小田原征伐でまさかの豊臣秀吉暗殺成功!?ご先祖様の記憶を引き継いだ最強の五代目北条氏直が挑む!!

片平親綱っ

史実 小田原征伐

史実 小田原征伐

天正18年。1590年は東国における諸大名の動静が中央に左右される、正に東国騒乱の時代といっても過言ではないでろう。

今まさに乱世に覇を唱えようという一人の若輩戦国大名や、地元の強力な武士団を束ね強力な地盤を築き上げた戦国大名、室町時代においてもその強権を利用して東国制覇を目指した屈強の戦国大名、そのそうそうたるメンツの実力者たちが我先にとこうべをたれ覚えのない罪状に詫びるのである。


時の天下人たる豊臣秀吉にとってはそれが可笑しくて可笑しくてならなかった。


元来、関より東に当たる地即ち東日本は朝廷の直接権力の届かない異国のような場所であった。ゆえに当時は中央の息のかかったものが現地で幕府に準ずる独自政権を築き、中央とは異なる半ば独立国の体を採っていたのである。 


鎌倉時代よりその権勢を明らかなものとしていた将軍源頼朝やそののちに執権として指揮を執った鎌倉北条氏の時代に対する畏怖の念からかわからぬが、関東は常に中央から警戒され続けてきた。それは彼らによって植え付けられた一種の関東武士たる誇りそのものでもあろう。

証拠として奥羽は中央、西国と連携が取れるようになっており、関東に一大事とあらば挟撃によってこれをせん滅する戦略であったらしいことがうかがえる。


そんな異質な土地において、当時日本で初めての戦国大名が誕生した。


後北条氏である。


北条と名乗るものの、彼らは鎌倉北条氏と何ら関係のない、伊勢宗瑞という将が立ち上げその後五代にかけてその勢力を拡大せし名うての実力者だ。


歴史は繰り返す。それがいつの時代においても通用するこの日の本は恐ろしき国であると民衆は未だ気づいていない。隣国の明、そして遠方の南蛮を見てみよ。

この国は正気ではない。そしてこの天下の道化たるわしが目覚ましの小便をかけてやろうではないか。


関東の北条ごとき一息に叩き潰し、我が富める国、新たな国へと生まれ変わるその夜明けを民衆に堂々と知らせてやる。


関東、奥羽、そして遠国の明、大陸の国々を平らげて見せよう。


決してそれは傲慢ではない。秀吉にとってそれは義務であり、使命であった。天皇の政策代行者でもある秀吉にこの程度の権力の見返りなどその手段にほかならない。目指すはわが国の豊かな繁栄と世界に通づる新しい国、日の本の創建なのだ!


秀吉は物思いにふける中、いよいよ始まる軍議へと向かうのであった。










威容たる面々が顔をそろえる中、やや遅くに豊臣秀吉は現れる。

天下人直々にやってきたことだけでなく、ここ石垣山城の突貫工事とは思えぬ威圧感からか、諸将の間にはこれまでにないほどの緊張感が漂っていた。


そんな中でもやはり天下の道化たる彼は演出に必要な間を忘れず取り入れた。


小姓が持ってくる一杯の水に喉を鳴らし、諸将一人一人の顔をひたと眺める。


面白いもので、あらゆる感情がそこかしこに表れておりつい鼻で笑ってしまう。


人心を知り、巧みに操る秀吉にとってこれこそが最も大切にしている瞬間だ。


鎮まる空間の中、秀吉は重重しく口を開く。



「こはいかになっておる。」


「ハッ。まずはじめに両軍の軍容並びに戦略を。」


パラパラ


小田原城包囲の陣容


豊臣方 

包囲軍 計十七万

 北東方面 徳川家康三万

 北西方面 織田信雄 羽柴秀次 宇喜多秀家

 南西方面 細川忠興 池田輝政 堀秀政  両軍合わせ十四万


水軍衆 

相模湾方面 長宗我部元親 九鬼嘉隆 毛利輝元 一万四千


本軍 

石垣山城(笠懸山城) 豊臣秀吉 三万四千


北条方 計五万

北条氏政 北条氏直 北条氏照 北条氏房 

佐野氏忠 松田憲秀 成田氏長 皆川広照

和田信業 山角廉定 他





「一寸尺地の隙間これなくお囲み候と、榊原康政殿が漏らしておったとのことで、豊家の威信にかけた完全な布陣でございましょう。」


「うむ。して、戦略のことじゃが、自由に意見を述べてよい。いかに。」


「みなそろって同意見でござる。長陣策に出て気長に待つことこそ肝要であるかと。」


「もはやあの者らに残された時間はござりません。人心をしる殿下ならではのよき戦略、戦術と心得ます。」


「うむ。わしも同意見じゃ。金と兵糧に糸目はつけぬゆえ、何なりと申すがよい。彼奴きゃつらの底力とやら、しかと値踏みしようではないか。諸侯。そして官兵衛。まことによくぞ申してくれた。わしも気長に待てるというものじゃ。」


「ははっ!!」





ここで説明しよう。黒田官兵衛孝高。豊臣秀吉の軍師にして彼を天下人となしえた陰の立役者でもある。本能寺の変から、今に至るまでの迅速な行動と的確な進軍も彼の力によるところが極めて大きい。

しかし、秀吉の晩年には不遇を買い、隠遁を余儀なくされた。


今回の小田原城攻略のとどめを刺したのも彼の交渉によるところである。








長い間目のこぶであった北条が倒れる。なかなか骨の折れる仕事であったわ。

上洛の要請に応じず、度重なる惣無事令違反など、北条方はわしの堪忍袋を叩きのめしおったのだからな。すぐに帰参して頭を下げればよいものを。


まあ良い。これで諸大名の再配置も楽に行えるというものじゃ。


まあ、まだ奥羽が残っているのだが。それはそうとて、迷い中のこともある。

先に仙道七群を手中に収めた伊達政宗だ。


彼は先ほど到着し、現在箱根に幽閉しておるのだがおかしなことに千利休から茶の嗜みを教わっているらしい。まこと奇怪なやつよ。詫びに来る奴がなんと肝っ玉の太いことか。まあ、今度直で会ってやってもよいのだが。























その後、難なく豊臣方は小田原城を開城させ、ここに五代百年と続いた後北条氏は滅ぶのである。主戦派の北条氏政らの面々はみな切腹したが、北条氏直は赦され、その後高野山にて没する。




悲しきかな後世。後北条氏に一縷の涙を添えずにはいられないものである。

歴史にもしもが通用しないことは確かであるが、彼らにとってその勝ち目がなかったわけではない。歴史は常に勝者によって彩られ、敗者は愚者としてその汚名を残すが、真実は薄氷の上を歩くがごとし。


もし北条氏直が優秀でかつ父北条氏政との二重権力体制を有効に利用できていたなら。


もし北条家お抱えの忍、風魔小太郎が豊臣秀吉暗殺に成功していたなら。


この戦局はどう動いていたのだろうか。



次回、その発端から丁寧に考察し史実に基づいたうえで物語を展開する。















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