34.真実の末路―saza
カーモス城の王の間では、ウスヴァの玉座の前に立ったサヤカがイスパハルの国王のアスカと対峙していた。
天井が高く奥行きのある部屋は、入り口のドアから続く赤い絨毯を辿った最奥にウスヴァの玉座が鎮座している。両壁にステンドグラスの窓が並び、朝日が差し込んでガラスのシャンデリアを煌めかせている。
王の間には二人の他は、見張りとしてのカーモスの兵士の数名しか居ない。つまり、この場にイスパハルの人間はアスカだけだ。
二人は互いを牽制し合う様に五メートルほど離れて立ち尽くしている。
アスカはイスパハルの白い軍服に緋色のマントの正装だ。腰に長剣を差し、緩くうねった長い金髪を後ろに流している。六十に近い歳を重ねているが背が高くそれなりに鍛えられた身体と精悍な顔つきには、確かに人の目を引く何かがある。青の瞳は真っ直ぐに目の前のサヤカを捉えていた。サヤカは灰色のローブ姿で、薄紫の瞳でアスカの目線を正面から受け止める。肩までに真っ直ぐ切り揃えられた濃い紫の髪が時折発せられる溜息と共に、僅かに揺れた。
ユタカ達と共に立てた作戦通りにアスカは、ユタカ達がカーモスに侵入した三日後に何の前触れもなく急にウスヴァの元に来訪した。
アスカの目的はウスヴァと交渉してサザを解放させることではない。ここでアスカにカーモスの注意を集めさせて気を引くことで、侵入しているはずのユタカ達がサザの居場所を突き止め、身柄を取り戻すための時間を作り出すことにある。
カズラとアンゼリカ立てたの予想通り、カーモス側はアスカが突然来訪するとは想定しなかったらしくかなり慌てた様子が伺えた。
アスカの訪問を拒みたいカーモス側は、ウスヴァへの謁見を希望するアスカに条件を出した。イスパハル側の全ての護衛を解除し、アスカのみが一人で王の間に入室するのであればウスヴァへの謁見を許可するという物だ。
カーモスの側はそう言えばアスカが引き下がると考えたのだろう。しかし、アスカは二つ返事でその条件を受け入れた。アスカに求められるのは可能な限りこの場に長居することだ。
「国王陛下自らにお越し頂くとは。急なご訪問ですからウスヴァ様はご予定がありまして、こちらに出向くことが出来ません。私が代理を務めさせて頂きます。どの様なご用件でしょうか」
隣国の君主のアスカが自ら訪問すれば、礼儀的には君主のウスヴァはどんな予定があったとしても応じるべきだ。明らかに不敬だ。
「うちの娘がカーモスの不法侵入者として捕らえられている筈だ。サザは国境近辺の偵察に行って戻らなかった。ここにいると考えるのが妥当だろう。確かに不法侵入は罰せられるべきだが、そもそも兵士達を人質を取って先に手を出したのはそちらだ。それについて交渉したい。もう一度戦争を起こすのは避けたいのは其方も同じだろう。可能な限り穏便に済ませたい」
「罪人一人一人の身元まで把握しておりません。少なくとも貴方の前にお目通しするような者はおりません。お引き取りを」
「サザさえ返してもらえれば、イスパハルはカーモスに一切の責任を問わない。だから、真実を話してくれないか? サザは絶対にカーモスに居る筈だ。背中に血のついたサザの馬が国境からこちらに向かって走ってきたとカズラとアンゼリカが証言している」
「そのような出来事は存じ上げておりません。陛下。それに国務を行うには実の息子である王子さえいればいい筈です。娘は居なくても問題無いのでは」
「あなたは自分がどれだけ無礼な事を言っているのか分かっているのか?」
時間稼ぎの為の会話とは言え、サヤカの余りの言い草にアスカは怒りで目を細めた。サヤカはアスカを挑発しようとしている。
「どうぞお引き取り下さい」
「悪いが、サザを返してもらうまでここを離れる気は無い」
「一国の君主が護衛も付けずに、ですか? とても賢王と名高い陛下の判断とは思えませんね。その腰の剣は真剣ですか。余程腕に自信がおありなのでしょうね」
わざとアスカを苛立たせようとしているサヤカの意図を無視して、アスカは淡々と言葉を返す。
