38.対峙

「……何だ……?」


 秘密の通路を一心不乱に抜け、王の間の隠し扉から中へ駆け込んだユタカ達が初めに見たのは、全く予期しない光景だった。

 王の間に居たのはサザ、アスカ、サヤカ、ウスヴァの四人だ。

 部屋に入るなりユタカ達に最初に鮮烈に迫って来たのは、充満した血の匂いだった。


 胴体の傷からおびただしく出血したウスヴァの身体は力なく床に倒れている。その瞳からは既に、命の光が失われていた。どうやら先ほどの攻撃魔術はウスヴァの死に至らしめるのに使われたらしい。

 サヤカは震えながら、蒼白な顔で床にうずくまるように倒れ込んでいる。


「どうして、こんなことに……?」


 アンゼリカが声を漏らす。ユタカも全く同じことを考えていた。この部屋で攻撃魔術を使えるのはサヤカだけだ。だから、ウスヴァを殺したのはサヤカなのだ。思惑が異なるとはいえ主従の関係である筈の二人がどうして殺し合う状況になったのか、ユタカには見当がつかなかった。


 力なく床に倒れているウスヴァの傍らにかがみ込んでいるアスカはこちらに気がついたようだ。アスカはユタカに向かって大きく首を振った。

 それがどういう意味なのかユタカにはまだ分からない。その側にはサザがサヤカの方を向いて立ち尽くしていた。

 サザは柄に豪奢な装飾の付いた短剣を手に持ち、サヤカに向かって構えた。ユタカ達三人が必死に状況を理解しようとするところで、サザが口を開いた。


「よくも」


 何日かぶりに聞いたサザの声だ。あれだけ聞きたかったその声が、こんな言葉になるなんて、誰が思っただろう。


「よくも私の弟を……!」


 そのサザの言葉に、ユタカ達はサザが何をしようとしているかをやっと悟った。サザはサヤカを殺そうとしているのだ。


「だ、駄目だよサザ! やめて!」


 アンゼリカがサザに向かって叫ぶ。サザはその声に反応しない。ユタカとアンゼリカとカズラは走って、サザの前に立ちはだかった。サザがサヤカを殺せばイスパハルとカーモスの戦争が絶対に避けられなくなる。アスカもユタカも、そしてイスパハルの全員が望まない状況が生み出されてしまうのだ。


 ユタカ達の後ろで、サヤカは怯えて床にうずくまっている。サヤカが羽織っている銀色のローブが床に広がり、その端に流れたウスヴァの血が染み込み始めていた。サヤカは前に目にした時と同じ人物だとは思えないほどに憔悴して生気のない姿にユタカは驚きを隠せなかった。

 魔術を使うそぶりを見せないのは、さっきの強力な一撃によって一時的に魔力を使い果たしているからかもしれない。魔術が使えなければ武力を持たないサヤカは一般人と同じだ。サザには全く抵抗できないはずだ。


「サザ、落ち着いて欲しい。サザがサヤカを殺したら、イスパハルはまた戦争になってしまうんだ」


 カズラがサザを諭すように言った。サザは涙を流しながら首を横に振った。


「ねえお願い、私を止めないで」


 サザはこちらに向かって構えたナイフを下げない。カズラとアンゼリカは意を決した表情で頷き合うと、ユタカの前に出て、サザに向かってナイフを抜いて構えた。


「サザ、駄目だよ。止めて。攻撃したくないの」


 アンゼリカが悲痛な声で呼びかける。


「私だって、したくないよ!」


 そう言うと同時にサザは一気に地面を蹴ると、アンゼリカの一瞬の隙を突き、ナイフを握ったアンゼリカの手首を掴み取った。アンゼリカがはっと表情を強ばらせる。サザはアンゼリカの手首を勢い良く引いて体勢を崩させると、アンゼリカの脇腹を蹴り飛ばした。


「うあ……!」


 アンゼリカは悲鳴を上げて吹き飛ばされ、背中から床に叩きつけられて倒れ込んだ。


「アンゼリカっ!」


 サザは、アンゼリカを攻撃したのだ。サザの行動にカズラとユタカは目を見開いて息を呑む。ユタカは思わず吹き飛ばされたアンゼリカの元に駆け寄った。アンゼリカは苦しそうに腹を押さえてうずくまっている。ユタカはアンゼリカの身体を確かめる。辛そうだが大きな怪我はしていないようだ。


 サザはアンゼリカの方を見て顔を悲しそうに歪めるが、短剣を持ったその手を下げようとしない。そしてその切っ先を、今度は日本刀を構えているカズラに向ける。ユタカも立ち上がり、思わず剣の柄に手をかけたところでカズラが言った。


