コンプレックス

望月 栞

第1話

 スーツをクローゼットから出したのは、大学の入学式以来だ。それに袖を通すと、緊張が増した。姿見の前で身なりを整え、リビングにいるお母さんに声を掛ける。

「じゃあ、行ってくるから」

 テレビを見ていたお母さんは、くるっと私に振り返った。

「あ、千明! 千景から聞いていると思うけど、今日は大学試験の合格発表だっていうから、あとで連絡あると思うよ。表彰式の間は、一応電源切っときなよ」

 今日は私だけじゃなく、妹にとっても緊張の一日だ。通信資格の成績を表彰されるようになった私のように、妹も良い結果になるかどうか……。

「うん、わかってる。行ってきま~す」

 バッグを片手に家を出る。妹の話題が出たせいか、電車に揺られながら高三の時の自分を少し思い出した。

 私は妹と違って大学は推薦入学だ。千景ほど苦労をせず、目標も特になく、遊びほうけていた。千景は休みのほとんどを部屋にこもって勉強していたのだから、きっとあの子にとって嬉しい結果になるだろう。

 私は会場のある中野駅に到着した。駅から歩いて五分もかからずに会場を訪れると、待ち合わせ場所であるロビーへ。

 そこに淡いピンクやベージュなど、様々なスーツを着こなす女性が数人で談笑していた。

 恐る恐る近づいていくと、向こうもこちらに気付いた。

「福富さんですか?」

「あ、はい。お待たせして申し訳ありません」

「大丈夫ですよ。では、皆さんそろいましたので、自己紹介させていただきます」

 そう言って、胸元の花のブローチが光る女性がその場にいる全員に対して言った。

「今回、皆さんをご案内いたします、久保と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

 久保さんはにこやかな笑顔を私達に向けて、一人一人に名刺を手渡した。

 渡された名刺を見ると、この人は私が受験した色彩の資格を主催している協会の関係者のようだった。

「それでは、会場に行きましょう。この建物の四階です」

 久保さんに連れられてエレベーターに乗る。四階に着き、降りてすぐにカウンターがあった。

「上着などクローゼットに預けるものがございましたら、カウンターにお申し付けください」

 私はカウンターへトレンチコートを預け、番号札をもらう。式が始まるまで、まだ時間があるのですぐそばのソファにみんなで座った。

 しだいに、他の検定資格の成績優秀者の団体がちらほら集まり始めた。腕時計で時間を確かめる。もうすぐだ。

 そういえば、合格発表の掲示はもうそろそろだろうか。千景も大学の掲示板の前で内心、ソワソワしているのかもしれない。

「あ、会場に入っていいみたいですよ」

 ホールへの扉が開き、他の団体がぞろぞろと中へ入っていく。私達も向かい、会場のスタッフに扉の前で式のプログラムの冊子を受け取った。

「お席にご自身のネームプレートが置かれておりますので、その席にお座りください」

 自分の席を見つけてそこへ座ると、私の列の席には同じ資格の女性が座っていた。団体ごとに列でまとめて座るようになっているようだ。

「それじゃ、みなさん。私は後ろで皆さんのお姿、拝見いたしますね」

 久保さんはそう言ってホールの扉近くへ行ってしまった。

 ドキドキしながらしばらく座って待っていると、壇上の左側に司会者らしき一人の男性がマイクを片手に立った。それまで流れていた音楽が鳴りやみ、しん、と静まり返った。

「それではただ今より、全国産業技能連盟主催、表彰式を開始致します」

 それからプログラムの流れに沿って、式に出席した理事などの関係者の紹介や挨拶を聞く。それが終わると、いよいよ表彰状の授与へ移った。

 壇上に白髪の連盟の理事が立つ。スタッフに促され、一番前の列の人が指定の場所へ並ぶ。

 司会の男性が検定資格名と名前を読み上げる。トップバッターで呼ばれたお団子頭の女性が壇上へ進むと、理事は表彰状を読み上げた。そして、お団子頭の女性に両手で手渡す。    

