお腹をさする七海。

 俺は、そのお腹よりも少し下、彼女のパジャマのある部分に目をやる。


 今日出会った時からずっと気づいていた。

 ……やっぱり、そうなのか?

 心の中で小さく息を吐いて、俺は覚悟を決める。


「七海。一個だけ訊いていいか?」

「へ? 一個じゃなくてもいいですよ」

「……そうか。なら教えてくれ、七海の身体から出てるのって。――電撃、なんだよな?」


 ぱちっ、と隣で散った光の向こうで。

 驚いた表情を浮かべた彼女の瞳が青く揺れる。七海はどこか寂しそうに、へにゃりと笑った。


「……そうですよ?」


 そう言って、彼女は身を捩る。

 俺から何かを隠すように。


「なんですかいきなり、変なせんぱいです」


 七海のポケットにはスマホが入っている。

 では、電撃を纏い放つ彼女のそれは。もう壊れてしまっているのだろうか。


 俺は何も言わずに七海の腕をやさしく掴む。

 びくっ、と震えた彼女は鍋でぐらぐらと揺れるお湯を見つめたまま。


 ――ぱちっ。ぱちぱち。


 散った火花は。


 ――ばちばち。


 弾けた電気は。電撃は。

 確実に俺の手を、腕を包み込んでいく。


 嫌な汗が頬をつたう。

 その青い電撃。

 ……いや。電撃に見えるそれは。


「七海。もう一度だけ聞くぞ。お前の身体から出ているこれは、一体なんだ」

「…………なんだと思いますか、先輩」


 夏休みの初日。

 きゅっと結ばれた彼女の口元から零れ落ちたのは。


 確実に取り返しのつかない何かだった。

 

 

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