第九話



 ―――和尚の過去が、わずかばかり窺える事がありました。



 ある日、私が寺周りの掃除をしておりますと、門戸に黒塗りのいかめしい車が乗り付けられ、中から周囲を護衛に固められた人物が降り立ちました。



 見るからに高価そうなスーツを着たその人物は、見間違いでなければ確か旧陸軍出身の大物政治家で、箒をもったまま取次ぎに出た私に、秘書らしき人物が「和尚様にお取次ぎいただきたい」と申されるのです。



 私はよくわからぬまま堂内に戻り、和尚に様子を伝えますと、一瞬で全てを理解されたのでしょう。目に静やかな怒りがともり、無言のまま、のそりと玄関に向かわれました。


 そして門戸で待つその大物政治家を見るやいなや-――



「その顔を見せるなッ! 帰れッ!」と一喝されました。



 その大物政治家は、落雷に打たれたように一瞬体を硬直させ、やがて和尚に深々と一礼し、周りを促すようにして車に乗り込み帰っていきました。

 その様は、何か取り返しのつかない失態を犯した下士官が、最高指揮官に報告に上がり、そのまずい報告を聞いてはもらえぬかのようでした。



 もしかすると、私が和尚と初めて対面したあの夜に、和尚に感じた印象は、あながち間違ってはいなかったのかもしれません。



 和尚の正確な年齢はわかりませんが、およそ80代だったと思われます。世代から考えますに、日本がひたすら軍国主義にひた走り、戦争一色に染まった、その中心世代です。



 和尚は旧日本軍において、あの旧陸軍出身の大物政治家が直立不動の姿勢をとるほどの地位にあられたのではないか――。

 太平洋戦争時には退役されていたでしょうが、日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、国がおよそ戦争に明け暮れた時代のどこかの時点で――。



 あの大物政治家は、先の大戦で多くの部下を見殺しにし、側近数名だけを連れ、己だけ遁走した事で有名な人物でした。



 例によって和尚は一切を語られません――。



 ただそう考えると、かつて和尚が言われた「何万人をも死なせた罰だ――」という言葉の意味が、大物政治家の来訪とともに生々しく実体感をもって私に迫り、見えてくるような気がしたのです。


 何万人をも死なせる。通常、一人の人間にそんな事は不可能です。しかし、もしそれが幾多の戦争における己の作戦や指揮で何千何万という部下を死なせてしまった、という意味ならつじつまが合う―――。



 作戦や指揮の成否は数字で計られます。人間がただの数字になってしまうのです。これだけの成果を挙げ、この犠牲者数なら悪くない――というように。

 しかし、軍上層部にとって単なる数字であっても、その数字は紛れもなく一人ひとり、それぞれの人生を持つ血の通った人間の集積です。それが無数に、無残に散ってゆく―――。



 和尚が持つ「力」は、そうして散らせてしまった無数の命に対する悔恨と懺悔、できるものなら己の記憶をも消してしまいたい、という尽きざる想いの果てに生まれたものではなかったか―――。



 和尚は力を「罰」とも言われた―――。



 確かに、そんな力を持つことは、罰といえるでしょう。

 人間ひとりの身体がおかしくなった原因の記憶を、そのまがまがしい映像を、もしもありありと見せ付けられたなら、よほど強靭な精神をもっていないと自分が崩壊してしまいます。


 それでも、見知らぬ他人のトラウマと対峙し、見つめ、その記憶を消し続けてきたのは、和尚が己に与えた罰だったのか――、あるいは部下たちへの罪ほろぼしだったのか―――、私のような未熟な者には、今もわかりません。



 ご身内の事も、一切聞いた事がありません。

 おそらくは軍を退役後、何もかもを捨て仏門に入られたのではないでしょうか。己の罪と罰に向き合うために――。

 和尚はきっとどこかの時点で、かつて消したいと願った記憶を、己ひとりで背負い続ける事を決めたのでしょう―――そう思うと胸が詰まります。





 ―――幸か不幸か、私はいくら修行に励めど、そんな力は身につきませんでした。

 この世のものではないものが、わずかばかり見え、祓う事ができる程度にしか―――。そういった事を和尚に代わって、やがて務めるようになりました。



 それを見届けたかのように和尚は、身罷られました。


 庭にある卒塔婆は先代和尚を弔ったものです――。



 そう……私の後ろにある刀や甲冑、日本人形などはお祓いを依頼されたものです。知らぬ間に、すっかりそんなお祓いを頼まれる事もなくなりましたが――。



 最期はいつだったでしょう―――。



 

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