 その女性は受け取って一礼し、その瞬間にカメラマンがシャッターを切る音がした。女性は壇上の右手から降りていく。

 トップバッターの人が終わると、そのあとに続く人には表彰状の読み上げは省略された。

「こちらへ」

 スタッフの人が小声で私の隣に座る淡いスーツを着た女性に声を掛けていた。私もそれに続く。……あぁ、手汗がひどい。

 私の前の人が名前を呼ばれて壇上へ上がる。私はもう一度、前の人を見て手順を確認する。

 その人が壇上から去ると、司会者が私の名を呼んだ。

「優秀賞、福富千明さん」

「はい」

 私は壇上へ向かい、理事の正面へ来て目をしっかりと見た。

「おめでとう」

 理事から表彰状を受け取り、一礼。不自然にならないよう意識しながら、ゆっくり壇上を降りる。そのまま並んでいる席を迂回して自分の席に戻った。

 終わった~!

 式はまだ続いているのに、自然とそう思った。

 その後も表彰状の授与が続く。それが終わると、他の団体の代表者二名の資格を活かした体験談が語られた。その間、私は千景がどうしているか気になった。結果はもうわかっているはずだ。

 高三ともなれば、大学受験に向けての勉強が色濃くなる。千景が本格的に受験勉強を始めた頃はすごいと思う反面、もうちょっと遊んで高校生活を満喫すればいいのにと感じた。

 でも、千景がそこまで頑張る理由は知っている。きっかけとして、千景はもともと星を見るのが好きだったけど、小学生の時に家族でプラネタリウムに行ったことで宇宙をもっと知りたいと思うようになったそうだ。それから、千景の成績はみるみる良くなっていった。……私はさらに遊ぶようになったけど。

 でも、希望している宇宙科学科のある大学の推薦枠をとれなかった千景は、その大学を受験すると決めて勉強に取り組んでいた。

 一方、私は目指すものもなく、運よく推薦枠が取れる大学があったからそこを選んだ。交通の便が不自由することもないところだったし、他に行きたいところもなかったから安易に決めていたのだ。両親は反対しなかったが、千景は私のその決め方に疑問を持ったようだった。

「お姉ちゃんはそれでいいの?」

「うん。特にやりたいものもないし。友達で勉強を頑張っている子もいるけど、なるべく早く決めて、遊びたいし」

「それもわかるけど……」

 そう言いながら、千景は釈然としないようだった。

「オープンキャンパス行って色々な大学見てからでもいいんじゃない?」

「ん~、パンフレットはいくつか見たけど、気になるところはなかったからなぁ」

 推薦で選んだ大学に後悔はしていない。

 けれど、千景と考えが違う私は彼女が受験勉強をし始めたとき、よくこう告げた。

「少し息抜きしたら? たまには遊んでさ」

「休憩は定期的にとっているよ。さすがに遊んではいられないもん」

 私はそれ以上、何も言えなかった。

 千景が塾へ出掛けたとき、私はお母さんに訊いた。

「家にいてもずっと机にかじりついていて、なんか逆に心配にならない?」

「千明とはずいぶん違うものね。でも、あの子のペースでやっているんだから、大丈夫よ。受験が終わったら、また遊ぶでしょう。今は応援してあげればいいのよ」

「……そっか」

「千明は? 将来はどうしたいの?」

 お母さんに質問されて、私は自分と千景の決定的な違いに気付いた。千景は未来を見据えており、私は「今」を考えていた。大学に入学してからも将来のことなんて漠然としていた。

 私は近い将来、就活がある。でも、どうするかはその時次第であって、今考えてもやがては変わっているかもしれないと、自分の未来像に向き合うことはなかった。

「う~ん、考え中」

 そのとき、お母さんにはそう言うしかなかった。それから部屋に戻って、自分のやりたいことを考えてみた。私の好きなものは……。

「あっ」

 なんとなしに部屋を見回し、タンスに目を向けて自然と声が出た。私の好きなものは洋服だ。そう思いついた私は、自分のノートパソコンを立ち上げた。そろそろアルバイトを始めようとしていた矢先だったので、ネットでアパレルの接客業を探す。いくつか見つけて、これだと思うところに応募した。

