第二十八話 碓氷峠前哨戦

「信繁、行け!!」


「お任せあれ。者ども続け!」


上田城は現在、徳川との決戦を控えていた。街道にはすでに酒井率いる15000が西進しているとの情報がある。


昌幸の作戦はこれまでと同じく、奇襲と撤退の反復攻撃キャッチ&リリース。しかし、こたびはそれ以上の罠が仕掛けてあるのだ。家康の用心深さを考慮してのことだ。


今、真田信繁率いる700の手勢が馬を走らせた。槍働きならばここぞという場面で力を発揮できる将だ。


もう一人の息子、信幸は今上方へと向かわせている。戦後処理の交渉役とするためだ。


そしてこのわし、昌幸は念願の家康撃破をして見せようとしているわけなのだ。


「あとは天命を待つのみ...か。わしは嫌いじゃな。勝利はなるべくしてなっているもの。」


髭をなぞり、昌幸は碁石を握る。


...かつて北条の若殿と交えた戦いを思い出す。


「掴みどころのない人間よのオ。かつての北条氏康の如き覇気、戦略もまたかつての先祖を彷彿とさせるものであった。凡愚と聞いておったが、まさかあれ程とは。」


碁の極意とは即ち、力の抜き方でもある。

戦術的勝利、つまり石の生き死にと、戦略的勝利、つまり広い領土を得ることとを天秤にかけるのだ。


昌幸が碁を好む理由にはこういうところもある。最後に勝てば、勝者は自分である。


だがしかし彼、北条氏直は異端であった。


「あの場面で攻勢に出るのはあまりにも身を切りすぎだな。満身創痍じゃ。傷だらけの身体では二度と再起できぬ。わしならば手を抜くものよ。」


確かに彼は強かった。しかし同時に脆い。何か、焦りのようなものも見え隠れしている。


「戦が終わるとき、彼は自ら滅ぶ道を選ぶやもしれぬ。」


昌幸は若き鬼才の存在の脆さに気づいていた。これは危惧すべき事態である。だが、昌幸にはそれがもはやどうにもならないことを把握していた。


苦みにも似た表情が、握るその手が証明していた。


「しかし、その時はわしの盤面も吹き飛ぶのじゃから困ったものよのォ。まあこれが彼の交渉術ということか。フフフハハハ。実に面白い漢じゃ。」


策を弄する反面、昌幸は氏直の勝利に依存してしまっていた。





「此度は、我らにできる最大限を、予定された刻限に実行することこそ肝要だ。抜かりなく進めよ。」


信繁率いる700は山合いの中、様々に罠を張り巡らせていた。時には草の者を走らせ、酒井の動向を探る。彼らの動線をズタズタに切り裂くことがまず1つ目の策である。


「それに、此度は直江殿と上杉勢が伴っている。彼らの詰める戸石城との連携は決して断ってはならぬ。

者共、の合図だけは見逃すなよ。」


「ハッ。」


直江兼続率いる屈強の上杉勢その数、五千。父上が驚くのも無茶はない。上杉景勝が父上を信頼し、家中の反対をも押し切って派遣したのだ。これほど心強いことはない。


それにあちらの戦も一悶着ついた。そしてここで徳川殲滅の使命が父上に与えられたのだ。


この一度の好機、父上が逃すはずはない。それにこのわし、信繁の武勇をいよいよ天下に示すべき日が来たのだ。


「今は草木に臥して機を待つのみ、か。」


そうして待ち受ける間に、木々から鎧武者が見えた。馬足は早くない。幸運にも敵将は先頭近くにいると見える。


「見えたぞ。あれが徳川の先遣隊に相違ない!!」


木々の合間から点々と見えた旗指し物がようやく群れを成して見えるとき、信繁は手勢700に大音声を挙げ言い放った。


「時は至った!者共、敵軍突撃じゃ!!」


瞬間、信繁を先頭に敵軍へなだれ込む。





「やはり来たか真田。碓氷峠を越えてからこの時を予期していた!奇襲なんぞ小賢しき手に、我ら三河武士は乗らぬ。ほれ、殿の雪辱を果たせ、者共!」


「ハッ!!」


碓氷峠を超えて間もなく、酒井率いる先遣隊に真田の刺客がやってきた。


山にも伏兵を忍ばせていたか。ここまでは想定通りだが。


酒井は真田の戦を見たことがない。家中の者がみな、真田の戦に恐れをなしていたゆえに、かえって酒井は苛立ったのだ。


真田とはそれほどに恐るべき相手なのだろうか。徳川が恐れるべき相手なのか。


徳川の武名はそんなものなのか、と。


いいや、この酒井の戦こそが徳川の武名を支えてきたのだ。武名が轟く徳川軍。三河武士の屈強さは真田の野郎に決して敗れるはずがない。


酒井は真田を軽くいなしてやるつもりだったのである。


「フフフ、ハッハッハ。我にその程度のねこだまし、一切通じぬ。」


酒井はさっさと突撃してしまいたいという想いを抑えながら、とにかく守りの構えを見せた。兵にはすでに察知させていた。陣形は速やかに守りの体制へと入った。


「真田の攻めを上手く回避して、多く損害を与えてやる。」



酒井は正面から戦うことを選んだ!

真田勢は恐れも抱かず真っ直ぐに向かってくる。




ゴゴゴゴゴ......




「!?」


しかしその時、轟音が酒井の真上から聞こえてくる。


「ととととたと殿!!あれは...」


なんと、急な斜面から、丸太やら岩やらがこちらに向かって転がってきているではないか!?


「抜かった!真田の戦い、見くびった!!殿にあれだけ念押しされた訳もわかった。みな、直ちに突撃せよ!ここは慎重になるほどに真田の思う壺となる!行け!みな、行け!」



昌幸の策は見事に酒井率いる第一波を陥れたのである。


酒井を先頭に、徳川軍先遣隊は予定よりも早い交戦を迎えた。





「酒井はいずこじゃあ!!ならぬ!先へ生かせるな!わしを置いてゆくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


家康はすでに焦燥していた。







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