「王子、私が止められなかったらサザを止めて下さい。幾ら何でも二人で一緒でサザを攻撃はしたくありません。もしサザにまで怪我をさせたら、私は……」


「……分かった」


 カズラの言葉の真意を理解したユタカは頷いて、剣の柄から手を離した。カズラは血が出そうな程唇を強く噛むと、サザよりも先に地面を蹴って、手にした日本刀でサザの短剣に切り掛かる。サザの短剣とカズラの刀がぶつかり合う音が王の間に激しく響き渡って窓を振動させた。

 カズラはサザに短剣を取り落とさせようと、サザの手元ギリギリを狙って何度も切り結ぶ。しかしサザは一向に圧された気配を見せない。カズラが力を込めてサザの懐に一歩入ろうとした瞬間、サザは見事としか言いようの無いタイミングで踏み出されたカズラの足元に自分の足をまっすぐに伸ばして蹴りを入れた。


「……!」


 足首を思いがけず捻ったカズラが前のめりに転びそうになったところで、サザがその脇腹に回し蹴りを入れた。カズラは蹴りの勢いのままに地面に倒れ込んだ。


 サザはカズラが倒れ込んだところを苦難とも悲しみとも取れない表情で見届けて、短剣を持った手と別の手でごしごしと目を擦った。

 カズラが倒れ込んだ前に立ちはだかるようにしてユタカは前に出た。


「ユタカ、どいて」


 サザは潤んだ瞳でユタカを真っ直ぐに見つめ、ユタカ短剣を向けた。短剣を握る手は僅かに震えていた。その理由は怒りか、それとも二人を攻撃してしまった後悔だろうか。


「サザ、サヤカを殺したら戦争になるんだ」


「どいて‼︎」


 サザが声を張り上げた。ユタカは首をゆっくりと横に振った。


「それは出来ない」


「ねえ、お願い……ユタカと戦いたくないよ……」


 サザが張り詰めた感情をふっと緩ませて、ユタカに向かって短剣を構えたまま顔をくしゃくしゃにした。どうしてサザがウスヴァの仇を打とうとしているのか。サザはカーモスでウスヴァに酷い目に遭わされたのでは無かったのか。今のユタカにはサザの真意は分からなかった。

 それでもユタカははっきりと理解していた。イスパハルの為には、絶対にサザを止めなければいけない。そして、この場でサザを止められるのが自分だけだということも。


「それは、おれもなんだ」


 ユタカは腰の鞘から静かに長剣を抜刀すると、深呼吸をしてサザに向かって構えた。以前この場所に来た時、ウスヴァの命令でユタカとサザは全く同じことをした。ユタカはそれを思い出さずにいられなかった。


(あの時おれ達はもう二度と戦わないってとサザと話したのに。おれはどうしてこんな事をしているんだ?)


 目眩を感じてユタカはもう一度サザを見つめる。これまでの数え切れない戦いの中で、己の意に反して戦わなければならない時は幾度となくあった。それでも、今から始まろうとするこの一瞬ほどユタカを戸惑わせる戦いは無かった。それでも自分がこうしないといけないことをユタカは分かっている。それは自分はイスパハルの王子だからだ。


 先に躍り出たのはサザだった。正面からサザが強く床を蹴ってユタカに斬りかかる。サザの短剣がユタカの剣とかち合う斬撃音が王の間にこだました。

 サザはユタカを真っ直ぐに睨みつけながら、短剣で剣を受け止めている。

 ユタカは剣に力を込める。サザとユタカの顔が近づく。サザが更に力を込めて押し返す。


 サザは泣いていた。激しい感情を隠しもせず、歯を食いしばって、深緑色の瞳から大粒の涙を流している。ユタカはその涙に強烈な既視感を感じた。


(あの涙と同じだ)


 サザが生きている事を知ったナギの瞳から溢れていた大粒の涙。サザを想って流れたその涙が、それはそれは美しかった事。二人の瞳は全く同じ深緑色だ。どうしてサザは、そしてナギはこんな目に遭わねばならないのだろう。


 ユタカは剣に一層の力を込める。その圧にサザが押されて、一歩後ずさる。ぐっとサザが短剣を力を押し返そうとして、一瞬だけ柄を握り直すように指の力を緩めた。ユタカはその瞬間見逃さずに、横に捻るようにして長剣を思い切り薙ぎ払った。サザの短剣が捻りに巻き込まれ、手から離れてふわりと放物線を描く。剣戟の音が高く揺れた。次の瞬間にユタカの太刀筋がサザの短剣を跳ね飛ばした。サザの短剣が高らかな音を立てて、大理石の床にぶつかって跳ねた。


「う……」


 サザはその場でうずくまると顔を覆った。


「サザ……!」


 アスカはサザに駆け寄ると、座り込んだサザの身体を強く抱きしめた。


(これで正しかったんだ)


 ユタカは自分に言い聞かせるように心の中でそう呟くと、剣を握った手を力なく下に下ろした。湧き上がる後悔をどうにかして押し消そうとして、ユタカは大きく深呼吸した。


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