 それから、続けて資格について検索をする。就活に向けて今からできる勉強をしようと思った。ファッションに役立ちそうな資格を探す中で、色彩に目が留まった。

 色か。面白そうだし、最初に始めやすい資格かも。

 その後、千景が受験勉強に打ち込む傍らで私は大学とは別に、アルバイトと色彩の通信資格の勉強に勤しんでいた。


 気付いたら、周囲で拍手が鳴っていた。体験談が終わったようだ。

「それでは、これをもちまして表彰式を終了いたします」

 司会者がそう言うと、私達は扉に近い席の人から順にホールを出ていく。

「みなさん、おめでとうございます! 堂々としていて、とても良かったです。これから上の階で、立食パーティーがありますよ」

 久保さんに連れられて、エレベーターで五階に上がった。会場のスタッフの案内で宴会場へ足を運ぶとビュッフェ形式で料理がずらりと並んでいた。

 美味しそう……!

 全員が揃ったところで、飲み物が運ばれてくる。私は烏龍茶を選んだ。

「これから乾杯するようですから、荷物は壁際にある椅子の上に置くといいですよ」

 私はその時、千景のことを思い出して、指定された椅子に荷物を置いた。鞄の中から携帯を取り出し、電源を入れる。千景からメールの着信があった。

 やっぱり受かった……!

 自分の受験番号の画像付きで、試験に合格したという内容だった。

「福富さん、そろそろですよ」

 久保さんに促されて私は携帯を鞄に戻した。


 帰り道、たまには姉らしいことをしてみるかと、私は高揚した気分で雑貨屋に寄った。化粧ポーチとハンカチがセットになったものを選び、包装してもらう。それを手に帰宅すると、すでに千景がお母さんと一緒にリビングでくつろいでいた。

「お帰り、お姉ちゃん」

「ただいま。千景、合格おめでとう」

「ありがとう! 頑張った甲斐あったよ」

「千明はどうだったの? 表彰式」

「緊張したよ。でも、式の後は立食パーティーで美味しいもの色々食べられたよ」

「へぇ~。良かったじゃない! 表彰状もらったんでしょ? 見せて」

 お母さんに言われて、私は鞄から表彰状を取り出した。

「あれ?」

 千景が私の表彰状を見て声を上げた。

「お姉ちゃんの表彰式って……」

「通信の資格で成績優秀者を対象にした表彰式だよ。自分で言うのもなんだけど」

「そっか、お姉ちゃんが出た表彰式ってこれだったんだ!」

「千明、言ってなかったの?」

「まぁ、そんなに詳しくは。勉強、頑張っていたみたいだし」

「私、これ欠席したんだよね」

 千景の言葉に一瞬、耳を疑った。

「どういうこと?」

「私も去年、資格取ったときにこの表彰式に呼ばれたんだ。でも、着ていくものないから断ったんだよ」

「えっ、そうなの? なんだ、言ってくれればよかったのに」

 お母さんは残念そうに言った。私は驚いて言葉が出なかった。

「今思えば出ても良かったかもね。美味しい料理が食べられたんならさ。お姉ちゃん、おめでとう」

「……ありがとう」

 私はお母さんから表彰状を返してもらい、自分の部屋に戻った。床に鞄を、机の上に表彰状をそれぞれ置いてベッドに倒れ込んだ。

「千景も取っていたのか」

 冷水を浴びせられたように、私の気分は鎮静化していた。自分が勉強して頑張った証がこうして形に残ったのだけれど、千景の方が先を行っていた。

 思えば、千景に目指すものが出来てから、成績はつねに彼女の方が良かった。真面目に勉強して自分の方が悪かった時の失望感が嫌で、私は必要以上に勉強しないようにしてきた。比較されたくなかったんだ。今回は千景とは全く関係ないはずだったのに。

「着替えよう」

 私はベッドから起き上がると、バッグと一緒に置かれた雑貨の袋が目に留まった。

「……だから、もっと遊べって言ったのに」

 私はプレゼントをごみ箱に捨てた。


                                                                                                             -Fin-

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