第11話 キミとの恋まであと
先生は、私が初めて恋をした相手であり私を初めて裏切った相手だ。
人間がまだ馬に乗って移動していた時代、身寄りのない私を拾ってくれたのが先生だった。この呼び方は私が勝手にそう呼んでいるだけで、先生は「僕はただの農民だ」と何度も否定していた。それでも、何も知らない私に世界を教えてくれて、色々な感情を見つけさせてくれたあの人の事を私は今でも先生と呼びたい。
いつまでも若々しくて、いつでも優しい先生は私にとってなによりも大切な存在で、私の世界の全てだった。年頃になってからは自分の気持ちが恩義だけではない事も理解した。
ある日、私は先生に自分の想いを伝えた。幸い先生には奥さんがいなかったし、実年齢の差はあったけれど、先生はとても若く見えるから二人に障害なんてないと思っていた。
なにより、先生も私の事を好いているという確信もあった。
「キミは本当に・・・」
いつもの大人っぽい穏やかな笑顔ではなく、照れたような困ったような、複雑な表情を見せる先生に私はすごくドキドキした。そして先生は、切なそうに私をじっと見つめた後にキスするみたいにそっと私の首筋を噛んだ。
先生と思いが通じ合ってから数年が経ち、私の運命が大きく変わる日が訪れる。
「実は僕は、妖怪・・・いや、鬼なんだ」
その告白は実に突拍子もなく、笑い話にすらならないものだった。当時の私は吸血鬼という言葉を知らなかったけれど、大好きな先生の懇切丁寧な説明で言葉の意味を知るのもそれを信じるのも直ぐだった。
脈打つ闇色の翼に、不可思議な能力、私が幼いころから全く年老いない見た目。先生が人間でないという事実を私は簡単に理解できた。
でも、当時の私は幼くて、それを受け入れることは出来なかった。
「え、不老不死・・・? 私を?」
今まで自分を育て、色々な事を教えてくれて、今では恋人関係にある先生が悍ましい化け物。私は想いを伝えた夜に『眷属』と呼ばれるその仲間にされていた事実。
「黙っていてごめん。でも僕はキミの事を失いたくなくって・・・」
「ち、近寄らないで下さい!」
何度も、何度も言った『なにがあっても私は先生の味方です』という愛の告白は衝撃の事実の前に一瞬にして消え去った。
「来ないで、来ないで・・・!」
そしてあの日、私は先生を殺して吸血鬼となった。
吸血鬼は不老不死で自らの意思で死ぬことは出来ない。
ただし、自分の血を分けた眷属に殺された場合のみ死ぬことが出来る。その後、親である吸血鬼を殺した眷属は次の吸血鬼となる。そんな事を今更理解しても、約束された永遠の孤独は消えてくれないし、先生も返ってこない。
「先生は、自分が死ぬために私と恋をしたの?」
それとも、心の底から二人で永遠の時を育みたかったのか。死んでしまった者は蘇らない、それは私が死ねない事と同じくらいに揺るぎないことだ。
***
「なんで、なんで死ねないんだよ!」
絶望した壱也君が最後に私を殺すことはわかっていた。吸血鬼を殺せば眷属の自分も死ねるかもしれないという希望があるし、私に対して強い憎悪を抱いているのも知っていたから。壱也君が城を訪ねてきた時に、いずれこの時が来る事は予想出来ていた。
でももし、何か運命が大きく変わって壱也君と恋をすることが出来ていたら。私は人間だった頃に先生と見つけることが出来なかった、愛する者と過ごす永遠の時間っていうものを味わえると本気で思っていたよ。それくらい、壱也君の恋心は真っすぐで眩しかったんだ。
今思えば、それは『あの子に向いているから』だったのかな。
「おい、なんでだ、どうすれば・・・!」
千年前に人間の私が死に、今吸血鬼としての私の命が終わる。薄れゆく視界と遠のく音にこの世界から溶けて消えてしまうような感覚を覚える。
ごめんね、壱也君。結局はキミを利用する形になってしまった。でも、キミの心を愛していたのは本当だよ。壱也君とならもう一度恋をしたいって思えたんだから。
「勝手に死ぬな、おい、ずるいぞ、俺だって死にたいのに・・・」
でもよかった、これでやっと千年もの間ずっとずっとずっとしていた後悔も、どうしようもない初恋も、先生からも解放される。
貴方との恋から千年が経って、やっと私は終わらせることが出来た。
***
『日本国59地区において女児誘拐事件が多発しております。国民の皆様は―――』
かつてはゴールデンタイムと呼ばれたこの時間だが、テレビを見ている人間はもう数千人もいないだろう。それでも興味のないニュースをとりあえず流してしまうのは人間だった頃の名残だろうか。
「ここどこ、やだ、怖いよ」
黒くて美しい髪。鋭いけど優しさを感じる瞳。
「大丈夫、怖くないよ。慧」
「けい? だれ、私さくらだよ。けいって名前じゃないよ」
「・・・違うだろ、キミは慧だ」
「お兄ちゃん怖い。これとって、お家に返してよ」
大人を相手に物怖じしない凛々しさ、でも臆病な所もある。
「慧は何色が好きだ?」
「ねぇ、ここどこなの、パパとママに会わせて!」
いつも人の話を聞かない。でも聞かないように見えて実はちゃんと聞いていてくれる。
「慧、あのな。俺・・・吸血鬼に会ったことがあるんだ」
「いみわかんないよ、怖い。怖いよ」
慧はいつも。クールに見えて本当は優しくて、不器用で、塩対応だけど俺の事をとても愛してくれて、凛々しくて芯があって美しくて、でも食事をするときは可愛くて、綺麗で、髪がサラサラで鋭い目つきが妖艶で、少し内弁慶で、意外と怖がりで、いつもいい匂いがして、それを言うとちょっと恥ずかしそうに怒って、何気にヤキモチ焼きで、でも甘えるのが下手糞で、それで、ずっと俺の傍にいてくれた。
この子は、慧じゃない。
「・・・はぁ、君も駄目か」
大きくため息をついて、部屋から出る。窓の外に見える薄灰色が定着した空にもすっかり慣れてしまった。まだ令和時代と呼ばれていたあの頃の空はもっと綺麗な色をしていた気がするが、ただの思い出補正かもしれない。
「キミを失ってからもうどれくらいが経つだろう」
変わり果てたこの世界で、俺は今日も慧を探している。
「百年、いや千年かかっても構わない。俺は慧ともう一度出会って、恋をする」
次に慧と出会えるのは、あと何年後だろう。
キミと再び恋をするまであと何年かかるのか、俺はまだ知らない。
キミとの恋まであと千年 寄紡チタン@ヤンデレンジャー投稿中 @usotukidaimajin
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