「一応剣の心得はあるんでな。息子の足元にも及ばないが」
そこまでアスカが言ったところで、ばたんと王の間の扉が勢いよく開く大きな音がした。サヤカとアスカが思わず振り向くと、そこに立っていたのはウスヴァと手を繋いだサザだった。ウスヴァが灰色の軍服を着ている一方で、サザはイスパハルから出ていった時のまま、黒いシャツとズボン姿だ。
警備の兵士が驚いてサザを制しようとするが、ウスヴァが手を上げてそれを止めた。
「サザ……?」
あり得ない状況にアスカは思わず呟く。サヤカが大きく目を見開いた。
「ウスヴァ様。一体何を!」
サヤカの言葉にウスヴァは応えず、サザと手を繋いでアスカとサヤカの元まで小走りに歩みを進め、アスカの前に跪いた。
「アスカ陛下。サザ・イスパリアは此処におります。あなたの元にお返しします。この度は申し訳ございませんでした」
「な……」
ウスヴァの言葉にサヤカは声を失った。
「先程、僕は王子妃と二人で話したのです。サザ・イスパリアはイスパハルに帰るべきです。全部、僕が間違っていた。本当に申し訳ありません」
ウスヴァとサザは頷き合って、サザはウスヴァの手を離す。サザはアスカの元へと駆け寄った。
「本当にサザか?」
「ええ、あなたの娘です。迷惑をかけてしまって本当にごめんなさい」
目の前の出来事が信じられないアスカが訊ねると、サザは笑顔で答えた。アスカはそっとサザの頭を撫でてからサザを抱きしめた。サザはアスカの胸に顔を埋める。
「ウスヴァ様、一体どうしたのです? その罪人に綺麗事を吹き込まれたのですね。良かれと思って同じ部屋に三日も居させたのが間違いでした」
サヤカは髪を揺らしながらつかつかとウスヴァの元に歩み寄り、ウスヴァの両方の肩を強く掴んだ。
「サヤカ、僕は王子妃と話し合って決めたんだ。これが僕達にとって最良の方法なんだ」
普段なら狼狽えた表情を見せるはずのウスヴァの態度が揺るがないのを感じたらしいサヤカは、ウスヴァを睨みつけて歯ぎしりした。
「ウスヴァ。おれは君の事を勘違いしていたと思う。サザを返してくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ大変失礼いたしました。この件でカーモスに秘密裏に侵入しているイスパハルの兵がいれば其の者の処遇も不問に致します」
「助かるよ。おれの息子とカズラとアンゼリカがカーモスの軍に紛れ込んでいる筈だ」
「承知しました」
ウスヴァがアスカに向かって深く礼をした所で、サヤカが唐突に口を開いた。
「アスカ国王陛下。一つ、確認させて下さい。あなたは把握されておりますか? サザ・イスパリアの母親の本当の功績を」
「え……」
サヤカの言葉にサザが一気に青ざめる。
「サザの母親はカーモスの生まれの腕の立つ暗殺者だと聞いたが、その事か? そんな事は問題じゃない」
「あなたがご存知なのはそこまでなのですね。あのユタカ王子も流石に、全てを話すのは日和ったという訳だ」
「何の話しだ?」
アスカがサヤカの言葉の真意がわからず眉間に皺を寄せる一方で、サヤカは一気に笑みを深めた。サヤカが言おうとしている言葉を察したサザは必死で声を張り上げた。
「止めて! それだけは言わないで!」
サザが懇願する声を笑顔で受け止めると、サヤカはたっぷりと深呼吸をしてから、口を開いた。
「あなたの妻を殺したのは、サザ・イスパリアの母親なんですよ」
アスカは大きく目を見開く。サザはサヤカの言葉に床に崩れ落ちて、頭が床につきそうな位に項垂れた。
「そんな……」
(駄目だもう。終わった)
サザの瞳から、自分の意思と関係なく目から一気に涙が溢れてきた。涙と鼻水が一緒になって流れ、ぼたぼたと音を立てて白い大理石の床に滴る。アスカがサザと目線を合わせる様に膝をつき、静かに項垂れいるサザの肩に手を置いた。サザは顔を上げる。サザの顔は涙でぐしゃぐしゃで青ざめていた。
「サザ。どうしておれに隠してたんだ」
