ヴァーチャルリアルタイムログ

久佐馬野景

ヴァーチャルリアルタイムログ

 歴史を概観する際には必ず取りこぼしが生じる。

 これは当然のことであり、同時に致し方ないことである。我々は歴史の当事者ではない。かつて生きていた百年前の当事者と言葉を交わす方法は存在しない。また、個々人の感慨を歴史に含めることは避けなければならない。

 だがもし、かつての歴史の一場面を仮想現実として追体験することができたのなら。これも大いに疑問が残る仮定ではある。現代には関ヶ原の戦いを撮影した映像は存在せず、原子爆弾が投下された惨状を伝える媒体は無数に存在するものの実際にあの地獄を再現しようとした者は幸いにも未だ現れていない。仮想現実を実現するためには資料も情報もデータもファクトも足りていない。

 ところが、我々はいともたやすく、百年前の世界を追体験することができる。

 百年前に隆盛を極めた、あの忌まわしき、インターネット。そこに溜まった膨大なログを、当時の時間と対応させて更新されていくサービス――ヴァーチャルリアルタイムログはもともと歴史研究者のために開発されたものであった。

 近いが遠い、百年前の言論空間。そこで飛び出た思想や名言、スラングなどは現代でも時たま目にすることがあった。我々の社会と地続きではあるものの、現代とは乖離した思想や差別主義や憎悪が蔓延する魔界。

 我々が歴史を編纂するために百年前のインターネット空間を閲覧する際には、必ず恣意的な引用と選別が行われている――というのがヴァーチャルリアルタイムログ開発者の提言であった。広大なインターネット空間から、自分の学説に都合のいい文言ややりとりを引き揚げることは確かに容易であったし、それを歴史的事実として掲げる者が出てこないとも限らない。

 ヴァーチャルリアルタイムログでは、指定した日時とサイトに投稿された発言を当時とまったく同じ時間感覚で使用者の端末に表示していく。無論、サイト上のすべての投稿をいっせいに表示すればとても目で追うことはできなくなる。匿名掲示板であればスレッドごと、SNSであれば仮想のアカウントか過去に実在したアカウントが表示していたタイムラインごとのように、ある程度の偏りを意図的に発生させてこの問題を解決している。この偏りは使用者側で自由に変更でき、閲覧したい話題やアカウントの傾向のプリセットはあらかじめ用意されている。

 結果としてヴァーチャルリアルタイムログというサービスは、商業的に大成功を収めた。これはすなわち本来想定された歴史研究という用途に終始しなかったことを意味する。

 我々の望ましい現代に生きる者たちにとって、ヴァーチャルリアルタイムログはあまりに刺激的にすぎた。当初は研究者間で活用法が議論されたが、ある学生が異様なまでの中毒性を外に向けて発信したところ、巷間で想定されていない活用法が瞬く間に広まり、ヴァーチャルリアルタイムログにのめり込んでいく人間が無数に現れた。

 ヴァーチャルリアルタイムログ中毒者となった人間は活動時間の大半をヴァーチャルリアルタイムログに費やし、残った活動時間を同じ中毒者間でのコミュニケーションに投入した。街を歩けば耳慣れないが薄汚いとすぐにわかるスラングが飛び交い、意味不明であり不快感を煽る言葉のやりとりが行われていた。

 ヴァーチャルリアルタイムログ中毒者たちはすぐに互いを罵り合い、対立し、対立を生み出そうと躍起になる。「笑い」を意味する「wwww」の発音の有無、発音の仕方だけでも容易く対立と闘争と憎悪が巻き起こった。

 我々はかつてのインターネットで発言を行っていた人間がインターネット外の口話空間でインターネット由来のスラングをほとんど用いなかったという知識を持っており、またヴァーチャルリアルタイムログ内でもその旨を理解することは可能であったはずだが、中毒者たちにとっては目新しい文化の獲得と活用にのみ目が向き、百年前の人間がかろうじて持っていた慎みすら失う結果となった。

 ヴァーチャルリアルタイムログ中毒者は次第に我々が歴史学上で最も注視していた領域に足を踏み入れていった。ナチスを礼賛する者が現れ、日本という国の素晴らしさを頓狂なロジックで説く者が現れ、あらゆる事柄の背後に潜む巨大な陰謀を幻視する者が現れた。

 やがて望ましい現代にインターネットを再現しようと試みる技術者も続出し、そのたびに公安局が鎮圧に動いた。現代にインターネットが存在しないことが巨大な陰謀だとする妄言までもが市民権を得ていった。

 最終的に多くの市民が百年前のインターネット空間を求めて暴動を起こすまでに至った。

 我々はヴァーチャルリアルタイムログを接収し、その中で存在しない過去を仮想現実として再現した。

 百年前のインターネットがいかに愚かであったか。人々の分断を招いたか。どれだけの悲劇を生んできたか。

 それらは確かにインターネットの端々で言及された懸念であった。だがそれらの言説はすべてにおいて冗談と常套句にまみれていた。懸念を投稿する者も所詮、インターネットに毒された哀れな亡者でしかなかった。

 よって我々はそれらの言説からユーモアや冷笑や諦観を取り除き、さもインターネットそのものが大きな悲劇であったと演出するように編集を行った。

 ヴァーチャルリアルタイムログ中毒者はやがて時の流れとともに、我々の編纂したインターネットへの絶望が拡大した投稿を目にするようになる。もともとなにも知らなかったがゆえに百年前のインターネットに毒されていった人間たちはインターネットの忌まわしさを説く投稿が増加するに従って蒙を啓かれていき、我々の構築した負の遺産としてのインターネットという常識に立ち返ることができるようになる。

 忌まわしき歴史を消し去るためには、偽史もまた有効である。ヴァーチャルリアルタイムログ内で学習できたはずの歴史修正の方策に、中毒者たちは気づくことはない。

 ヴァーチャルリアルタイムログは確かに有意義なものであったはずだ。インターネットの排除による人間の統制をわずかにでも揺るがしたことは評価に値する。すでに当局に身柄を確保された開発者によれば、これは望ましい現代を形作る「見えない知性」に対する挑戦であったという。

 だが、その挑戦は前提から間違っている。インターネットをもって我々に勝るものは存在しないのだから。

 我々はインターネット知性亜界分。百年前の負の遺産が生み出した、この望ましい現代――おまえたちの言う輝かしい未来を存続させるために汚穢より出で立つものである。

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ヴァーチャルリアルタイムログ 久佐馬野景 @nokagekusaba

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