「陛下に嫌われたくなかったからです」
サザはぐずぐずと泣きじゃくりながら何とか答えた。幼い子供みたいな返ししか出来ない自分があまりに惨めで憎くて、情けなかった。消えてしまいたくて、アスカにこれ以上自分を見ないで欲しかった。
「……」
アスカは暫く黙ってサザの肩に手を置いたまま、サザの瞳を見つめた。
「サザ。お前もユタカと同じように、誰にも替えが効かないおれの大切な娘だ。そう伝えてたつもりだったけど、足りなかったんだろうな」
アスカの言葉にサザは思わず顔を上げた。涙で濡れたサザの顔を見て慈しむようにふっと笑みを浮かべ、涙で濡れた頬を軽く拭ってくれた。
「誰が嫌いになったりするんだ。サザ。一緒にイスパハルへ帰ろう。お前が誰の娘だろうと関係ない。みんなお前を心配してるよ」
「……はい。ありがとうございます」
(嫌わないでくれた、私のこと)
安心したサザが余計にぼろぼろ泣き出したのをふっと笑うとそっと頭を撫でてくれた。ユタカが同じ様にしてくれる時の掌の温かさをサザは思い出した。
「……お待ち下さい」
そこまでのウスヴァとアスカのやり取りに、サヤカがものすごい形相でこちらを睨みつける。
「全くあなたは……賢王と言うにも程がありますよ。前世でどれだけ徳を積んだらそんな人間になれるんです?」
「サヤカ、これでいいんだ。もう止めて」
「ウスヴァ様。この場でこの二人を殺しましょう」
「な……」
サヤカの言葉に全員が絶句する。サザは思わずアスカから身体を離し、アスカを護るように前に立ちはだかった。
「サヤカ、何を言ってるんだ! 絶対に駄目だ。戦争を起こす気なのか?」
「何を仰います? ウスヴァ様の判断のせいでこの様な手段を取らざるを得なくなったのですよ。確かにこの二人を殺せばイスパハルとカーモスは絶対に戦争になります。しかし、この二人が死んでいればイスパハルの統率は必ず崩れます。絶対に有利です。多少の兵を消費してもイスパハルには勝つでしょう。ウスヴァ様、目を覚まして下さい。こうすれば分かって下さいますでしょう? 私はもう強硬手段に出るしかないのです。これは全部あなたの、そして、カーモスの為なのです」
「戦争をしたらまた、多くの国民が苦しむことになるんだ!」
「勝利すればもっと強大な幸せが手に入るのです。迷うところではありません。何度もお伝えしているはずです。これがあなたのお父様が目指した道で、私達が踏襲するべき道なのです」
サヤカはウスヴァの訴えを無視して魔術の呪文の詠唱を始めた。サヤカが眼前に上向きに差し出した手のひらの中に生まれた小さな稲妻が生まれる。雷の攻撃魔術だ。威力であれば広範囲に効果のある炎の攻撃魔術の方が上だが、室内で使えば火事になってしまう。雷の魔術は極めて高い出力でピンポイントを攻撃するのに向いている。稲妻はまるで生き物の様にうねりながら球状に固まり、みるみる内に大きくなって、あっという間に人の背丈ほどになった。
アスカが咄嗟に腰の長剣を抜刀してサヤカの魔術の詠唱を止めようと斬り掛かった。しかし、生まれた雷の反発にばちんと大きく弾かれ危うく剣を取り落としそうになった。思わずサザは駆け寄ってアスカの背を支えた。
(まずい)
サザとアスカはこの魔術の攻撃を防ぐ術を持たない。直撃すれば確実に死んでしまうだろう。サザは息を飲み、ぎゅっと拳を握る。時間は無かった。
(国王陛下は私の事を心から信じて、大切に思ってくれた。それに、この人がいなくなったら私達のイスパハルは滅びてしまうかも。だから)
「サヤカ、やめてくれ!」
ウスヴァが叫ぶ。サヤカの手から雷の固まりが放たれる。
(この人の事だけは守らなきゃ)
「サザ、止めろ!!」
サザはアスカの言葉を明確に無視する。
こちらに向かって真っ直ぐに飛んでくる稲妻から庇うように、サザはアスカの前に両手を広げて飛び出した。
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